第730話 「山進」

 アタルアーダルからヴェンヴァローカへと向かっている一団があった。

 特徴的なエンブレムが刻印された装備を身に纏った者達はグノーシス教団の増援だ。 彼等の役目は辺獄内部に発生した闇の柱の排除と、センテゴリフンクスを橋頭保としたリブリアム大陸北部――獣人の国であるモーザンティニボワールへの侵攻。


 一国を相手にするつもりだけあってその人数は十数万を越える膨大な人数となる。

 比較的平坦な地形のアタルアーダルとの国境を越えると険しい山道が続く。

 ヴェンヴァローカは山岳地帯にあるだけあって、道も狭く制限される。


 その為、軍勢を分けて三つのルートを通ってセンテゴリフンクスへと向かう。

 本来ならフシャクシャスラ攻略後、そのままモーザンティニボワール侵攻戦へと移行するつもりだったので、今回用意された戦力は教団本国からすれば想定外の出兵となる。


 元々、予備で用意していた部隊と本国の戦力の一部を加えた軍勢で、先発の部隊と比べれば質はいくらか落ちる。 その証拠に救世主は含まれておらず、聖堂騎士の数もそう多くはない。

 

 ――にもかかわらず戦力を用意した理由は聖剣と魔剣にある。


 第九の聖剣シャダイ・エルカイと魔剣リリト・キスキルが消滅した以上、残った第十の聖剣アドナイ・メレクと魔剣ナヘマ・ネヘモスを押さえておきたいといった思惑に加え、現在センテゴリフンクスに滞在している聖女から聖剣エロヒム・ツァバオトを取り上げる事を目的としているからだ。


 魔剣もそうだが、聖剣は教団にとって必要な物である為、彼等の聖剣に対する執着は強い。

 三つに分けた部隊の一つの指揮を執っていたアンドレス・アルゴ・アスタルロ聖堂騎士は山道を進みながら小さく息を吐く。


 彼が指揮する部隊が進む道は真っ直ぐ山岳地帯を抜けるルートの為、距離こそ短いが最も険しい道程となる。

 大陸中央部のやや南寄りに広がる森林を抜けて山へと入り、そのままセンテゴリフンクスを目指すといったコースなのだが――彼は周囲を見回す。

 

 皆の疲労が濃い。 聖殿騎士以上の者なら自前で疲労を抜く魔法道具や魔法薬を予め持ち込んでいる者も多いが、聖騎士以下となるとそうもいかない。 彼等の給金はそう高くないので、高価な魔法道具や消耗品を購入する余裕がないのだ。


 聖騎士はまだマシではある。 この行軍で最も負担がかかっているのは荷の運搬や現地で工兵の役目を担う聖騎士見習いや雇い入れた専門の者達だろう。

 森では魔物の襲撃も多く、神経をすり減らした所でこの山道だ。 徐々に遅れて来る者も増えて来た。

 

 定期的に小休止を取って休ませているが、行軍速度にも影響が出始めているのでアンドレスは不味いなと苦い表情をする。 道が険しいとはいえ、距離が最も短いルートを選んでいる以上は真っ先に到着しないと他に対しての面子が立たないと考えていたからだ。


 彼は本国に所属している聖堂騎士で、就任してから日も浅い。 その為、自分の経歴に箔をつける為にこの作戦に志願したのだ。

 自分から行くと手を挙げた以上は最良の結果を出しておかなければ不味い。

 聖騎士を職業と捉えている者は上昇志向が強い。 アンドレスも例に漏れず、頭にあるのは出世に対する欲望だ。


 彼等の様な自らの肉体が資本と考えて成り上ろうと野望を抱く者はグノーシス教団の門を叩く事が多い。 聖堂騎士にまでなり上がれれば、生活には不自由しない給金が支払われるからだ。

 聖殿騎士でも生活するだけなら充分だが、そこで満足する者は少ない。


 アンドレスの目標は救世主か枢機卿。 このどちらかの役職を目指している。

 何故ならこの二つは国の重鎮並みの待遇を受けられる上、貰える給金は文字通り桁が違う。

 その上、専門の護衛を付ける事も許され、本国に屋敷を与えられる。


 彼にはそれが非常に魅力的に映っているのだ。

 

 ――ただ、彼は知らなかった。 救世主には特別な適性を、枢機卿には徹底した信仰心を求められる事を。


 そして信仰心とは教団の為に命を捨てる覚悟と、生殺与奪の全てを委ねる事が含まれている。

 知れば早々に諦めたのかもしれなかった。 ただ、幸か不幸か彼にはそれを知る機会は訪れない。


 何故なら――この先で彼には避けられない運命が待ち構えているからだ。


 異変が起こったのは、片方が崖で落ちれば助からないような高さの慎重に進む必要がある道を通っていた頃だろうか。

 最初に気が付いたのは先頭を進んでいる聖殿騎士達だった。


 彼等は崖を意識しつつ、崩れないかの確認をしながら先行すると言うのが役目で、安全を確認した後に後続を誘導する役目も担っていたのだが、遅れる事を嫌ったアンドレスの意向で少し離れた所には既に後続が付いてきていたのだ。


 何の為の安全確認だと一人の聖殿騎士が嘆息する。

 彼等も人間である以上、不満もたまるし、愚痴の一つも零す。


 「アスタルロ聖堂騎士にも困った物だな。 これじゃ俺達が先行する意味がない」 

 「……あの人の点数稼ぎにも困った物だな」

 「露骨に手柄を欲しがっていたからなぁ。 知ってるか? あの人、この道を選んだのは最初に到着して他より強い発言権を手に入れようとしてるって話だぞ」

 「……信じられん。 そんなのでよく聖堂騎士になれたな」

 

 先頭を行く二人の聖殿騎士は話しながらも足元に注意を払う。

 何度か軽く踏んで崩れないかのチェックをしながら歩く。

 

 「まぁ、あんなのでも腕は立つからなぁ。 大方、戦力として評価されたんだろ? 向こうには枢機卿が居るって話だし、覚えをめでたくしておきたいってのもあると俺は睨んでるね」

 「……嘆かわしい。 聖堂騎士ともあろう者がそんな俗な事を――」

 「お二方、私語はそれぐらいにして任務に集中されてはどうですか?」


 二人の会話に別の聖殿騎士が割り込む。 声からして女性。

 彼女の声にはそこまで険がなく、窘めているといった口調だった。

 

 「そう言うなよ。 俺達は教団の明日を憂いているだけだ。 それにお前も他人事じゃないんじゃないか?」

 「どう言う事です?」

 「アスタルロ聖堂騎士は好色でいらっしゃる。 下手すれば夜伽でも仰せつかるんじゃないか?」


 女は小さく肩を竦める。

 

 「知っていますよ。 気付かれてないと思っているのかは知りませんが、話していると私の胸と腰に露骨に視線が行きますからね」

 「何だ知っていたのか。 狙っているって専らの噂だったから、平然としているのは知らなかったからとばかり思っていたが……」

 「あぁ、一応言っておきますが、体を使って取り入るなんて真似はしないし、させませんからね。 私にも選ぶ権利ぐらいはあって然るべきでしょう」

 

 彼女も聖殿騎士、騎士としての矜持はある。 身体で取り入るのは主義に悖ると言いたいようだ。

 それを聞いて二人はご立派と肩を竦めた。


 「ご立派だよ。 ま、俺達は地道にやって――おい、何だアレは?」


 不意に視線を上げると道の先に見慣れない何かが居た。

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