第12話 自分の定義する幸せが正しいのか、それはきっと、最後まで分からない。

 クラゲのエリアを抜けると階段があって、それを上がるとフードコートなっていたので俺と花乃は休憩を取ることにした。

 さっきブランチ食べたばかりだが、テーブルの上に何もないのは少し寂しかったのでフライドポテトと、あとは例によって大きめのドリンクを1つだけ注文した。アイスティーにした。


 端の方の白くて丸い天板の乗ったテーブルに陣取って、デザインは凝っているが座り心地はそれなりな椅子にそれぞれ腰掛ける。



「それにしても、今君って他の人からは1人で水族館に来てるように見えるんだよね」



 花乃が言う。まあ、改めて考えればそういうことになる。水族館だけあってさすがにカップルが多いので、そんな中では俺は多少異質に見えることだろう。



「嫌じゃない?」



「全然。何せ俺は、君以外の人間の視線を気にしたことがないからね」



 虚勢を張っている。

 本当は、会社の連中にでも見られたらと思うとひやひやする。しかしそれを言ってしまえば、きっとまた花乃は申し訳なさそうな顔をするのだろう。だったら俺は、虚勢を張る。

 俺は花乃に嘘も隠し事もしたくないが、嘘をつくことで花乃が傷つかずに済むなら、迷わずに嘘をつく。花乃を傷つけるくらいなら、大切な人に嘘をついて自分が傷つく方が全然いい。



「おお……結構トガった生き方をしてるね」



「そうかな?」



「うん。まあ、私の目には君も他と変わらなく見えるからね。君が良いなら良いんだけど」



 やはり花乃は相変わらず、俺に気を使っているようだ。でも俺はそんなのはもうやめてほしいと思ってる。

 もし俺が、花乃のことを唯一認識出来る人間なのだとしたら、そんな相手に気を使わないといけないのは花乃が悲しすぎる。

 ただ俺は、その気持ちを上手く伝えられる言葉を持ってはいなかった。だからもう、上手く伝えることは諦めることにして、本心で話すことにした。



「花乃はさ……」



「ん?」



「俺にどう接して欲しいのかな?」



「えっと、どうって?」



「ずっと考えてたんだ。俺は君に、というかアイドルの秋月花乃に信仰みたいな感情を抱いていて、だから君の望むことであればすべて叶えてあげたいし、君の為に自分がどれだけ犠牲になってもいいって思ってる。それが俺にとっての幸せでもあるし。でもそれは、まっとうな人間関係ではない。普通の人間関係っていうのはもっと、対等なものだと思う。年齢とかそういうのは関係なく。でも俺には、憧れのアイドルだった花乃を対等に見ることは難しかった。でも、もし花乃がそれが嫌だったとしたら、俺は最大限の努力をしたい。俺はこれまで花乃に気を使っているつもりだったけど、それが逆に花乃に気を使わせてるような気がしたんだ。君は俺に、崇拝を望んでないように思えてきたんだ。だからもし君が、俺にもっと普通の、例えば友達とか、家族とか、或いはその……恋人みたいな気持ちで接してほしいっていうなら、俺は最後の信仰心をもってこの信仰を捨てるよ」



 花乃は俺の言葉を、キョトンとした顔で聞いていた。俺は出来るだけ真剣な目で花乃を見つめることで、どうにか想いを伝えようとしたのだが。



「ふふっ」



 何故か笑われた。地味にショックだ。



「君は大袈裟なことを言うね。でも、うん、嬉しいよ。ちゃんと私のことを考えてくれて、本当に嬉しい。ありがとうね」



 そう言って優しく微笑んでくれる。

 それだけで気持ちがすぐ上を向いて俺の中にも嬉しさが込み上げてくるのだから、俺は本当に単純だ。

 俺が花乃の微笑みに見蕩れていることにも気付かず、花乃は話を続ける。



「そうだねぇ、確かに私はもっと普通に、アイドルとしてじゃなくて1人の女の子として春樹に接してほしいと思ってる、かな。アイドルとファンの関係って特殊だなって、ずっと思ってた。近すぎないし遠すぎない。一定の間隔で、ずっとお互いを必要としてる。緩い共依存みたいだなって思ってた。私にとってそれがとても、大切な関係だった」



