第6話 初めて見た君の素顔は、驚くほどあどけなく、そして綺麗だった。

 人間は嘘をつく生き物だ。


 俺は別にそれを悪いとは思わない。

 人間の社会はとにかく複雑で、思考と感情と思想が入り乱れて、人間関係は絶対に完成しないジグソーパズルのようだ。


 そんな社会だからこそ、人間は自然と嘘を覚えたのだと思う。それは所謂進化というものの一部だろう。鳥が空を飛ぶように、魚がエラ呼吸をするように、カメレオンが枝葉に擬態するように、人間も嘘をつくだけだ。


 自分が無数にあるピースの1つだとするなら、隣り合うピースに出会って自分を何も変容せずに居心地良く枠に収まることの出来る人間なんて、ほとんど居ないに違いない。


 みんなそれなりに、自分に描かれた絵を描き変えて、接合部を削ったり付け足したりして、どうにかどこかに嵌まって、決して綺麗ではない1つの絵を作り出している。


 それでも、全てが嘘じゃないことも知ってる。

 真実と嘘が共存しているのが、人間の良いところだと思う。それをいびつと捉える人も居るのかもしれないが、しかし俺は完璧な形の人間など居ないと思うし、もし居るのだとしたらそちらの方が気持ちが悪いと思う。


 みんな嘘をつくけど、そのベースにはやっぱり、本当の自分が居るのだ。いくら色を変えても形を変えても、元のピースであることには違いない。


 そういう考えに基づいて、俺は“嘘”というものを肯定している。


 だがしかし、そんな俺でもどうしても嘘をつきたくない状況がある。

 きっと誰にでもあるだろう。

 そして俺の場合それは、秋月花乃を相手にした時に他ならない。


 俺は、親にも友達にも会社の同僚にもそれなりに嘘をついて生きてきた。だがそんな人間らしさを地でいく俺でも、推しメンにだけは嘘をつかないと決めている。それは秋月花乃がグループを卒業した今であっても揺らがない、言わば信念のようなものだ。


 だから、秋月花乃からの質問がどんなに俺の知られたくない胸の内の核心に迫ることであっても、俺はそれを嘘偽りなく話したいと思う。

 別に、言いたくないと言えば済む話なのかもしれない。それは嘘をついたことにはならない。


 だがしかし残念なことに、俺は彼女に極力隠し事もしたくはないらしい。



「ちょっと待ってくれ」



 花乃は、自分とエッチなことをしたいか、と尋ねてきた。

 その言葉の真意はまったく掴めないし、その言葉にどう答えたらどうなるのか見当もつかないが、しかしそんな五里霧中とも言える状況でも俺は自分の信念を曲げる気はない。


 俺はスーツのジャケットを脱いで、花乃の肩に掛けた。



「とりあえずこれを着てくれ」



「けど、濡れちゃうよ?」



「そんなことはどうでもいい」



 今はそれより、花乃の目を見てちゃんと話したい。

 俺の思いが伝わったのか、花乃は俺のスーツにちゃんと袖を通して、前のボタンを留めてくれた。

 俺の身長は花乃よりも20cmほど高いので、際どさはあるがこれで身体は隠れたはずだ。



「ちょっと身体離すけど、良いかな?」



 名残惜しい気持ちもあったが、しかしそうしなければ花乃の顔をちゃんと見れない。

 花乃が頷いたのを感じて、俺は花乃の細い肩を優しく掴んでそっと離した。

 それでもとても近い距離で、俺と花乃は見つめあった。握手会ではあり得ない距離感だが、今はときめきも忘れている。



「可愛いな」



 ときめかずとも、本心が口から滑り出す。

 忘れていたが、花乃はお風呂上がりですっぴんだった。メイクをしていない顔はもともと可愛らしい顔がさらに幼く見えて、こんな子が歳の離れた妹だったら溺愛してしまうに違いない。



「ありがと……でもやっぱり、すっぴんを見られるのは恥ずかしいね」



 そう言ってはにかむ花乃の顔には、確かに照れが浮かんでいる気がする。

 それにはさすがに胸の奥がぎゅっと握られたような感覚を覚える。

 しかし今はそれに悶えている場合ではない。必死で気持ちを押さえ込み、俺は改めて花乃の目を見る。そこには自分の姿が映っていて、それを見て少しだけ冷静さを取り戻す。



「花乃、君は“好き”という言葉の意味を深く考えたことはあるか?」



 俺は冷静な頭で、きっと花乃にとっては訳の分からない質問をした。だがそれに花乃がどう答えるかは今重要ではない。

 これは俺の価値観を花乃に知ってもらうために必要な仮定だ。



「えっと……あんまり、ないね」



「そうか。俺は前、よく考えたんだ。アイドルを好きっていうのがどういうことなのか、その答えを求めて、すごい思考した」



「そう、なんだ? それで、答えは出たの?」



「ああ、出た。好きっていう感情って、色んな形があるよな? 家族に対するものだとか、恋人や、友達に対するものだとか、ペットとか、食べ物とか、何でも当てはまるけど、その形は全部違うんだと思う」



