第788話 「求輝」
ユルシュル王の首が飛んだところを確認した俺――エルマンは小さく舌打ちして目を背けた。
この処刑を見つめ続けたゼナイドの姿が痛々しすぎる。
これ以上見ているとこっちがどうにかなりそうだ。
ともあれ、ユルシュル王の首が飛ぶ所を見届けるまでが俺の仕事だったので、済んだ以上はここにいる必要もない。
聖女はまだ完治していないので、今回の処刑には代わりに聖女の鎧を身に着けたクリステラが出席していた。
娘の前で父親を処刑するなんて最悪の茶番が終わったので次は後始末だ。
旧ユルシュルの復興はかなり難航する事になるだろう。 何せ残らず人が居なくなってしまったのだ。
まずは住民を集める所から始める必要があるので、ルチャーノですらどうすれば良いのだと頭を抱えていた。 流石の奴も住民が残らず消える所までは想定していなかったようで、できるならユルシュル王を蘇生させてこの手でもう一度殺してやりたいと呪詛を吐き出していた事からも怒りの大きさが窺える。
……この様子ではしばらくは放置か。
復興の為に必要な資金もそうだが、もう何処から手を付けていい物かといった具合なのであの様子ではしばらくは放置となりそうだ。
一応は金になりそうな物は引き上げてはいたが、ユルシュルは資産の大半をオラトリアムに吸い上げられていたので大した物が残っていなかった。
金庫に至ってはごっそりと持って行かれた形跡があったので、恐らくは例のジャスミナの妹――ベレンガリアの仕業だろう。
結局、補填に使えそうな戦利品とも言える物すら碌に手に入らず、荒廃した広大な土地のみが残されたと言う訳だ。
……結局、今回の一件を裏で操っていたベレンガリアと名乗る女は捕縛できず終い、か。
魔導書をばら撒いてユルシュルを唆し、このウルスラグナに混乱を撒き散らした元凶とも言える人物。
ユルシュルの者達から尋問で得た情報や、ジャスミナから聴取した事を踏まえると意味もなくそう言った事をする手合いではない。
あわよくばと言った考えはあったのだろうが、早々に見切りをつけた判断の早さを考えると情報を持ち帰るだけに留めたのだろう。
最低限の偽装は行ったが、エロヒム・ギボールとモンセラートの事はグノーシス教団にバレたと考えるべきだ。 後者に関してはどうとでもごまかせるが、前者は難しい。
この国に住んでいる人間だけなら聖剣について知識を持っている者も少ないので、凄まじく強力な武具で通せただろうが、例のベレンガリアは聖剣についての知識を持っていてもおかしくない。
そう遠くない内に何らかの形で接触してくる事は間違いないだろう。
厄介なとは思うが、エロヒム・ツァバオトがある以上は遅かれ早かれ寄越せと難癖付けて来るのは目に見えている。 その為、衝突は避けられないのだが、問題はどう対処するかだ。
アイオーン教団がグノーシス教団に迎合する事はあり得ない。 そして連中は聖剣を諦める事はない以上、落としどころを探る事すら不可能だ。
……少なくとも現状ではだが……。
アープアーバンがあるので、守りに徹すればしばらくはどうにでもなるが最終的には何らかの形で諦めさせる必要がある。
その為にはどうしても連中が聖剣を求める詳細な理由が知りたい。
グノーシスの最終的な目的さえ分かれば妥協させる材料が見つかるかもしれないからな。
「――知った所で妥協させる余地があるかは怪しいがな……」
正直、その可能性は非常に高い。
モンセラートの言う携挙の話を聞く限りだが、真偽はともかく世界が滅ぶらしいのでそれをどうにかしたいのか自分達だけ助かりたいのかは――まぁ、後者の可能性は高いが、そんな理由がある以上は望みが薄いと言わざるを得ない。
ユルシュルが消えた事で国内の懸念は片付きはしたので、後ろから刺される心配をしなくて済むとは言えグノーシスの事を考えると頭と胃が痛い。
もういっそ適当な事を言って、聖剣をオラトリアムに押し付けてしまえばいいんじゃないかという非常に魅力的な案が脳裏をチラつくが、押し付けた事がバレた瞬間に俺が消されかねないので最後の手段だな。
アープアーバンが外部からの干渉を防ぐ壁となってくれるが、同時にこちらからも外に干渉するのが難しいとも言える。
携挙については俺が自分で調べに行きたいとは思うが、詳細を知っている人間が限られているので、本格的に動くのは向こうが接触して来た時になるか。
「鍵は司祭枢機卿だが、どうした物かねぇ……」
何処かに都合よく居ないだろうか……。
そんな事を考える程度には頭が痛くなる悩みの種だ。
取りあえず今できる事は、何が起きても対処できるように準備しておくだけか。
俺は痛む胃を癒しながら今日の仕事を片付けるかとその場を後にした。
――司祭枢機卿。
それは数多の試練を突破し、教団の秘密に触れる事を許される選ばれし存在。
聖職者の到達点の一つと言えるだろう。
信仰を広め、信仰を担い、信徒を導くその権力は一国の王にも匹敵する。
枢機卿ともなれば信仰の名の下に様々な事が許されるのだ。
つまり枢機卿は数多の人間の中でも特別な存在と言える。
「ば、馬鹿な――」
――その筈なのに――何故、なぜ自分はこんな所で死にかけているのだろうか?
