第1144話 「信祈」
ローの眷属と化した彼らは死への恐怖と躊躇を喪失していたが、心の底から忠誠を誓っていない者達はそうではない。
エゼルベルトは後方――ジオセントルザムの街にいた。 彼は戦闘面ではあまり役には立てないのでこの位置となっている。
彼の管理下にあるヒストリア所属の転生者達と辺獄から引き上げた聖騎士はアブドーラの少し後ろに布陣しており、彼個人は参戦しないがヒストリアとしては戦闘に参加する事となっていた。
聖騎士達はこれから何を相手にするかを聞かされてこの世の終わりのような絶望的な表情をしていた事には同情したがどうにもならないのでエゼルベルトは彼等にかける言葉はなく力なく首を振る。
彼等の反応は正常で大抵の者達はタウミエルの詳細を聞けば逃げ出したくなるが、ここで負ければ遅かれ早かれ死ぬ事になるのだ。
それに逃げてしまえばオラトリアムの者達に消されかねないので、二重の意味で逃げる事は不可能だった。
――遂にこの日が来てしまったか。
クロノカイロス陥落後、身の振り方を考えるようにと言われた事がある。
今回に関してはオラトリアム側に深い意図はなかった。 死ぬ可能性が高い以上、降りたいなら好きにしろと言われたのだ。 その代わりに後の事は知らない。 清算したいなら今回だけだと言われたのだ。
エゼルベルトは自分一人で決められる事柄ではなかったので仲間達と相談する事にした。
意見は大きく割れた。 タウミエルの脅威に関しては理解していたので戦う事は必要な事ではある。
ただ、それを自分達が行うべきなのかといった声が上がったのだ。 身の丈に合わない事はしない方がいい。 まずは自身の安全を確保してから。
エゼルベルトはその考えを理解はできるが、好きではなかった。 出来る事は他人に任せて自分達は隠れて嵐が過ぎ去るのを待つ。 見方によっては賢いとも取れるかもしれない。
――それはエゼルベルトの根幹に存在する失われた過去を、未知を探究する考えを真っ向から否定するものだ。
行動を起こさない者は何も得る事が出来ない。
待っていても求めるものは得られないのだ。 彼が求める世界の過去も、探究したいものも手に入れたいのなら自ら動くべき。 そう考えたからこそ彼は仲間と共に探究の旅に出る夢を見たのだ。
オラトリアム側もそのまま無責任に放り出す事はなく、最低限の生活基盤を整える為の支援はすると言っているが転生者を大量に抱えるヒストリアを維持するには独力では難しい。 結局、組織を維持する為にはオラトリアムの継続的な支援が必須と言っていい。
そう考えるならオラトリアムと手を切るのは悪手だ。 保有する領土の広さ、資金力、何より種族による偏見が一切ないので大手を振って外を出歩けるのは大きな魅力だった。
仮にオラトリアムと手を切ってしまうと住処の管理なども自分達で行わなければならない事を考えれば、離れる事に強い抵抗がある。
自由を求めて外に出るか、安定を求めてその場に残るか。 どちらを選ぶにしても高いリスクを負う事になる。 前者を選べば組織の未来に不安が残り、後者を選べばタウミエルとの戦いに駆り出される。
結局、仲間達と相談した上でエゼルベルトが選択したのは後者――残って戦う事だった。
どちらにせよこの戦いにオラトリアムが負ければ世界に未来はないのだ。
未来を切り開く為の一助となる為にエゼルベルト達は戦う事を決めたのだった。
エゼルベルト達はローの眷属ではないので死ねばそこで終わる。
この決断をした事はその結果を受け入れる事の証左でもあった。 ここまで来ればローを信じる事しかできないので振られた役割を完璧にこなす事だけを考えればいい。
――怖いな。
だが、それでも足は恐怖に震え、本能は逃げ出すべきと警鐘を鳴らす。
それを必死に押さえつけ、エゼルベルトは空を睨んでその時が来るのを待ち続けていた。
――これは死ぬんじゃないか?
空を眺めながら決戦を前にベレンガリアが最初に考えた事はそれだった。
タウミエルの具体的な戦力を聞いたので、オラトリアムとは比較するのも馬鹿らしい差が存在する事は理解している。
物量や大きさは強さを測る上で最も分かり易い指針だ。 その数が無限と言われれば「無理じゃないか?」と思うのは無理もなかった。
彼女が今いる場所は王城前で、配置される場所はファティマが指揮を執っている作戦本部だ。 開戦となると空を眺めている余裕もないのでこうして最後になるかもしれない自由時間を過ごしていた。
ベレンガリアの仕事は四大天使の召喚魔法陣の調整と改良で、オラトリアムの求める水準を完璧ではないが満たしていたのでやる事はない。 精々、意見を求められれば答えるオブザーバーだ。
彼女と彼女の部下達はこの本部で戦いの推移を見守る事が主な役目となる。
柘植と両角も前線への参加を免除されたのでベレンガリアの後ろに控えており、これから起こるであろう戦いに緊張していた。 恐らくだが、彼女達が戦闘に参加する事はないだろう。
ベレンガリア達が参戦すると言う事は山脈が突破される事と同義なのだ。 それだけの時間をかけてローが勝利条件を満たせなかった場合は作戦の失敗を意味する。
戦闘の流れは事前に説明されていたので、低いが勝算がある事は理解していた。
それを加味した上で勝てるのか?と尋ねられればやはり彼女は「無理じゃないか?」と答えるだろう。
だとしても戦わなければ世界は滅びるのだ。 無理でも何でもやるしかない。
ベレンガリアに出来る事は勝利を信じて祈る事だけだった。 城から出て空を仰げば、日はやや傾き始めており黄昏の色を滲ませていた。 夜になる前に開戦となり、後は終わるまで戦いは続く。
「――人生で一番長い夜になりそうだな」
思わずそう呟く。 普段ならもう少し慌てふためくのだろうが、今の彼女は酷く落ち着いていた。
母親との決別。 妹との会話。 ベレンガリアの人生に突き刺さっていた大きな針が消えてなくなったのだ。 それによりささくれ立った気持ちにならず、現実をあるがまま受け止めようとやや悟ったような心境となっていた。
「……お嬢――」
「何も言うな。 ここまで来たら私達にできる事は何もない。 信じて待とう」
不安そうにしている柘植にベレンガリアは少しだけ笑って見せる。
普段なら逆の場面ではあるが、今回ばかりは流石の柘植達も不安で仕方がなかったようだ。
理解はしていてもどうにもならない状況に、失敗すれば確定した死が待っている。 断頭台に首を差し出しているような不安と焦燥に似た感情に支配されていたのだ。
ディープ・ワンが動いた以上、そろそろオラトリアム側の布陣は完了する。
ベレンガリアは沈みゆく夕陽を眺めると、踵を返して城内へと戻って行った。
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