第573話 「約束」

 アムシャ・スプンタは混乱の只中に居た。

 訳が分からない。 自分が何故吹き飛ばされたのかが理解できなかったからだ。

 何が起こったのかだけは辛うじてだが分かった。 斬撃を掻い潜って掌底を一撃。


 彼の鎧の付加効果と聖剣が反応するより早く撃ち込んだ事により、防御をすり抜けたのだ。 

 それを成したローは小さく俯いたままその表情は窺い知れないが、その後に取った行動はアムシャ・スプンタの予想を超えていた。


 魔剣を鞘に納めたのだ。 戦闘態勢を解いた? 否、その証拠に静かに無手で構えを取る。

 アムシャ・スプンタは即座に起き上がり、聖剣を構えるが内心の動揺は収まらなかった。

 その最大の理由は相手の雰囲気が大きく変わったからだ。


 今までは無機質な殺意と言うべき圧力を振りまいていたが、今はそれが鳴りを顰めて完全に消え失せている。

 殺気や闘気の類すら感じられない。 静かな湖面を思わせる静謐さを湛えていた。

 若干その雰囲気に呑まれかけたが自分のやるべきことを思い出して奮起。

 

 聖剣を握る手に力を籠め、自らの装備に魔力を通して全ての機能を解放。

 特に防御機構は全開にする。 こうしておけばさっきのように起動前に攻撃を喰らうと言う事はない。

 防御さえ固めれば、自分と聖剣の力が負ける事はあり得ないのだ。


 彼はそう確信しているし、これからもそうだと固く信じていた。

 何故なら彼は少女との誓いを果たす事こそが自らの生きる意味だと定義しているからだ。

 それは仮にこの世界が滅んだとしても変わる事はないだろう。


 だが、彼女の生きた証であるこの国が滅ぶ事はあってはならない。

 だから――だからこそ、自分は勝ち続けなければならないのだ!

 アムシャ・スプンタは渾身の力を踏み出す足に込めて一歩を踏み出した。


 鎧の機能を全開にしたその身体能力は転生者のそれを大きく凌駕し、離れた距離を瞬きの間に埋めてしまう。

 そして繰り出される斬撃は紛れもなく神速。 反応できる者は世界でもそう多くないだろう。

 

 だが、聖剣と相対した男の取った行動はアムシャ・スプンタに取っても見慣れぬ物だった。

 ローは地面に足で小さく円を描き、それを踏みつける。

 円から小さな光が立ち上り、その体を包み込む。 同時にアムシャ・スプンタが間合いに入った。


 斬撃がその体に食い込――




 「<九曜ナヴァグラハ 虚空蔵菩薩ガガナガンジャ “改” 『電光でんこう』>」




 ――それは聖剣によって極限まで身体能力を強化されたアムシャ・スプンタですら正しく認識できない動きだった。 彼には何かが光ったように見えた。 本当にそれだけしか感じられなかったのだ。


 そしてもう一つ認識出来た物、それはローの表情だった。 まるで人間のように真っ直ぐに前を向いたその力強い眼差しを。


 同時にその一撃が結果を叩きつける。


 それはかつて仲間と子供達の為に戦った男が放った最強の拳。 戦友から託された極伝・・の一。

当時、世界に数多存在し、男の前に立ち塞がった絶望の闇を打ち払い、希望と勝利を齎した明星の一撃。

 

 音はしなかった。 完全な無音。

 果てしなく長い一瞬の後――アムシャ・スプンタの鎧と、このフロアに存在する床から上にあった物体が全て消滅した。






 その時、その瞬間、オフルマズドに居た全ての存在はそれを目撃した。

 王城の上部が音もなく消し飛んだのだ。 そして一瞬の静寂と共に凄まじい轟音。 

 衝撃波はオフルマズド全域に伝播し、その場に居た敵味方の全てを薙ぎ倒した。


 最後に国の上空に展開していた障壁が消し飛び、オフルマズドを囲んでいた外壁内部で衝撃の負荷に耐え切れなかった障壁を維持していた装置が破損。 無数の爆発が起こり、その現象は収束。 その場に居た全ての存在が呆然とし、最も早く立ち直った者でさえ数秒の時間を必要とした。

 





 「――ば、馬鹿な」


 アムシャ・スプンタは鈍く痛む全身に鞭打って身を起こす。

 そして砕け散った鎧を見て、呆然と言葉を零す事しかできなかった。

 幸いにも彼自身の肉体は全身に鈍い痛みこそあるが大きな傷はない。 それには理由があった。


 鎧の内部には無数の魔石や魔法道具が内蔵してあり、中には装着者のダメージを肩代わりすると言った物もあったのだ。 特に安全面にはかなり力を入れた造りだったので、内蔵した魔石の数割――数にして五十近い大小様々な魔石が彼の傷を肩代わりしてくれる。


 どれも高い品質の魔石で即死するであろう衝撃からですら守ってくれる高い性能を誇る代物だったのだ。

 つまり、彼は五十回は死ぬほどの攻撃を受けても問題がなかった――筈だったのだが、その魔石の全ては拳によるたった一撃の前に全て砕け散っていたのだ。


 ――そう、魔剣すら使っていない拳によるたった一撃で。


 有り得ない。 理解が出来ない。 訳が分からない。

 数瞬の未来を見通すアムシャ・スプンタにすら本当に何が起こったのかが分からなかったのだ。 聖剣で斬りかかった所までは認識できていた。

 その後、何かが光ったように見え、次の瞬間には倒れていたのだ。


 アムシャ・スプンタは視線を少し離れた所にいるローへと向ける。

 彼はアムシャ・スプンタへ視線を向け、追撃の体勢を取った。 アレがもう一度来る。 そう考えてアムシャ・スプンタの中に得体のしれない恐怖が沸き起こった。 逃げようという気さえ起こせない圧倒的な死の気配。


 だが、それ以上は何も起こらず、ローは何かを悟ったかのように肩の力を抜き、星明りと燃える街並みに照らされる空を仰いだ。 同時に胴体を侵食している闇が消えて行く。


 「……ここまでか。 だけど最後に一つ。 聞こえていないかもしれないけど、君に言葉にして伝えたい事があったんだ」


 何を言っているのかアムシャ・スプンタには理解できなかったが、その口調は別人のように穏やかで、表情にはしっかりと感情が乗っていた。 それにローが言葉を向けている相手は明らかに彼ではない別の誰かだ。


 「ありがとう。 君のしてくれた事を俺は決して忘れない。 そして誓おう。 もしも君がどうしようもない窮地に立たされた時、絶望に心が折れそうになった時、俺は必ず駆け付けると。 どうか覚えていて欲しい。 君には俺と言う味方が居ると言う事を」


 最後に「約束だ」と呟くと、ローははっとした表情を浮かべる。


 「――これは――」


 何故かやや驚いた様子で周囲を見回し、魔剣へと視線を落とす。

 彼もまた状況を把握するのに僅かな時間を必要とした。


 それを見て元に戻ったとアムシャ・スプンタは判断。

 さっきの凄まじい力に関しては不明だが、まだ負けていないと立ち上がる。


 鎧は失ったが、聖剣は健在。 傷は鈍い鈍痛のみ。

 それも転生者の回復力を以ってすれば問題にならない。 まだまだ戦える。

 アムシャ・スプンタは聖剣を構え。 再度、ローへと斬りかかった。

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