第553話 「殴打」

 巨体から鋭い拳が連続で繰り出される。

 それを巧みに躱しながら飽野はズキズキと痛みを放つ脇腹を庇う。

 叩き落された際に殴られた個所だ。 再生が進んでいるので徐々にだが痛みが和らいでいる。


 対峙している夜ノ森は熊に似た鈍重な見た目からは想像もつかない程に軽いフットワークで拳を連続で繰り出す。 喰らいながらも致命傷を避ける飽野も必死だ。

 立て直して距離を取れば得意の一撃離脱の戦法が使える。


 飽野の戦闘能力は身体能力に依存しているので技量と言う点ではお世辞にも高くない。

 どちらかと言うと研究職だったので、戦闘訓練にあまり時間を割けていないのが技量の伸びを悪くしている。


 だが、転生者である彼女の最大の強みは肉体由来の縦横無尽に飛び回る事が出来る機動性だ。

 急停止、急旋回、急加速。 この三つを駆使する事で大抵の相手は問題にならなかったし、敵わない相手からは逃げ切れる。


 動ける程度に回復した所で羽を震わせて一気に距離を取って急上昇。

 本来なら逃げの一手だが、できれば手傷を負わせておきたいという考えが飽野に攻めの姿勢を取らせた。

 空中で旋回して近くの燃えている建物の上を通り過ぎる。


 立ち上る煙に敢えて突っ込み、通り抜ける直前に鎧に付与された機能を使う。

 それにより飽野の姿が夜の闇に消える。

 夜ノ森は急に消えた飽野の姿を探すようにキョロキョロと首を動かすが、ややあって無駄と悟ったのか小さく腰を落として深呼吸。


 明らかに迎え撃つ構えだ。

 それを見て飽野は当てが外れたと少し落胆する。

 逃げたとでも思って警戒を解いてくれればとも思ったが楽観が過ぎたようだ。


 対して夜ノ森はアメリアが生きていた事には驚いたが、オフルマズドに居た以上はここが彼女達の本拠だと確信。 つまり逃げずに踏み止まらざるを得ない。

 ならば逃げる事は考え難い。 そう考えて身を隠しただけと判断し迎撃態勢を取る。


 飽野が手を強く握ると指の隙間から刃が伸びた。

 移動しながらどこを狙うかを考え、夜ノ森の装備を確認。

 彼女は動きを阻害しない程度に防具を身に着けているので、胴体は除外。

 

 同時に致命傷になり辛い手足も同様に省く。

 そうなると選択肢は頭部周辺に絞られる。 首か目を狙う。

 飽野の動体視力は転生者の中でも屈指と自負している。 その為、反応を見て手を変えればいいと考えていた。

 

 まずは頭を狙い、可能であるならばそのまま首を裂く。

 気付いたのなら首か目の庇わなかった方を貰う。

 そう決めて突撃。 一気に夜ノ森へと肉薄。


 飽野の飛行はそこまで派手には音を立てない上、周囲の戦闘の影響で小さな音は消えている。 

 夜ノ森は動かない。 防御する素振りも見せない。 行けると確信。

 狙いは首。 突っ込んだ勢いでこのまま切断を狙う。

 

 ――取っ――


 接触の直前、夜ノ森の姿が消え、首を狙った一撃は空を切る。

 

 「なん――がっ!?」


 外したと認識する前に飽野の胴体に夜ノ森の拳が深々と食い込んでいた。

 

 「甘く見ないで貰えるかしら? こっちは陰でこそこそしているあなたと違ってそれなりに場数を踏んでいるのよ」

 

 夜ノ森がそう言うが飽野はそれどころではなかった。

 完璧に入った彼女の拳は体内に多大なダメージを与え、立て直そうとする前に夜ノ森は飽野の羽を掴んで毟り取る。

 

