第1101話 「訪問」
……あぁ、行きたくねぇ。
俺――エルマンは日々過ぎて行く時間に絶望しながらどうにか折れそうな気持ちを奮い立たせる。
天気は快晴だが、俺の気持ちは分厚い雲に遮られて光すら差さない。
何があるのかというとクリステラを伴ってのオラトリアム訪問という悪夢のような予定が入っている日だ。
移動には転移を使うとの事だったので、指定された場所へ行って迎えを待つ形になる。
ちなみにどこかというと王都内にあるオラトリアム商会の店舗の一室だ。
俺は昨日の内に仕事を片付けて今日の為に予定を空けており、クリステラも同様だった。
……一体、何が出て来るのやら……。
クロノカイロスが陥落した事で邪魔者が消えた。 それによりオラトリアムは大きく動く事となるだろう。
実際、外からでも変化は見えてくる。 まずはオラトリアム商会の取引量が大きく減った。
徐々に絞っているようで、王国各地に散っていた商会が撤退して行っているのだ。
ただ、穴を開けるつもりはないようで傘下の商会に仕事を引き継いではいるようだが、王国からオラトリアムの気配が消えて行っているのは確かだった。
どういった意図があるのかは掴みかねていたが、単純に考えるならウルスラグナとの取引が不要になったというのが自然な流れだが――
……本拠をクロノカイロスへ移す?
その為、現在使っている活動基盤が不要になった?
的を射た解だとは思うが、腑に落ちない点が多い。 あのファティマの考えにしては合理性に欠ける。
仮に本拠をクロノカイロスへ移すというのは特に不自然だとは思わない。 あそこは広い上に四方を海に囲まれた大陸だ。 海は外敵に対する備えとしては非常に優秀な壁だと思っている。
視界が通るので接近を簡単に察知できる上、海岸線は戦力を展開するには適した地形だ。
大陸全土を弄れる以上は拠点や迎撃用の設備は揃え放題。 オラトリアムの資金力があるならやりたい放題だろうよ。 それこそユルシュルがやろうとした鉄壁の防衛線を敷ける。
だが、本拠を移す事と活動規模の縮小は必ずしも結びつかない。
人材にも困っていなさそうだし、そのまま継続して取引を続ければいいのにわざわざ下げる理由は何だ?
……手持ちの情報で考えられる可能性としてはこの先に控えているらしい戦いに全力を費やしたいから、か?
そう考えて寒気がした。 あの連中ですら全力を出さざるを得ない程の脅威なのか?
悪い想像はどんどん膨らんでいく。 実際、そう考えると納得の行く点は多い。
わざわざ俺達を懐に入れて情報を与える点を考慮しても余裕のなさが窺えるからだ。
最悪だった。 グノーシスを壊滅させる程の武力を誇るオラトリアムだ。
正直、任せておけば何とかしてくれるだろうと考えていたのだが、楽観だったのだろうかと不安になってくる。 不安は緊張を生み、緊張は胃を軋ませ、軋んだ胃は俺に苦痛を齎す。
そっと手を胃に当てて治癒魔法で癒す。 考えても仕方がないので努めて明るい事を考えようと思考を切り替えるが、仕事の割り振りや今後に片付ける案件の事が脳裏に瞬き――最後に出て来たのはルチャーノの薦めて来た結婚の話だった。
王族の娘達の顔を脳裏で並べる。 好みの差こそあれ、どの娘も非常に整った顔立をしているので、好きなのを選べと言われている今の環境は男にとっては中々に美味しい状況なのは理解している。
ただ、今の俺にはこれっぽっちも魅力を感じなかった。 いや、そういう問題じゃない。
これはルチャーノに話を振られてから少しして気が付いた事だった。
異性に対しての性的欲求を感じないのだ。 俺はその事実に気が付いて愕然とした。
そんな馬鹿なと色々と試しては見たのだが、そんな気持ちは欠片も湧いてこない。
女を抱きたいと考える欲求。 男ならば持って当然の欲望だ。
俺も若い頃は商売女相手にそれなりに遊んだ事もある。 だが、今の俺には不可能だった。
何をやっても俺の本能は沈黙したままだったのだ。 こんな有様で俺は妻を娶れるのか?
恥をかくだけではないのか? 結婚して初夜を迎えたが使い物にならない。
そうなれば鼻で笑われるのだろうか? それとも自分では力不足なのかと怒られるのだろうか?
…………死にたい。
明るさの欠片もない闇のような自身の未来に泣きたくなる。
そんな俺の様子を見てクリステラがやや訝しむような視線を向けて来るが、相手をしている余裕はなかった。 何でお前は他人事のような態度をしているんだ? 俺の心労の一部はお前の――いや、いかん。
考えすぎて思考も情緒もおかしくなってきている。 精神の均衡を保たなければと俺は深く息を吸って吐く。 よし、少しだが落ち着いた。
そうこうしていると店の従業員らしき男に準備ができたと声をかけられた事もあって、気持ちを目先の事へと集中。 余計な考えは捨てて今は目の前の事だけへ意識を傾けよう。 そうしよう。
従業員が持ってきた転移魔石で転移。 風景が一瞬で切り替わる。
そこはどこかの深い森を切り開いて作られた場所のようで、大量に伐採された木材が積み上がっており、オークやトロールが忙しそうに作業をしていた。
事前に聞いていたので驚かない。 オラトリアムへ到着するまでに何度か転移をするとの事だったので、そのまま移動して転移魔石を用いた大規模転移を行うらしい施設へ入って更に転移。
これは転移で本拠まで一気に侵入される事を防ぐ為のものだろう。 転移魔石は素材に使用する魔石にかなりの品質が求められるので、本来ならこんな派手な使い方はできないのだがオラトリアムがやる事なので驚きは少ない。
海に囲まれた島のような場所などを経由してオラトリアムへと到着。
どんな光景が広がっていても驚きはないだろうと思っていたが、俺はどうやら想像力が貧困だったようだ。 それ程までに目の前に広がった光景は凄まじい物だった。
広大な畑に巨大な山。 行き来する人間や人外の群。
転移した場所はやや小高い丘だったので、かなり広い範囲が見える事もあってその圧倒的な広さと衝撃に俺は驚く事しかできなかった。
「騎士ワダツミ」
不意にクリステラが声を上げ、その視線を追うとそこには馬と人を混ぜたような異形が傍らに小さな娘を連れてこちらに向かって歩いて来ていた。
「この間はどうも。 お久しぶりってほど時間は経っていないけど、元気そうで良かった」
馬人は親し気にクリステラへ声をかけると小さく手を上げ、隣の娘は小さく会釈。
「そっちの人は初めましてですね。 俺は
そういってワダツミと名乗った男は親し気に手を差し出す。 感じからして
「あ、あぁ、エルマン・アベカシスだ。 今日はよろしく頼む」
俺は差し出された手を握ってしっかりと握手。 大きく力強い手だった。
「気に障ったら謝るが、異邦人でいいのか?」
「はい。 こっちでは転生者っていう呼び方の方が通りはいいですね」
ワダツミは立ち話もなんですしといって歩き出した。 俺とクリステラは顔を見合わせてその背を追う。
長い一日になりそうだった。
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