第955話 「僅眠」

 「……ふぅ」


 自室に戻ったヴァルデマルはやや疲れた息を吐いて愛用の揺り椅子に腰を下ろす。 

 あまり心臓に良くない場を乗り切った事で少しの安堵を覚えていた。

 考えるのはこの後の事だ。 本格的にウルスラグナへの侵攻となるだろう。


 アイオーン教団は勢力としての評価ならそこまで大した組織ではない。

 潰すだけなら物量に物を言わせればどうにでもなるだろう。 だが、問題は二人の聖剣使いだ。

 例の聖女に至っては二本も持っている。 聖剣使いは一人いるだけで一軍に匹敵するので、真っ当な方法で仕留める事は難しい。


 だからこそ審問官を送り込んで内側から崩そうと目論んだのだが、連絡が途絶えた所を見ると不首尾に終わったようだ。

 元々、成功すれば良し程度の期待だったので、失敗した事による失望は薄い。


 ――それでもこの状況に関しては面倒なといった感情が先に立つ。

 

 辺獄の領域がすべて閉じている以上、蓋をするのも限界だろう。

 本来ならこの時点で大半の聖剣が揃ってなければならないのだが、現状で保管されているのはたったの二本。 聖剣ガリズ・ヨッドと聖剣エロハ・ミーカルのみ。


 「……猊下はそこまで気にしないだろうが……」


 法王や教皇からすれば問題ないが、枢機卿である彼からすればこの状況はとてもじゃないが歓迎できない。

 聖剣が少ない状態で携挙の日を迎える事はヴァルデマルにとっての死を意味する。

 その為、を増やす為にはどうしても聖剣を手に入れる必要があるのだ。 確かに焦ってはいるが辺獄の状況からすればまだ猶予はある。 少なくともウルスラグナを滅ぼして聖剣を回収するには充分な時間はある――筈だ。


 ヴァルデマルは枢機卿という地位についた時点でこの先に起こる事を知らされる事となった。

 代償に教団に生殺与奪を握られる事にはなったが、最初から裏切る気もなく信仰心もしっかりと持ち合わせてはいたのでそこは大した問題でもなかったからだ。


 組織の歯車としてもそれなり以上に有用と自負している事もあり、これ以上の地位や名誉は望んでいない。 もう、立ち位置としては充分に良い位置におり、情報も得られ、面倒な仕事は他に押し付ける事も出来る。 そんな今の彼が望むのは未来――つまりは保身だ。

 信仰心を貫くのはいい。 地位を守るのもいい。 だが、何を措いても守るべきものがある。


 それは何か? 自分の命だ。 何をするのもいいが生きていなければ全てに意味がなくなる。

 彼はとにかく死にたくなかった。 その為、行動方針はとにかく自分が生き残る事に偏っている。

 ヴァルデマルは表面上はにこやかな笑みと余裕の態度を崩さないが、内心では誰よりも死を恐れており、自分が死なない為には他の人間が何百人、何千人死のうと知った事ではないと思っている。

 

 ――そもそも死ぬ者達は信仰心が足りないから死ぬのであって、自分の所為ではなく当人の問題だ。


 そんな建前の下、彼は数多の者達を死地へと送り込んで来た。

 今まではそれで良かったのだ。 しかし、携挙に関してだけはそうはいかない。

 アレから逃れる方法は存在するが、定員制・・・なので何としてもその枠を勝ち取る必要がある。 今の所は自分も含まれていると信じたいが、いざその時に何かあって自分が蹴り出されるなんて事態は避けたいので聖剣は必須となる。


 ヴァルデマルは前線に出る気はないが、今回の戦いは過去に行った辺獄の領域攻略に匹敵する大規模な戦闘となるだろう。

 他所の戦いに戦力を供出するのとは訳が違う。 文字通りの戦争となる。

 今回、普段は表に出てこない教皇がわざわざ出張って来た事を考えると救世主だけではなく、聖剣使いも送り込むつもりなのは間違いない。


 敵の聖剣の能力に関しては凡そ掴めているので、かなりの犠牲は出るだろうが充分に勝てるだろうというのがヴァルデマルの見立てだった。

 だがそれはアイオーン教団のみを相手にした場合だ。 ウルスラグナにはオラトリアムという正体不明の勢力が存在する。 ベレンガリアも言っていたが、あの勢力は世界各地での暗躍の疑いがあるのだ。


 少なくとも転移関係の技術は押さえているのは間違いない。

 そうでもなければ大陸を跨いで活動するなんて真似は不可能だ。

 転移で突然現れる事に加え、正体不明の魔物の群など不確定な要素は多い。 その為、オラトリアムの正体が明らかにならない内に仕掛ける事には若干の抵抗がある。


 ――それでも時間が有限である以上、行かねばならない、か。


 ヴァルデマルは話が終わると早々に姿を消した少女の姿をした存在の事を考える。

 グノーシス教団教皇ロヴィーサ・アストリッド・ヘクセンシェルナー。

 教団の頂点であり、彼女の言葉は教団の総意と同義だ。 それに異論を挟めるのはこのクロノカイロスの王たる法王のみ。


 幼い見た目に老人のような口調。 ヴァルデマルは知らされていないが、恐らく中身は本当に老人なんだろうと考えていた。 

 彼女について詳しく知っている者はあの階段の向こうへと出入りできる存在だけだ。

 法王は王家が存在し、そこから代替わりしていくといった形式で連綿と続いているが教皇は違う。

 

 ある日、唐突に任期の終了と交代が告げられ。 入れ替わる。

 教皇に選ばれる存在は司教枢機卿の候補となっている見習いの中から託宣によって選ばれるのだ。

 選ばれた少女は大聖堂の奥へと誘われ、帰ってきた頃には立派な教皇の出来上がりだった。


 どんな性格をしている少女だろうと、あの奥へ行って帰って来ればああなるのだ。

 恐らく一度でも教皇の交代に立ち会った者の大半は察しているだろうが、誰も口には出さない事がある。

 

 ――教皇は交代しているが、もしかして中身は代わっていないのではないのだろうか?と。


 思っていても口には出さないが、そう思っている者は間違いなく多い。

 少なくともヴァルデマルはそう確信していた。

 あの女は間違いなく何らかの手段で肉体を乗り換えている怪物だ。 そう確信しているからこそ、ヴァルデマルは教皇を侮る事は一切しない。


 ――というよりは同一人物として接している。


 ヴァルデマルのその判断は、未だに高い地位に付けている事を考えると正しかったのだろう。

 実際、教皇のヴァルデマルに対する評価は悪くない。

 見た目で侮らず、己の分を弁えた態度は使役する側としては非常に扱い易いからだ。

 

 「これから忙しくなるか……」


 ヴァルデマルはそう呟くと全身の力を抜いて椅子に背を預けて目を閉じる。

 ウルスラグナの攻略で忙しくなる。

 休める時に休んでおかねば。 ヴァルデマルはそう考えて目を閉じて少しだけと、自分に言い聞かせそのまま僅かな眠りについた。

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