グノーシス教団第十司祭枢機卿ヘルディナンド・ドゥ・ムエル・マクリアンは自らに起こった現実が欠片も理解できなかった。
思えばヴェンヴァローカを訪れるまではそれなりに上手くは行っていたのだ。
加齢による先代の引退で首尾よく司祭枢機卿の座に座る事が出来、直属の部下を手に入れて、クロノカイロス内に比較的小さいが自らの派閥すら作る事に成功した。
少なくとも本国内では彼の地位は盤石と言っても良かったのだ。
しかし、彼にはどうしても気に入らない事があった。 獣人の存在だ。
マクリアンは第十司祭枢機卿――つまりはモーザンティニボワールを担当するべき枢機卿。
それが任地に触れないと言うのは彼にとっては屈辱だった。
聖剣アドナイ・メレク。 彼が最もこの世で欲する物であり、手に入れてやろうと心に決めていた聖剣だった。
伝承に謳われる四色の輝き。 幻想的な光を放つ刃とその秘めた強大な特殊能力。
それを完全に扱える事が出来れば「在りし日の英雄」にすら単騎で届き得ると聞く。
彼はどうしてもアドナイ・メレクが欲しかった。 その為にはどんな事でもしようと心に決めていたのだ。
だからこそ、フシャクシャスラの攻略戦にも参加した。
勝ちさえすれば北方、第十の「王国」を司る地である――モーザンティニボワールに手が届く。
彼は内心の興奮を抑えつつも、フシャクシャスラへ挑んだのだが――
――そこからが何もかも上手くいかなかった。
過剰とも言える戦力と貴重な救世主の投入に外部から招致した二人の聖剣使いと現地の戦力。
これだけいてどうやって負けろと言うのだと絶対にして必勝の布陣。
当初、彼はフシャクシャスラなど、モーザンティニボワール攻略前の前哨戦程度に考えていたのだ。
しかし結果は惨憺たる有様だった。
救世主は全員死亡。 投入した戦力も大半が死亡か脱落。
最大戦力だった聖剣使いに至っては魔剣共々消滅する始末。
魔剣は消え去っても構わないが聖剣が消えたのは非常に不味い事態だった。
それにより辺獄に亀裂が発生。 虚無の尖兵の出現を許してしまったのだ。
それでもマクリアンにはまだ余裕があった。
彼の担当は第十。 責任は第九の生き残りに取らせればいいと考えていたからだ。
運命は自分を見放していない。 マクリアンは本気でそう考えていた。
犠牲が出た上、想定外の事態にはなったが、まだ挽回できる。
そう、何も起こらなければまだ挽回はできたのだ。 責任は全て第九の枢機卿に押し付ければ彼は無傷で済み、増援も気前よく送ってくれたのでモーザンティニボワールを落とす事は可能だ。
幸運な事にもう一人の聖剣使いも生き残っている。
お人好しそうな聖女を名乗る女を懐柔して獣人に嗾ければ――
そう考えていた彼の思惑は謎の襲撃によって脆くも崩れ去った。
念の為にと早い段階で街を離れた彼は巻き込まれこそしなかったが街は壊滅。
増援が間に合えばどうにかなったかもしれないが、到着まで持ち堪えられないと判断した彼は早々にその場を放棄。 北へと逃亡するしかなかった。
彼に残された戦力は数名の聖堂騎士と十数名の聖殿騎士のみ。
この戦力ではモーザンティニボワールへの侵攻など不可能だ。 身を潜めて待つ事も考えたが、航空戦力を保有している襲撃者達を相手に身を隠すのは難しいと判断し、その場を離れたのだった。
その後、増援が全滅した事を考えるのなら彼の判断は正しかったのかもしれない。
モーザンティニボワールへと向かったマクリアン一行は、国の西部へと向かい船を奪って大陸を離れたのだった。
目的は西のポジドミット大陸で体勢を立て直す為だ。
彼はここまで追い詰められておきながら未だに聖剣アドナイ・メレクを諦めてはいなかった。
本国へ報告を行うと即座に帰還命令が出て詳細な報告を求められるだろう。
それだけで済むのならそれでもいいが、責任を追及されると不味いと考えた彼は結果を出してから報告を行うと決めていた。
馬鹿正直に戻れば
戻れる訳がない。
当然ながら当てはあった。 ポジドミット大陸に存在するある組織。
そこと接触できれば道は切り拓ける。 少なくとも今の今までは上手く行っていたのだ。
どんな逆境に立たされようとも運命は自分を見捨ててはいない。
彼はそう考えて海へと漕ぎ出したのだった。
モーザンティニボワールを落とすつもりだったので周辺の情報は一通り頭に入っている。
それには海路も含まれており、危ない場面は何度かあったがどうにか海を乗り越える事に成功したのだ。
後はどうにか組織と接触して――
腹心の部下とも言える聖堂騎士が血を撒き散らしながら崩れ落ちた。
彼が最後の一人。 部下は全滅し、彼一人を残すのみ。
何故、こんな事になったのか欠片も理解できなかった。
「何故、何故なのだ……」
彼は今、人生で最大の絶望を味わっているからだ。
部下が全滅して命の危機に立たされている事? そんな事は目の前に現れた存在に比べれば些細な事だった。
襲撃者は異形の群。 だが、彼の部下を全滅させたのはその中のたった一人。
その存在に彼の部下は皆殺しにされた。
問題はその襲撃者が持っている武器だ。
有り得ない、あってはならない。 何故、それがこんな所にあるのだ?
いや、それ以前に何故、こんなにも渇望している自分を選ばない?
何故、こんな残酷な形で自分の前に現れるのだ? そして何故、こんな汚らわしい存――
――斬。
そこまでだった。
マクリアンは人生で最も渇望した輝きに焼かれその生涯を終える。
彼の命を絶った存在は何故か小さく肩を落として踵を返して去って行った。
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