第541話 「徘徊」

 将軍による統治、忠紋による国民の統制。

 食料自給率の増加や軍備の拡大。

 そして攻めるに難く守るに易い立地と様々な防御機構。

 

 選定真国オフルマズドは大陸で最も平和な国と言えるかもしれない。

 そして平和と言う物は停滞という意味を若干ではあるが孕んでおり、その中には退屈という概念も多分に含まれていた。

 

 一部の者にとってはそうでもないが、この国に生きる大半の者にとっては日常とはルーチンとして消化する物という認識で、皆は当たり前の生活を享受している。

 それ故に彼等は周囲の変化に敏感だった。


 最初は何て事のないただの噂話だったのだ。

 内容は夜中に出歩いた時、奇妙な人影を見たという物で、聞いた者からすれば同じように出歩いている者じゃないのかという感想が大半だった。


 だが、問題はそれが人の形からやや逸脱していた事だ。

 四肢は備えているが身長が異様に低く、巨大な目が月明かりを反射して妖しく輝いたという。

 特徴だけを抜き出すのならそれはゴブリンと呼ばれる存在が最も近い。


 だが、それはあり得ない話だ。

 オフルマズドは人間の国で魔物や魔獣、人間以外の種は一部の家畜を除いて存在しない。

 詰まる所、この国にゴブリンのような存在が現れる余地がないのだ。

 

 通報を受けて兵士も調査に乗り出したが、どこを探してもそれらしき存在は見当たらない。

 そもそもこの国は国土が限られているので、限りある土地を余さずに使うようにしており、見つからずに潜伏できるような場所が極端に少ないのだ。

 

 つまりは探して見つからなければ居る筈がないという結論に落ち着く。

 だが、目撃証言は減らなかった。

 深夜に怪しい人影を見たと証言する者は後を絶たず、兵士は夜間の警備を強化。


 巡回人数と頻度を増やす事となった。

 状況に変化があったのはそれからかなりの日数が経過した後になる。

 深夜、月明かりが少ない夜に巡回の兵士が遂に人影を目撃したのだ。


 追いかけて袋小路へと追い詰めたのだが――角を曲がった瞬間に煙のように姿を消してしまった。

 当初は街の噂程度の話だったので、警備関係者や兵士の間で止まっていたが、上層部へと話が行く事となる。


 「――で? その怪しい影? って言うのの正体は分かったの?」


 場所は王城内の一室。

 手の空いた将軍が数名集まってその件について話し合っている所だった。


 集まっているのはアールとレベッカ、それにケイレブの三名。

 レベッカの言葉にケイレブは小さく俯く。


 「……面目ない。 目撃した部下が追い詰めはしたのだが、煙のように消えてしまった」

 「珍しいね。 あんたの事だからしっかりした準備はしてたんじゃないの?」

 「あぁ、部下には念の為、魔法による隠形も警戒させては居たのだが、それにも引っかからなかったようだ」

 

 二人の会話を聞きながらアールは内心で首を傾げる。

 ここ最近、国内を騒がせている不審な影。

 正体すら不明の謎の存在は国中を落ち着かない気持ちにさせていた。


 今の所、目撃されただけで実害は出ていないので、特に表立って何かしらの不安や不満が出ている訳ではない。 だが、この状況が続くと、警邏の能力が――延いてはそれを率いているケイレブの能力が疑われかねない事になるのだ。


 「どーすんの? 手が足りないとかだったらこっちからも何人か出そうか?」

 「う、うむ。 頼む、余りなりふり構っていられる状況ではなくなってきてな」

 「分かった。 後でその辺の打ち合わせはするとして、結局正体の心当たりもないの?」

 「噂では低身長でゴブリンなのではという声もあったが、人間らしき影もあったとの報告も受けている。 情けない話だが、影が街を徘徊している以上の事は分からない」


 ケイレブの話を聞けば聞く程、本当にただの影ではないのだろうかという疑問がアールの脳裏に募るが、頭を抱えている彼を見るととてもではないがそんな事は言えなかった。

 

 「……確かにそんな訳の分からない連中にウチらの庭を我が物顔でうろつかれるのは面白くないねぇ」

 「あぁ、王の耳には入っているだろうが、奏上するにしても解決してしまってからにしたいのだ」

 

 不意にレベッカの目が細まる。

 

 「で? そいつ等って意味もなく湧いて出た訳じゃないだろう? 何が目的か分からない?」

 「――まさかとは思うが我が国に害をなす者達が偵察に来ているとでも?」

 「あり得ない話じゃないだろう?」


 レベッカの言葉にケイレブは信じられないと言った表情だ。

 当然ながらアールが同意するのはケイレブの方になる。

 理由はこのオフルマズドの鉄壁とも言える防備だ。


 出入り口はたったの二つ。 北と南の二ヵ所のみで、北側は物資の搬入にしか使用しない上、南に至っては港なので船以外では侵入できない。

 ならば城壁の上ならばどうか? 答えは不可能だ。


 国の上部を覆っているのは強力な魔力障壁で物理、魔法の両面での一切の接触を拒む万能の盾だ。

 この国の中枢・・から膨大な魔力が送られているので、常に張り巡らせられており消える事はない。

 加えて、何かしらの接触があれば王城に伝わるようになっている。


 つまり気付かれずに国内に侵入するには北の門を通る以外にはあり得ないのだ。

 

 ――にも拘わず偵察に来られる存在が居る?


 仮にできたとしてもどうやって?

 アールにはその手段が想像もつかなかった。

 

 「馬鹿な! もしそうだとしたらどうやって防備を突破して中に入ると言うのだ?」

 

 ケイレブもアールと同じ考えだったのか声には動揺が微かに滲んでいた。


 「だから放置できないって言ってるんじゃないか。 もし、何らかの方法でここに侵入できているとしたらこの国を揺るがす大問題だよ。 この先・・・にも影響が出る」

 

 それを聞いてさっとアールが青ざめる。

 この先――この国の完成。 それはこの国に住む上で最も重要な意味を持つ言葉。

 選定真国オフルマズドはその為に建国されたと言っても過言ではないぐらいだ。

 

 「……レベッカ。 次だ、次に現れた時に決着をつける。 力を貸してくれ」

 「あいよ。 こっちとしても他人事じゃないし、本腰を入れてかかろうか」


 すっかり話に置いて行かれたアールは何ができるか分からないが取りあえず頷いておいた。

 

 「ぼ、僕の備蓄から夜食を出しますよ!」


 それを聞いた二人は、少しあっけにとられた表情をした後、ふっと笑った。


 「そうだな。 よろしく頼む」

 「美味いのを頼むよ」


 ケイレブは笑顔で頷き、レベッカは笑いながらアールの頭をくしゃくしゃにした。

 アールはつられて笑いながら思う。

 この人達と一緒だったら何の問題もない。 気になる事はあるけどきっと何とかなる。


 彼はそう確信しており、そしてこの日常がずっと、いつまでも続くと信じていた。

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