第665話 「状況」

 「ハイデヴューネ・ライン・アイオーンです。こちらは聖剣エロヒム・ツァバオト。 兜を脱がない無礼をお許しください」


 そう言って聖剣を見せながら僕は籠手を外した後、差し出された手を握る。

 ヤドヴィガさんの手はゴツゴツしていたけど、とても暖かかった。


 「顔が見られないのは残念だけど、何だかアンタとは仲良くやれそうだよ!」

 「ははは、こちらこそよろしくお願いします」


 正直、兜を脱がない事に不快な思いをされるかもと思ったけど、全く気にした素振は見せない。

 ちらりと他へと視線を向けると、ヴェンヴァローカ側の人は少し僕への視線に不快気な物が混ざっていた。

 当然の反応とは思うけど、それを笑い飛ばすヤドヴィガさんに僕は内心で感謝しつつ話を続ける。


 「えっと、では早速ですが話に移りましょうか」

 「あぁ、色々と悪い知らせばかりだったからアンタが来てくれたおかげでまだまだ頑張れそうだよ」


 そう言いつつヤドヴィガさんは僕に席につくように促し、彼女も近くに着席。

 ジャスミナさんが隣の席へ着き、リリーゼさん達は僕の近くで控える。

 全員が定位置に着いた所で話が始まる。


 ……話と言っても僕達に向けた説明なんだろうけど……。


 ヴェンヴァローカの代表らしき人の一人――人間の女性が机に置いた地図を広げて、皆に見えるように壁に貼り付ける。

 

 「私はヴェンヴァローカ代表の一人、ロレッタ・ホスファ・コントレラスだ。 では、異国より来られた客人に現在の戦況説明を行う」


 事の起こりは辺獄の領域フシャクシャスラからの辺獄種の氾濫だ。

 存在こそ知られていたけど、今までこんな現象は起こらなかったので当初は随分と混乱したらしい。

 とはいってもヴェンヴァローカは獣人と人間が混在した国。


 両種族の混成軍は精強で、辺獄種の侵攻に対しても問題なく対処できていた。

 その辺獄種も最初の内は日に数度、特定の範囲内で無作為に湧くといった印象だったようだ。

 戦闘力も大した事はなく撃破も容易と、そこまで聞けば僕達要らないんじゃないかと思うのだけど……。


 変化があったのはしばらく経った頃だ。

 フシャクシャスラは切り立った岩山が多い地域で進行する為の経路が極端に少ない。

 その為、位置の関係で現れた辺獄種は南ではなくまず北に向かう事となる。


 稀に南部のアタルアーダルに少数ながらも現れるが、ほぼ全てヴェンヴァローカに向かう。

 ヴェンヴァローカが独力で対処していた理由の一つだ。

 魔剣の事もホルトゥナからの情報提供で把握していたので、迎撃しつつ逆侵攻の準備を進めて居た頃だった。


 即座に踏み切らなかったのは高い確率で魔剣の直衛についているであろう「在りし日の英雄」の存在だ。 撃破には相応の戦力か聖剣を持ち出す事が必須となる。

 そこで彼等は国内に安置されている聖剣シャダイ・エルカイを持ち出す事になった。


 残念ながら当時は使い手が選定されておらず、ヤドヴィガさんはその頃はただの傭兵として前線で戦っていたらしい。

 持ち主が中々決まらなかった事により防戦一方となっていたのだけど、彼等にはまだまだ余裕があった。 辺獄種の撃退が容易だった事もあって、しばらくは問題ないと踏んでいたからだ。


 そしてその日が訪れる。 唐突に辺獄種の攻勢が激しくなったのだ。

 激しくなった理由はいくつかあったが、大きな理由は二点。

 辺獄種の出現量が激増した事。 それにより、普段の量と思っていた迎撃部隊の処理能力を大きく越えてしまい、瞬く間に劣勢となった。


 そしてもう一点。 これが最大の問題だ。

 質の向上。 一部に異様なほどに動きのいい辺獄種の出現。

 基本的に辺獄種は知性もなく手近にいる生者に襲いかかるだけの存在だったのだけど、その時から現れた者は違った。 まるで人間のように高度な指揮を執っており、物量の増加で劣勢となった場面でそれは致命的だった。


 防衛線は即座に喰い破られ、侵攻を許す事となってしまったのだ。

 それでもヴェンヴァローカは何とか立て直して防備を再構成。 何とか首都であるセンテゴリフンクスまで雪崩れ込まれる事にはならなかった。


 今思うと連中は機を窺っていたとロレッタさんは語る。

 戦力を小出しにして油断させ、最大の効果が出る時を狙って一気に攻勢に出るといった作戦は確かに狙っていたとしか思えない。


 その後は本当に酷かったらしい、凄まじい攻勢でヴェンヴァローカは独力での勝利は不可能と判断してグノーシス教団と隣国アタルアーダルへの救援依頼。

 これを受けて両勢力は即座に援軍を派遣。 合同で事に当たったが、抑えるだけで精一杯で押し返す事は叶わなかった。

 

 そんな時だった。 ヤドヴィガさんが聖剣に選ばれたのは。

 早い段階でグノーシス教団から聖剣の引き渡し要求があったので、取られる前に何とか自前で扱える者を選出しようと広く公募した結果らしい。


 これは後でジャスミナさんに聞いた話だけど、グノーシス教団は聖剣を執拗に欲しがっているので、引き渡してしまえばもう帰って来ないのが目に見えていたそうだ。

 ホルトゥナもグノーシス同様に聖剣や魔剣を拘束する鎖を保有してはいたけど、そんな状態の聖剣を投入しても戦力にならないのは分かっていたので使用はしなかった。


 ヤドヴィガさんの参戦により戦況は何とか膠着まで持って行けたけど、それでも押し返すのは難しい状況だったようだ。

 彼女を中心に決死隊を組んで突入させるという案もあったが、失敗した場合全てが終わるので簡単に踏み切れない。 そこで戦力増強の為、ジャスミナさんの妹がグノーシスに掛け合って本国の戦力を少し動かして貰えるように要請し、ジャスミナさんがウルスラグナで僕達への協力を取り付けようとしたのが今回の経緯のようだ。


 話の裏には彼女達の勢力争いも含まれては居るのだろうけど、戦力をかき集めるのは悪い判断じゃない。

 

 「――と言うのがヴェンヴァローカの現状だ。 それともう一つ懸念があってな……」


 懸念と言うのは辺獄種に制圧され、彼等の勢力圏内となった場所だ。

 魔法か何かなのだろうけど、濃い霧に包まれており、中がどうなっているか窺い知れないのだ。

 突入に踏み切れない理由の一つでもあった。


 霧の先がどうなっているかが不明な以上、確実に勝利できる戦力をかき集めて総力で当たると言うのが彼等の考えのようだ。

 

 「そう言う訳で、貴女達には総力戦に加わって貰う事になる」


 ロレッタさんはそう言って話を締めた。

 表情で僕に質問はあるか?と尋ねる。 僕は特に無かったので首を振った。

 こうしてこの場はお開きとなったが、胸には少しの不安が渦を巻く。


 二度目の辺獄。 前回はかなりの綱渡りだったが、今回は無事に勝てるのだろうか……。

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