 「あ、ぎゃ」


 痛みで纏まらない思考で飽野は必死に考える。

 何をされたかはすぐに理解した。 ギリギリまで引き付けて躱された後、下から拳で突き上げられたのだ。

 不味い。 何とか立て直さないと――そう考えてバックステップで距離を取ろうとしたが、顔面に拳が炸裂。 兜が大きく歪む。


 最初に攻撃を喰らった胴体部分には放射状の亀裂が入っている。

 この馬鹿力と内心で毒づくが状況はどんどん悪くなっていく。


 反対側の手からも刃を出して振るうが、あっさりと躱され次の瞬間には殴られていた。

 しかもご丁寧に掴んでから殴っているので吹き飛ばしてすらくれない。

 飽野も黙ってやられる気はないので何とか反撃を試みるが悉く潰され、戦闘が始まって数分も経っていないにも拘らず一方的な展開になっていた。


 夜ノ森は無言で飽野を痛めつけているが、その内心では様々な感情が渦を巻いている。

 転生者は強い。 それは周知の事実であった。 高い身体能力に頑丈な肉体。

 凡そ、この世界で生きて行くに当たって必要な戦闘力は身に着けていると自負していた。


 鍛錬も怠っていなかった事もあり、増長はしていないが危機感も抱いておらず、アスピザルと二人ならどんな状況も切り抜けられる。

 そう考えていた。 だが、ムスリム霊山、シジーロ、王都の戦いを経て彼女は初めて自分の実力不足を痛感した。

 

 ローやクリステラ、ジネヴラと言った自分を遥かに凌ぐ強者の存在もそうだが、シジーロでは奇襲を許して危うく殺される所だった。

 自分はともかくアスピザルが殺されかけた事は彼女にとっては許容できない事だ。


 その為、彼女は己を鍛え直す事にしたのだ。

 幸いにもオラトリアムには様々な強者が居たので戦いの経験を積むと言う点では最適な環境だった。

 中でも最近、オラトリアムに迎え入れられたハリシャという女は夜ノ森にとっては良き師であり、彼女の扱うチャクラという技術はとても興味深い物で、今の自分に必要な物と感じさせた。


 ハリシャはトラストを筆頭に見込みのありそうな者達に授業を行っていたので、積極的に参加。

 強さを求める事に貪欲となり、鍛錬にも熱が入っていた。

 結果、第一は使えるようにはなったが夜ノ森にはそれで充分だった。


 第二から第四は属性付与なので武器を殆ど使わない夜ノ森にはそこまで必要ではなかったのだ。

 習得した後の変化は劇的で、結果は目の前の状況が物語っている。

 身体能力強化を行い、特に動体視力に重きを置いた強化は飽野の動きを完璧に捉え、カウンターを叩き込める程まで高まっていた。


 当初、アスピザルはこの作戦に夜ノ森や石切を参加させるつもりはなかったのだが、彼女は早い段階で参加を決めており、飽野は自分の手で叩きのめすつもりだったのだ。

 あのシジーロでの出来事には思う所があり、それが彼女の飽野に対する敵愾心を育てた。


 その為、夜ノ森の動きは完全に殺すつもりの動きだ。

 動きを止めた後、真っ先に羽を毟り取って機動力を奪い、叩き潰さんと執拗に攻撃を仕掛ける。

 防具のお陰もあるが転生者はとにかく打たれ強い。


 その為、急所を狙っていたのだが、飽野もただでやられるつもりはないようで致命傷だけは何とか避けているようだ。

 

 「――ガ、は、いや、参ったわ本当に、ここまで痛めつけられたのって経験ないから、ちょっと新鮮かもしれないわね。 でも! ここで殺されてあげる気はないわ!」

 

 飽野の全身が軋む様な音を立てて巨大化。 転生者の切り札である解放を使用したようだ。


 「私は! まだまだ、楽しむの! だから、こんな所で死んでられないのよ!」

 「……そう、でもお生憎様。 私は貴女を潰すつもりでここに来ているの。 だから、出し惜しみはなしよ」


 夜ノ森も応じるようにその体が巨大化。

 変化を終えた二人はほぼ同時に地を蹴った。

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