第984話 「心配」
ヴァルデマルとの話が済んだその夜。
俺は砦から少し出た所でぼんやりと月を見上げていた。 何故月なんか見ているのかと言うと時間を計るためだ。
……そろそろか。
約束は月が天頂を指す頃との事だったのだが来ない所を見ると遅れているか抜けるのに失敗したかだが……。
「お待たせしてしまいましたか?」
「いーや、さっき来た所だ」
不意に何もない所から聞こえた声に俺は特に驚かずに応える。
声がした場所から滲み出るように姿を隠していた者が現れた。 小柄な少女。
ヴァルデマルとの話が終わる前に俺に絡んで来た枢機卿の少女だ。 思い返さなくても因縁の付け方が露骨だったので何かあるのだろうなと好きにさせたのだが、俺に掴みかかる振りをして通信魔石を押し付けて来た。
要は教団に知られずに内緒の話があるようなので、黙って受け取って引き上げた後に反応を待っていたのだ。
結果、半日も経たずに連絡が入った。 内容は会って話したいので出て来れないかというもの。
罠かもしれないと疑ってはいたので念の為に近くにはカサイ、キタマが魔法で隠れている。
「まずは自己紹介を。 私はグノーシス教団第二司教枢機卿マルゴジャーテ・レニア・ファプル・アウゲスタ。 エルマン・アベカシス聖堂騎士、こんな怪しい要請に応じてくださった事に感謝を」
「まぁ、グノーシスがわざわざこんな手の込んだ真似をするとも思えなかったんでな。 さて、さっさと本題に入るとしようか。 俺はともかく、そっちは長く席を外すのは不味いだろう」
枢機卿の少女――マルゴジャーテは小さく笑って見せる。
中々サマにはなっていたが、やはり昼間のは演技か。 明らかに怒鳴り散らすような性格に見えない。
「まずは個人的にお聞きしたい事があります。 貴方はこの戦い、勝てるつもりでいるのですか?」
「降伏勧告って訳じゃなさそうだな」
「えぇ、これは純粋な疑問であり、枢機卿ではなく私個人としての質問です」
報告はしないから本当の所を聞かせて欲しいって所か。
さて、どう答えたものかね。 馬鹿正直に答えるのはあまりよろしくない。
「なくはないって所だな」
少し悩んだが曖昧に答える事にした。 それを聞いてマルゴジャーテは俺の真意を測るように見つめて来る。 特に嘘を言ったつもりもないので見つめ返す。
「それで? わざわざこんな危険な真似をしてまで会いに来た理由は何だ?」
正直、何のつもりで来たのか意図がさっぱり分からなかった。
何らかの取引かとも思ったが、力尽くで奪う算段が付いているのに裏から手を回す理由がない。
罠にしてもあからさますぎるので一体何だ――
「……モンセラートは元気ですか?」
マルゴジャーテは少し躊躇いがちにそう言うと、俺の脳裏に理解が広がった。
あぁ、クソ。 そう言う事か。 この娘はモンセラートが心配でここまで来たのだ。
損得で理由を考えていた自分が恥ずかしい。 俺はごまかすように頭をバリバリと掻く。
「あぁ、無事だ。 俺の目から見ても楽しくやっている」
それでも情報を漏らす事に抵抗があったので曖昧に答える事しかできなかったが、マルゴジャーテにとっては充分だったのだろう。 表情には深い安堵があった。
「そう、良かった。 本当に良かった」
マルゴジャーテは噛み締めるように俯いていたが、ややあって顔を上げる。
「気を付けてください。 恐らく教団は聖剣使い二人を投入してきます。 いくらそちらに聖剣使いが二人もいるといってもこの物量差に加えて、数十人の救世主と同格の聖剣使いの相手は難しいはず」
「……やっぱりか。 まぁ、投入してくるのは読めていたが、もう両方とも送り込んで来るのは決まりか」
以前にジャスミナから聴取した話によればグノーシスは聖剣を本国から動かさない方針らしいのだが、それを曲げると言う事は意地でもこっちの聖剣を奪うつもりのようだな。
聖剣ガリズ・ヨッドと聖剣エロハ・ミーカル。
それが教団本国が保有している聖剣の銘だ。 マルゴジャーテも能力までは知らされていないらしいが、聖剣である以上は強力な代物だろう。
追加で数十人規模の救世主。 権能を扱う事の出来る特殊な聖堂騎士らしいが、厄介な点はそれを複数操る事だろう。
権能の恐ろしさに関してはモンセラートの力を見ているのでよく理解している。
アレと似たような事が出来る奴が数十人。 考えただけで眩暈がするな。
「そっちの上は何を考えて――いや、何を焦っている?」
本気なのは良く分かったが、焦りの理由に関してははっきりしていない。
グリゴリの全滅により危機感を抱いているにしてもこの反応は過剰に過ぎる。
オラトリアムは何かしら掴んでいるのだろうが、聞かされていない以上は自力で辿り着かなければならない。
