第845話 「贖罪」

 ブロスダンが知ったのは残酷な真実だった。

 エルフの里での惨劇は全てローが引き起こした事だったのだ。

 グリゴリの話によるとローは彼等にとってどうしても必要な存在であり、協力を求めようとしたがこれを拒絶。 捕らえようとした所を逃走し、ゴブリンを引き連れて襲いかかって来たとの事。


 つまりあの男を里へと引き入れた自分の責任だ。

 里が滅んだ原因は自分にあると悟ったブロスダンは絶望。 一時は精神の均衡すら保てない有様となったが、グリゴリによる根気強い説得により持ち直す事となる。


 ――全てはあの男が原因だ。


 彼の壊れかけた精神を安定させる為の安定剤としてはその言葉は最上の物だっただろう。

 

 ――里が焼かれたのも汝の父母が死んだのも全てはあの男の咎。


 ――応報し、償わせるのだ。


 ――それが出来るのはエルフの王たる汝のみ。


 そうだ。 ブロスダンの精神は再び立ち上がる。

 父や母や里の皆が死んだというのにそれを成したあの男だけがのうのうと生きていていい筈がない。

 殺す。 あの男を殺すまで自分は止まれないのだ。


 立ち直ったにしては歪な形ではあったが、こうしてブロスダンは生きる目的を見出す事になる。

 それからと言う物の彼はグリゴリの傀儡として凄まじいまでのリーダーシップを発揮し、連れていた者達を牽引し海を越える。


 目指すは西の最果てにある大陸――ポジドミット大陸だ。

 隣のリブリアム大陸ではなかった事には理由がある。 当然ながらグリゴリの指示だ。

 彼等はポジドミット大陸に大規模なエルフの住処がある事を知っていたので、ブロスダンに取り込ませるには手頃と判断したからだ。


 グリゴリとしてもこれはやや不本意な物だった。

 ブロスダンが完全に壊れてしまうと、彼等はかなり長い期間、この世界に干渉できなくなってしまうからだ。

 本来なら次の機会を根気強く待つ事にするつもりではあったが、そうできない事情があった。


 ――その理由は混沌・・を体現した存在の発見。


 混沌。 彼等が求める――求め続けた命の形だ。

 あらゆる環境、あらゆる負荷に耐えうる寛容性を秘めた肉体。

 理に縛られない根源的な自由な命。 それこそがグリゴリの求める物にして可能性。


 希望の光と言い替えてもいい。 奇跡の様な可能性の果てに生まれた存在。

 次はいつ発生するか――否、発生するかも怪しいので、是が非でも手に入れたいと考えていた。

 その為、混沌が存在している内に確保したいので、次に波長の合う存在の出現を悠長に待っていられない。


 混沌さえ手に入れればグリゴリは自由にこの世界に干渉できる肉体を得られるかもしれないのだ。


 彼等は超常の存在として世界に君臨していたが、実際は波長の合った存在を介さなければ言葉すら発する事さえも出来ない。

 特に彼等を率いる個体にとって、その事実は非常に不愉快だった。


 現在、使用している肉体は彼等自身の一部で、この世界に干渉できる最大規模の物だ。

 それでも本来の力には遠く及ばない。 本来、彼等は一体で世界を滅ぼせるほどの力を持つ理から外れた超常の存在。


 だが、振るえる力は僅かと言っていい程の規模。 力があっても使えないのでは意味がない。 

 故に彼等は求めるのだ。 恒常的にこの世界で力を振るえるための手段を。

 そしてその力を以って世界を管理する。 何故なら世界には愚かな者が多すぎるからだ。

 

 人は必ず過ちを犯す。 それこそが人が人たる由縁だろう。

 そしてそれ以外の生き物は人以下の知性しか持ち合わせていないのだ。

 間違いを犯す可能性は人より遥かに高い。


 グリゴリ達は考える。 間違いなど必要ないと。


 その為に一切間違いを起こさない自分達こそがこの世界に君臨するべきなのだ。

 断じて世界の外で漂っているだけの無為な時間などを過ごすべきではない。

 世界が滅んだとしても新たな世界に君臨し、愚かな者達を完璧な正解に導き続けるのだ。


 ――その為にもローと名乗るあの混沌を手に入れる。


 ブロスダンは考える。 自らが犯してしまった過ちを消し去ると。

 過去の過ちの象徴であるローを滅ぼす事によって故郷の皆への贖罪とする。

 そしてそれが終わればようやく自分は前に進む事が出来るだろう。


 ――その為にも自らの過ちを清算し、死んでいった家族の無念を晴らす。


 グリゴリとブロスダン。 両者の意見は完全に一致はしていないが、ローを打倒するといった一点では噛み合っており、目的を達するまではそれは変わる事はないだろう。

 ブロスダンは妻のアリョーナとにこやかに談笑する。


 だが、彼にはその姿は正しく見えていない。

 ブロスダンというハイ・エルフは目的を完遂する事しか頭になく、それのみを考えて生きているのだ。

 アリョーナの事を妻とは認識しているが、それだけの事で彼女達の事は手段としか見ていない。


 全ては手段。 アリョーナを妻としたのもユトナナリボを手に入れたのもグリゴリのしもべとなった事も今となっては手段。 もう、彼は自らの生きる定義を決定してしまっている。

 

 ――だから、ブロスダンはアリョーナにとって、民にとって、都合のいい夫を、王を演じ続ける。


 アリョーナには常に笑顔を向けて、彼女が望む夫であり続ける。

 そして民にはいい顔をし続け、良き為政者として振舞い続ける。


 全ては目的の為、復讐を果たす為、そして自らの過ちを清算する為。 

 ブロスダンは進み続ける。 ローを殺すその日の為に。

 グリゴリはローを求め続ける。 両者の目的は途中までは共通しており、最終的な目的へと至るまでは完全な一枚岩であり、歪ではあるがその結束は固い。


 ブロスダンはグリゴリを裏切ることはないし、グリゴリもブロスダンを裏切ることはない。

 そこには暗黙の了解とも言える物が確かに存在している。

 アリョーナの話に生返事に聞こえない程度に体裁を整えて対応。 良き夫として振舞えていると確信して中身のない笑顔を浮かべた。

 



 ――この人は私を愛してはいない。 


 アリョーナはブロスダンの笑顔を見て胸の内に失意を募らせる。

 ブロスダン自身は上手く騙せていると錯覚していたが、彼の胸の内は早い段階でアリョーナに気付かれていたのだ。

 

 そう言う意味でもブロスダンという男はアリョーナという女を軽く見ていると言えるだろう。

 アリョーナ自身もそれは理解していた。


 ――そう、理解はしていたのだ。

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