第770話 「無悲」

ごくりとユルシュルの騎士の一人が唾を呑み込む。 兜に隠れて分からない者が大半だが、その表情には不安が浮かんでいた。 それには理由がいくつかあった。

 まず一つ。 いきなり転移させられ、仲間と分断された事だ。

 

 分割して転移させられたのでこの場に放り込まれたのは全体の約五分の一。

 味方が大きく数を減らした事で心細さを抱く者も多い。

 そしてもう一つ。 これが最大の不安要素だろう。


 彼等を取り囲んでいる軍勢にある。 植物で構成されたような竜――植竜。

 統一感のない巨大な異形であるレブナント達と巨大な黒犬――ジェヴォーダンの群。

 空中には飛行するコンガマトーが彼等の頭上を旋回している。


 彼等には相手の正体を理解はできていたのだ。

 オラトリアム。 何故なら彼等はそこに侵攻しようとしていた以上、それ以外にあり得ないだろう。

 ただ、人の形をした者が殆どいないのは彼等にとっては予想外だった。


 明らかに魔物の群れで、どうやったのかしっかりと統率されていると言う事実は彼等の不安を煽る。

 それでも彼等には魔導書がある以上、簡単に負けるつもりはない。

 

 だが、周囲と上を押さえられている状況は危険その物で、簡単に身動きが取れずに相手の出方を見る形になってしまっている。

 

 そして――異形の群の中で唯一まともな人型をしている存在が前に出る。

 美しい女だったが周囲にまともな生き物が居ないので、逆にその姿が異彩を放っていた。


 「ユルシュルの皆さん。 私はメイヴィス。 メイヴィス・マギー・ライアードと申します」


 メイヴィスは見る者を安心させるような柔和な笑みを浮かべ手を差し伸べる。

  

 「まずは皆さんを強引にこちらに転移させてしまった事をお詫びします。 ですが、これも話を聞いて貰うには必要な事と思い、このような手段を取らせて頂きました」


 それを見たユルシュルの者達は困惑の表情を浮かべる。

 メイヴィスの言葉には白々しさが一切なかったからだ。 少なくとも表面上は話し合いたいと言っているように見える。 与しやすいと判断したのか騎士の一人が声を上げようとしたが、続くメイヴィスの言葉に凍り付く。


 「この状況では貴方達に勝ち目はありません。 どうか投降してください。 抵抗をしないと言うのであれば無体な扱いはしないとお約束いたします」


 要は痛い目を見たくなければ降れとメイヴィスは言っており、彼等はその意図を正確に汲み取った。

 結局の所、メイヴィスは話し合いではなく降伏勧告を行っているだけなのだ。

 

 「な、舐めるな! 我等誇り高きユルシュルの騎士は貴様の様な者に屈しない! オラトリアムは魔物を使役する邪悪な存在だったと言う事が分かった以上、これは害獣の駆除だ! 貴様等こそ痛い目を見たくなければ降伏しろ! 素直にオラトリアムの内情を吐くなら命だけは助けてやろう!」


 騎士の一人が激高して叫び、メイヴィスに剣を突き付ける。

 メイヴィスは少し悲し気に表情を曇らせた。


 「……それを総意と取っても?」

 「くどい!」


 叫んだ騎士はそうだろうと同意を求めるように周りを見回す。 当然ながら異論を唱える者はおらず、追従するように頷く者ばかりだ。

 不穏な物を感じている者は少なからずいたが、この状況で裏切れるはずもなく、仮に裏切れば真っ先に味方に斬られるのが目に見えているので沈黙するしか選択肢がない。


 「分かりました。 そう言う事であるのならオラトリアムの軍を預かる将としてお相手致しましょう」


 メイヴィスは持っていた魔導書を展開。

 同時に周囲に布陣していた軍勢が一斉に襲いかかる。

 両者が激突したタイミングでメイヴィスは魔導書を起動。


 「 <第三エノク:章節ワイクラー 『慈愛カインドネス』>『Τηοθ汝が κινδνεσς隣人を υοθρ νειγηβορ自身 ας υοθ如く υοθρσελφ.愛せよ』」


 メイヴィスは魔導書を介して権能を発現させるが、明らかに他の魔導書と趣が違った。

 それもその筈だった。 彼女が使用している魔導書は天使を扱えるようにマイナーチェンジを施された代物で、権能も大罪ではなく美徳となっている。


 そしてその能力は――


 「くそ、どうなっている!」 「ダメだ! 何で死なない!?」

 「や、止めろ! 止めてくれ!」 「どうにかしてあの女を仕留めろ! 明らかにあいつが原因だろうが!」


 上空から火球を吐き出すコンガマトーが悪魔の魔法によって撃ち落とされるが、落下途中に逆回しのように損傷が復元され、再度上昇して攻撃を継続。

 首を落とされた植竜が崩れ落ちる前に落ちた首が胴体に戻り復活する。


 胴体を貫かれて斃れたレブナントの傷が塞がり再び立ち上がった。 

 

 ――影響下にある存在の傷を癒す。


 その再生能力はかつてヴェンヴァローカに存在した聖剣ほどではないが極めて高い。

 即死しない限りはどんな損傷も癒す慈愛の光。 それは術者であるメイヴィスの魔力が続く限り、彼等を守り続ける。


 そしてオラトリアムの改造種は痛覚がまともに機能していない者が多い。

 結果、苦痛を恐れず、殺しても死なない軍勢へと変貌した。

 メイヴィスの連れている戦力は割り振られた中でも最弱と言って良いだろう。


 だが、彼女の権能が効果を発揮し続ける間は、彼等こそがオラトリアムで最も頑丈な者達と言っても過言ではないだろう。

 最初こそユルシュルの者達もそれなり以上に戦えては居たのだ。 だが、殺しても殺しても復活する敵を相手に徐々に押し込まれ始めたのだ。


 持久戦になればどちらが不利かなどは分かり切っていたので、どうにか術者であるメイヴィスを仕留めようと突破を図る者も居たが、悉く阻まれ近づく事すら叶わない。

 やがて魔力が枯渇し、魔導書を維持できずにユルシュルの騎士達は一人、また一人と斃れて行った。


 完全に包囲した状態での戦闘なので逃げ場はなく、魔力が切れた者から順に脱落していく事となる。

 中には必死に命乞いをする者も現れたが、メイヴィスはその全てを無視。

 最初に宣言した通りに、ユルシュルが降伏勧告を受け入れなかった以上、彼女はオラトリアムの将として振舞うと決めた。


 そしてオラトリアムには図々しく領土に攻め込んで来た者達を生かして帰すような寛容さはない。

 

 「ま、待ってくれ! こ、降伏する! 頼む! 命だけは――」

 「さようなら」


 もう一割も残っていない状態で騎士が縋るように手を伸ばすが、メイヴィスは一言で切り捨てる。

 同時に全員の魔力が限界を迎え――動く者は一人もいなくなった。


 「……ふぅ、やはり戦はあまり気分の良い物ではありませんね」


 メイヴィスは権能を解除してそう呟くと部下に後始末をするように指示を出した。

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