……それにあの男は言った。
グノーシスの後に「控えている敵がいる」と。
自分達の正体を晒す危険を冒してまで戦力の拡充を図る程の脅威。 間違いなくグノーシスの焦りの原因と同一の物だろう。
「――遠くない内に何か危機的な状況が起こるのか?」
「はい、携挙の日。 世界の終わりが近いと猊下は仰られました」
マルゴジャーテは俺の言葉をあっさりと肯定する。 猊下ってのは教皇の事だろうから、信憑性は高いな。 似た話を以前にモンセラートから聞いていたが情報不足で保留にしていた事もあり、今一つピンとこない。
世界の終わり。 何とも現実感のない言葉だ。 だが、オラトリアムの行動を考えれば連中もまたそれに備えていると判断せざるを得ない。 信じがたいが世界が滅びる程の何かが起こるのは確実か。
「具体的な事は――ここまで喋れるって事は知らないか」
マルゴジャーテは頷きで答える。 ここまであからさまに内情を話しているにもかかわらず問題ない所を見ると変な仕込みはされていないって事か。
「……取りあえずだが、あんたがモンセラートの事を知りたくてここまで来た事は理解した。 それで? どうする? 連れ戻そうとでも考えているのか?」
「貴方がたが無理矢理連れて行ったというのならそれも考えますが、彼女は自分の意志でそちらにいるのでしょう? なら私から言う事はありません。 本音を言うなら一目ぐらいは元気な彼女を見たいと思いますが、それは止めておきます」
「魔石越しでも良ければ都合をつけるが?」
俺の提案にマルゴジャーテは力なく首を振る。
「魅力的なお話ですが止めておきます。 もし、彼女にこちらに来て欲しいと乞われれば揺らいでしまいそうなので」
「あんたはそれでいいのか? モンセラートと面識があるって事は枢機卿をやって長いんだろう? なら体の方は――」
戦闘行動に参加していない分、モンセラートよりも症状の進みは遅い筈だが、枢機卿としての仕事をさせられているというのならマルゴジャーテもかなりのガタが来ている筈だ。
このまま行くとそうかからずにモンセラートと同じように動けなくなる可能性が高い。
だったらという言葉はでかかった所で声にならなかった。
こちら側に引き込んでどうする? 治療法はオラトリアムにしかない。
いや、もしかしたらあの男にしかできないのかも知れない事を考えると、安易な事は言えない。
モンセラートの治療が成立したのは連中にクリステラを引き入れるという目的があったからだ。
それがない以上、連中を頷かせるだけの材料が必要になる。 少なくとも現状ではそんな物はない。
そんな状況で引き入れてもモンセラートに友人の死を見せつける結果になるではないのか?
だが、だからと言ってこのまま戻せば敵として現れるのは間違いないのだ。 モンセラートとマルゴジャーテの関係を知ってしまった上で二人を殺し合わせるのか?
……どうすれば良い? 何が正解なんだ?
動くにしてもマルゴジャーテが目の前にいる今しかない。
頭の冷静な部分は敵の戦力を削ぐ意味でも引き入れるべきだ。 権能使いは多いに越したことはない。
方法なら存在する。 エイジャスがやったように治療法をチラつかせてやれば揺さぶれるだろう。
脳裏で理性がそんな冷徹な結論を囁く。 それを俺は黙れと握り潰す。
考え得る最大効率を重視する思考と苦しんでいたモンセラートの姿。 相反する思考が脳裏を駆け巡る。
答えが出せず、カラカラと意味もなく堂々巡りを繰り返し、胃がキリキリと痛む。
「貴方は優しい人ですね。 ですが私は戻らなければなりません」
「……そんなんじゃない」
何かを察したのか苦笑するマルゴジャーテにそんな返ししかできなかった。 彼女の表情は死を覚悟したモンセラートの物と重なる。
「向こうには可愛い後輩も居ます。 彼女を放っておけないので、私は行く訳にはいきません」
「権能を戦闘に使う事が何を招くか分かってるんだろう? なら――」
「勝っても負けてもこの戦いは私の寿命を大きく削るでしょうね」
何もかもを悟り、全てを受け入れたかのような表情。 気に入らない。
あぁ、本当に嫌な顔だ。 年頃の娘にそんな表情をされて、俺は何をしているんだと言いたくなる。
「では、私はこれで。 私の話をモンセラートにするかどうかはお任せします。 ――立場上、言ってはいけないのですが幸運を」
マルゴジャーテは満足したのか小さく頭を下げるとそのまま去って行った。
結局、俺はそれを黙って見送る事しかできなかった。
……クソが。
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