第292話 「産卵」
聖堂騎士マネシア・リズ・エルンストは部下に接合してもらったばかりで痛む腕を庇いながら治療の済んだ相棒のイフェアス・アル・ヴィングを揺り起こしていた。
「イフェアス。 起きなさい」
何度か揺さぶるとイフェアスは小さく呻いて意識を取り戻した。
「……う、マネシア? 俺は一体……」
イフェアスは数舜の間、呆然としていたが、即座に意識を失う直前の出来事を思い出し、身を起こす。
「状況は!? あれからどうなっ――これは一体……」
周囲の状況を見て驚愕を露わにする。
理由は明快で、街が変貌していたからだ。
一面、炎に包まれておりあちこちで悲鳴や怒号が響き渡っていた。
彼が倒れていた場所は意識を失う直前までいた広場。
その場にいたのはイフェアスとマネシア、それと数名の聖殿騎士のみだった。
「私にもわかりません。 つい先程、閃光の様な物が街を薙ぎ払い、一瞬でこの状況です。 部下には住民の避難と救助を命じて行かせました」
「く、クリステラは?」
「逃げられました。 追撃を出したい所ですが、今はそんな事をしている余裕はありません。 貴方も手を貸してください。 今は動ける人間が一人でも必要です」
狼狽するイフェアスに対してマネシアは比較的冷静ではあったが、内心では疑問が渦を巻いていた。
先程の閃光が飛んで来たのは孤児院の方からだ。
明らかに、あそこで何かがあったであろうことは彼女にも想像がついた。
本来ならば真っ先に調べたい所だが、人命が優先と判断。
消火しようなどと言う考えは起こらない。 もう手の施しようがないからだ。
炎は完全に街を飲み込んでおり、ここまで燃えてしまえばもう自然に消えるのを待つしかない。
どちらにせよ、あれだけの炎を消火する手段がないのだから……。
イフェアスもやるべき事を認識し、武器を拾おうとして――半ばから折れた剣を見て肩を落とす。
「これを」
「すまない」
マネシアの持っていた予備の剣を受け取ると立ち上がる。
二人は小さく頷き、部下を伴って街へと駆け出した。
住民の避難は進んでいると思っていた二人だが――。
炎の中を進む彼等が見た物は避難誘導する聖騎士達でも救助されている住民でもなかった。
「……これは一体……」
イフェアスは呆然と呟く。
マネシアも同様で、絶句していた。
「くそおおおおおお! 一体なんなんだこいつ等は!?」
「叫んでないで戦え!」
「おい! おい! しっかりしろ!」
「畜生おおおおお! よくも仲間を!」
彼等の目の前で繰り広げられたのは救助ではなく戦闘だった。
先に向かった聖騎士達が見た事も無い異様な姿の魔物達と戦っている。
魔物は二人の知識に存在しない者でその造形は醜悪としか表現できなかった。
全身に口のような物が付いた者。
何故か全身から釘の様な物を生やした巨人。
グノーシスの象徴たる像に手足が生えたような者。
個体差はあるがどれも体の一部にグノーシスを象徴する意匠が施されているのだ。
その事実に二人の聖堂騎士は怒りを抱くがそれを上回る嫌悪感が湧き上がる。
「あの魔物が何処から現れたのかは気になりますが、今は脅威を退けるのが先です」
「そうだな。 まずは奴等を仕留めよう」
放置しておくと救助に支障をきたす。
それに――。
燃える建物の近くに無造作に散らばる物を見ればこの魔物の存在は許容できない。
死体だ。 大量の死体がゴミの様に散乱している。
明らかに炎に巻かれて死んだ訳ではなく、生きたまま解体されたようにしか見えない。
返り討ちに遭ったらしい聖騎士達の死体も多い。
それだけ手強いのは間違いないようだ。 生き残っている者達も住民を庇ってまともに動けていない。
二人の聖堂騎士が参戦した事によって現場の士気は上昇したが、厳しい状況であることには変わらない。
