第1082話 「案提」
「グリゴリを退け、グノーシスも片付いた。 ウルスラグナにとって目に見える脅威は消え失せたと言っていい。 今後、アイオーンはどう動くのかの考えはあるか?」
ルチャーノは酒をチビチビと飲みながらそんな事を尋ねて来る。
多少の酔いもあって肌には赤みがさしているが、その視線は冷静そのものだった。
それを聞いて俺はどう答えたものかと考える。 恐らく過去最大規模の危険な戦いが待っている筈だ。
ルチャーノは信用できる相手なので正直に話してもいいとは思っている。
だが、こいつにオラトリアムの裏を話してしまうと巻き込んでしまう。
その結果、ルチャーノに何か不幸が訪れてしまうと良心の呵責に俺は耐えられないかもしれない。
いや、それ以前に俺は親友を失うといった現実に耐えられるのだろうか?
……無理だ。
俺にとって数少ない気楽に話せる相手との時間を失うのはきつすぎる。
ただでさえ自分で分かる程に消耗しているのだ。 貴重な癒しの場を自ら投げ捨てるなど正気じゃない。
……とは言っても黙っているのは不義理か。
明確な危機が迫っているにもかかわらずそれを口にしないのは良くない。
「……確かに見えている範囲での危機は消え失せた。 だが、グリゴリの一件もある。 聖剣や魔剣を狙って何処からともなく妙な連中が現れるかも分からん」
「ふむ、なるほど。 終わったと楽観するのは危険だと?」
「あぁ、特にグリゴリは出現がかなり唐突だったからな。 警戒はしておいた方がいい」
オラトリアムの事には触れずに危機感を煽るとなるとグリゴリの話を引き合いに出すしかなくなる。
あんな訳の分からん連中が次々と湧いて来られても困るので可能であれば二度と現れて欲しくはないが、この世界に絶対はない。 それに世界の滅びを齎すであろう連中も辺獄から来ると聞いている。
俺に言わせれば辺獄も充分に訳の分からん場所だ。 そんな所から来るような連中なのだから、俺の中ではグリゴリとそう変わらない。
理解の届かない存在を深追いするぐらいなら理解できる形で括って対処した方が気持ち的には楽に考えられるからな。
「確かに。 グリゴリの出現の仕方を考えればお前の話も頷けるが、具体的にはどう備える? 単純に戦力の拡充か?」
「はっきりしない以上はそれ以外にやれることはない」
現在、ウルスラグナ、アイオーンの両勢力とも損耗が酷かった。
総戦力は全盛期の半分以下にまで落ち込み、即座に補充する手段がない。
ウルスラグナは元々、ユルシュルと王都の近隣にある騎士の学園や各領主が自前で用意した戦力で治安維持など有事の際には動員するといった形になる。
アイオーンも同様でオールディアに存在する聖騎士の学園で後進の育成に力を入れているが、纏まった数を安定して増やすにはかなり長い目で見なければならない。
クリステラが聞き出した話が本当ならまず間に合わないだろう。 詳細はファティマから聞き出せると信じたいが、具体的に何ができるのかといった不安は常について回る。
……まったく、世界の滅びって何だよ……。
内心で頭を抱える。 ただでさえ教団の組織運営でさえ手に余ると思っているのに今度は世界の危機に対処しろだと? 馬鹿も休み休み言え。
俺のような凡庸な男には荷が重すぎる。 もう何度目になるか分からんぐらいの逃げ出したい衝動を抑えながら小さく肩を落とす。 それを見てルチャーノは苦笑。
「随分と疲れているな。 話して楽になるなら聞くぐらいはするが?」
「……悪いが気持ちだけ貰っておくぜ。 気軽に話せる内容でもないしな」
「敢えて聞かんがその隠し事は将来的に教えて貰えるのか?」
「あぁ、話せるようになったら必ず話す」
ルチャーノは俺の曖昧な回答から何かを読み取ったのか小さく肩を竦めた。
「分かった。 ならその時を楽しみに待つとしよう。 ――ところで話は変わるがお前もそろそろ身を固める頃合いではないか?」
