第489話 「神癒」

 ワイアット・イーライ・レオ・マーベリック。

 グノーシス教団第八助祭枢機卿。

 ウルスラグナでの神父や修道女を束ね、教団で行う会議などにも出席する重要な立場だ。


 彼は生まれながらの教団の信徒だった。

 父は聖殿騎士、母は修道女。

 幼い頃から教えを信じ、教団を信じてそれが絶対だと疑わずに生きて来た。


 運もあったのだろうが、そうして生きて行くうちに気が付けば枢機卿という教団の最高位に着く事になっていたのだ。

 当然ながら彼には信仰心もあったが、そこまでの立場に上がれたのは出世に貪欲であった結果だったのかもしれない。


 こうしてウルスラグナにおける教団の頂点――その一人として彼は本国から教団の目的を聞かされていた。

 教団の目指すべき場所、それを知ったマーベリックは歓喜と使命感に震え、一層使命を果たす為に邁進する事になる。


 教団に必要な事は何でもした。

 テュケから齎された悪魔の召喚陣を応用して天使を呼び出しての使役実験。

 表向き・・・の教義上、不遜とも取られかねない所業ではあったが、彼は躊躇わなかった。

 

 無辜の民を使っての人体実験も必要な事と割り切って、犠牲者を数字と認識する事で罪悪感から目を逸らし、使命だと己を偽り積極的に認めて来たのだ。

 知らない間に命を使い捨てる事に慣れてしまっていたのだろう。

 思い返せばここ数年、顔の知らない誰が死のうと犠牲と言う名の必要経費としか思わなかった。


 彼は内心で自嘲する。 今になって冷静に考えれば何と言う傲慢、何と言う不遜な考えだろうか。

 もしかしたらそれがいけなかったのだろうかと彼はこれまでの人生を反芻する。


 終わりは唐突に訪れた。

 ウルスラグナ王国の崩壊に伴い、教団が裏でやっていた所業が最悪の形で明るみに出たのだ。

 加えてどう言う訳か王都襲撃の責まで負わされる始末。 


 当時、マーベリックは本国に居たのだが、報告を聞いて足元が崩れるほどの衝撃を受けた。 

 何とかしようと動いたが、話を聞けば聞く程どうにもならないと言った諦観が彼の中に満ちる。

 それは本国も同様で、早い段階でウルスラグナを切り捨てる事を決めた。


 第八の位は空位となり、マーベリックはその座を追われる事が決定。 

 それを聞いて彼は絶望した。 枢機卿は教団の最高位であり、機密に触れられる立場にある。

 そしてその機密は資格のない者が知る事は許されない。


 マーベリックが資格を失うと言う事はその知識を封じる必要が出て来る。

 つまりは処刑だ。 彼の未来はこうして鎖された。

 それが決定した夜、彼は自室で散々暴れた。 机を壊し、書を破り捨て、調度品を破壊した。


 最後には子供のようにすすり泣いた後、この理不尽な現実を呪い――最後にはそれすらなくなって眠りについた。

 そして翌日、少し落ち着いた彼は丸一日かけて考えたのだ。

 どうすればよかったのか、どうすればいいのかを。


 時間は巻き戻せない。 ならば残りの時間が少ない自分のなすべき事は何だと。

 マーベリックは散らかした部屋を片付けながら考える。

 ふと倒した本棚の下から一冊の本が出て来たのだ。 少し埃を被ったそれは――母が初めてくれた本だった。


 本に付いた埃を払いながら彼はぼんやりと考える。

 一体、自分は何をしたかったのだろうかと。

 皮肉な話だ。 死期が迫った事により彼は初心に返る事が出来たのだ。


 考える。

 自分は何だ? グノーシス教団の枢機卿。

 自分は何だ? グノーシス教団の聖職者。

 

