第13話 君がくれるものはいつも、僕があげられるものよりも多い。

 ぬるくなったフライドポテトと氷が溶けだして味の薄まったアイスティーを、それでも2人で美味しくいただいて、休憩もそこそこに俺と花乃は再び水族館の中へと入っていった。

 薄暗い通路を歩きながら、熱帯魚やメダカなどの入った水槽をちらちらと眺めていく。



「ペンギンも見たいねぇ」



「あ、ああ! ペンギンね! ペンギンはいいよな!」



 呑気にそう言う花乃に対して、俺はどぎまぎとしている。少し考えていることがあって、しかしそれを花乃に伝えて受け入れてもらえるのかが不安で、挙動がぎこちなくなっている。

 そんな俺に気付いたようで、花乃が訝しげに俺を見る。



「どうしたの? なんかおかしくない?」



「お、おかしくなんてないぜ?」



「“ぜ”って、キャラ違うでしょ。何か言いたいことがあるなら言ってよ。別に怒らないから」



「なんで怒られる類いの話だと思ってるの? 俺何かしたっけ……」



「私がそれを聞きたいよ。違うなら、じゃあ何?」



 俺を振り向く花乃の背後では、小さめの水槽で金魚達が悠々と泳いでいる。悩みが無さそうで羨ましい。

 いや、もしかしたら金魚達も、彼らなりに悩みを抱えているのかもしれないが。


 ともかく、言うならこのタイミングだろう。

 花乃の返答次第では俺が傷つく可能性があるが、そうしたらそこの金魚達に癒してもらうことにしよう。俺の払った入場券の代金できっとこの金魚達の餌が買われたりするのだろうから、還元してもらうことにしよう。

 まあ金魚達からすれば、俺が還元しているのだろうけど。いや、そもそもそんなことを考えないか。

 よし、俺も深く考えずにいこう。



「あのさ、1つ提案があるんだけど……」



「提案?」



「うん。いやさ、花乃が持ったものは花乃と同じように存在が消えるって言ったよな?」



「そうだね。私が試したところでは、そうだったよ」



 花乃の言葉に、俺は1つ頷いてみせる。



「じゃあさ、もし、俺が花乃と手を繋いだら、俺はどうなるんだろうな。っていうのを考えたんだけど、試してみないか?」



「うーん?」



 花乃は唸りながら、まるで詐欺師を見るような目で俺を見る。内心を見透かされているようで、俺は冷や汗をかく。



「さ、さすがに花乃も試したことないんじゃないかなって、思って! ほら、花乃の問題を解決するには出来るだけ情報が多い方がいいし!」



 早口で捲し立てる。

 きっと今の俺は客観的に見ても怪しいだろう。自信がある。



「まあ、確かにそうかもしれないけど……。あのね、確かに私は、人に認識されなくなってから意図的に誰かに触れたことはないよ。でもそれは、私が触った人が私みたいになっちゃったら申し訳ないって思ったから。てゆうか、申し訳ないじゃ済まないけど。意味の分からない現象だし、危険なことはしないほうがいいと思う」



 正論だ。

 しかし俺はここで引き下がることは出来ない。ここが水族館で、花乃が隣にいるなら、チャンスは今しかない。

 俺は一瞬で頭を働かせる。社会人として培った必殺技、『臨機応変な対応』を心掛ける。

 正論に対抗できるのは、いつだって別の正論なのだ。



「確かに、花乃の言う通りかもしれない。でも、それを恐れてたら事態は好転しないと、俺は思う。それに、俺は昨日の夜も今日の朝も、さっきだって花乃に触れてるけど、今のところ存在は消えかけてない。だからもし仮に消えるとしても、他の物と同じように、花乃と手を繋いでる間だけじゃないかって推測してる」



「うーん、そう、なのかな……」



 まだ花乃は不安げだ。だが、ここで押せば行ける気がする!

 俺は言葉を畳み掛ける。本音なので、特に考えずとも口から滑り出てくれた。



「それにもし、俺が花乃みたいになっちゃったとしても、俺としては本望なんだ。絶対同じ立場になれないって思ってた花乃と、苦楽を共にできるなんて最高だよ。だから、花乃は何も気にしなくていい」



「いや、普通に気にするけど……。春樹が良くても、私としてはやっぱり責任を感じちゃうよ」



「花乃、さっき俺は、君を特別扱いしないって言ったよな?」



「え、うん……」



「それは遠慮しないっていう意味だ、大まかには。だから花乃も、俺に遠慮しなくていいんだ」



 しっかりと花乃の瞳の、その奥を見つめて俺は言った。花乃もしばらく感情の読み取れない表情で俺に視線を返していたが、しばらくして頷いた。



「分かったよ。春樹がそこまで言ってくれるなら、私ももう少し甘えさせてもらおうかな」



「じゃあ――」



「でも、手を繋ぐかどうかは、春樹の本心を聞いてからかなぁ」



 花乃は手を差し出そうとした俺を意地の悪そうな(ただそれでも可愛いから恐ろしい)目で制して、俺の図星を突いてくる。

 はあ、どうやら俺は、格好よく振る舞うことは出来ないようだ。


 そんな諦めと覚悟を織り混ぜて、俺は花乃に本心を告げる。



「花乃と手を繋いで歩きたいです! お願いします!」



 言葉尻で頭を下げ、手を差し出す。左手には閉じて纏めた傘を持っているので、右手だ。

 他の人から見ればおかしなことをしているように見えるだろうが、今それを気にしている場合ではない。というか、花乃がそこにいる以上、俺にはやっぱり花乃の視線しか気にならない。