「……うん、そうだね。そうかもしれない」



「その中で、俺のアイドルに、花乃に対する“好き”がどういう形なのか、すごい考えたんだ。でも、その答えはある意味一番単純だった」



 俺はそこで一度言葉を切る。

 まだ花乃の綺麗な目は俺を見つめてくれている。俺の言葉を、きっと真剣に受け止めてくれている。そんな確信を持って、息を吸ってから、俺は思いを吐き出す。



「俺は花乃のことを、あらゆる意味で好きだ」



「あらゆる意味で?」



「ああ。妹みたいに甘やかしてやりたいと思うし、親友になって笑いあいたいとも思う。もちろんアイドルとして輝いてた花乃は憧れの存在だったし、それに、やっぱり恋人だったらいいなとも思うよ。それを踏まえてさっきの質問に答えると、それはイエスだ。当たり前だ、好きな女の子とそういうことが出来たら、男としてはやっぱり嬉しいよ」



「そっか……」



 花乃はそこで目を伏せた。

 何を考えているのだろう。

 俺と花乃は存在が違いすぎて、心の中がまったく想像出来ない。

 だから俺に出来るのは、真摯に、誠実に接することだけだ。

 俺の話は、まだ終わってない。



「でも、そんな自分の感情よりも、俺は君の感情が大事だ。不安に思ってるなら安心してほしい。俺は君が嫌がることは死んでもしない。約束するよ」



「春樹……本当に?」



「嘘はつかない。こればっかりは、信じてもらうしかないけど……といっても難しいか……」



 俺が口ごもると、花乃は柔らかな微笑みを浮かべて首を横に振った。



「ううん。信じるよ。君は、真面目くんだもんね」



「そうか、ありがとう。いやまあ、そんな真面目でもないと思うけどな」



「謙遜? 別に否定しなくてもいいじゃん。真面目なのはいいことでしょ?」



 真面目なのはいいこと、か。

 そう言われればそうなのかもしれない。堅苦しいとか、つまらないとか、そんなマイナスイメージの付属しがちな評価だったからつい否定してしまったけど。

 花乃が言うなら、それは俺にとって正しいことだ。

 それに、花乃に言われるなら俺は罵倒だって喜べる自信がある。これはさすがに気持ち悪いだろうから、言わないでおくけど。



「ふう、でも、私の覚悟も無駄だったね」



「ん? 覚悟って?」



「いや、うん、もう終わった話だから言っちゃうけどね。君もやっぱり男の人だし、私のことを好きでいてくれてるのは分かってたから、家にお邪魔するってなったらもしかしたらそういうこともあるのかなって、ちょっとは覚悟してたんだ。それに、迷惑を掛けるから、もし君が望むならそれくらいは受け入れなきゃとも思ってた」



「え!?」



 な、なんということだ!

 あの花乃が、秋月花乃が、俺と男女の関係になることを想定して、あまつさえ受け入れる気でいただって?

 そんなことあるのか?

 ていうかいつ覚めるんだこの夢は。

 ああ、夢なら欲望に身を任せればよかったかなぁ。

 いや待てよ、まだ間に合うのでは!? 



「あの、前言撤回とかって出来たり……」



「あ、そういえば私、男の人が自分の言ったことを曲げるのって嫌いなんだよね。でも君はそんなことする人じゃないよね?」



「も、もちろん!」



 あ、あぶねえ!

 花乃に嫌われるところだった!

 死ぬところだった! 精神的に!



「ふふ、でもね君の言葉嬉しかったよ。ちょっだけカッコいいって思っちゃった」



 花乃が笑って、俺を見てくれる。

 一年前、最後に花乃と握手したときの記憶が甦る。

 その時と、花乃の笑顔は何も変わらない。

 俺は再認識する。

 俺はやっぱり、この子の笑顔を見るために生きていた。

 今度こそ、この笑顔をちゃんと守りたい。その為にも、花乃の抱えている問題に真剣に向き合おう。

 そう心に決めた。

 だが。



「それにしても、春樹は本当に私のファンなんだね。ふふ、まあお世話になるのにお礼をしないのは私としても嫌だし……うん、そうだね。君には特別なファンサービスをしてあげるから、期待してくれていいよ♪」



 そう言って至近距離から、アイドル時代の小悪魔じみた笑みでウィンクを飛ばしてくる。

 その直撃を受け、俺の心はいとも簡単に揺さぶられるのだった。



 

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