第1058話 「安眠」

 「本来って、あんたはこの国の王なんだろう? ならその滅びをどうにかするように行動すればいいじゃないか!」


 弘原海は法王の言葉に思わず声を上げる。 物言いがこの国の王とは思えない程に無責任だったからだ。

 いや、言い訳がましいとも取れるかもしれない。 勝てないと諦めただけなんじゃないのか?

 彼には法王がそういった事を口にしているようにしか思えなかった。


 法王は弘原海の言葉に力の抜けた笑みを浮かべる。


 「悪いが私にはやる気がない。 本気で取り組んでいたのは先代より前の法王や教皇でな。 私やロヴィーサは成り行きで今の地位に就いたに過ぎない。 ロヴィーサがどう考えているかは知らんが、少なくとも私は勝てる訳がないと思っているのでな。 今となってはアレに挑むのは無謀を通り越して狂気の沙汰だ」

 「……だから自分達だけ逃げて後は勝手にしろってか! 散々、権力を振りかざして好き勝手していた癖にどれだけ無責任なんだ!」

 「は、何とも耳の痛い話だな。 貴様の言う事は至極もっともだ。 だが、私の知った事ではないな。 我々の齎した恩恵でこの国と世界はそれなりに繁栄したのだ。 充分に釣り合いは取れているだろう」

 

 ――何を言っても無駄か。


 何を言ってものらりくらりと力の抜けた返答。 これ以上の会話は無駄だといった結論が出るのにそう時間はかからなかった。 クリステラは知らない情報が多かった所為で、耳を傾けていたが弘原海からすれば自分一人で抱え込む事も難しく。 上手に報告できる自信もなかったのでいい加減に話を打ち切って連行するべきだ。


 「もういい。 連行するから話の続きは俺の上にいる人達にしてくれ」

 「つれない男だな。 この話は私からの褒美のような物だったのだが、気に入らなかったか?」

 「興味はあるけど、世界の滅びなんて言われても俺だけの手には余る。 ただ、あんたみたいに逃げるつもりも大人しく滅ぼされてやる気もない」


 そこは弘原海にとっては譲れない部分であった。

 彼にはエンティカという守るべき少女がいる。 彼女を守る為ならば世界を襲う滅びだろうが何だろうが、どんな手を使ってでも叩き潰す。 そんな決意を視線に込めて法王を睨む。

 

 弘原海の視線を受けて法王は眩しそうに目を細める。


 「若いな。 眩しいぐらいだ。 まぁ、無理だと思うが精々頑張るといい。 そんな貴様等に希望を一つくれてやろう。 タウミエルの脅威から世界の滅びを救う可能性。 その鍵となるのは第一と十一番目・・・・の剣だ」

 「十一? 聖剣と魔剣は全部で十って話じゃ……」

 「教えてやれるのはそこまでだ。 後は自分達で考えるんだ――何だ。 もう空か」


 法王はぽつりと呟くと空になったワインボトルを手放す。 彼の手を離れたボトルは絨毯のお陰で割れずに床を転がる。

 

 「……あぁ、それにしても長かった。 昔は死ぬ事が怖くて仕方がなかったが、時間は死よりも残酷だな。 緩やかな絶望を与えて魂を腐らせる」


 連行しようと近づいた弘原海に構わず法王はそう呟き、目を閉じて玉座に深く背を預けた。

 

 「なぁ、知っているか? 魂が腐ると生き物は生きている事すら苦痛になる。 だが、そうなった者は自ら死ぬ事も出来ない。 何故ならそこまで行くと生とは惰性だからだ」


 それを聞いて何かを察したクリステラが目を見開く。


 「繰り返す毎日に嫌気が差し、されども変えようといった行動も起こせない。 ――こうして切っ掛けが訪れなければ私は――俺はいつまでも時間を無為に過ごしていただろう。 だから、感謝するぞ異邦――いや、異世界の人間よ。 まったく、どうして俺はあの時に逃げ出してしまったのだろうか? くだらん教義など放り出してあの方と共に戦列に加わって戦うべきだったと腹の底からそう思うがそれも今更だ。 ……まぁ……いいか……」


 法王の言葉が徐々に弱々しくなっていく。 まるで眠る寸前のようだった。

 

 「……もしも……許される……ので……あれば……あの方に――。 ……あぁ、疲れた」


 弘原海が法王の傍らに辿り着いた頃には彼はもう動いていなかった。

 最初は酔っぱらっているのかとも思ったが、様子がおかしい。


 「おい、立って一緒に――」

 「騎士ワダツミ」


 弘原海が振り返るとクリステラが小さく首を振る。 その反応に理解が追いついた彼は法王の身体に触れ――目を見開く。 何故なら生きているなら当然に存在する反応がなかったからだ。


 「――え? は? 死んでる? 冗談だろ?」

 「恐らくワインに毒の類が仕込まれていたのでしょう」

 

 いつの間にかクリステラが空になったワインボトルを拾い上げていた。

 余りにも自然な動きだった事もあったが、まさか自殺するとは思わなかったのだ。

 そして死ぬ瞬間までの行動や言動も自然だった事を考えると、服用すると眠るように死ねる物だったのだろう。


 「治癒魔法は――死んじまったら無理か」

 「恐らくですが蘇生をさせない事も考慮に入れての服用でしょう。 私も毒とは思いませんでした」

 

 法王の死に顔は何かから解放されたかのように安らかだった。

 それを見て弘原海は怒りに拳を握る。


 「……どこまで無責任なんだ」


 声には僅かだが怒気が含まれていた。 権力者で在りながら最後の最後まで好き勝手やって死んだようにしか見えなかったからだ。 何百人、何千人、何万人といった多くの人間の人生を左右しておいて、自己都合で勝手に死ぬ。 これが無責任以外の何だというのだ。


 「恐らくですが、彼はこうなる事を待っていたように感じます」


 法王は侵入者が自分の前に現れどう抗っても打開できない状況を待っており、それを死ぬ為の口実にしたという事だろう。

 彼の言葉は間違いなく真実だ。 法王は生きる事は惰性と言った。

 そしてその言葉通りに惰性で死ぬ事を選択し、その生を終えたのだから。


 余りの身勝手さに怒りで反射的に拳を振り上げかけたが、クリステラが肩に手を置いて首を振る。

 弘原海は反射的に振り払いかけたが、二度、三度と深呼吸して気持ちを落ち着けるとクリステラに小さく礼を言って肩に乗った手をどけた。


 法王は生きて捕えろとの事だったが、失敗してしまった。

 完全に自分達のミスだが、何となく弘原海は察してしまっていた事もある。

 所持品を検めると法王は懐に各種の自殺用の魔法道具を保有しており、身に付けている物から自害に使用するであろう魔法道具がいくつも出て来た。

 

 恐らくだが、仮にワインボトルを取り上げたとしても彼は別の手段を用いて自殺している。

 そんな確信があった。 だが、死なせてしまった事は事実。

 知らない顔はできないので、通信魔石を取り出し法王の死を上へと報告する事にした。

 

 法王の顔は生から解放された事による喜びで酷く安らかだった。

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