第1119話 「閊取」
「お嬢、すっきりしたか?」
転移を済ませ、本拠に戻って落ち着いた後、柘植のした質問にベレンガリアは苦笑して見せる。
表情からは険しいものが取れており、かなり落ち着いているように見えた。
母親の死後、本人は振り切った、割り切ったといった態度を取っていたがやはり肉親。 思う所があったのだろう。
「あぁ、何だか胸のつかえがとれた気がする」
「そりゃよかったな」
柘植としても無理してウルスラグナへ向かったかいがあったと救われた気持ちになった。
母親の死後、本人は何でもないと振舞っていたが、気落ちしているのは明らかだったのでどうにかしてやりたい。 そんな気持ちがあったので今回の妹に会いたいという願いはどうにかかなえてやりたかった。
柘植と両角の二人もヴァレンティーナに必死に頼み込み、条件付きでウルスラグナとオラトリアムへの往復を勝ち取ったのだ。
少しは気持ちが晴れたのなら本当に――
「あぁ、最後に話せてよかった」
――良かったといった思いはベレンガリアの一言を聞いて霧散した。
「……お嬢、やっぱり残るつもりなんだな」
これはアスピザル率いるダーザイン、エゼルベルト率いるヒストリアも同様だったが、つい先日にある宣言があったのだ。
――この戦いが終われば後は好きにして良いと。
その指示を出したファティマはその全てを語らなかったが、この先に控えているタウミエルとの戦いがこの世界における最大にして最後の戦いとなるであろうと。
敗北する可能性が非常に高く、勝ったとしてもオラトリアムが今の組織力を維持できるかどうかも不明。 その為、タウミエルとの戦いの終結を以って契約を満了とし、身の振り方を各々考えよとの事だった。
オラトリアムが組織力を維持したまま生き残ったとしてもクロノカイロスを手中に収めた今、領土は充分にあるので他へ干渉する必要がないのだ。
世界を征服でもするのかと思ったが、大陸一つあれば他は不要とファティマは言い切った。
柘植達は知らされなかったが、明確に敵対している勢力が全て消滅した以上は眷属ではない外部の協力者は最低限いればいいと考えていたので、ローやファティマからすれば抜けても特に惜しくはなかったのだ。
クロノカイロスは周囲を海に守られているので守り易く、攻めるには空か海のどちらかを越えねばならないので攻めるのは難しい。 現在は転移という穴こそあるが将来的には塞ぐ予定なのでそこまで問題視はされていなかった。 一応は抜ける際に退職金といった形でかなりの額が貰えるようだが、それを受け取ってしまえばオラトリアムの庇護下から外れてしまう。
出て行くにしてもそうでないにしてもメリットとデメリットは明確に存在していた。
その話し合いの際、真っ先に提案を蹴ったのはアスピザルだ。
――食堂も軌道に乗ってきたし、今更一から始めるなんて考えられないかな?
そういって出て行く気はないとはっきりと言い切る。
反面、エゼルベルトは少し迷いがあるようで、表情には葛藤が浮かんでいた。
ヒストリアは元々、歴史関係の研究を主にしているので、オラトリアムから出難くなる環境を嫌っての発言だった。 だが、配下の受け入れ先としてはオラトリアムは最高の環境なので、自分の判断で決める事も難しいと。 結局、皆と相談させてほしいと返事を保留していた。
ベレンガリアも一応はホルトゥナの長としてオラトリアムに身を置いている以上はその条件に当てはまる。 柘植達も同席して話を聞いてはいたが、簡単に決められる話でもなかった。
現在のホルトゥナの組織力はほぼ皆無。 ベレンガリアを筆頭に柘植と両角に生き残った部下が十数名。
ここまで付いて来ている彼等の人生を預かっているので簡単に抜けるなんて事は言えない。
オラトリアムの庇護下に居る間は彼等に生殺与奪を常に差し出し続ける事になるので、場合によっては何かの弾みで殺されてしまうのではないのかと柘植達は本気で考えていた。
ただ、評価に関しては非常に公平でいくら嫌われていようが結果を出しさえすれば、給与の増額といった分かり易い形で返って来る。 実際、ベレンガリアはオラトリアムの中でも割と高給取りだった。
特にジオセントルザム制圧戦では四大天使攻略のアドバイザーとして高く評価され、少し驚く程の金額を褒賞として支給されたのだ。
業務内容も上が振ってくれるので気楽な下請けとは言い難いが、組織として舵取りをする必要がないのは運営能力がないベレンガリアにとって大きな利点でもある。
庇護下を外れるなら命の危険は減るかもしれないが、それ以外の面での問題が時間と共に出て来るだろう。 結局の所、どちらを選んでも何かしらの問題は付いて回る事となるのだ。
流石にベレンガリアも即答はできなかったのか、エゼルベルトと同じように考えさせてほしいと返事は保留にしていた。
それからしばらくの間は仕事に忙殺されている事もあって、話題に出なかったが彼女なりに考えていたようだ。
「――あぁ、私はこの戦いが終わってもここに残るつもりでいる」
ベレンガリア自身も理解していたのだ。 自分に組織のトップとしての器がない事に。
ファティマやヴァレンティーナといったオラトリアムという巨大組織を回している人間の能力の高さを知って、彼女は己の小ささを自覚した。 だからこそ、組織の頂点ではなく歯車になる事を決めたのだ。
「もし、お前達が――」
「お嬢、その先は言わなくても大丈夫だ。 俺も両角もあんたに最後まで付いて行くって決めているからな」
両角も追随するように何度も頷く。 それを見てベレンガリアの胸に温かい何かが灯る。
これが家族の温かさなのだろうか。 今更ながらにそれを自覚して――気が付けば涙を流していた。
「す、すまん。 泣くつもりはなかったんだが――」
「気にするな。 お嬢が婆さんになってくたばるまでちゃんと一緒に居てやる」
柘植はベレンガリアの頭をやや乱暴に撫で、両角は肩に手を乗せて頷く。
ベレンガリアは柘植と両角に「ありがとう」と何度も感謝を告げて静かに涙を流し続ける。
随分と長い、長い回り道ではあったが、ベレンガリアはようやく家族というものを理解できたのかもしれなかった。
そして内心で妹に別れを告げる。 オラトリアムがこんな危険が伴う移動を何度も許可してくれるとは思えない。 今後を踏まえると評価を下げない為に今後はしない方がいいだろう。
ベレンガリアは最初からジャスミナと会うのはこれで最後にするつもりだったのだ。
妹の幸せと自身の未来に思いを馳せ彼女は大きな成長を遂げたのかもしれない。
――ただ、翌日から大量の仕事が振られて悲鳴を上げる事にはなるが……。
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