「共依存、か」



 花乃の言うことは、確かに俺にもしっくり来る。

 人それぞれなところもあるが、ファンにとってアイドルは希望だったり、支えだったり、擬似的な恋愛対象だったりと、ひと括りにしてしまえば“特別な存在”と言えるだろう。日常生活で得ることの出来なかった、大切な関係性だ。

 そしてアイドルからしたって、ファンが居なければ自分がアイドルということを実感できないだろう。俺はアイドルになったことがないから想像しか出来ないが、ファンからの言葉に支えられたり、存在を心強く思ったりするのだと思う。



「でもね」



 そう、『でも』だ。



「私はもうアイドルじゃない。だから春樹にも、そういう風に扱ってほしい」



 そうだとは、思っていた。

 俺にとって秋月花乃はアイドルで、信仰の対象で、特別な存在で。それは卒業したって何も変わらないと思っていた。

 アイドルだろうがアイドルじゃなかろうが、会えるとしても、もう会えないとしても。俺にとって秋月花乃は、どこに居て何をしてても秋月花乃という崇拝すべき人だった。

 そうでなくては、俺はやっていられなかった。

 希望が消えたと思いたくなかった。

 支えを失ったと思いたくなかった。

 失恋したと、思いたくなかったんだ。

 だから想い続けることで、俺は俺という存在を保ってきた。花乃を想っている限りどこかで繋がっていて、それが生きる意味だと思い込むことで、やっと俺は生きることが出来たんだ。


 でも花乃にとって、そんな感情を向けられることは居心地の悪さを感じるのかもしれない。

 だってそれは、花乃にしてみればアイドルをやめたことを、否定されているようなものなのだ。

 実際俺は、否定していたのだろう。

 どうしても、否定したかった。

 大切な人が、手の届かない場所に行ってしまうことを。


 でも、花乃は否定してほしくないと言っている。

 なら俺は、それに従う。

 それは、信仰を捨てたことになるのだろうか?

 分からないが、過去に縛られることが正しいとは思わない。今花乃がここに居てそれを望んでるなら、俺はそれを叶えてあげたいと思う。


 しっかりと息を吸って、そして吐いた。

 その動作をスイッチにして、覚悟を決める。



「分かった。じゃあもう、特別扱いはしない。俺は花乃を1人の、普通の女の子として扱うけど、いいか?」



 最後の了承を得るべく尋ねた俺の問いに、花乃は優しく笑みを浮かべて、力強く頷いた。



「せっかくこうして会えたんだから、その方が嬉しいよ。春樹、改めてよろしく!」



「ああ、よろしくな、花乃」



 ひとまず自分の気持ちを吹っ切って、俺は花乃との付き合い方を改めることにした。

 それが今、俺が花乃にしてやれることの最善だと信じて。


 それはそれとして、どういう風に振る舞うかはまだ悩む余地があるな。

 友達感覚、ていうのも距離感が程々でいい気もする。しかし俺はもっと親身になって花乃と関わるつもりなわけだから、ここはお兄ちゃんとか?

 お兄ちゃんと呼ばれるのは全然アリだ。むしろ呼んでもらいたい……いや待て。

 念の為に後々のことを考えるのであれば、ここでお兄ちゃんキャラが定着するのは好ましくないか?

 うーん、いっそここは一気に踏み込んで恋人、とか……?

 と思った矢先、花乃に出鼻を挫かれることになる。



「あ、でも、いきなり恋人みたいに振る舞うのはやめてね。私は誰かとこう、付き合ったりとかした経験はないからよく分からないけど、すごい身体を触られるのは嫌だなぁ」



「何考えてんの!? さすがにいきなりそんなことしないよ! ていうか出来ない! あのさ、俺だって彼女居たことないんだからな?」



「あ、そうなんだ?」



「まあねえ、さすがにアイドルを崇拝してるとなかなかいい出会いっていうのは無くってさ」



「む、私を言い訳にしないでよ。握手会にカップルで来てる人だって居たよ?」



「知ってるよ! でも俺は、ぼっちだったからね……」



「ああうん、それはなんとなく分かってたよ」



「え、なんで!?」



 俺は握手会にはそれなりにリア充感を漂わせて行ってたはずなのに!



