第1014話 「人質」

 「き、貴様……」


 殺意を越えて憎悪すら混ざっているヒュダルネスの表情を正面から受け止めてサブリナは涼し気に微笑む。

 娘は魔法か何かで眠らされているのかライリーの部下であるシュリガーラに抱きかかえられている。

 そしてフィスカットは両腕を拘束されて身動きが取れなくされていた。


 傷こそ殆どないが衣服の損傷からかなり抵抗した事が伝わって来る。

 

 「あなた、ごめんなさい」


 フィスカットは様々な感情が混ざっているのか今にも泣きだしそうな表情だった。

 それを見てヒュダルネスは上手く呼吸が出来ず何も考えられない。 集中力の低下により、天国界の維持も出来ずに権能が解除される。


 「武器はまだ必要ですか?」


 畳みかけるようなサブリナの言葉にヒュダルネスは思い出したかのように握りしめた剣へと視線を落とし、力が抜けたのかポロリと零れ落ちた。 金属音と共に彼の愛剣が地面を転がる。

 シュリガーラの姿を見ればこの状況が完全に詰んでいる事も明らかだった。 あの巨大な口に喰らいつかれたら人間の首なんて一噛みだろう。 拘束されているだけに見えるが、フィスカットは喉元に刃を突き付けられているに等しかった。 そして意識のない娘。


 ヒュダルネスにとってこれ以上の戦闘行為は妻と娘の命を代償にする事に等しかった。

 何故こんな事になったのかに関しては今更だが理解が追いついている。 さっき殺されたボイヤーを拷問でもして吐かせたのだろう。 つまり、サブリナは始めからヒュダルネスを狙っていたのだ。

 

 ダラダラと戦闘を引き延ばしていたのも部下が彼の家族を抑える為の時間稼ぎだったのだろう。

 

 「……何が望みだ?」


 内心ではあらん限りの怒りを言葉にして叩きつけてやりたかったが、家族の命を握られている以上は下手に機嫌を損ねるような事が言えなかった。

 サブリナは応えずにヒュダルネスの娘に近づくとそっとその頬を撫でる。


 「止めて!」

 「や、止めろ! 娘に触るな!」


 悲鳴を上げるフィスカットと思わず声を上げるヒュダルネス。 サブリナは薄い笑みのまま反応しない。

 

 「お願い! 人質なら私が居れば充分でしょう!? 娘は、娘だけは――んぐっ」


 どうにか娘を解放して貰おうとそう言い募るフィスカットだったがライリーに口を塞がれる。 ライリーは口を塞ぐように指を一本立てて「静かにしろ」と暗に告げた。

 サブリナは二人の反応に内心で満足そうに頷くと口を開いた。


 「お二人の親としての想いはしっかりと伝わりました。 美しい家族愛ですね」

 「改宗って事はあんたにも信仰があるんだろう!? あんたの信仰はこんな人質を取るような外道を許容するというのか!?」

 「はい、我が神の教えは非常に分かりやすく、どんな愚か者にも簡単に理解できる真理といえるでしょう」


 サブリナは即答。 その質問が何かの琴線に触れたのか表情には喜悦すら浮かんでいる。

 ヒュダルネスは何だそれはと思ったが、サブリナの言葉は彼の理解を越えていた。


 「『邪魔者は消し去るべし』これが我等が神の教えにして唯一絶対の教義」

 「……は?」


 ヒュダルネスには目の前の女が何を言っているのか本気で理解できなかった。

 まさかとは思うが言葉通りの意味なのだろうか? もしかしなくても連中の活動理念の根幹にあるのはこれなのか? だから世界のあちこちで虐殺を繰り広げている? 思想や思惑もなく、単に何らかの理由で邪魔だったから? それだけでこれだけの戦争を引き起こした?


 だとしたら今暴れまわっている連中は正真正銘、狂人の群だ。 まともな人間の常識は一切通用しないだろう。

 サブリナはさてと前置きして話に入る事にした。 今の反応でヒュダルネスが妻子を見捨てられないと分かったからだ。 ここで反応が変われば別の手段を使う予定ではあったが、一番穏便なこの路線で間違いはないだろうと判断。


 「さて、本題に入る前に一つ質問があります。 答えて頂けますね?」


 有無を言わさぬ口調にヒュダルネスは悔し気に黙るしかなかった。

 それを肯定と受け取ったサブリナは質問を続ける。


 「先程から街の中央に陣取っている巨大天使。 どこで維持しているのかご存知ですよね? お教えいただけると非常に助かるのですが?」

 

 ヒュダルネスは動揺を露わにする。 考えれば来るのが分かっている質問だったが、妻子を人質に取られた彼にはそんな事を考えている余裕はなかった。


 「先程、道を尋ねたボイヤーという方には知らないと言われてしまい、ほとほと困り果てていた所です。 代わりにヒュダルネス殿の事を教えて頂けたので、有意義な時間ではありましたが」

 

 ――やはりか。


 ボイヤーは逃げて来たのではない。 散々、この悪魔の様な女に拷問されて知っている事を洗いざらい喋らされた後、ヒュダルネスの下に案内させられたのだ。

 それも今となっては意味のない話ではあった。 問題はサブリナの質問にどう答えるかだ。


 「……その前に妻と娘を解放しろ。 捕らえるなら情報を持っている俺だけでいい筈だ」


 通る訳がないとは思ってはいたが、何とか妻と娘の安全だけでもと願いを込めたのだったが――。

 

 「はて? 解放? 何の話ですか?」

 

 サブリナは心底不思議そうといった表情で首を傾げる。

 その態度にヒュダルネスの我慢が限界を超えた。


 「ふざけるな! お前の部下が捕えている俺の妻と娘を解放しろと言っているんだ!」


 サブリナはヒュダルネスの怒りを鼻で笑って受け流す。


 「あぁ、これは捕えているのではありません。 彼等は自らを襲う食欲に必死に耐えているのです。 今は私が制止している状態ですが、それが解き放たれてしまうと――あぁ……」


 芝居がかった仕草でサブリナは目を伏せる。 余りにも白々しい態度にヒュダルネスは怒りで頭がおかしくなりそうだった。

 だが、彼の妻と娘を抑えているシュリガーラ達は見ただけでその獰猛さは明らかだ。

 あの牙にかかれば人間の首くらいは簡単に喰い千切れるだろう。 低く唸る人間とは程遠い異形はサブリナの言う通り、飽くなき食欲を抑えているようにも見えるのでヒュダルネスは何も言えなかった。


 ヒュダルネスの内心とは裏腹にライリーを筆頭とするシュリガーラ達は喰えと言われれば実行するが、別に好き好んで人間の肉を喰いたいとは思わなかったので特に我慢していなかったりする。

 彼等はオラトリアム内に存在するダーザイン食堂の味に慣れ切ってしまっているので、人間の生肉なんて美味くもなんともない代物は仕事でもなければ口に入れたくなかったのだ。


 そんな事を知らないヒュダルネスは妻と娘の命がサブリナの気分一つで消し飛ぶ有様と言う事には変わりはない。 

 

 「――それで? 私の質問に答えて頂けるのですか?」


 サブリナの質問にヒュダルネスは即答できなかった。

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