第873話 「恐怖」

 『――このっ!』


 ブロスダンは即座にローの上半分に突きを叩き込む。

 聖剣はローの胴体へ突き刺さらず、いきなり開いた穴を通り抜けた。

 同時に浮いている胴体からトラバサミのように肋骨が無数に飛び出しブロスダンへと襲いかかる。

 

 『くぉぉ!』


 ブロスダンは全力で後退、喰らいつくように襲いかかって来た肋骨を躱す。

 一体何だと困惑を浮かべる間もなく聖剣の警告に従って空いている腕でガード。 一瞬遅れて衝撃が腕に伝わる。 ローの下半分が蹴りを入れて来たのだ。


 防具を失った腕で受けたので骨に亀裂が入った感触が伝わるが、聖剣の加護で即座に治癒。

 畳みかけるように発生している状況について行けず、精神的な動揺が抑えられない。

 ブロスダンの精神状態を敏感に察知したアザゼルが武具を飛ばして牽制。


 障壁で全て弾かれるがブロスダンも銅のキューブを生み出して射出。 無意識での行動だったが、接近戦は危険と判断して遠距離攻撃に切り替えたのだ。

 判断としては決して悪い手ではなかったが、行動の原因は別にある。


 それはじわじわとブロスダンの心を蝕み始めている物だ。 だが、彼の無意識がそれを認めるわけにはいかないと、胸に怒りの炎を燃やして奮起。

 行こうと足を踏み出しかけて何かが絡みつく感覚。 視線を足元へと落とすとさっきアザゼルの剣に切断された百足が足に絡みついていた。 


 咄嗟に聖剣で斬り裂こうとしたが、危険と判断して足を全力で振りその勢いで引き剥がす。

 その判断は正しく、百足は爆散して得体の知れない体液を周囲にまき散らした。

 何なんだと意識をローに戻そうとした時には既に魔剣を片手にすぐ傍まで接近されており、螺旋を描く魔剣を突き込んで来ていた。 

 

 アザゼルの武具が牽制に入り、若干ではあるがローの足が止まった事でブロスダンは魔剣の一撃を聖剣で防ぐ事に成功。

 さっきまでバラバラになっていたローだったがいつの間にか何事もなかったかのように元に戻り、斬りかかって来る。 その表情からは何の感情も読み取れず、ただひたすらに目の前の敵を排除しようと言った無機質な圧力のみが圧し掛かって来ていた。


 ――僕は一体、何を相手にしているんだ?


 ようやく精神的に立て直した彼が行った思考はそんな物だった。

 故郷を焼き、両親や友人知人を情け容赦なく殺した悪魔。 自分は皆の無念を晴らす為に聖剣を手に入れ、怨敵であるローを滅ぼす事を目的としている。

  

 だが、段々と分からなくなってきた。 何故なら自分が相手にしているのは本当に仇なのだろうかと言った疑問が湧いたからだ。 正確には困惑に近い。そもそもローを意思疎通が可能な個人と捉えていたので、その困惑は強い。


 ――こいつは仇以前に一体どういった生き物なんだ?


 胴体を分割し腕や口から奇妙な魔物を放ち、掌からは回転する金属の棒が突き出し、胴体からは肋骨が飛び出して襲って来る。


 訳が分からない。 いつの間に自分は仇ではなく得体の知れない生き物を相手にしていたのだ?

 恐らくだが、戦闘能力と言う点であるなら辺獄で戦った「在りし日の英雄」の方が遥かに強いだろう。

 だが、得体の知れなさ、奇怪さではローには遠く及ばない。 何故なら何をしてくるのかさっぱり分からない上、体を分割して襲って来る以上、こいつは本当に死ぬのかと言った疑念まで湧き上がってくるからだ。


 疑念は更なる疑念を生み、積み重なったそれはある感情へと変化する。

  

 ――恐怖へと。


 ブロスダンは怒りで塗り潰そうと聖剣を振るい続けたが徐々に恐怖が怒りを侵食し始めていた。

 腕を切断しようとすれば勝手に分離して襲いかかって来る。 胴体を狙えば勝手に上半身と下半身が分離して個別に攻撃を仕掛けてくる。


 分離した部位を潰しても胴体から新しい四肢が生えて来て何事もなかったかのように戦闘を続行。

 ローの異形と異常を目の当たりにすればするほど、ブロスダンの精神は軋みを上げる。

 恐怖にだ。 この状況は駄目だと頭では分かっていたが、心はそろそろローの姿を直視する事を拒み始めていた。


 余りにも悍ましいその姿は彼の正気を少しずつ、だが的確に抉って行く。 そして体がそんな状態になっているにもかかわらずローはただただ無表情に自らの体を分割する。 痛みを感じていないのは明らかだが、分離した自分の体が破壊されても何事もなかったかのように再生させて戦闘を続けているのだ。


