第1053話 「諦決」
聖剣アドナイ・メレクの能力が権能を抑え込み、クリステラの斬撃がラディータを斬り殺さんと襲いかかる。 自己に作用しているものはどうにかなっているが気を抜いていると解除されてしまいそうだった。
クリステラと切り結びながら「寛容」「節制」「色欲」は解除。 ラディータの背から羽が三枚消滅する。
どうせ無効化されるなら使うのを止めて干渉され辛いものに力を集中するべきだ。
残りの「正義」「慈愛」「勤勉」「憤怒」「強欲」の五つを司る羽の光が輝きを増す。
負ける。 この状況にラディータは自らの敗北をほぼ確信していた。
クリステラと弘原海という二人の聖剣使いにヴェルテクスとアスピザル。
後者の二人は抑えられているが、もう時間の問題だった。 アドナイ・メレクの能力で分身体の制御も怪しくなってきており、上手く動かせない。
この状況での最善手は逃げる事だ。 こうなってしまった以上はジオセントルザムを捨てて機を窺うべきだろう。 明らかに相手はこの街を落とす為に入念な準備を行った上で実行しているのだ。
ジオセントルザムへの奇襲を許した時点でこうなる事はほぼ決まっていたのかもしれない。
――だが、それはできなかった。
確かに今なら逃げる事は可能だ。 だが、逃げてどうする?
グノーシスがこのクロノカイロスに陣取っているのには理由がある。 辺獄がそろそろ限界を迎えようとしているのだ。 そんな時期にここを離れるのは非常に不味い。
いや、それよりも大聖堂地下にあるアレを押さえられたら自分達は終わりだ。
逃げるにしても奪い返せるのかといった疑問もあった。 空を回遊する巨大な魚の魔物に街の外で今も暴れまわっている巨大な線虫状の魔物。 どうやって使役しているのか見当もつかないが、あれだけの強力な戦力を擁する相手に守りを固められたジオセントルザムを奪還できる未来が想像できないのだ。
恐らく救世主はこの戦いでほぼ全滅するだろう。 枢機卿もその候補も生き残れるか怪しかった。
そもそも大聖堂にまで入り込まれている事がはっきりしている上、ハーキュリーズも帰って来ない。
どう考えても詰んでいる状況だった。 教皇とファウスティナは早々に地下に引っ込んだと聞いているので最悪、アレを使って逃げるつもりなのかもしれない。
敵がアレの存在を知っているのなら間違いなく破壊はされない筈だ。 使ってしまえば、後はなし崩し的に巻き込めるとでも思っているのだろうか?
ラディータは基本的によく知らない存在の事は信用しない。 その為、何をしでかすか分からない者達に大切な物を見せる事に強い抵抗を覚える。
――つまりどういう事かと言うと逃げたくても逃げられないのだ。
彼女にできるのはこの場で敵を撃破して戦況を傾ける事なのだが、この場に残れば確実に死ぬ事もまた事実。 ならばどうするべきか?
自らの命を守る為にやれる事は何だ? 全ての問題を完璧に解決するのは不可能。
自分の今と未来を守る為にできる最善は何だ? 何を切り捨てる事が最も浅い傷で済むのか?
考えたが悩むまでもなかった。 ラディータが最優先するべきは自らの命。
次点で教皇や法王だ。 ならばやるべき事は決まっている。
クリステラの斬撃をいなしながら必死に隙ができるのを待つ。 その間に弘原海の動きにも気を配る。
それと並行して分身体の視界を確認。 ヴェルテクスとアスピザルの動きも見ておく、幻影に引っかかったばかりなのでしっかりと本物かどうかの見極めを行う。
――よし、感じからして問題はないかな?
少なくとも分身越しに見える二人は幻影の類ではなく本物だった。
「――?」
不意に目が合ったアスピザルの表情にやや訝しげなものが浮かぶ。
おっと危ないとラディータは分身の制御に力を入れる。 アスピザルは少し話しただけでもかなり勘の良い相手だと言う事は分かる。 下手な事をして気付かれでもしたら厄介だ。
チャンスは一度。 意図に気付かれれば確実に失敗する。
仕掛けるタイミングはクリステラとの距離が二歩か三歩分離れた時。
冷静に見極めろ。 焦っても失敗する。 確実に通る瞬間を狙うんだ。
ラディータは聖剣を振るいながら冷静に機を窺い続ける。
対するクリステラもラディータの動きに若干ではあるが引っかかるものを感じていた。
明確な形にはならずに嫌な予感といった程度の物だが、こと戦闘においてこの手の勘が外れた事は少ない。
目の前の女は追い詰められて尚、諦めずに何かを狙っている。
飄々とした態度ではあるが、この状況でも心が折れずに戦意を維持できているのは優れた騎士である証拠だ。 故に油断の類は一切しない、仮に死にかけの状態であったとしても容赦なく叩き潰す。
一撃、一撃に必殺とも言える力を込めての斬撃。 その全てをラディータは躱し、受け、防ぐ。
背の羽は弘原海による干渉を受けているにもかかわらず、強い輝きを放つ。
権能は意思の力の具現。 消えていない事はまだまだ心に力が残っている証拠だ。
両者の強い一撃が衝突。 二本の聖剣が反動で跳ね上がる。
ラディータは体勢を崩したのかたたらを踏むように二歩下がった。
――ここだ。
クリステラはやや無理な姿勢ではあったが両手で聖剣を握り、力強く一歩を踏み出して一閃。
ラディータの脳天を聖剣ごと叩き切るつもりでエロヒム・ギボールを振り下ろした。
クリステラの聖剣はラディータの聖剣に受け止められず――その体を両断。
その結果に目を見開く。 手応えがおかしい。 分身体だ。
悟った瞬間、ラディータの分身は内蔵された魔力を爆発させ、周囲に衝撃を撒き散らす。
まだこんな力がと驚きもあったが、それはほんの刹那。 直ぐに本体を狙うべく視線を巡らせるが――
「――いない?」
――気配がないのだ。
「クリステラさん。 あの女、逃げる気だ!」
弘原海の言葉に我に返る。 気が付いた時には遠くに小さくなっていたラディータの背が見えた。
逃がさないとばかりに弘原海とクリステラが追撃に入ろうとするが、複数の分身体が割り込むように現れて自爆。 何らかの魔法を付与していたのか衝撃と一緒に煙幕のような物が広がる。
弘原海が鬱陶しいとばかりに聖剣で吹き散らすが、煙が晴れた時にはもうラディータの姿はなかった。
「すいません。 聖剣使いに逃げられました。 発見次第、連絡をください。 直ぐに行きますので、ええ、はい、お願いします」
弘原海が通信魔石で即座に連絡。 これは作戦前に徹底されていた事なので、動きには淀みがない。
彼自身も報連相の重要性は理解しているので、どんな事でも連絡は密にだ。
クリステラは何処へ逃げたと想像を巡らし――ふと、その視線がある建物で止まった。
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