第763話 「絶句」
「…………」
――絶句。
ゼルベルの状態を形容するにはこれ以上の言葉はないだろう。
目の前で何が起こったのか理解できない。 いや、理解したくないが正解かもしれない。
それほどまでに展開されている光景は理不尽極まりない物だった。
蹂躙。 文字通りの蹂躙だった。
異変が起こったのは左翼の先頭。 遠目に誰かが単騎で突っ込んで来たのは見えたが、次の瞬間にはゴミか何かのように騎士達が吹き飛んだのだ。
遠目に見れば赤い花が咲いたようにも見える光景だったが、ゼルベルは魔法で視力を引き上げていたのでそこで何が起こったのかを正確に把握できてしまっていた。
人間が熟れた果物のように簡単に弾け飛び、内容物を撒き散らす。
有り得ないし、あってはならない光景だった。
弾け飛んでいるのはただの兵ではない。 魔導書で強化された文字通りの魔人の集団の筈なのだ。
それを容易く屠るのはたったの一人。 聖剣を携えたクリステラのみ。
「な、何なのだアレは!? ば、馬鹿げている!? たった一人で、一人で――ゴホッ、ゴホッ」
我に返ってそう叫ぶが、余りの出来事に息が詰まったのかゼルベルは咳き込む。
あの良く分からない鉄の塊は一体何だ? 魔導書を使った騎士達がこうも容易く屠られるとは夢にも思わなかったので現状に理解が追いついていないのだ。
「ゼルベル様! あれは放置しておけません! どうにかせねば……」
「わ、分かっている! しかしあれはどうすればよいと言うのだ!?」
副官を務めている騎士――ダボリスの言葉にゼルベルが喚くように言い返すが、どうすればよいのかなど、考えるまでもなかった。
半端な数を当てても敵わない以上、総軍で叩き潰すしかない。 ゼルベルの脳裏に撤退の二文字がチラつくが駄目だと振り払う。 逃げられない、この状況で尻尾を巻いて逃げてしまえば完全に父に見放されてしまう。 それは駄目だ。 自分が
それだけを考えて生きて来たのだ。 可能性を投げ捨てる事を彼の矜持が許容しない。
呼吸を整え多少ではあるが冷静になったゼルベルは考える。 あの馬鹿げた武器は何だと。
魔導書を上回る程の代物ともなるとそうかからずに結論が出る。 聖剣、それ以外にあり得ない。
あそこまで圧倒的だとは思わなかったが、聖剣が出て来た時に備えて準備はしてある。
「総軍を以ってあの女を仕留める。 奴を仕留めれば後は雑魚の集まりだ。 疲弊はするだろうが充分に挽回は可能だ! 例の鎖と鞘を用意せよ!」
ダボリスは即座に頷いて通信魔石で戦場に指示を出す。
明らかにクリステラの動きは陽動だが、誘いに乗らざるを得ない。
それほどまでに聖剣の力は異常だった。 こうしている間にもクリステラは冗談みたいな巨大な鉄の塊を振り回してユルシュルの騎士達を粉砕し続けているのだ。
やれる事はただ一つ。 相手の想定を上回る事。
迅速に聖剣を無力化しクリステラを仕留める。 それ以外に彼等の生き残る道はなかった。
「一体何なんだあの女は? 聖女は王都から動いていない筈だろうが……」
ゼルベルは要警戒対象として聖女と聖剣については聞かされていたのだが、王都から動いていないとの事だったので聖剣は出てこないと考えていたのだ。
あの前線で暴れ回っているのが聖女か? もしや偽情報を掴まされた?
ゼルベルはそう考えたが、即座に否定。 聖女は決して素顔を晒さない事で有名だ。
聖剣らしき剣を振り回している女は堂々と素顔を晒している――というより、あの顔は有名なので誰だか直ぐに判別がつく。
クリステラ・アルベルティーヌ・マルグリット。
アイオーン教団でも最強と名高い聖堂騎士だ。 聖女の正体はあの女だった?
