第393話 「■■」

 全てが終わり、辺獄の大地に静寂が舞い戻る。

 生者への憎しみを滾らせた者達はその場に立ち竦み、街を守って居た者達は落ち着きを取り戻す。

 彼等は街を土足で踏み荒らす者を決して許さない。 それだけ街を愛していたからだ。


 そして――その最奥に座す神殿の前で飛蝗の転生者――その残滓は静かに街を見下ろしていた。

 理由は終わりが近づいているからだ。

 その証拠に街の全体からゆっくりと輪郭が失われ、陽炎のように揺らめく。


 これで終わりかと彼は思った。

 そしてその理由も察していた。 この地の存在を支えていた要たる魔剣が失われた事によって役目を終えたからだ。


 消滅する事に恐怖はない。 彼の胸にあるのはただただ無念と自らの無力に対する自責のみだった。

 思う。 結局、自分は何も守れなかったと。

 仲間、大切な人、自分を信じて付いてきてくれた皆――そして子供達の笑顔。


 こうなるのは理解していたのだ。

 敵は強大で勝ち目なんてこれっぽっちもなかった。

 あの戦いは負けるのが分かり切っていた正真正銘の負け戦だ。


 それでも、何かあるのではないのかと最後まで希望を信じて戦った。

 その結果がこれだと彼は小さく俯く。

 だから、自分が自我を持ったままこの地に縛られているのは罰なのだろうとぼんやりと考えていた。


 あれだけ死なせたのだから当然――いや、これでも生ぬるいか。

 そう考えて更に自嘲気味に思う。

 彼等の中には助かる目もあった者達も居たが、それを蹴ってまで自分に力を貸してくれたのにそれに応えられなかった。


 何が勇者だ。 何が英雄だ。 彼は自分を冷たく嗤う。

 ただ、おだてられてその気になった無能がから回った結果じゃないか。

 ぎちりと音がする。 彼が拳を握り締めたからだ。


 だが、それも終わる。

 この地は消滅し、魔剣によって維持されていた全ては無に帰す。

 考える。 果たして自分は許されたのだろうかと。

 

 消滅を前にして彼が考えたのはそんな考えだった。

 彼が自分を許す事は永劫有り得ないだろう。


 ――だが――


 それでも許されるのならと彼は考えた。 いや、考えてしまったとでもいうべきか。

 もう一度、ほんの一瞬だっていい。

 



 皆の声が聞きたい。

 

 それは命亡き彼の心からの願いだった。




 彼は空を見上げて噛み締めるように思い出す。


 ――背中は任せろ。 だからお前は前だけ見てればいい。


 そう言って最期の瞬間まで自分の背を守り続けてくれた仲間がいた。

 その槍捌きに何度も救われ、長い時間苦楽を共にした家族同然の存在だった。


 ――誰もお前に完璧さなんて期待してない。 何が言いたいのかと言うと……しくじってもフォローするから気楽にやれ……だ。


 そう言って自分と肩を並べて戦ってくれた仲間がいた。

 口数はそう多くなかったが、彼の行動は雄弁で何度も悩みや迷いを打ち払ってくれた。

 

 禁忌を破ってまで力を得て、一緒に戦ってくれた仲間がいた。

 助かる可能性を捨ててまで街に残って戦ってくれた仲間がいた。

 

 不安を押し殺し、最後の瞬間まで自分達を支えてくれた民が居た。

 状況を理解していたにも拘らず笑顔を絶やさなかった子供達が居た。

 彼等がくれたマフラーは彼にとって最高の宝物だ。


 そして――


 ――別に貴方にそんな英雄然とした行動なんて期待してません。 ですが、貴方は私が知っているどんな英雄譚の主人公よりも格好良かったですよ?


 そう言ってはにかんだ笑顔を向けてくれた彼女。

 衝突も多かったが、異形の自分を最初に受け入れてくれた彼女。

 もう一度、願わくばもう一度、あの花のような美しい笑顔を見たかった……。 


 彼は未練を想う。

 身体の末端から輪郭が失われているのが分かる。 消滅が近い。

 ふと気が付くとカマキリ、クワガタムシ、そして彼女が傍に佇んでいた。

 

 そこで彼はようやく周囲の状況に気が付いた。

 振り返ると街の皆が集まっていたのだ。

 兵士、聖騎士、民、転生者、そして子供達。


 ――貴方の下で戦えて光栄でした。

 ――勇者殿。 貴方は真の英雄であり、我々の誇りです。

 ――今まで守ってくれてありがとう。

 ――一緒にやれて楽しかったぜ。

 ――ありがとう。 ゆうしゃさま。


 そんな声が彼の脳裏に瞬き次々とアンデッド達は消滅していった。

 敬礼する者、最後まで彼に視線を向け続ける者、サムズアップする者、手を振り続ける者。

 仲間達が消えて行く瞬間、彼は彼等の笑顔を垣間見た。


 彼は耐えられなかった。

 その場に崩れ落ちて声なき声を漏らしながら涙を流し、思う。

 俺はそんなんじゃない。 伝説の勇者でも最強の英雄でも何でもない……何も守れなかった馬鹿野郎だと。 


 両肩を小さく叩かれる。

 顔を上げるとカマキリとクワガタムシが彼を見つめていた。

 二人は小さく顔を見合わせると――小さく笑みのような息を零す。


 ――またな。


 そう言って二人は消滅した。

 最後に残った彼女は彼にそっと近づくとその体を抱きしめる。

 彼の脳裏に彼女の笑顔と声が瞬く。


 ――お疲れ様。


 それを聞いて彼の中で何かが解けた。 力が抜ける。

 同時に心に安らかな物が満ちた。


 無念はある。 だが、自分は全力でやるべき事とやれる事をやり切った。

 だから、後悔はない。

 彼はそっと彼女を抱き返してそう考えた。


 ――そして――


 魔剣を持ち出した謎の男に小さな感謝を捧げ、願わくば自分達の辿った末路を越えて世界を――


 ――その場には誰も居なくなった。


 最後に誰も居なくなった街は名残を惜しむかのように辺獄の地にゆっくりと溶けて消えた。

 残されたのは何もない荒野。

 小さな風が寂し気に吹いた後、その場には静寂のみが残された。

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