 望みは何だ? 教団の教義を信じ――いや、違う。

 望みは何だ? 人々の安寧を守る事だ。


 そう、教団は人々の安寧を守る拠り所の筈。 そんな事も忘れて自分は何をしていたのだろうかと思う。

 マーベリックは少しだけ救われた気持ちで考えた。 自分に残された時間で何ができるのかを。

 地位の返上と同時に自分の命は終わる。 ならこの命、最後まで人々の――延いてはこの世界の為に使おうと。


 そんな時だった。 ザリタルチュの漏出を知ったのは。

 あの地の均衡が崩れた以上、他も時間の問題の筈だ。

 第八、第五、第三に存在する魔剣が全て健在である現状、この大陸は常に危険に曝される。


 特に自分の担当だった第八は立地上、何かあれば対処が難しい。

 ならばと彼は自らの命の使い道を決めたのだ。 第八の魔剣を封ずる。

 最低でも一つを押さえればかなり状況は好転する筈だ。


 それこそが自分に与えられた最期の使命なのだろう。 結果、自分がどうなろうとも――

 

 道を決めたマーベリックの行動は早かった。

 教団にその旨を話し許可を貰い、戦力をかき集めた。 死出の旅になるだろう事は確実なので、時間が許す限り一人一人に頭を下げて事情を話し、助力を乞うたのだ。

 

 そこに枢機卿の姿はなく、あるのは自らの信じる道を進む殉教者としての姿勢だった。

 ワイアット・イーライ・レオ・マーベリックは純然たる信念と決意を以ってこの辺獄の大地に立っている。


 後ろでエルマンの制止の声が聞こえるが、構わずに戦闘を繰り広げる聖女達の下へと駆け出し、首に下がった教団のシンボルを引っ張り出す。

 シンボルを握りしめて祈る。 それが何を意味し、どのような結果を自らに齎すのかを彼は良く理解していた。


 可能であれば自らの手で魔剣を教団に持ち帰りたかったが、それは叶わないようだ。

 後の事はアイオーン教団に任せれば問題ないだろう。

 マーベリックは聖女ハイデヴューネと言う女性の人柄を見て信じる事に決めた。


 彼女達ならばこの世界を正しい方向に導く一助となるはずだと。

  

 ――だから。


 彼は躊躇わなかった。

 

 「ペレルロ殿、ジネヴラ殿、どうか力をお貸しください」

 

 亡き同胞を想う。 そして全霊の祈りと魔力を注ぎ込む。

 首飾りが彼の祈りを受けてここではない何処かに繋がり、体に直接刻んだ・・・・・魔法陣が起動。 それは狙った存在を手繰り寄せてその身に顕現させる。


 「『רפאל神は癒される』――我が前に『Ραπηαελラファエル』!!」

 

 瞬間、彼の肉体が消滅。

 代わりに現れたものは彼とは似ても似つかない存在だった。

 薄緑で半透明の人型に巨大な輝く六枚の羽根。 手には巨大な弦楽器、周囲には爽やかな風を纏っている。


 その存在はかつてジネヴラという少女が降ろした存在と同一で、天使と呼ばれる存在の中でも上位に位置し、風を纏い、人々を癒す役割を与えられていた。

 天使は楽器を鳴らす。 澄んだ音色が戦場に響き渡る。


 すると――


 「これは――よし、行ける!」


 エルマンが一気に持ち直したクリステラを見て治療する手に力を籠める。

 変化はそれだけに収まらず、戦場で戦う聖騎士達の傷が次々と癒されて行くのだ。

 それを見て武者が憎悪に燃える眼差しを天使に向ける。


 天使はそれを正面から受け止め――ちらりと小さく振り返った。

 背の羽がみるみる内に崩れて消えて行っているのだ。

 天使の中にいるマーベリックはやはりと思った。 この地では限定的ではあるが完全な形・・・・で天使を降ろす事は可能だ。 だが、長時間の維持は不可能。 この様子ではそう長くは保たない。


 残された僅かな時間で勝負を傾ける。

 マーベリックは天使となった肉体を全力で操作して武者へと突撃した。

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