第523話 「失態」
失態。 信じられない失態。
私――ファティマは苛立ちを可能な限り表に出さないように廊下を歩いていました。
つい先程、ロートフェルト様にエルフを取り逃がしていた事に気付かず無駄に森林内を捜索していましたという、恥辱の極みに近い無様な報告を終えたばかりです。
気付かなかった理由はハイ・エルフ固有の魔法か何かだろうと予想は付けていました。
捜索に当たっていた者達には五感の鋭い物や隠形を見破る魔法道具を持たせていたのですが、結果を見ると効果はなかったようですね。
エルフ共に対する苛立ちが募ります。
随分と恥をかかせてくれましたね。 見つけたら生まれて来た事を後悔する程の苦痛を与えてあげましょう。 内心でそう決心して思考を切り替えました。 何故なら――
――これ以上失敗する訳にはいかないからです。
特に近い内にあるであろう大きな戦い。 そこで成果を上げる必要があります。
ここで挽回しておかなければ場合によっては私の能力が疑われてしまう。
あの方にどんな態度を取られても構わない。 私は妻で在る以前にあの方の手足。 手足は頭の指示に従う物です。
ただ、失望される事だけはあってはならない。
ロートフェルト様に失望されて「お前はこの程度」と見切りを付けられる事だけは、許容できない。 なにより、私の矜持が許しません。
「おや? 姉上じゃないか? もしかして僕に何か用事かな?」
不意に声がかかったのでそちらに視線をやると、ちょうどヴァレンティーナが部屋から出て来た所でした。 後に続くようにメイドが数名出て来た所を見ると、指示を出していたのでしょう。
ヴァレンティーナは私をじっと見つめると小さく息を吐きました。
「……ちょうど会議室が空いたからそちらで話そうか?」
「えぇ、そうしましょう」
場所は変わって会議室内。
私はヴァレンティーナと机を挟んで向かい合っています。
「ふぅ、その様子だとエルフの件で随分とご立腹のようだね」
「……当たり前です。 あのような報告を、ロートフェルト様にっ!」
思わず怒気が漏れました。
それを見たヴァレンティーナは苦笑。
「仕方がないと言いたいけど、今回ばかりは向こうが一枚上手だったと思う事にしたらどうだい? 別にロートフェルト様は怒ってはいなかったのだろう? だったら挽回の機会はいくらでもある。 そこで頑張ろうじゃないか」
そこまで言ってヴァレンティーナは不敵に笑う。
「ちょうどこの先に手頃な案件があるみたいだし、そこらで巻き返し――あぁ、もしかしてその件かい?」
「話が早くて助かります」
「確か戦力の増強だろう? 首途氏には打診は済ませているし、例の教習所も充分な成果を上げていると聞いているよ。 姉上が企画した合同演習も中々悪くない結果だったらしいね。 他部署との連携にはやや難があったらしいけど、現状では随分とマシになったと聞いているから後は本番に備えて練度を上げるぐらいかな? 当の他部署に関しては僕の管轄じゃないから知らないけど、実際はどうなんだい?」
「問題ありません。 アブドーラやアジードには話を通してあります。 特にアブドーラが乗り気なのでシュドラスからかなりの戦力を割くと言っていました」
ヴァレンティーナはそれを聞いて小さく肩を竦める。
「アブドーラ氏からすれば今回は意地でも参加する気だろうね。 状況証拠のみになるだろうけど、養父が死んだ原因として一番怪しいのはテュケだ。 その殲滅となると力の入り具合も変わって来ると言う物だろうね」
元々、アブドーラは父親の敵討ちを命題としていた。
食いつくのは当然の流れだろう。 聞けば自腹を切って武器などを揃えたとか。
「それにしても……本音を言えばもう少し時間が欲しい所だね。 欲を言うなら後数年ほど準備期間を置いてからと言うのが望ましいけど、こればっかりは仕方がないかな? ロートフェルト様がお戻りになられてからどれだけ引き留められるかが勝負だね。 その辺も責任重大だよ姉上?」
「……貴女に言われなくても分かっています」
私も今まで何もしていなかったわけではありません。
幸いにもドゥリスコスという駒が手に入ったので、大陸中央部から南部の情報収集はかなり力を入れて行いました。
特にテュケとの関与が最も怪しいオフルマズドに関しては徹底させましたが、あそこはかなり
その為、不興を買う覚悟で戻るようにお願いしました。
幸いにも素直に同意して頂けたのは僥倖でしたが……。
ダンジョン攻略に積極的だった事を考えると、あの方にも思う所があったのかもしれません。
例のミドガルズオルムという巨大な魔物の幼体を届けて頂けるとの事なので、そう遠くない内にタイタン鋼の安定した供給は可能でしょう。
あの鉱物の需要は高い。
特に首途が執拗にかき集めているので、現状では余裕がありますが、遠からず枯渇するのが目に見えていたので鉱脈自体が手に入ったのは僥倖でした。
……ただ、引っかかる点はあります。
ロートフェルト様も気にされていたようですが、例のグリゴリと呼ばれる存在。
今まで得た情報を総合すると、あの天使を名乗る者達は獣人国に現れたディープ・ワンや今回討伐されたミドガルズオルムのような巨大生物を封じて回っているようでしたが、一体何が目的なのでしょう?
ロートフェルト様が仰られるには何らかの理由で仕留める事が出来なかったか、仕留める事があの者達にとっての不利益となるのではないかとの事でしたが――
……現状では情報が足りませんね。
グリゴリの目的が分かればエルフの行動傾向にも予測が立てられるのですが――今考える事ではありません。
取りあえずですが、逃げたハイ・エルフは捕らえて知っている事を吐かせた上で処分。
そう結論付けて思考の片隅に追いやります。
「それならいいけどね。 ともあれ、近日中にロートフェルト様がお戻りになられるみたいだし、差し当たっては出迎えの準備かな?」
「えぇ、細かい事や方針は話し合って決める事にします。 ヴァレンティーナ、貴女も参加しなさい」
「おや? 僕も同席しても構わないのかい?」
「今のオラトリアムとその周辺の責任者は貴女です。 ただ、間違っても顔を変えないように」
あの方は自覚があるのかないのかは不明ですが、自分と同じ顔を並べる事を酷く嫌っているようです。
必要であれば実行されるとは思いますが、ヴァレンティーナを作るに当たって珍しく抵抗のような物を示されていたのを私は見逃しませんでした。
「……了解だ。 粗相のないように行儀よく振舞うさ。 では、話は終わりかな?」
「えぇ、くれぐれもお願いしますよ?」
「勿論さ。 僕が姉上を困らせる事をするわけないじゃないか。 さて、この後首途氏の所でさっきの話をするので何かあれば<交信>を使ってくれればいい」
ヴァレンティーナは席を立つとまたねと小さく手を上げて部屋を後にしました。
私もやるべき事をやる為に席を立ちます。
時間は限られている。 その間にやれる事をやりましょう。
私はそう考えて部屋を後にしました。
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