第428話 「血尿」

 負け戦とは実に悲しい物である。

 戦線は徐々に後退し、切り取られた領土は虚しく不毛な大地と化した。


 …………。


 あぁ、そうだよ。 また生え際が後退したんだよ畜生。

 そう考えて俺――エルマンは小さく重い溜息を吐いた。

 生え際の後退が加速し、遂に額が完全に露出してしまったのだ。


 そうなってしまった以上、今の髪形では不自然になってしまうので全体的に短く刈り揃えた。

 鏡で見る度に惨めさで泣きそうになってくる。

 それもこれもあの女どもの所為だと理解しているのだが、どうにもならずに内心でさめざめと涙を流しながら胃痛に耐えるしかないのだ。


 最近、胃痛の種が増えたという悪夢のような現実が俺の前に現れた。

 その所為で症状が加速したと俺は固く信じている。

 前方に視線を向けるとその胃痛の種が派手に暴れまわっていた。


 相手は人里に降りて来た魔物の群れ。

 治安の悪化と環境の変化により、魔物が大量に降りて来たのだ。

 四つ足で群れで行動するルプスの群れと、巨大な人型の獣――ウルシダエが複数。

 

 小さい村ならすぐに蹂躙されてしまう規模の群れで、それなりの討伐隊が必要な量ではあったが……。

 その魔物の群れが片端から野菜か何かのように次々と切り伏せられる。

 やっているのは細身の全身鎧に光り輝く剣を持った女――クリステラだ。


 クリステラは小枝でも振るように剣を軽やかに振り回し、一振りごとに魔物を両断し即死させる。

 尋常ではない技量だ。 もはやいつもの事なので驚きはしないが……。

 俺は反対側で暴れているもう一人の女の方へと視線を向ける。


 こちらも全身鎧だが、クリステラのように体格が分かる程に細身ではないが重厚な印象を与えない意匠だ。

 白金に輝く鎧と兜の所為で表情は分からないが集中している事は分かる。

 そいつは向かって来るルプスに何も持っていない左腕を向けると鎧の腕部分が左右に展開、弓のような形状に変化。


 同時に氷の矢を形成して射出。 向かって来るルプスを次々と射抜く。

 迫って来るウルシダエにも同様に打ち込む。 分厚い外皮に阻まれて余り通っていないが、弓の能力のお陰で矢が刺さった部分を中心に凍結している。

 それでも大型の魔物だけあってまだまだ動けるようだ。

 

 効果が薄いと見るや即座に弓を引っ込めると、袖口の部分から銀の鎖のような物が飛び出してウルシダエの首に絡みつく。


 次の瞬間、全身鎧は宙を舞っていた。

 鎖が凄まじい勢いで巻き取られ、その反動を利用して一気に肉薄したのだろう。

 間合いに入ったと同時に腰の剣――橙色に輝く妙な剣を抜いて一閃。


 その巨体を両断する。

 一瞬遅れてずしんと小さく地響きが起こった。 魔物が崩れ落ちた衝撃だろう。

 周囲を見ると動いている魔物は残っておらず、全滅したようだ。


 俺と周囲に展開していた部下達は完全に出番なしで終わってしまったぞ。

 あれだけ居た魔物の群れを二人で片付けちまいやがった。

 両者は周囲に敵がいなくなったことを確認してそれぞれ武器を収めて合流。


 お互い談笑しながら歩いて戻って来る。

 

 「……お疲れさん」


 声が届く距離まで近づいて来た所で声をかける。

 

 「いえ、苦戦する程の相手ではありませんでした。 やはりこの程度の魔物相手にこの数は大げさでしたね」

 「そうでもないよ。 取りこぼしが出るかもって考えると包囲して逃げ道を塞ぐのは必要だったと思うかな?」


 クリステラとそれをやんわり窘めているのが最近話題の聖女様だ。

 ちらりと聖女様が腰に佩いている剣を見る。 それはこの国に伝わる伝説の聖剣だ。

 聖剣をぶら下げているから聖女様とは何とも安直なと思っているがその働きは決して名前負けしていない事は良く理解していた。


 俺はこっそりと溜息を吐きながらどうしてこんな事になったんだろうなと空を仰いだ。



 

