第981話 「手伸」

 目の前に広がる光景を見て俺――エルマンはシクシクと胃が痛むのを我慢しながら急造された砦で相手が準備を整えるのを待つ。

 本当ならアープアーバン未開領域を越えた所を強襲して皆殺しにしてしまえばいいのだが、その場凌ぎにしかならない上、ファティマに止めろと釘を刺されたのでできなかった。


 これに関しては根本的な対処が必要なので早いか遅いかの違いでしかない。 オラトリアム側の都合もあって、連中の布陣を許すのは仕方のない事だと割り切るつもりだ。

 それでもどんどん増えて行くグノーシスの聖騎士の数を見ていると、気持ちが見る見るうちに重くなっていく。


 ……あぁ、逃げ出したい。


 聖騎士、聖殿騎士が大半だが、聖堂騎士も目に付くぐらいの数が居るのでどう考えても戦ったらまず負けるな。

 聖女を前面に押し出せば勝負にはなるだろうが――


 「エルマンさん」


 振り返るとその聖女が来ていた。 後ろには護衛のエイデンとリリーゼがいる。

 俺は小さく手を上げて応え、聖女はそのまま俺の隣に来た。


 「……集まってきましたね」

 「そうだな」


 言いたい事は何となく分かっていたので聖女が用件を切り出すのを待つ。


 「どう動くと思いますか?」

 「まぁ、少なくともいきなり襲って来る事はしないだろうな」


 無駄だとは思うが交渉から入って、無理なら降伏勧告って手順を踏んでの開戦と言った所だろう。

 戦力が揃うまであと数日はかかるだろうし、動くにしてもそれからだな。

 人員は連中が早々に建てた砦の内部にあるであろう転移魔石を用いた設備を使って補充しているようだ。


 ただ、一度に呼べる人数はそこまで多くないだろう。 大体、五十から八十ぐらいで、多くても百を越えるか越えないかか。

 恐らく替えの利かない代物のようで、砦の防備はかなり固くしている。

 

 「……勝算はありますか?」

 「なくはない。 と言った所か」

 「それは言えない事なんですね?」

 

 聖女の質問に俺は答えない。 答えられる訳がないからだ。

 こうなるのは読めていた上、納得させる事が難しい事も分かっている。

 

 「あぁ、悪いが俺は勝てる献策をするが、それに関して説明する気はない。 こればかりは信じてくれとしか言えんのでな。 怪しいと考えてるのは理解している。 逆の立場でも似たような事を考えるだろうし、その辺はお前自身が判断しろ」


 俺は手で自分の首を掻き切るようにトントンと叩く。


 「お前の目から見て俺が信用できない、良からぬ事を考えていると判断したのならその聖剣で俺の首を落とせ」


 こういった開き直りはあまり好きではないが、呑み込ませる為にはこれしかないので実行する。

 本当に首を刎ねられるというのならそれもいいだろう。 今までやって来た事を考えれば、妥当な末路なのかもしれんしな。 それに――


 ――俺も楽になれる。


 自然とそんな発想が出て来る時点で俺もかなり追い詰められているなと自嘲。

 聖女は何も言わずに視線を今も増え続けているグノーシスの陣に向けた。


 「――モンセラートに言われましたよ。 エルマンさんをもっと信用しろと」


 聖女は苦笑。 兜を被っている所為で表情は分からないが、もうそれなりの付き合いになるので口調でどんな顔をしているのかは何となく察せてしまう。

 

 「グリゴリとの戦いは乗り越えられましたが、分からない事も多かった。 乗り切れた事を素直に喜びたいとは思いましたが、本当に乗り切れたのかの確証が欲しかった。 ……ごめんなさい。 あなたを信じていなかった訳ではなかったんですが、結果的に責め立てるような形になってしまいました。 ただ――」

 「いや、そう思うのも当然だろう。 お前が謝る必要はない」


 俺は力なく首を振って聖女の言葉を遮る。 モンセラートに言われたという事は時期を考えると臥せって居た頃だろう。

 あの小娘。 自分が死にそうだってのに聖女にそんな事を言っていたのか。

 気持ちは嬉しいが酷使した立場からすると、罪悪感に胸が締め付けられる。


 そしてそのモンセラートもこちらに向かって来ており、簡易祭壇の設置も進んでいる事を考えると死にたくなってくるな。

 強制はしなかったが、モンセラートは自発的に協力すると申し出て来た。

 本音を言えば引っ込んでろと言いたいが、状況がそれを許してくれない。


 結局、俺はすまんと頭を下げることしかできなかった。

 