「いや、うん、やっぱりあれだけの人と話す機会があると、なんとなく雰囲気で分かるようになっていくものだよね。だから君には結構優しくしてあげたでしょ?」



「そんな気遣いしてたの!? 」



 まったく気付かなかった……。いや、話して比較する友達が居ないんだからそりゃあそうか。しかし、今言われると逆に切ないなぁ。



「ほら、あんまり騒いでると変な目で見られるよ」



 と、どっちが歳上だか分からないような雰囲気で忠告をしながら、花乃はやっとフライドポテトに手を伸ばして、一本を口に運んだ。

 というか俺もフライドポテトの存在を忘れていた。

 俺には花乃の存在が大きすぎて、他の何もかもの存在が希薄に感じてしまう。いけないいけない、まだ信仰の余韻が残っているのかもしれない。

 まあ花乃が、俺にとって何よりも大切な存在ということはどちらにせよ変わりのないことか。


 しかし、だというのに、世間の人達にとっては逆なんだよな。

 花乃だけが、この世界から消えかけている。

 あり得ないことだ。

 いや、あってはならないことだ。

 花乃は、この世界に必要なんだ。


 少なくとも俺にとっては。

 花乃は俺と違って、歯車じゃない。

 花乃は、動力だ。

 歯車達を動かす、巨大な力なんだ。

 だから俺は、これまでどうにかやってこれた。


 不思議だ。

 花乃のファンだった人達がもしみんな花乃のことを忘れてしまっているのだとしたら、その人達は何を動力にして生きているのだろうか。

 代わりの何かが、見付かったのだろうか。

 俺には到底、替えのきくものとは思えないが。



「おーい、考え事?」



 気付けば花乃が、テーブルに頬杖をついて俺の顔を眺めていた。いけない、また思索に耽ってしまったようだ。花乃と再会してから、考えることが格段に増えたな。まあ、当たり前か。

 でも、頭を働かせていると生きてるって感じがする。



「ああ、花乃のことを考えてた」



「うん、それはなんとなく分かってるよ。でもね、そんなに悩まなくて大丈夫だよ」



 花乃はどこか晴れやかにも思える表情でそう言った。俺はそれを不思議に思う。どうして花乃がそう言えるのか、俺には分からなかったのだ。

 花乃が一番悩むはずだ。こんな訳の分からない現象に見舞われて、不安にならない人間なんて居るものか。



「花乃は、怖くないのか?」



 俺は率直に疑問をぶつけた。

 我ながら、馬鹿なことを聞いたと思う。



「怖いよ。そりゃあね」



 それでも、花乃は俺の目を真っ直ぐに見つめている。そこに恐怖の色は感じられなかった。



「でも、君に会えた。それだけで私は、結構救われたよ。本当はね、怖いとかもうとっくに通り越して、諦めてたんだ。もうどうしようもないなぁ、って思っちゃってた。そんな時に君に会えて、私は心の底から嬉しかったんだよ。まだ誰かと話すことが出来るんだって、希望を持てた。君が、私に希望をくれたんだよ」



 それは、本当なら俺が花乃に言いたいことだ。俺がどれだけ花乃に救われてきたか、そのお礼はどれだけ言っても言い足りないだろう。

 でも今は 、花乃の言葉が切実すぎて、俺は耳を傾けずにはいられなかった。



「だけどね、また希望を持ったら、同時にまた怖くなっちゃったんだよ。失うことが、怖くなっちゃったんだ。希望を、まだ誰かと話せる可能性を、そして何よりも、君を失うことが、私は怖いよ」