 花乃から見える景色だけが、気になる。


 少しの間、沈黙が二人の間に流れ、いたるところから聞こえる水の音と、周囲の客達の歓談する声が耳の奥に届く。

 花乃は、迷ってるのだろうか。それとも、俺を泳がせているのだろうか。

 もし、体のいい断り方が思い浮かばないで悩んでいたらと思うと、落ち着かない。

 俺自身が傷つくのはいいが、俺は花乃を困らせたくない。不安が徐々に大きくなって、手を引っ込めてしまおうかと思った、その時。


 俺の手の指を、小さな手がきゅっと、優しい力で掴んだ。驚いた俺は反射的に顔を上げる。



「春樹は仕方ないね。手、繋いであげるよ」



 そう言って笑みを浮かべる花乃は、天使以外の何者でもなかった。



「あ、ありがとう……」



 俺は急に恥ずかしくなって、ぎこちなくお礼を言う。こういうとき、ちゃんと女の子をリード出来る男らしさが欲しかったが。そんな急に手に入るものではないので早々に諦めた。

 と、俺の内心を知らない花乃が。



「さ、行こ?」



 優しく手を引いてくれる。

 これではどっちが歳上だか分からない。俺は多少の情けなさを感じながら、それでも花乃の優しさに感動していた。



「えっと……よし、行こう!」



「ペンギン、ペンギン見たいんだよね。ここ進んでったら会えるのかな?」



「ああ、この小魚エリアを抜けると巨大水槽があって、その先外に出ればペンギンが居るはずだよ」



「おお、すごいね。覚えたの?」



「まあね。さっき花乃がポテトを貪っている間に頭に入れといた」



「貪ってるっていう表現は酷いなぁ。私は女の子だよ?」



「知ってるよ、俺は君以上の女の子を知らない」



「はいはい」



 あっさり流された。

 喜ぶべきか悲しむべきか、どうやら花乃も俺のちょっと重たい想いに耐性が付いてきたようだ。



「ところでさ、結局こうしてて、君は他の人に見えてるのかな?」



 花乃の左手が“きゅう”と俺の右手を締め付けてくる。それだけで俺の血流は速くなり、鼓動は高鳴る。それを悟られないように冷静さを装う。もう格好悪いところは見せたくない。



「ああ、そうだな。じゃあちょっと、試してみるか」



「試すって、どうやって?」



「まあ、見てれば分かるよ」



 そう言って俺は花乃の手を引いて、近くでチンアナゴの水槽をまじまじと眺めているカップルに近づいて、声を掛ける。



「すいません」



 カップルは俺の声がちゃんと聞こえたようで、振り返ってくれる。人の良さそうな素朴なお兄さんと、ちょっと化粧が濃い感じはあるが顔は綺麗な女性のカップルだった。



「あの、ペンギンてどこに居るか分かりますか?」



 俺の質問に、カップルは顔を見合わせて意見を交換しているようだ。本当のところ俺はその答えを知っているので申し訳なさを感じるが、しかし今は別の目的があるので許してほしい。一応、内心で謝罪はしておく。

 とはいえ、その別の目的ももうほとんど達成している。こうしてこのカップルと会話が出来ているということは、俺の存在はちゃんと認識されているようだ。


 女性の方が口調が強く声も良く聞こえるなぁ、と思っている間に意見交換は終わったらしい。「多分、この先行ったところだと思います」と、まとめた意見を教えてくれたのは、それでも男性の方だった。見た目の印象よりも低い声だった。


 俺は「ありがとうございます」と頭を下げて、そそくさとその場を離れる。手で繋がれている花乃も、当然付いてくる。



「見えてたみたいだね」



 カップルから大分離れてから、花乃が言った。



「そうだな。ということは、花乃が人に触れてもその人の存在が消えるわけじゃないってことだ」



「ふーん、そうなんだね。春樹、だからってあんまり私にベタベタ触らないでよね?」



「だから触らないってば! 君の嫌がることはしないって昨日言ったろ?」



「ふふ、ごめんごめん、冗談だよ。ちゃんと信じてるからね」



 そう言われてしまえば、俺はもう花乃の信頼を裏切ることは出来ない。ということを、花乃は分かっていて言っているのかもしれない。

 だとしたら、上手く手綱を握られたものだが、決して嫌な気はしないので俺はきっと重症なのだろう。



「あ、でも手はちょっとベタベタしてるけどね」



 いきなりのクレームにドキッとする。

 確かに、俺の手は少し手汗が滲んでいるかもしれない。ていうか、当たり前だ、花乃と手を繋いで緊張しているのだから。



「ああ……ごめん。嫌だよな。離そうか、検証も済んだし……」



「それが目的だったわけじゃないくせに。いいよ別に、このままでも。私は慣れてるしね」



 そう言って握った手をプラプラさせてくる。

 慣れてる、か。握手会の賜物なんだろうなぁ。

 正直もう、俺の心臓は爆発寸前だ。その理由は単純明快、花乃が可愛すぎるからだ。


 以前は、数秒1000円を支払って握手をしていたというのに、今は普通に手を繋いでいる。

 それを考えると俺はもう充分に幸せな人生を送ったと思う。だからもういつ死んでも悔いはない――と言いたいところだが、今の状態では花乃をまた孤独にすることになるので、死んでも死にきれない。

 まだ、がんばって生きることにしよう。


 決意を新たにして、俺は花乃の手を握る力を、少しだけ強くした。



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