第525話 「授業」
葛西 常行だ。
ここ最近、目が覚めれば家に帰れていないかなと幻想を抱くようになったが、現実は非情である。
硬いベッドにやや肌寒い朝の空気。
窓から外を見ると地平線から僅かに太陽が昇ろうとしていた。
自分の体に――手に視線を落とすと形こそ五指を備えている物の人間とはかけ離れた異形。
もはや、慣れ親しんだと言っても過言ではない自分の体だ。
俺はさっさと起床して部屋に備え付けられている洗面台に向かい魔石に魔力を通して水を発生させる。
顔を洗って鎧を身に着けて部屋の外へ。
今日も憂鬱な一日が始まる。
聖堂騎士――いや、聖騎士の朝は早い。
特に立場上、最上位の聖堂騎士なのだから相応の振る舞いが求められるのでこの肩書は余り気楽な物でもないのだ。
まず向かうのは宿舎一階にある食堂だ。
俺達転生者に宛がわれたこの宿舎は二階建てで上階が居住スペース、一階が共有スペースと言った分かり易い造りとなっている。
その為、何かする時は基本的に一階となるのだ。
食堂では派遣された料理人が食事を作ってくれるので、自分達で用意しなくていいのはありがたい。
中に入ると椅子は全て空席となっており、自分が一番乗りと言う事が良く分かる。
いつもの事なので特に気にせずに自分の定位置である席に座った。
基本的に食事の時間は決まっているので、前後はするが降りて来る連中はこの時間帯に食堂に現れる。
少し遅れて為谷さんが現れて、ふらふらとした足取りで席につき俺に挨拶するとそのまま沈黙。
この人はいつもこの調子だ。
会話は最低限、口数が少ないというよりは人の顔色を窺って口を出せない気性なのだろう。
六串のおっさんもそうだが、取っつき辛いのでもうちょっと何とかしてくれないかとは思う。
だが、下手に強く言って拗れると面倒なので我慢はしているが……。
「やぁ、葛西君おはよう」
「あ、どうも六串さんおはようございます」
為谷さんから少し遅れて六串のおっさんがのそのそと現れる。
こっちはまだ会話してくれるだけましだが、為谷さんと同様に主体性が全くないので、求められれば意見を言うが自発的には殆ど主張をしない上、仮に何か発言したとしても疑問を投げかけると「じゃあいいです」と言って笑って引っ込める。
正直、何かを期待できるタイプじゃない。
――そして更に大きく遅れて現れる奴がいる。
「……うーっす」
北間だ。 恐らく降りて来る面子の中で一番の問題はこいつだろう。
何を話しても投げ遣りな返事、適当な態度。 藤堂が生きて居る時であったならもっとまじめだったが、今では見る影もない。
こんな時、加々良さんが生きていれば殴りつけてでも正気に戻すんだろうが、俺がやっても反発されるだけだ。
その後は飯が並ぶのを待って食事を始める。 食いながら簡単に予定の確認。
六串さんはここと城塞聖堂の警備、北間と羽を引っ込められる為谷さんはグノーシス――じゃなくてアイオーン教団の直轄区のパトロール。
俺の仕事は加々良さんの仕事をそのまま引き継いで、アイオーン教団との話し合いや有事の際の戦力供出の判断や報酬などの相談。
後は部下の管理となるのだが――
「……集まったのはこれだけか」
取りあえず、三波は除外して他の十二人全員に招集をかけたのだが、集まったのはたったの二人。
両者とも装備を支給されていないので居心地が悪そうにそのままの姿で席に付いていた。
道橋は背から虫の足を思わせる物が無数に生えているゲジを思わせる姿で、飛は手足の付いたナメクジのような姿だが、生態などを鑑みると
「あ、あの何ですかね……ボクはちょっとまだ外に出るのは怖いと言うか……」
「私もちょっと……まだ、ほら分かるでしょ?」
俺は内心ではぁと深く重い溜息を吐き、安心させるように意識して優しく声をかける。
「いや、心配しなくてもまだ外に出ろなんて言いませんよ。 出てくれるならそれに越した事はありませんがね」
道橋は高校生だから別にいいが、飛さんは主婦と言う事で一応、目上らしいので相応の態度で話す。
「まず二人にやって貰いたいのはこっちの言葉を覚える事ですよ」
最低限、現地の人間とコミュニケーションが取れないのは外に出る出ない以前の問題だ。
碌に外に出ない連中の大半はまともに会話出来ないし読み書きなどは論外といった有様で正直、目も当てられない。
「グノーシスからアイオーンに組織が変わったって話は聞いてますよね?」
知らないとは言わせないぞ。 俺は何度も言ったしわざわざ日本語で書いた回覧まで配ったんだからな。
二人は曖昧な感じで頷く。 大丈夫かよこいつ等と思いながらも努めて態度には出さない。
「ぶっちゃけるとね。 体制が変わったんであんた等を遊ばせとく余裕がなくなったんですよ。 もうはっきり言いますけど、最終的には聖堂騎士として何らかの仕事に入って貰います」
「でも、私たちに戦いなんて――」
「だからって引き籠って何もしませんは罷り通らんでしょ」
俺がそう言うと飛さんは言葉に詰まる。
恐らく彼女もそれは理解しているのだろう。 それでも荒事には抵抗があると。
気持ちは分からんでもないが、もう状況が許してくれねーんだよ。
「今の俺達の立場はかなり危うい。 今はアイオーンが後ろ盾になってくれるけど、グノーシスが潰れちまった以上、ここもそうならないとは限らんでしょ? それで俺達が行き場をなくせば、どうなると思います?」
鏡をみりゃ想像するまでもないだろ。
二人ともだんまりなので俺が答えを言う。
「最悪、魔物扱いで殺処分だ」
「そ、そんな! 私達は人間なのよ! 話せばきっと――」
「だからその話をする為に言葉を覚えてくれと言ってるんですよ」
そこまで言って飛さんが理解したかのように息を漏らす。
ちょっとおばさんよ、危機感足りなさすぎじゃないか?
「で、でも! ぼ、僕達はち、チート持ちの転生者なんだし何かあっても戦えば――」
話が纏まりかけた所で馬鹿が馬鹿な事を言い出した。
正直、イライラするが我慢して話を続ける。
「馬鹿かお前は」
おっと本音が漏れてしまった。
構わず続ける。
「俺達転生者はな、確かに身体能力は高いだろう。 技量が追いつかなくてもそこそこやれるとは思うし簡単には死なんだろうよ。 ただ、それだけ――あぁ、そう言えば言ってなかったな。 加々良さんと香丸さんな。 死んだよ」
道橋は驚きだったのか固まる。
少し前まで加々良さんはここのリーダーとしての強さを見せつけていたからな。
正直、俺もあのおっさんが死んだとは今でも信じられないぐらいだ。
「この前に王城で派手な事件があってな。 そん時に城に突っ込んで来た奴に、六串さんと為谷さんと四人で仕掛けて返り討ちだったそうだ」
生き残った二人も半殺しにされて帰ってきたと付け加えた。
それを聞いた道橋は怖気づいたのか震え始める。
「分かっただろう? どんな奴でも死ぬときは死ぬんだよ。 それが嫌だったら死なない努力をしないとダメだろう? 分かったら俺の授業を受けろ。 いいな?」
道橋が頷いたのを見てほっと胸を撫で下ろす。
やっと二人を引っ張り出せたか。
取りあえず最低限、会話だけは仕込んで置こう。
早速、俺は授業を始めるべく事前に用意しておいた教材をテーブルに並べた。
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