第685話 「間合」
五枚目の羽が展開したと同時にヤドヴィガは更なる劣勢に立たされる事となった。
咄嗟に聖剣で首を守る。 重たい斬撃が聖剣越しに伝わり、高熱が彼女を焼く。
敵は執拗に首を狙って来るので、何とか攻撃を凌げていた。
ひたすら首を守り続けるが――
「が、ぎぃ」
防いだと同時に守っていない箇所が切り刻まれた。
首を守った次の瞬間に腹を斬り裂かれる。
首を守った次の瞬間に腕が斬り裂かれる。
首を守った次の瞬間に足を斬り裂かれる。
首を守った次の瞬間に胸に剣を突き立てられ体の内側から炎に包まれる。
敵の動きが良くなっただけじゃない、炎や権能の威力も大幅に強化されていた。
もう何十回も死んでいるであろう損傷を受けても聖剣シャダイ・エルカイは使い手を癒し、その命を守る。 腹を裂かれれば即座に塞がり、腕や足が切断されそうになれば体から離れる前に接合され、炎に包まれた臓腑や皮膚は逆戻しのように元に戻って行く。
だが、聖剣は傷を癒すが、痛覚まで消してくれる訳ではない。
その為、彼女は凄まじい苦痛に曝され、脂汗を掻きながら荒い呼吸を繰り返す。 その様子を見れば、加護は守るというよりは死を許さない呪いとも取れるのかもしれない。
そして辺獄である以上、聖剣はそのポテンシャルを十全に発揮できず、再生する度に彼女の魔力を貪って疲労を積み上げる。
もう、この時点で彼女は一対一では絶対に勝てない事を悟っていたが、逃げるなんて真似はできない。
明らかに目の前の辺獄種はヤドヴィガを通過点としか見ていないからだ。
その攻めと面頬越しの憎悪と怒りと言う二色の激情に彩られた視線を見れば誰にでも分かると理解できた。
こいつは自らの存在が消滅するその時まで生きている者を殺し続ける。 そう確信できる程だった。
「何だってんだい! あんたは何がそんなに憎いってんだ!?」
聖剣で斬撃を返しながら思わずヤドヴィガはそう叫ぶが、返答は炎と腹を裂く横薙ぎの一閃。
もう防具は損壊して使い物にならなくなっており、もう何度目になるか思い出せない苦痛が彼女を襲う。
戦闘を始めてそんなに時間が経っていない筈なのに、持っていた魔法道具や護符、魔法薬は全て損壊するか使い切ってしまった。
そして聖剣使用と蓄積したダメージにより、数日が経過したかのような凄まじい疲労が圧し掛かる。
――いい加減、限界だ。 聖女ハイデヴューネはまだ来れないのか?
この状況では援軍に期待せざるを得ないのだが、来ない事を鑑みると後ろで何かあったと言う事は容易に想像できる。
敵の激しい攻勢も相まって自分を早く始末したいといった思惑がある事もヤドヴィガは理解していた。
だからこそ耐える事がこの場における最適解だと理解していたのだが――
「それもきつくなってきたねぇ……」
逃げる事も出来ないので、そろそろ死という単語が脳裏を過ぎる。
その事に恐怖はない。 傭兵として生きてきた以上、彼女は多くの命を奪って来た。
死ぬとしてもそれが自分の番と言う事だろうと、死それ自体は受け入れる覚悟はある。
だが、自分の後ろにはまだ生き残っている聖騎士達や、センテゴリフンクスにそこで生活するヴェンヴァローカの民が居るのだ。
これが自分だけの問題であるなら彼女はもうとっくに諦めて死を運命として受け入れたのかもしれない。 しかし、しかしだ。
聖剣シャダイ・エルカイの担い手たるヤドヴィガ・ポポリッチの死は多くの民の死と同義という事実が彼女に斃れる事を許さない。
数多の命を背負う。 そんな覚悟を抱けるからこそ、彼女は聖剣を扱えているのかもしれない。
白金の聖騎士はとどめを刺すべく追撃をかけようとして――動きを止めた。
時間切れと言う事を理解したからだ。
即座にバックステップ。 同時に無数の水銀の槍が降り注ぎ、白金の聖騎士が居た場所に次々と突きささる。
視線はヤドヴィガの先――彼女の背後だ。
そこにはもう一本の聖剣を携えた聖女ハイデヴューネがいた。
彼女は息を切らせながら聖剣エロヒム・ツァバオトを構え、兜のバイザー越しに白金の聖騎士へ鋭い視線を向ける。
「た、助かったよ」
「遅くなってすみません」
ヤドヴィガは息も絶え絶えと言った様子だったが、闘志はまだ消えていない。
聖女もそれを見て間に合ってよかったと胸を撫で下ろす。
「後ろはどうなってるんだい?」
「かなり酷いですね。 侵食がかなり進んで砦は呑み込まれました。 放置しておけばそう遠くない内にセンテゴリフンクスまで伸びるでしょう」
「――だったら早い所、こいつを片付けて魔剣って奴を何とかしないとねぇ!」
ヤドヴィガは吼えるようにそう言うと聖剣を白金の聖騎士へと向ける。
虚勢に近いが、自らを鼓舞するように彼女は不敵な笑みを浮かべた。
聖女も小さく頷いて聖剣を握る手に力を込める。
――対する白金の聖騎士は――
左腕に巻き付いている鎖を一瞥するが、内心で小さく首を振って手に持つ剣を構える。
表面上は静かだが思考は怒りで煮えたぎっており、それはエロヒム・ツァバオトを見た瞬間、更に過熱する。
何故なら彼にとっては、不快なシャダイ・エルカイを見せられるより盟友を手にかけて持ち出したであろうエロヒム・ツァバオトを見せられる事の方が許容できないからだ。
盟友を傷つけられて、どうして平静で居られようか。
辺獄種の肉体ではこれ以上の権能の並列起動は負担が大きい。
切り札を使えばこの状況でも充分に跳ね返せるが、可能であればまだ切りたくない。 特にシャダイ・エルカイが居る状態で使用する事は目的の破棄に近いからだ。
一刻も早く目の前の連中を消し去りたいといった怒りとこの先を踏まえろと言った冷静な感情。 そんな二つの思考が鬩ぎ合った結果、彼に硬直と言った姿勢を取らせた。
傍から見ればヤドヴィガの方が消耗していたが、余裕がないのは彼の方だ。
『■■』の権能まで使って追い込んだのに凌ぎ切られたのは彼にとって予想外だった。
お陰でエロヒム・ツァバオトとの合流を許してしまったのは、失策と言わざるを得ない。
これだけ早く戻ってきたと言う事は彼の狙いを読んだ上で急いで戻ってきたのだろう。
どちらにせよ切り札を持ち出すと侵食が制御できなくなる。
その為、彼は更なる無理を通す事を選択。
『
左側に三枚目の羽が出現。 青の混ざった黒い霧がその羽から噴き出す。
同時に負荷がかかり、全身が軋みを上げる。 三天と三冠の同時運用。 生前ならこの程度で体が悲鳴を上げるなんてことはなかったが、今の肉体では安定して運用するにはこれが限界だろう。
身体の末端が負荷で崩れ始めている事を感じていたが、彼は構わずに権能を解放。
勝負に出る事にした。 恐らくこれを凌がれればもう覚悟を決めるしかない。
彼は思考の片隅に幾ばくかの不安を抱えつつも聖剣使い達に斬りかかって行った。
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