第515話 「異変」

 最初に異変に気が付いたのはエンティミマスの民たちだ。

 不意に足元が揺れ、地震かと困惑の表情を浮かべる。

 何故ならここ数十年、そんな現象は一度も起こっていないからだ。


 ――とは言ってもこの世界にも地震は存在するので珍しいとは思われるがそこまで深刻に捉えられてはいなかったのだ。


 だが、揺れは収まる所か激しくなり、ここに来て住民達がおかしいと気付き始めた。

 建物が揺れに悲鳴を上げるように軋み始めた辺りで明確な危機感が芽生え、あちこちで悲鳴が上がり、建物や街の外に次々と避難する者が出て来た。


 そしてその者達の判断は一部正しかった。

 街――いや、エンティミマスという土地の全域で大地が隆起し始める。

 そして耐え切れなくなった場所から亀裂が入り――一気に崩壊が始まった。


 凄まじい轟音と共に地面のあちこちが裂け、地割れとなって家々や人、大地に建てられた文明を飲み込んでいった。

 それと入れ替わるように何かが地割れから浮上する。

 地割れに飲み込まれなかった者達はそれの目撃者となった。


 目に飛び込んだ物の最初の印象は黒い壁。

 それが巨大すぎる何かだと理解するのにしばらくの時間を要した。

 黒い壁の正体に最初に思い当たったのは冒険者達だ。 その表面を構成している物体に見覚えがあった。


 当然だろう、ダンジョンに潜った事のある者はほぼ全員が思い当たっただろう。

 タイタン鋼。 この街の産業と収益を支えている鉱物。

 それを身に纏った巨大な存在。 徐々に浮上するそれを見て彼等はようやく思いいたる事となる。


 自分達が今までどこに――いや、何に潜って採掘作業を行っていたのかを。

 地上にいる彼等にその全容を捉える事は不可能だったがもしも空を飛べる者がいたとしても把握する事は難しい。

 

 それほどまでに浮上した存在は巨大であった。

 エンティミマスと言う場所の全域に黒く長い何かがのた打ち回っているからだ。

 もし、これが一つの生き物と言う事であるならば、全長数十キロメートルに達する途方もなく巨大な生き物と言う事になる。


 仮に複数だったとしても数キロメートルの巨体だ。

 そしてその先端が街の中央から屹立するように天へと昇り、中空で停止。

 ぐるりと街を睥睨する。 その存在に目はなかったがそれに代わる感覚器官が存在する。


 永い、本当に永い時から目を覚ましたその存在は変貌した世界に驚きを覚え、周囲に蔓延る小さな生き物に煩わしさを覚えた。

 何故ならこの地はその存在の縄張りだったからだ。

 

 見る必要はない。 風と大地が周囲の全てを伝えてくれる。

 そして自らの体内での出来事も。

 どうやらこの煩わしい小物達は自分の体内に入り込み、狼藉の限りを尽くしていたようだ。


 そしてそれは今も続いている。

 起きた切っ掛けも体内に侵入した存在が与えてきた痛み。

 今も尚、その全身を蝕む痛み。 この存在が生じてから全く経験のない圧倒的な痛み。


 何とかしようと体内に意識を集中し、逃れようとその身をくねらせる。

 体内に変化が起ころうとしていた。




 「急げ! 回収した荷を最優先で運び出せ。 施設はもうどうにもならんから放棄だ! 荷物を纏めてさっさとずらかるぞ!」


 アンドレアという男は変化が起こったと同時にここ数日で回収し、アラブロストルを経由してオラトリアムへと輸送予定のタイタン鋼を運び出すように部下に指示を出す。

 既に<交信>によって主には報告済みなので、街を離れる許可も貰っている。


 最悪、タイタン鋼は放棄してもいいとの事だったが、高価な素材をみすみす手放すのは不味い。

 後の自分の評価を上げる為にも、可能な限り回収しておきたいと考えていた。

 バンスカーの本部は巨大な何かの出現で半壊。 全壊しなかっただけ幸運だと考え次々と指示を飛ばす。


 アンドレア本人も貴重品だけを持ち出しさっさと崩れそうな建物を後にする。

 今までこの街で培って来た物をすべて失ったが、特に悲観する事はない。

 従業員を含めて生き残りはアラブロストルのエマルエル商会や有望な者はオラトリアムで使ってくれるらしいので新天地でまたやり直せばいいだけだ。


 そう考えたアンドレアは何の未練もなく今まで使っていた事務所に見切りを付けた。

 頭の中で地図を広げ、まだ無事そうな道を選んで街からの脱出ルートを吟味。

 持ち出せるだけのタイタン鋼を馬車や荷車に積んで次々と送り出していった。

 

 巨大な何か――間違いなくダンジョンの正体だろうが、流石にあの巨体をどうにかする術はない。

 魔導外骨格の大部隊を用意しても厳しいかもしれない。

 果たしてどうやって処理して――そこまで考え、関係ないなと首を振る。


 これから他所へ高飛びする身だ。 この危機を脱すれば部外者として高みの見物と決め込めるので、自分達がどう動くかは主たちが考える事だ。

 だから自分には関係ないなと、アンドレアは気楽に考えている。


 今までは人を使う側で自分で物事を決めて来たがそれを他者に丸投げできる気楽さに内心で笑ってその場を後にした。


  

 突如としてエンティミマスを襲った大災厄に人々は逃げ惑うしかなかったが、一部の者達は立ち上がった。

 最初に動いたのはグノーシス教団。 この国には聖堂騎士こそいないが、経験豊富な聖殿騎士達が住民の避難誘導を行い、一人でも多くの民を街から逃がそうと動き出す。


 次に動いたのは冒険者ギルドと街を牛耳っている裏組織の者達だ。

 彼等は生活基盤の全てをこの街に依存しており、エンティミマスでしか生きられずにこの地で生きて死のうと決めていた者達だった。

 

 人を集め装備を揃えあの怪物を止める手段を得る為に知恵を絞る。

 中には立ち向かおうとする剛の者も居たが、のたうつ巨体に潰されて早々に退場した。

 賢明な者達はまずは状況を正確に把握する為に集い、策を練る為に街から離れて態勢を整えるべく動き出す。


 

 動き出した者達を尻目に巨大な何かは動き出す。

 それが行った最初の理性的行動は――周囲の者達は即座に目の当たりにする事となった。

 あちこちから同じ形状の首が次々と天に向かって突き出し飛び出す際に接触した大地やその上に建てられていた建物の破片をまき散らす。


 現れた全ての首が一斉に仰け反るような動きをして――

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