第844話 「噂話」

 「――という話を昨日聞いたのよ」

 

 翌日。 学園でコンスタンサは父の話をラフアナにしていた所だった。


 「あ、それ聞いた事ある。 ウチのお父さんも似たような事言っていたわね」

 「そうなの?」

 「えぇ、ほらウチってお父さんが仕事で海の方に行くから話を聞かせてくれるのよ」


 エルフの生活は劇的に変化したが、変化も落ち着けば常態化する。

 そうなれば変化の少ない日常という存在に置き換えられていく。

 同じ日々、同じ動き、同じように決められた仕事。 だが、そこに人の不在――空白が生まれると、非常に目立つ事となる。


 特にこの地のエルフは争い事とはあまり縁がなかったので、このような事件は珍しく、話題になり易い。

 ラフアナの話もコンスタンサの父が語った事柄と内容が似ていた。

 

 ――ただ、彼女も知らなかった事がある。


 それは事故の件数だ。

 釣りの最中に行方不明になった人数は一人ではなかった。 ラフアナの話によれば数名が海で消えているとの事。


 「何それ? 怖いわね」 

 「気が付いたら居なくなっていて、どこを探しても影も形も見当たらなかったそうよ」


 目撃者は皆無。 流石に人数が多いので釣りを自粛しようとの声もあったが、天使兵の護衛を付ける事と大人数で固まって行動する事を徹底させるだけに留まった。

 理由は単純で、魚介類の需要が高まったからだ。 海の幸は森に住むエルフにとっては新鮮な物で、その味を知ってしまった今は手放せない物となっていた。


 ハイ・エルフはエルフの要望に対して寛容だ。

 大抵の事は受け入れ、護衛も気前よく貸し出してくれる。

 エルフ達はそれによりハイ・エルフやグリゴリへの信仰を深める事となったが――


 ――その感情は一方通行だ。


 ハイ・エルフ――特にその長たるブロスダンは支配下に置いたエルフの事なんてどうでもいいと思っており、それを支配するグリゴリの天使達もハイ・エルフ達の事を都合の良い道具程度にしか認識していない。


 全ての感情は一方通行。 上は下を顧みず、目的のみを見据えて進み続ける。

 彼女達はそれに気が付かない。 コンスタンサもラフアナも自分達は曇りなき目で未来を見ていると思い込み、実際は曇り切った眼差しで笑い合う。


 人が居なくなった事は怖い事で、他人事と流せるような話でもない筈だが二人は欠片も危機感を抱かない。

 何故ならグリゴリとハイ・エルフ達に従っていれば何の心配もないのだから。

 エルフ達は幸せな夢を見続ける。 夢から醒めるその日まで。

 



 ――憎い。


 「あなた、お茶を淹れたので、良かったら一緒に飲みませんか?」


 アリョーナはにこやかな笑みで声をかける。

 彼女は元々この地を治めていたエルフの族長の娘と言う事もあり、相応の教育を受けているのでその所作は嫋やかだ。 そして美しかった。

 

 顔の造形という点でも里の中でも上位に位置するだろう。

 加えて夫を立てる性格も相まって良妻賢母といえるのかもしれない。

 少なくとも妻として迎える分には優良物件と言い切れる程の器量だ。


 そんな女を妻にできる男は非常に幸運なのかもしれない。

 だが、ブロスダンにはそんな事は心の底からどうでも良かった。

 彼はあぁと虚ろに答えるとアリョーナに言われるまま彼女の用意した茶を味わう。


 「どうですか? 中々、上手くできたと思うのですが……」

 「あぁ、美味しいよ」


 そう言って笑みを浮かべるが、心の中では寒々しい風が吹いていた。

 味は理解できるが、美味しいとも美味しくないとも感じられない。

 ブロスダン。 ハイ・エルフの王にして聖剣の担い手。 グリゴリの天使に仕える最上のしもべ。

 

 数多の肩書や名声が彼の手中に納まったが、今の彼には何の価値も感じられない。

 彼の中にある感情は真っ黒に燃え盛り、全てを塗り潰す憎悪の炎だ。

 憎かった。 とにかく憎くて憎くて仕方がない。


 ブロスダンは元々この大陸出身のハイ・エルフではなく、彼の故郷はヴァーサリイ大陸の北部に存在する森の奥地だった。

 当時、そこはグリゴリに支配され、ハイ・エルフによって管理されている、ユトナナリボと同様の体制を執っている巨大な樹上都市。


 ブロスダンは生まれながらのハイ・エルフで両親からも将来はその仕事を手伝い、最終的には引き継ぐ事になるんだろうなと漠然とした未来を思い描いていた。

 本来なら彼の思い描く未来は現実になったのかもしれない。 ある事件が起こるまでは。


 ある日の出来事だ。 里の近くで他所から流れて来た同族と出会う事となる。

 それが破滅の始まりだと言う事に彼は気が付かなかった。

 ローと名乗ったその男は旅をしているとブロスダンに説明し、それを信じた彼は男を里に招き入れてしまったのだ。

 

 結果、それがブロスダンの故郷に何を齎したのか?


 ――それは血と殺戮だった。


 彼は早い段階で逃がされたので詳細までは見ていなかったが、断片的には目撃していた。

 あちこちで発生する爆発に異形の群。 それにより、ブロスダンは戦火に包まれた故郷へ別れを告げる事となる。

 逃げるブロスダンは数少ないハイ・エルフの生き残りとして一緒に逃げた者達を率いて更に北を目指す。


 故郷を失った彼等は明確な当てもなく北へ北へと逃げて行く。 その生活の中、彼等は憔悴していった。

 移動するだけならここまで消耗する事はなかっただろう。

 ならば何故か? 追手だ。 彼の故郷を滅ぼした存在はそれだけでは飽き足らず、執拗に追いかけて彼等を殺そうと襲いかかって来た。


 見た事もない異形の群。

 当初は戦争状態だったゴブリンの襲撃と思っていたが、里を襲った者の大半は見た事もない魔物。

 今になって考えればゴブリンにあんな存在を使役できる訳がないと、ブロスダンは当時を振り返る。

 

 度重なる襲撃に一人、また一人と脱落していく仲間達。

 森に慣れた彼等でなければ何度全滅していたのか分からないぐらいの執念を以って襲って来る者達。

 終わりの見えない逃亡生活に絶望した頃だった。


 ――その存在が語りかけて来たのは。


 グリゴリの天使。 エルフを導いて来た存在。

 その存在にブロスダンは迷う事なく縋りついた。 彼の選択は短期的に見れば間違いなく正解といえただろう。

 グリゴリの導きにより、追っ手から逃れ森を抜ける事にも成功。 それだけではなく、船を奪う事にも成功し、海へと漕ぎ出す事も出来た。


 こうして追っ手の魔手から逃れる事になり、目指す場所もグリゴリが導いてくれる。

 海へと出たブロスダンの心にようやく平穏が訪れたが――


 ――そこで彼はグリゴリから真実を知らされる事となる。

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