それも違うと否定。ゼルベルはバラルフラームの攻略戦の際、ユルシュル王と聖女のやり取りを見ていた。
求婚する王の要求を撥ね退けた際に、聖剣を持って居る所とクリステラと揃って居る所も見ている。
クリステラと聖女は別人の筈だ。
なら何であの女が聖剣を振り回しているのだと言う話になる。
「聖剣が選ばれた者にしか扱えないと言うのが間違いだった?」
鉄塊を纏っている所為で分かり辛いが、聖女の持っていた物と少し違うような気がする。
だとすると何らかの形で複製した類似品かもう一本あったかだ。
あんな物が複製できる訳がない。 なら後者で正解だろう。
「クソッ、二本もあるなんて聞いていないぞ……」
情報を寄越したベレンガリアに文句を言ってやりたかったが、ユルシュル王は結果を重視するので言い訳は通じない。 その為、ゼルベルにはもう選択肢がなかった。
物量で押し潰し、聖剣を奪う。 普通の人間であるクリステラが扱ってアレなのだ。
悪魔と融合した自分が使えば更なる力を引き出せるのは疑いようがない。
そう前向きに考えて強引に自分を鼓舞する。
指示が行き渡ったのかユルシュル軍の動きが変わる。 鶴翼の陣が崩れ、群がるようにクリステラへと殺到。
彼等も厳しい訓練を潜り抜けた騎士、一方的に叩き潰されるだけの存在ではなかった。
当然ながら規格外とは言え、長物の弱点も良く理解している。
それは何か? 答えは間合いだ。 懐に入られるとその長さ故に、容易く接近を許す事となるだろう。
ゼルベルの見ている前で十数名の騎士が刃を掻い潜ってクリステラへと肉薄。
それに対して彼女が取った行動は何か?
答えは彼等自身が身を以って味わう事になった。 鉄塊が地面に落ちて地響きが発生。
刃を掻い潜られた時点でクリステラは聖剣に纏わせた鉄塊を排除したのだ。
聖剣本来の真っ赤な刃が剥き出しとなる。 同時に腰の浄化の剣を抜き、聖剣との二本で迎え撃つ構えを取った。
騎士達は間合いに入れば分があると内心でほくそ笑む。 集団戦の訓練は散々やって来たのだ。 この乱戦でもお互いの足を引っ張り合う事はないだろうと確信している。
魔導書を用いた彼等の身体能力を以ってすれば百メートルの距離は一息に詰められる些細な物だ。
即座に間合いが消え去り――ゼロになった瞬間、彼等の命も消し飛んだ。
間合いに入ったと認識したと同時に最初に到達した者の首が宙を舞う。 クリステラの動きは悪魔と融合して人外の領域まで押し上げられた彼等の目を以ってしても捉えきれる物ではなかった。
騎士達は間合いに入った順番に首を刎ねられ、胴体を両断される。
辛うじて反応できた者も武器ごと切り捨てられた。
聖剣の一撃は彼等の防具と肉体で防げるものではなく、当たれば確実な死が待っている。
ならばと取り囲むように散開。 いくら早くても武器は左右の剣。
数の利を活かすべきだとタイミングを合わせ、波濤のように攻めかかる。
――が無駄だった。
クリステラの左右の目がギョロリと別々に動き彼等の動きを完全に捉え、全ての攻撃を紙一重で全て回避。 危うい距離で躱しているのは余裕がないからではなく、完全に見切られているからと言う事を理解した騎士は居ない。 何故ならそこに思い至った者から順に死んでいくからだ。
十人、二十人、三十人と次々と切り刻まれるユルシュルの者達。
切り捨てられた数が二百を超えた辺りで間合いに入る者が居なくなり、遠巻きに囲むだけになってしまった。 それだけ彼等にとって目の前の女は脅威だったのだが――
「……ところで、私にばかり構っていて良いのですか?」
クリステラがそう呟くと同時にユルシュルの者達の頭上に大量の魔法が降り注いだ。
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