 それはブロスダンの感性では受け入れられない光景だった。 ここにきて彼はローが悪党ではなくそれ以上に性質の悪い言葉では言い表せないような異形の類であると理解する。

 当初、ブロスダンはローの罪を明らかにしたうえで断罪したいと言った考えを持っていたが、この様子では後悔や懺悔の類とは無縁。 それどころかそんな言葉の意味すら理解していないだろう。


 ――怖い。


 心底からそう思った。 魔物や人間相手に抱く物とは別種の恐怖を感じる。

 それは子供が暗闇に恐怖するような根源的な物で、得体の知れない存在に抱くそれだろう。

 だが、逃げるなんて真似はできない。 父の、母の、里の皆の仇を討つと決めているからだ。


 それをやらないと自分は前に進めない。ブロスダンは思う。

 今でも自分の心はあの日、故郷を失った日から立ち尽くしたまま一歩も動けていない。

 だから! 仇であるローを仕留め、自らの心に整理を付けないと自分は「今」を生きられないのだ。


 そうなればきっと第二の故郷であるユトナナリボや妻のアリョーナが自分をきっと癒してくれる。

 王として夫として行く行くは父として、穏やかに生きる事が出来る筈だ。

 

 ――殺す。 もう後悔などできもしない事を強要するような真似はしない。


 ただ、人を襲い不幸を撒き散らす害獣として処分するのだ。

 アザゼルも力を貸してくれている。 自分も大した傷は負っていない、聖剣も健在。

 敵の攻撃は非常に変則的だが、こちらの防御を飽和させる程の物じゃない。 油断さえしなければ勝てる。


 アザゼルもブロスダンと同じ意見だった。 他に同胞が居ればもっと楽に勝てるだろうが、現在は外で敵戦力と交戦中なので呼び出す事が困難だ。

 確かに変則的な攻撃は読み辛く厄介な物ではある。 そして複数の魔剣を統合して使用しており、この辺獄では非常に強力な力を放っているので、その攻撃を一撃でもまともに貰えば危険だろう。


 だが、聖剣アドナイ・ツァバオトの加護さえあればまともに喰らう事は避けられる。

 確実とは行かないが、充分に勝算のある戦いだ。

 

 ――ブロスダンとアザゼルは高い確率の勝機を見出す。


 恐らくこのまま行けばもしかしたら勝てたかもしれない。 それ程までに聖剣アドナイ・ツァバオトの能力は強力な物だった。 本来なら力を失うはずの聖剣もアザゼルが取り込んだ魔剣ガシェ・アスタロトからの魔力供給により能力は十全に発揮できている。


 苦戦はするだろうが負ける事はあり得ない。 それが二人の出した結論だった。

 確かにこのまま行けばその未来は確実ではないが訪れたのかもしれない。


 ――だが――


 彼等は一つだけ重大な見落としをしていた。

 それは何か? その答えを彼等は即座に目の当たりにする事となる。

 ローの魔剣から凄まじい量の黒いオーラのような物が噴出し触手のように彼の腕に絡みつく。


 闇は即座に魔剣からローの腕を登り、胴体へと到達。 それを見たローは若干ではあるが、不快気に表情を歪める。 そして闇が胴体に侵入し――

 

 「――なるほど。 良く分かった」


 ローは小さくそう呟くと後ろに飛んで僅かに距離を取る。


 『Περσονα人格 εμθλατε模倣ενωυ嫉妬』、『Ενωυ嫉妬 ις ηαρδ硬く ανδして σαμε陰府 ας ηελλ等し

 

 同時に全身から青黒い霧が噴出。 一瞬にして視界を塞ぐ。


 『そんな物で!』

 

 ブロスダンは無駄だと言わんばかりに聖剣から一気に魔力を噴出させ霧を吹き散らす。 明らかに距離を取る動きだったので、遠距離攻撃に切り替えたと解釈。 だが、一通りの攻撃は既に見ている以上、脅威足りえない。

 そもそも有効な遠距離攻撃手段を持っていたら接近してくる訳がないのだ。 牽制か逃げる為の準備だろう。


 アザゼルもそう考え、逃がさないと武具を展開。

 ローは魔剣を構えず、奇妙な動きを行った。 片足で地面に円を描いたのだ。

 それを見たブロスダンは意味が分からなかったので訝しむが、逆に正確に理解したアザゼルは馬鹿なと驚愕する。


 ――あり得ない。 扱える訳が――


 アザゼルの懸念を他所にローは足元の円を踏みつけ決定的な言葉を紡ぐ。


 「<九曜・ナヴァグラハ――」

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