「なに?」
固い話は終わりと言わんばかりにルチャーノが大きく話題を変えたので反応できなかった。
「聖女はあの立ち位置だろうから難しいとして、王国と教団の関係強化の為にそこそこの地位の女と結婚してはどうだ?」
「おいおい、いきなり何を言い出すんだ? いや、理屈としては分かるが、流石に考えた事もないな」
結婚。 つまるところ家庭を持つという事だ。
妻を娶って子を作る? 俺が? 試しに想像してみたが――駄目だ。 何故かぼんやりとして形にならない。 俺はそんな未来を想像する事さえできないのかと軽く絶望した。
ルチャーノは少し悩むようにこちらを観察している。 その表情から半分冗談で半分本気といった様子が伝わって来た。 冷静に考えればルチャーノの提案はそこまでおかしなものではない。
アイオーンの有力者と王国の人間をくっつけておけば関係強化にも繋がり、外から見ても結束の固さを見せつける形になるのでそう言った意味でも悪い手ではない。
本来なら聖女やクリステラと言いたい所だが、聖女は教団の象徴的な存在として祭り上げられている以上は偶像を落とすような真似はできないので選択肢からは除外。
クリステラは――駄目だ。 聖女の代理として必要という事もあるが、あの女にまともな夫婦生活を送れるとは思えない。 下手をすれば旦那になる男を殴り殺す危険がある。 クリステラと上手くやれる男の存在を想像できなかった。
それに奴は聖剣使いである以上、目に見える弱点を増やすのは悪手だ。
……二人を除外するとなると消去法で俺という事か。
結婚。 結婚か……。
別に異性に興味がない訳ではない。 若い頃はそれなりに遊んだものだ。
慣れていると言える程ではないが気後れするような初心さはとっくに消え失せている。
「惚れている女がいるという訳でもないのだろう? ならこちらで適当に見繕った女と形だけでも婚姻を結んではどうだ? お互い勢力的に弱っている現状では必要だと思うが?」
「いや、まぁ、言っている事は分かるんだがなぁ……」
我ながら歯切れの悪い返事が口から洩れる。
正直、俺は結婚というものの重みを測りかねていた。 ルチャーノは形だけでもというが、成立してしまえば妻となる女に対しての責任が発生する。 それを抱えられるような余裕はあるのだろうか?
冷静に考えて見るとしよう。 仮に誰とも知らん女と結婚したとして、養う事は可能か?
それは問題ないだろう。 これでも貯金は有り余っている――というか使っている暇がない。
なら、夫としての義務は果たせるか? これは非常に怪しかった。
毎日家に帰れるような生活ではない上、さっきのクリステラの例で言う弱点が発生してしまう。
万が一、誘拐でもされて脅迫されれば俺は――躊躇はするだろうが、高確率で見捨てる選択をする。
……駄目だな。
組織を回す上で必要な事ではあるのだろうが、代償に女一人の人生を台無しにするのは抵抗がある。
「悪いが今の状況的に他に意識を割く余裕はないな」
「そうか? 王の妹が何人かいるからそこから適当に気に入ったのを持って行って貰おうかとも思ったのだが?」
「おい、王族と結婚させるつもりだったのかよ!?」
「何かと都合がいいだろう? どうせその辺の領主に嫁がせるつもりだったのだ。 今やアイオーンは我が国にとってはなくてはならない存在。 近隣領より優先順位が高いからな。 普段は王城に押し込めておけば城の衛兵が勝手に守る上、限られた空間で不貞もし難い。 もっとも、そんな馬鹿な真似はまずしないように教育はしているつもりだがな」
明らかに事前に用意されていたとしか思えない程に細かく詰められていた。
これはまさか逃げられない案件なのか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます