第234話 「疑念」

 「……うっ」


 寝台で寝ているクリステラが小さく呻くとゆっくりと目を開く。

 

 ……やっと目を覚ましたか。


 俺――エルマンはそう思いながらほっと息を吐く。

 

 「ここは?」

 「俺の部下が押さえていた宿だ」


 声をかけるとゆっくりとした動作でこちらを向く。

 表情には困惑のような――いや、何か違うな。

 どちらかと言うと呆然と言った方が適切かもしれない。


 いつものお嬢さんなら跳ね起きてすぐに状況を聞いてきそうなのだが…。

 一体どうしたってんだ? あの野郎に何かされたのか?

 少なくとあの戦いで何かあったのは確かだろう。


 クリステラはしばらく視線を彷徨わせた後、ぼんやりと口を開く。


 「……そうですか。 あの後、何があったのですか?」


 やっとかよ。 どうも頭が働いていないようだな。

 もう少し休ませた方が良いか?


 「正直、悪い報告しかないから落ち着いてからでも構わねぇが?」

 「……いえ、大丈夫なのでお願いします」


 とてもじゃないが大丈夫には見えない――まぁ、本人が良いと言っているのなら構わんか。

 俺は見聞きした物事を順番に話す事にした。

 恐らくは本人が一番知りたがっている意識を失った後の事に主軸を置いての話となったが……。


 「そうですか。 サリサが……」

 「あぁ、俺達を逃がす為に囮になった。 恐らくはもう――」

 

 辛い報告を聞いたクリステラはそうですかともう一度呟くとそっと目を伏せた。

 それを見て俺が抱いた印象は違和感。

 その正体は直ぐに分かった。 反応が薄いのだ。


 別の事を考えていて、まるで部下の死が二の次となっている印象すら受ける。

 いや、流石にそれはないかと、内心で首を振る。

 少なくとも俺の知っている限り、クリステラと言う女はそこまで情が薄くは無いはずだ。

 

 話を続けてもいいが、いい加減に違和感の原因を知っておきたい。

 今度はこちらかから聞くとしよう。


 「途中だが、今度はそっちの話を聞かせて欲しい。 俺と別れてから何があった?」


 クリステラはぼんやりと俺の方に視線を向けるとぽつぽつと話し始めた。


 「あの後、私はマルスランと戦いながら移動して大聖堂に入りました。 ……そこではダーザインが、非戦闘員の虐殺を行っていたので止めに入って――そこでも戦いになり、それで――」


 そこまで言うと急に黙り込む。


 「その後には何が?」

 「敵は複数で手強く、私は追い詰められました。 そこで御使い様の声を聞いて、力を授かりました」


 御使い? 天使って奴か?

 声が聞こえた? 口振りから察するに召喚した訳じゃないのか?

 

 「御使いって言うのは天使って事でいいのか?」

 「……はい」

 「お前はそいつを召喚した?」

 「いいえ。 急に頭に声が響きました」


 何だそりゃ? 何らかの要因で召喚された?

 そもそも天使って口が聞けたのか? 聞いた話じゃ、見境なく暴れるだけで知性は感じられんと聞いたが……。

 今一つ、要領を得んな。


 「他に変化はあったか?」

 「……そうですね。 首飾りが急に熱くなったような気が……」


 ……首飾り?


 恐らくはグノーシスのシンボルを模った首飾りだろう。

 当然ながら、俺の首にもぶら下がっている。

 

 「その後は体が軽くなって……」


 クリステラの説明はどんどん尻すぼみになっていく。

 おいおい。 本当にどうしちまったんだ?

 気になるのはその後だ。


 「その後はどうなった? 意識を失う直前まで戦っていた奴は何者だ?」


 クリステラの異常の原因は恐らくそいつと戦った事だろう。

 俺も一瞬見ただけだが、何だったんだあれは?

 恐らくは戦闘が原因でああなったんだろうが、普通ならどう見ても死んでいるような有様で動いていた。


 ダーザインの幹部? それとも魔物の類か?

 そう言った疑問を乗せての質問だったが、クリステラの反応は芳しくない。


 「……分かりません」


 返って来たのはそんな歯切れの悪い答えだった。


 「分からない? そりゃどういう事だ?」

 

 思わず語気が荒くなる。

 お前がそんな調子でどうする? サリサはお前の為に命を投げ出したんだぞ?