 「連中が本気なのは見て取れるが、どれだけ焦っているのかで展開が変わって来る。 場合によっては交渉にかこつけて奇襲を仕掛けてくる可能性もあるから絶対に油断はするな」

 

 聖女は大きく頷く。 こいつは以前にリブリアム大陸でグノーシスの連中に似たような騙し討ちを喰らっているので、連中のやりそうな事は理解しているのだろう。

 その点に関しては無用な心配か。 どちらにせよこちらに聖剣を寄越すつもりはない以上、間違いなく戦いになる。


 「質問には答えない癖にとは思うが、お前の方は大丈夫なのか? 相手はグノーシス教団で、救世主や聖剣使いが出て来る。 殺さずに済ませるのは難しいだろう」

 

 ……お前に殺せるのか?


 暗にそんな疑問を言葉に乗せる。 それなりの付き合いなので、こいつの性格は凡そではあるが掴んでいるつもりだ。 手を汚す事を良しとはしないだろう。

 普段ならそれはそれでいいかもしれないと思う所だが、今回に限ってはそうもいかない。


 聖女は少しの沈黙の後、ややあって口を開いた。


 「もう随分と前の話なんですが、僕には身近な――家族のような存在が居ました」


 話の意図は良く分からなかったが、質問の答えなのだろうと俺は黙って聖女の話に耳を傾ける。


 「今になって思えば我ながら浅い考えだなと思ってしまいますが、当時の僕は立場や役目に見合った行動を全力で行えば結果はついて来るものと本気で思っていました。 そして正しい行いは人が清く生きて行くには当然のように行うべきだとも。 困っている人が居れば手を差し伸べ、困難は頑張れば乗り越えられると」


 聖女は自嘲するように小さく笑う。


 「ですが現実はそんなに甘いものではなかった。 救いたいと思った人達は残らず死に、頑張りは僕自身の自己満足以外の何物も周囲に齎しませんでした。 そんな時にいつも彼の言葉を思い出します。 『お前は救う者達に対してどこまで責任を持てるのか?』と。 言われた時はあまり理解はできませんでした。 何せやれば結果は必ずついて来る。 正しい行いは無条件で行うべきだと考えていましたからね」

 「……その親しい知人とやらは随分と割り切りのいい考え方をしているんだな」


 要するに最後まで面倒を見れないなら最初から見捨てろと言っているに等しい。

 半端はするなと戒めているとも取れるが、こいつとは正反対の人間なのかもしれんな。


 「えぇ、とても強い人です。 僕の悩みなんてなかったように一蹴してあっさりと決めてしまう。 心身共に僕の出会った中で彼以上の強さを持った人はそういないでしょうね」

 「随分と持ち上げるな。 そんな有望そうな人材なら是非とも雇いたいものだ」

 「……僕としても傍に居てくれると心強く感じますが、今はまだ会えません。 ですが、彼と釣り合う自分になれた時、僕は彼の前に立つ事が出来ると思っています」


 こいつにここまで言わせる奴は何者なんだ? 口調からは敬意のような物が伝わって来る。

 誇張抜きでその相手を尊敬している事が分かるが――


 「だからこそ僕はこれ以上、間違えたくない。 僕が救えるのはこの手が届く範囲だけです。 なら僕がやるべき事は救える人を確実に救う事。 そして多くを救う為に手を伸ばせる範囲を広げる事、そして何を救わないのか・・・・・・を決める事だと思っています」


 聖女は何かを掴むように手を伸ばし――拳を握る。


 「結局の所、僕に足りなかったのは覚悟だった。 守る為に守らない者を滅ぼす覚悟。 だからはっきりと答えましょう。 グノーシス教団が僕達の前に立ち塞がるというのなら、彼等がどんな人間だろうと殺します。 それが今の僕に――聖女に必要な役目だと思うから」

 

 敢えてだろう。 聖女ははっきり殺すと言い切った。

 恐らくそう口にしないと揺らぐからだろう。 口調からも本人の言う覚悟が伝わって来る。

 だから俺は「分かった」とだけ応え、それ以上は何も言わなかった。

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