手近に居た何故か甲冑を纏ったような見た目の魔物にマネシアが鉄槌で打ちかかるが、魔物は見た目からは想像もつかない機敏さで躱す。
マネシアはその動きを見て背筋が冷える。
魔物の動きではない。 明らかに戦い慣れている者の動きだ。
彼女は戦闘だけではなく観察にも優れているのでこの手の機微には敏感で、指揮なども良く任される。
その彼女の観察眼は魔物の群れにある特徴を見つけた。
確かに統一感のない造形だが、動きには僅かな傾向がみられるのだ。
魔物は大きく分けて二種に分けられる。
巨大な物や人型から完全に逸脱している者は力押しで攻め、人型に近い者はかなり巧みな動きを見せている。
何より厄介なのが――。
視界の端で聖騎士が魔物の攻撃を剣で受け流し、反撃に転じようとした所で巨大魔物に踏みつぶされた。
明らかに誘導して隙を作らされた。
――不自然なぐらいに連携が取れているのだ。
それは戦っているイフェアスも感じているようで「くそ、こいつら妙に連携が…」と忌々し気に吐き捨てる。
彼は相手の手数と動きで悟ったようだが……。
数度打ち合っただけで、彼女はこの戦いの勝敗が見えた。
負ける。 それも確実に。
イフェアスは武器を失い。 自分は腕を魔法で繋げたばかりでまともに動かせない。
燃え上がる炎と殺される住民達は体力と集中力を奪う。
そうなれば取れる手は限られる。 殿を残しての撤退。 だが、問題は誰を残すかだ。
選択肢は二つ。 自分かイフェアスか。
この魔物の群れ相手に時間を稼げるのはどちらかしかいない。
だが、それは確実な死を意味――。
「マネシア。 他を連れて逃げろ。 ここは俺だけでいい」
イフェアスも全く同じ事を考え、どちらを残す方が得かを考えた。
結果、指揮や統率に長けた彼女であると結論を出したのだ。
それに彼の聖堂騎士としてではなく、一人の男としての矜持も彼女を逃がせとその結論に諸手を挙げて賛成した。
……その結果が死であったとしても。
恐らく自分は誇りを胸に死ねると確信した。
「……ですが……」
「生き残りを纏める奴が要る。 お前ならそれだけ聞けば分かるだろう。 お前に俺の代わりは務まるが逆はない。 さ、行くんだ」
マネシアは頷く。
迷いはない。 何故なら状況が迷う事を許してくれないからだ。
マネシア・リズ・エルンストは聖堂騎士としての正しい判断をする。
部下と生き残りの住民を率いて後退を始めた。
一人でも多くの者を救う為に。 仲間の覚悟を無にしない為に。
それを見たイフェアスは満足げに頷いた後、魔物の群れに飛び込んでいった。
それはイフェアス・アル・ヴィングの人生を紐解いても最大の戦いであっただろう。
聖堂騎士の象徴たる武器を失い、クリステラとの戦闘で癒したとはいえ大きな傷を負い、疲労も頂点を極めていた。
武器は相手の硬さに屈して破損。
その度に死んだ者の武器を拾って何度も立ち上がった。
人々が見れば勝ち目のない戦いに果敢に挑む彼を勇者と称えたかもしれない。
彼自身、有終の美を飾るつもりで、覚悟を決めている。
消耗は激しいが、意思は折れていない。
……まだまだ戦える。
皆の為に一瞬でも多くの時を稼ぐ。
その一念で立っていた。
――だが――。
不意に魔物達が動きを止める。
イフェアスは訝しんだが油断はしない。
何が起こっても対処してみせる。 そう考えて神経を張り巡らせた。
最初に得た情報は音。
しゃんという澄んだ音を耳が拾ったのだ。
少し遅れて足音。 こつこつと石畳を叩く音が聞こえる。
音が近づいた所で魔物の群れが左右に割れた。
イフェアスは悟った。
敵の首魁かと。
同時に上等だと思った。 ここで首魁を仕留めれば敵の動きをかなり抑制できる。
……刺し違えても仕留めて――。
その思考は
悍ましい魔物の群れ。 その首魁なら最も醜悪な姿形をしている、そう考えていた。
