第613話 「目線」

 マネシア・リズ・エルンストは物陰から戦闘の推移を見守っていた。

 その視線の先ではクリステラとモンセラートの激しい戦闘が繰り広げられている。

 魔法で聖殿騎士に化けて撹乱を行い、横槍が入り辛くしてクリステラと合流しようとしたのだが、連絡を取った彼女からの返事は「手出し無用」だ。


 当初は援護に入るつもりだったが、戦っている相手を見て事情は凡そ察した。

 クリステラと戦っている羽を背負った少女の顔に見覚えがあったからだ。

 街でよくクリステラと歩いているのを見かけ、彼女から話を聞いていたモンセラートと言う少女だろう。


 その彼女が聖剣を携え、背に真っ赤な羽と頭上に光輪を付けている所を見ると、その正体は話に聞く司教枢機卿だったのだろうと察しがついた。

 実際、ウルスラグナの司教枢機卿の正体が年端もいかぬ少女だった事を考えるとなんら不自然な話ではないからだ。


 ――だが何故――


 枢機卿は基本的に聖堂から外に――いや、表に出てこないはずだ。

 それが正体を隠してクリステラと一緒に行動していた理由は一体――? 

 マネシアは疑問を感じながらも戦闘の様子から視線を外さない。


 クリステラの凄まじい速度の斬撃とまともに打ち合っているモンセラート。

 恐らく何らかの方法で強化されているのは分かるが、改めて見ると凄まじい。

 動きをだけ見れば素人丸出しにもかかわらず、ここまで拮抗できているのはそれだけ強化の効果が高い証拠だ。


 付け加えるなら体格に見合わない聖剣を雑とは言え振り回せている点も強化の凄まじさを物語っている。

 クリステラが執拗に間合いを詰めようとしているのが鬱陶しいのか、大振りで追い払うように距離を取らせるような動きをしていた。


 間合いを離したところで聖剣を突きつける。

 同時に聖剣の周囲に鉄でできた矢のような物が出現。 次の瞬間には凄まじい速さで発射。

 クリステラは射線を見切っているのか、危なげなく躱して離れた間合いを詰める。


 その繰り返しだが、クリステラは徐々にではあるがモンセラートの動きを見切り始め、攻撃の頻度が上がっている。

 モンセラートもそれを自覚しているのか表情に焦りのような物が混ざり始めた。


 ――勝てる。


 マネシアから見てもそう思えるぐらい目の前で繰り広げられている戦いはクリステラが優勢だった。

 この調子で行くなら後数度の攻防で決着がつくだろう。

 だが、聞いていた話と違うと少し訝しむ。


 枢機卿は凄まじい力を振るうと聞いていたが、そこまでではないのだろうか?

 クリステラが少し間合いを離した所で真っ直ぐに剣の切っ先を突きつける。


 「モンセラート、躊躇いがあるのなら剣を引きなさい」

 「『何よ! 私は――』」

 「手を抜いているとは言いませんが、貴女は何か奥の手を隠し持っていて使っていない」


 クリステラがそう言うとモンセラートは言葉に詰まる。

 

 「……恐らくですが、それを使えば私を簡単に殺せるのでは?」

 「『つ、使うまでもないからよ! 私が本気出したら貴女なんて瞬殺よ!』」


 クリステラは無言で悲し気な視線を向ける。

 モンセラートはその視線に耐え切れなかったのか、そっと目を逸らした。


 「『そうよ! あるわ! もう一つの権能を使えば多分、貴女は死ぬわ! でもしょうがないじゃない! 貴女を殺したくないのよ!』」


 そう叫ぶモンセラートの声は震えており、目尻には涙が溜まっていた。

 

 「『あれからずっと貴女に言われた事を考えたの……。 「自分の目で見て、自分の心で判断するべき」それは周りの誰も言ってくれなかった事だったわ』」


 モンセラートはクロノカイロスに存在する孤児院で育ち、ある日に枢機卿としての適性を見込まれて教団の上に引き上げられた身だ。

 今の年齢になるまでの数年間で枢機卿として必要な知識、教養、立ち振る舞いと言った全てを叩き込まれた。


 彼女は身寄りのない自分を引き取って育ててくれたグノーシス教団には感謝している。

 だからこそ枢機卿へなる為に必死に学び、海を越えてアラブロストルまで来たのだ。

 それでも――漠然とした疑問は彼女の胸の中に残っていた。


 周りは皆、そうする事が正しい、教義こそが絶対と口々にそう言い、その筆頭として振舞う事を求める。

 モンセラートは気持ちとは裏腹にその役目をそれなり以上に果たしたと言えるだろう。

 天使をその身に降ろす事も行い、教団に貢献して来た。


 司教枢機卿の役目は天使をその身に降ろし、その知識を引き出す事だが、モンセラートは未だにその役目を完全に果たせているとは言えない。

 力――権能を得る所までは行ったのだが、それ以上に至る事は叶わなかった。


 結局、今のモンセラートでは権能使用と微かな声を聞くので精一杯だったのだ。

 聞けば他の司教枢機卿はもっと深い所まで至り、知識の一部を得たといった話も聞いたが、モンセラートは特に焦りも感じず、羨ましいとも思わなかった。


 それは胸中に蟠っている疑問の所為だろう。

 モンセラートは枢機卿としての役目をこなす傍ら、ずっと考えていた事があったのだ。

 これは本当に正しいのか? 自分はこれで良いのだろうかと。


 彼女はここまで他人に言われた事に流されて来てしまったのだ。

 だからこそ本当に流されるまま進んでも良いのだろうか? そんな疑問が消えないのだ。

 先日、本国から聖剣と共に引き上げるよう指示が来ている事もその考えに拍車をかける。

 

 ――私は何一つ自分で決めていない。


 自分は本当に人生を生きているのだろうか?

 形にならなかった疑問に切っ掛けをくれたのがクリステラだった。

 自分の目で見て、自分の心で判断するべき。 それは今まで誰も教えてくれなかった事だ。


 それはどんな教義よりも彼女の心に響いた。

 だからこそ、彼女には分からなくなってしまったのだ。

 聖剣は教団にとって大切な物。 だが、その教団に対する不信感が芽生えた今、そこまで必死になって守ろうという気が起きないのだ。


 そして今となっては胡散臭いとさえ思い始めたモンセラートは、簒奪者で在る筈のクリステラに対しての戦闘意欲すら欠いていた。 その証拠に彼女の権能による強化は本来こんな物ではなく、能力を完全に発揮していればクリステラでさえついて行くのが難しい程の身体能力を発揮しただろう。

 それが出来なかったのは彼女に取ってクリステラと言う女はまともに目線を合わせて話してくれた初めての友人であり、短い間ではあったがかけがえのない時間をくれた恩人でもあったからだ。

 

 ――だから――


 「……ふぅ、何だか必死に守っている事が馬鹿らしくなったわ」


 そう言って天使との繋がりを絶ち、光輪と羽が消失。


 「私の負けでいいわ」


 モンセラートは少しだけすっきりした表情でそう言った。

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