第977話 「誘導」
「ついに来たか」
俺――エルマンは部下から受けた報告に重い溜息を吐く。
報告の内容はアープアーバンから軍勢が接近しているとの事。
来るのは分かり切っていたので驚きはなかったが、思ったよりも早かったなというのが素直な感想だった。
数は三千から六千。 目測な上、まだ距離があるので現状では正確な数は不明だ。
それにしても数千の軍勢は予想外だった。
アープアーバンは完全に魔物の領域である以上、舗装の類もされていないので突破するに当たっては人数が多ければ多い程に難しくなる。
真っ当な方法で踏破したというのならかなりの脱落者が出ている筈だ。
恐らく最初は一万以上は居たと見ていいだろう。 脱落者が出る事も構わずに強行したと言った所か。
目的はウルスラグナに橋頭保を築く事という事は読めるが、先制攻撃を仕掛けるのは躊躇われる――というよりはできない。
間違いなく連中は先遣隊だ。 放置しておくと転移魔石で本国から主力を送り込んで来るだろう。
聖堂騎士ぐらいなら聖女が居ればどうにでもなるが、流石に救世主を大量に繰り出されると厳しい。
今回の防衛戦、クリステラは本国攻めに駆り出されるのでこちらの聖剣使いは聖女一人のみ。
残りの聖堂騎士と異邦人を全て投入したとしても勝つのは難しい。
本音を言えば疲弊している所を強襲して皆殺しにし、何もなかった事にしたい所だがそうもいかない事情があった。
理由は二つある。
一つ目、これは外向きの理由だが、こちらから仕掛けると完全に言い訳が出来なくなるからだ。
場合によっては交渉で時間を稼ぐ必要も出て来るので、軽々に手を出す事が出来ない。
そして二つ目、これが最も大きい理由となるのだが、オラトリアム側の意向――要はファティマがそのまま布陣させろと言っているので、手を出したくても出来なくなってしまったのだ。
当初は折衷案として工作兵を送り込み、連中の転移関係の設備や魔石を破壊して増援を呼べなくしようと企んでいたのだが実行前に釘を刺されたのでそれも中止せざるを得なかった。
……今の俺にできる事は何食わぬ顔で聖女に現状を報告する事だけ、か。
嘘を吐かないと約束しておいて実際は嘘しかついていない。 我ながらクソのような男だと自嘲する。
それでも止める事はできないというのは我ながらどうしようもないな。
俺は渇いた笑みを微かに漏らして聖女の元へと向かう。
「――お話は分かりました。 戦いは避けられないんですね」
「あぁ、このまま行けば間違いなくぶつかる事となるだろうな」
俺は聖女に話があると人払いをして報告を行う。 グノーシス教団の先遣隊がそう遠くない内にアープアーバンを突破してこのウルスラグナへ来る事、目的は聖剣と魔剣である事、そしてこのまま放置すると転移を用いて本隊を送り込んで来る事。
俺の口から言える事は全て包み隠さずに報告した。
聖女は黙って俺の話を聞き、戦闘の回避は不可能かと尋ねて来たが口調から確認以上の意味がない事が伝わって来る。
……もしかしたら交渉で済まそうとか言い出すのかと思ったが、かなり冷静な反応だった。
「まずはエルマンさんの考えを聞かせてください」
「……本音を言えば余計な事をされる前に仕掛けるのが無難ではあるのだが、それをやってしまうと本当に連中が諦めるまでの消耗戦になっちまう。 ――もうはっきり言うが、ユルシュル、グリゴリ戦の消耗でこっちの戦力はガタガタだ。 普通に戦ったらまず負ける」
自分で言っておいてなんだが、グリゴリの時以上に絶望的な状況だな。
援軍は期待できずに敵の総数は不明でこちらが全滅するまで波状攻撃を繰り返すだろう。
仮に聖剣を差し出したとしても、連中からすれば聖剣を奪った俺達を簡単に許すとは思えない。