だが、現実は彼の想像を軽く上回っており、驚愕に目を見開く事になる。
形状は人型、背の高さはイフェアスよりもやや低いぐらいだろう。
背には灰色の羽が四枚。 服装は破れてしまい見る影もないが修道服か何かだろう。
頭には鈍色の光を放つ光輪。腕は六本。 その内の一本には見覚えのある錫杖。
剥き出しの腹には不自然な膨らみがあり、例えるなら唇を縦にすればあのような感じになるかもしれない。
――そして顔が何故か三つもあった。
正面に一つ、そして左右に全く同じ顔が一つずつ。
イフェアスはその顔に見覚えがあった。
「修道女――サブリナ?」
修道女サブリナ。
マルグリット孤児院の長にして元聖堂騎士。
手に持つ錫杖はその時に使用していた物と聞いていた。
サブリナらしき者はイフェアスを見ると微笑む。
その笑みが記憶にあるままだったのが恐ろしかった。
「――――!」
同時に左右の顔が同時に何かを発した。
少し遅れて何かが羽ばたく音が響き渡る。 それも大量に。
空を見上げると、何かがこちらに向かって飛んでくるのが見えた。
近づくにつれてその正体が明らかに――。
「っ!?」
思わず息を呑む。
子供達だ。
体のあちこちから何故か羽や腕を生やしていたが、顔の造形は変わっていない。
教会で何度か見た事がある。
修道女や神父に連れられはにかんだ笑顔を浮かべていた子供がいた。
用事で孤児院の中に入った時に案内してくれた子供がいた。
そんな彼等が異形となり果てて、空を泳ぐように飛んでいる。
訳が分からない。 意味が分からない。 理解が出来ない。
子供達はゆっくりとイフェアスを取り囲むように着地していく。
それに対し思考が完全に固まってしまった彼はまともな反応が出来ない。
理性は敵だと訴え、本能は逃げろと警鐘を打ち鳴らす。
それらがせめぎ合った結果、何もできずに立ち尽くすという事を彼に選ばせた。
不意に彼の耳が異音を拾う。
水っぽい何かを地面にぶちまけたような音だ。
反射的にそちらに視線を向けると、サブリナの腹から液体に塗れた何かが複数落ちる。
濡れたそれは巨大な卵のようにも見えるが――。
地面に落ちたそれらはぶるぶると震えたかと思えば羽を生やしてゆっくりと羽ばたく。
宙に浮いた卵たちは迷いのない軌道で周囲に転がっている死体に取り付くと、体内に沈み込む。
動いた方が良いのは理解しているのに何故か体が動かない。
イフェアスは子供のように身を振るわせる事しかできなかった。
――変化は続く。
卵に取り付かれた死体はびくりとその身を震わせるとぎくしゃくとした動きで起き上がり――
――その背を突き破って赤黒い羽が生えて来た。
死んだ住民が起き上がった。 死んだ聖騎士が起き上がった。 死んだ聖殿騎士が起き上がった。
死んだ男が起き上がった。 死んだ女が起き上がった。
次々と死体が起き上がった。
そして異形となり果てた子供達が自分を見ている。
金属が石畳を叩く音が聞こえた。
それは持っていた剣を取り落とした音だというのにイフェアスは気付かなかった。
イフェアス・アル・ヴィングは聖堂騎士だ。
聖騎士の最高峰。
強い意志と強い力で人々を守る。
思う。
聖堂騎士? 何とも頼りない肩書だ。
目の前に現出した悪夢その物の光景に何の役にも立たない。
思う。
この何もかもが狂っている光景は何だ?
俺は夢でも見ているのか?
思う。
何で俺はこんな所に居るんだ?
何もかもが分からなかった。
ただ目の前の光景が悪夢と絶望を具現した物であると言う事以外は。
サブリナは錫杖を地面に打ち付ける。
澄んだ音がすると同時に周囲の異形たちが一斉に襲いかかって来るのをイフェアスは絶望の中、他人事のように眺める事しかできなかった。
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