 別れ際の彼女の笑顔を思い出す。 そんな事を考えると冷静さが保てない。 


 「確かに敵とは戦いました。 追い詰めはしたのですが、何が起こったのかよく……」


 そう言ってクリステラは俯く。

 それを見て俺は溜息を吐いた。 駄目だ。 話にならん。

 これは少し時間を置いた方がいいな。 俺自身にも冷静になる時間が必要だ。


 意識していなかったが、我ながら相当苛ついている。

 

 「……そうか。 後日、上へ報告の必要があるだろうから、話は整理しておくと良い。 それで、この後の話だが……」

 「ええ。 一度、王都へ向かうと言う事で?」

 

 ぼんやりとして、何処か他人事のクリステラに苛立ちを覚えるが、ぐっと飲み込んで話を続ける。

 

 「そのつもりだが、恐らくは途中で救援に来た連中と合流できるだろう。 そこで報告後、指示を仰ぐことになりそうだ」

 「分かりました。 ではすぐにでも発つ準備を――ところでここはウィリードですよね?」

 「……あぁ」


 今更かよと言ってやりたくなるが、黙って頷いておいた。

 

 「着替えや必要な荷物は一通り揃えておいた。 準備が出来次第、声をかけてくれ。 調子が戻らないのなら一日ぐらい待てるが……」

 「いえ、大丈夫です」


 俺はそうかいと言って部屋を後にした。

 宿から出た俺は魔石を取り出してこの後に出発する旨を部下に伝える。

 振り返って視線をやや上へ向けた。


 その先にはあちこちから煙を立ち昇らせるムスリム霊山が見える。

 あれから一日と半分が過ぎた。

 クリステラを抱えた俺は緊急時に備えて押さえておいたこの宿に転がり込み、彼女を預けた後に街に住居を持つ者や休暇を過ごしていた者をかき集めて事情を説明。


 外への使いや報告へ行かせたり、出発の準備等で走り回り、あれから一睡もできていない。

 加えてスタニスラスの死やサリサを捨て石にした事。

 様々な要因が思った以上に心身に負担を強いているらしい。


 我ながら苛ついてしょうがないな。

 頭痛も酷い。 魔法で誤魔化しているが、どこかで休まないと不味いか。

 不意に懐の魔石に反応があった。 取り出して起動。


 相手は霊山の様子を見に行かせた部下だ。


 ――俺だ。 どうだった?


 ――頂上まで上がりましたが、酷い有様です。


 建物は完全に破壊されており、原型を留めていない死体らしき物が散乱。

 ダーザインの姿はない。 恐らくはやる事をやって引き上げたようだ。

 簡単に捜索は行ったが生存者は皆無。


 当然だろう。 あれだけ周到に準備して攻めてくるような連中だ。

 生存者を残すなんて間抜けは晒さないだろう。

 とにかく、この地での危機は去ったと考えるべきか。


 出た被害を考えると、とてもじゃないが喜べないな。

 俺はこの後の移動経路や物資の調達の事を考えながら歩き出した。

 この様子だともうしばらくは眠れなさそうだ。





 「……私は……」


 エルマン聖堂騎士が去った宿の一室で私――クリステラはぼんやりと呟きました。

 あれは一体何だったのでしょう?

 脳裏に流れ込んで来た記憶。

 

 今では遠い夢のようで詳細は思い出せませんが、あの圧倒的とも呼べる現実感は私の心に刻み付けられています。

 憤怒、嫉妬、妬み、あらゆる負の感情の坩堝。


 少なくとも私はそれを知っている筈でした。

 ですが、私に流れ込んで来たそれは、知っているそれとは完全に別物と言っていい程の物で、時間が経った今でも消化できずに持て余しています。


 この考えは捨てなければならない。 少なくとも今までの私なら即座にそう決めたでしょう。

 ですが、今の私にはとてもではありませんが捨てられませんでした。


 ある人の憤怒を見ました。

 顔も名前も思い出せませんが、大切な物を奪われて発露した純粋なそれをどうして否定できるのでしょう。


 ある人の嫉妬を見ました。

 努力は怠っていない筈なのに結果が出ない。

 ……にも関わらず、欲しい物を容易く手に入れる者がいる。


 その他様々な物を見ました。 中には救いようのない外道もいました。

 彼等は生まれついての略奪者で、人から奪わないと生きて行けないと言っていい道を歩んでおり、私が学んだ「人は本質的に善である」と言う教えに真っ向から反発する物でした。


 ……では正義とは一体何なのでしょう?


 絶対的な善。

 私達、聖騎士はそう在れと教えられ、そう在れると認められた者達の筈。

 ……その筈なのに私には分からなくなりました。


 悪とは道を踏み外した者の事を指すのではないのですか?

 道を踏み外す所か道を歩いていない者は何なのですか?

 そして道を踏み外さざる・・・・・・を得なかった者は悪なのですか?


 いつものようにお教えくださいと祈りを捧げましたが、気分は晴れる所かどんどん重くなっていきます。

 どうしてでしょう? どうして主は何も答えて下さらないのですか?

 あの時に御力をお貸しくださった時のように、私に道を示しては下さらないのでしょうか?


 どうしてどうしてと脳裏は疑問符で埋め尽くされ、思考は答えを求めて彷徨う。

 

 ――そして――。


 思考の一部が小さな結論を出した。 ……出してしまった。

 


 ――果たしてグノーシスは――我々は本当に正義なのでしょうか?


 

 決して考えてはいけない事を。

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