聖女とクリステラは向こうに引き抜かれる程度で済むだろうが、俺を含めた聖騎士は連中の定めた法に則って処分――まぁ、十中八九殺されるだろうな。 俺に限って言えばアイオーンの発足を煽った罪を被せるのに最適なので間違いなく見せしめに処刑されるだろう。 俺の脳裏に公衆の面前で首を刎ねられるユルシュル王の姿が浮かぶ。 下手をすると俺はああなるのか。
……あぁ、本当に何でこんな事になっちまったんだ……。
負けるか降伏したら俺は確実に死ぬなと考えると胃がキリキリと痛む。
普通に考えるなら前線に出なくていい筈なので、死亡率は比較的低い立ち位置なんだが気が付けば誰よりも死の淵の近くにいるといった皮肉。
本来なら何もかもを放り出して逃げ出すのが正しい選択だろう。
何も打つ手がなければ間違いなくそうしたかもしれない。 だが、幸か不幸か打開できる可能性が存在するので、踏ん張らざるを得ないのだ。
何も難しい事は要求されていない。 グリゴリの時と同じだ。
敵の戦力展開を待って開戦。 その後、戦闘を適当に引き延ばし、連中がクロノカイロスを滅ぼしてくれるのを待てばいい。 恐らく引き付けている相手も向こうが片付けばオラトリアムが引き取って処理してくれるだろう。
いや、本国の危機を察知して勝手に帰るかもしれない。 後は適当にしらばっくれてしまおう。
こうなってしまった以上、グノーシス教団には是非とも滅んで貰わねばならない。
間違いなく向こうは酷い事になるだろうが、俺にはどうにもできないので精々、楽に死ねると良いなといった無責任な事しか言えないのだ。 そこでふと思い至る。
……そういえばオラトリアムが負けても俺は死ぬのか……。
何故か連中の負ける姿が欠片も想像できなかったが、そうか連中が勝たないと俺は死ぬのかとぼんやりとそう思ってしまった。
まるでどの道を通っても袋小路に入る出口のない迷路のようだ。 そんな事を考えていると何故か笑いそうになる。
――運命は自らの手で切り拓くものだ。
どこぞの英雄譚ではそんな事を語っているらしいが、嘘っぱちだなと俺は考える。
運命は自分の知らない所で勝手に決まる物だ。 俺はそれを心底から理解した気がする。
もうここまで来ると死んだ方が楽になれるんじゃないかといった思考がチラチラと脳裏を掠めた。
「――エルマンさん?」
「あ? あぁ、すまんすまん。 ちょっとぼんやりとしていた。 グノーシス教団への対策だったな」
聖女の言葉でふと我に返る。
そうだ。 死ぬ事はいつでもできる。 今やる事をやらないとな。
思い直した俺は余計な思考を放り投げた後、具体的な対処の話に移る。
「まずこちらから仕掛けるのは止めた方がいい。 グノーシス教団も一枚岩ではない筈だ。 可能性は低いが交渉で落としどころを探る事も不可能ではないかもしれない。 その為にも国境付近で布陣して、相手の出方を探るのが良いと思う。 ただ、相手を抑える意味でも――」
「僕が前に出る必要があると言う事ですね」
「……あぁ、聖剣使いが堂々と陣取っていれば簡単には手を出してこないだろう」
楽観に近い考えである事は否定しないどころか、寧ろ逆効果になると俺は考えていた。 目的が聖剣である以上、鼻先に聖女を出せば目の色を変えて襲って来るかもしれない。 加えてこちらに狙いを集中させればそれだけ周辺の被害を減らす事に繋がる。
恐らく連中は対聖剣使い用の装備なり戦力なりを用意してしっかりと対策を取って事に臨むのは目に見えていた。 最も有力なのは例の鎖と鞘で聖剣の奪取を狙う事だ。
以前に検証したが、驚くほど簡単に聖剣を引き剥がす事が出来た。
一度奪われればもうどうにもならないだろう。 戦うのなら聖剣を奪われない事が必須となる。
……その辺の立ち回りも必要になるか……。
言葉を選びながら不自然にならないように気を使いつつ、オラトリアムの望む筋書きになるように話題を誘導。 願わくばこいつを騙すのはこれで最後になりますようにと祈りながら。
俺は今日も嘘を吐き続ける。
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