 事の起こりは王都での騒動の後――ダーザインの連中と別れた少し後だ。

 街で暴れている魔物の鎮圧に手こずっている頃だったか。

 正直、近衛騎士や生き残った聖騎士連中に任せれば問題ないだろうし、下手に首突っ込んで捕まっても笑えないのでクリステラと保護しているお嬢ちゃんを連れてさっさと高飛びと行こうかと思ったが、俺の隠れ家の近くでも魔物が派手に暴れていたので対応せざるを得なかったのだ。


 クリステラは強い。 そして強者と言うのは目立つ物だと言う事を俺はあまり理解できていなかったらしい。

 凄まじい勢いで魔物どもを次々と仕留めるクリステラはとにかく目立つ。

 お陰で安全地帯を求めて来た連中がどんどん集まってきて身動きが取れなくなってしまったのだ。


 結局、放置して逃げる事が出来ずに拠点を築いて魔物への反攻へ転じる際の先陣を切る羽目になった。

 俺も巻き込まれて付き合わされたんだが、一体どんな罪を侵したらこれだけの苦行を強いられるのだろうかと首を傾げざるを得ない。 ちなみにこの時点で一回、胃に穴が開いた。

 

 すぐに魔法で治療したが、信じられない激痛で物陰でこっそり泣いたぞ。

 そしてそうこうしている内に他も立て直したのか、魔物の駆除に成功して王都の騒動はある程度の収束を見せたのだが……。


 後に待っていたのは復興だ。

 破壊された建物の数はかなりの数に上り、死者に関しては数えるのも嫌になる程だろう。

 放っておけば辺獄へ消えるだろうが、巻き込まれる可能性を考えると最低限一ヶ所にまとめる事は必要だ。


 正直、どこから手を付ければいいのやらと言った具合だった。

 

 ……ある意味、ここが分水嶺だったのかもしれんな。


 思えばここで何を置いても逃げ出すべきだったのだ。

 逃げておけばこんな苦労を背負いこむ必要がなかったというのに……。

 派手に動けば不特定多数の目に留まるのは当然の結果だ。


 お陰で聖騎士達の生き残りに見つかって合流という形で取り込まれてしまった。

 クリステラも最初は難色を示したがお嬢ちゃんの言葉で手を貸す事を決めたらしい。

 そしてそこまで決まってしまえば俺に選択権はなかった。


 気が付けば生き残った聖堂騎士や聖殿騎士に混ざって会議で意見を求められる羽目に……。

 実際、王都では一人でも多くの人手が欲しいと言った有様で一刻も早く復興――とまではいかなくても最低限、国の中枢としての機能を取り戻さないと不味い事になるのは目に見えていた。


 国王を始め、国の重鎮が軒並み生存を確認できていない以上、死んだと見るべきだろう。

 幸か不幸か王の子供達は無事なので早い所後釜を――暫定的にでも王を決めておかないと妙な事を考える奴が間違いなく現れる。


 それを防ぐためにも後継の決定は急務と言って良いだろう。

 

 ……が、ここで最初の問題が噴出した。


 ジェイコブ王の子供は全部で十人居るがどいつもこいつも自分は相応しくないだのまだ早いだの父の代わりは務まらないだのと言い訳ばかり並べてやりたがらない。

 内心でふざけるな、お前等民から搾り取った税で飯を食ってるんだからこういう時には率先して動くのが筋だろうがと言ってやりたかったが、やる気がない奴には何をやらせても無駄だ。 宥めて傀儡にでもしようと考えたが後々の事考えると悪手になる。 短期的には上手く行っても長い目で見れば争いの火種になりかねんからだ。


 ちなみにその時、あちこちにと動き回っていたので忙しく、色々と考える事も多かったので睡眠時間が激減し、何故か小便が真っ赤になった。


 そう考えた俺は王族に見切りをつけ、グノーシスに許された権限内でやれる事をやるべきだと判断。

 協力者を増やすべきと提案しようとした矢先だった。

 更なる問題が噴出したのは。

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