 ああ、ダメだ。

 そんな目で、俺を見ないでくれ。

 そんな泣きそうな目で、苦しそうな顔で、俺に言葉を掛けないでくれ。

 俺はどうしようもなく、君を抱き締めたくなってしまう。ここが何処だとか、誰が居るとか関係なく、君という存在を抱き締めたくなってしまうんだ。

 必死で抑える。感情を。行動を。

 きっと花乃は、今それを望んでないと思うから。



「だからね、君にお願いしたいことがあるんだ」



「お願い?」



 穏やかではない内心を悟られないように、落ち着いた声音を心掛けて話す。自分で自分の声じゃないと思うくらいに低いトーンが出てしまった。



「うん、あの、図々しいことだっていうのは分かってる。でも出来たら、私を君の近くに居させてほしい」


 花乃の目はいつものように、いや、いつも以上に澄みきっていて、まるで冬の星空のように輝いている。だがしかし残念なことに、俺はこの花乃の“お願い”に、真面目に返答することは難しそうだった。



「え、何言ってんの?」



 本心が口を突いて出る。

 本当におかしな話だったのだ。



「……そっか、そうだよね。うん、ごめんね。忘れて」



 花乃は無理に作った笑顔で、俺に笑いかける。



「いや違うんだ、俺は君にそんな顔をしてほしいわけじゃない」



「え?」



「あ、思ったこと全部言っちゃうな……。えっと、だから違うんだよ。『何言ってんの?』って、そういうことじゃなくって、花乃はバカだなぁと思って」



「バカ!? ……君、喧嘩売ってるの?」



「違うよ! 怒らないでくれ! あ、いや、怒った花乃もレアだから見てみたいけど……」



「変態」



「ありがとう。でも別に怒ってほしいって意味で言ったわけじゃないから誤解しないでくれ」



「普通にお礼を言うの、凄いね……」



 花乃が引いている。

 ショックではあるが、こんな花乃も珍しくて可愛いので、よしとしよう。



「ちゃんと説明するから、聞いてくれ。俺はさ、最初からそのつもりだったから、花乃は何を言ってるんだろうって思ったんだよ」



「最初からって、え?」



「昨日花乃に話を聞いたときから、花乃の支えになろうって、考えずに決めてた。まあ、花乃がそれを良いっていうかは分からなかったけど……でも、どっちにしろ俺が花乃のことを放っておけるわけがない。君がもし俺の家を出ていくって言うなら、俺が追いかけるに決まってるだろ」



 花乃は視線を少しさ迷わせて、最終的に俺を見つめた。



「え、じゃあ、良いっていうこと? その、一緒に居ても……」



「ダメなわけがない。だって俺は君が好きなんだから。好きな人とは一緒に居たいに決まってるだろ?」



 花乃が、恥ずかしそうに目を逸らす。

 それは俺に勘違いを指摘されたからなのか、それとも俺に好きと言われたからなのか、どっちだろう。

 後者だったら嬉しいなと、思う。



「君、ちょこちょこ私に告白してくるよね……」



 お、後者の可能性が高まった。



「うーん、もう知られてることを改めて言ってるだけだからなぁ。告白って言うかな?」



「好きな人に好きっていうのは、告白だよ」



 まあ、花乃がそう言うなら、そうなのかもしれないと思う。これも信仰の残滓かなぁ。なかなか捨てきれないものだ。



「じゃあ、再告白、ってことにしておこう」



「再告白かぁ、うーん聞いたことないけど……まあいっか。じゃあさ、私、君の家に住ませてもらえる……のかな?」



 ここに来て花乃はまだ遠慮がちだ。

 俺に『気を使うな』、みたいなことを言ったくせに。



「お願いします、うちに住んでください」



 俺はテーブルの天板に平行になるくらいに頭を下げた。



「ってなんで君がお願いするの!? あ! てゆうかそこの人に見られてるよ!」



「いいよ別に。言ったろ、俺は君の視線以外を視線と認めないんだ。それより返事、くれないかな?」



「うーん……愛が重いなぁ。分かった返事するよ」



 さすがに体勢を元に戻して、花乃の言葉を待つ。

 花乃は一度、深呼吸をした。

 花乃に吸われる空気が羨ましいし、花乃の吐く息すら愛しい。

 そんな俺は、愛が重いというか、普通に気持ち悪いだろう。自覚はある。でも直す気はない。



「君の家に、住んであげるよ。改めて、これからよろしくね。それと……ありがとう、春樹」



 こうして、俺の幸せは約束された。

 幸せというのが、自分が生きることの意味を自覚するということであるならば。



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