第一章 第一話

 男子の服装は、意外なほど陽月に似合った。

 すらりとした背に、中性的な顔だち、少し切って高い位置でった髪も、何らのかんあたえない。みこしようぞくも男性神官の装束も、彼女から彼女らしさをいだりそこねることがなかった。

 陽月自身は、身にまとうもので自分を左右されることのないむすめだった。彼女を初めて見る者は、もちろんその中性的な容姿と男性の服装から、彼女を判断するだろうが。

 さいぐう。都の中央、最深と呼んだ方がいいかもしれない。政務を行うだいのさらに内側に、高いかべで取り囲まれたそこは、しんけんようしたとうを中央に、りゆうの当主とり役だけが住まう、によにんの立ち入れぬ禁宮だ。

 静かすぎる朝は、このざされた場のゆえか、人の起きだす前の刻限のゆえか、天をつくばかりの塔の上に上ったゆえか。

 それともただ、陽月の体の内から音が消えているのか。

 ──この舞は場を清める。清い場を作ってから、神剣のお世話をさせていただく。

 斉にはいくつもの舞が伝わる。場を清める舞、神を喜ばせる舞、除災、招福、がん、教わりはしたが、こうけいの男子以外、踊ってはならない舞もある。

 父の教えのままに、場を清める舞をほうじ、次は神剣を取る。

 武器としての剣とは違い、いだり打ち直したりするわけではない。はたにはそのような作業に見えなくもないが、もっとれい的なものだ。

 火で剣を清め、焼き入れを模してんだ水にひたす。そしてはがねつちれ、砂をふりかけ研ぎの代わりとする。最後に、き清める。この時の布は、絹ではなく、植物から出来たものでなくてはならない。

 こうしてようやく、神剣は清い状態にもどり、神としてもとに戻った剣に祝詞のりとを上げる。

 あとは斉の者が神剣に向き合う。ただまっすぐに。

 見つめるだけなど楽なように思われるが、自身の心持ちを調和がとれた状態に保たなければならず、修練が必要なものだ。父は陽月の気が散ると、それが表に現れていなくとも必ずいた。

 ──神剣と自らとを同じもののように考え、それから心を整えていく。すると自然、神剣に宿る気も整うていくのだ。良いな、日夜子。

 務めを終え、かつての名前を思い起こしたしゆんかんだった。

 背筋に感じた強い感覚に陽月は気を散らす。散った気が、背後に引き寄せられる。それが、その相手の持つ気配と、け合った気がした。

 り返ることもせず、陽月は感じたままにつぶやいた。

「──竜」

 自分の言葉にさらにおどろく。神剣のことも、五竜が竜の子孫だなどということも、信じていないのに、どうしてそんなことを口にしたのか。

 なぜそんな風に思ったのか、自分でもわからない。でも、そうとしか思えない。竜だ。自分の後ろにいる、この人は竜だ。

 陽月がそう感じた相手は、ただ、

じやをした」

 とだけ静かな声で告げ、陽月が振り返った時にはもう、塔の階段を下りるわずかな足音しか残されていなかった。



「第一の選定のとして、当代五竜にはそのあかしを立てていただきます」

 孝保の声が、塔の二階に響く。王を選ぶ最初の選定の儀が、始まろうとしていた。

 陽月はきんちようからわずかにのどを鳴らす。

 儀式はすべて神剣のある五重の塔で行われる。一階で竜も選者も清めを受け、上階で儀式がり行われる。儀式が進むたび、階が上がっていく。

 大臣二人、孝保と共に雑事をこなす神官が数名、そして、陽月の前にはそれぞれ五彩の一色で仕立てた正装に身を包んだ五竜がひかえていた。

 これだけの人間といて、陽月はさすがに自分が女と知られるのではと不安になる。

 五竜が目の前にいるとはいえ、神剣に仕える者として、剣を前に手をつき頭を下げている陽月には顔を確かめることもできない。

 ──でも、確かめたい。

 神剣の清めの時、背後の人を竜だと感じた、あの不可思議な感覚を陽月はずっと持て余していた。

「各竜家の当主は、前へ。神剣を取り竜の力を示して頂きます」

 竜は、木火土金水の内で、自らのつかさどる要素をあやつることが出来るという。見た目はただびとと変わらない彼らだが、やはり竜と呼ばれるだけの所以ゆえんはあるのだ。

 神剣は台の上に横向きにえ置かれ、陽月はその後ろに控えている。共に王の選定を行う左大臣と右大臣は陽月のさらに後ろで、儀式の行く末を見守っている。

 陽月が顔を上げると、一人の神官が三方を持って神剣の前に置く。三方の上にはわずかな水と小さなつぶが入った土器かわらけがあるばかりだった。

 その前に、青で仕立てた正装の青年が座る。

 背の高い、にゆうな顔立ちの青年だった。緊張の中、土器の上に視線を置いた陽月にはそれ以上のことはわからなかった。

へきもくりゆうくす。ここに、木竜の血を引く証を立てる」

 そう言うと、神剣を手に取り、切っ先を土器の上にき付けた。

 陽月はその後起きたことに目をみはった。水の中の小さな粒から音もなく芽がでて、するすると育ち、土器の上に収まる小さな木が生えたのだ。

 これが竜の力なのか。それをの当たりにして、緊張とちがどうの高まりを感じた。神剣は、彼らが竜として持つ力を強めると伝えられている。

 今までただのおとぎ話としか思えなかったが、神剣に本当に何らかの力があるのだろうか。

 その疑問の証左とでもいうように、土器の上のものが、当主が剣を持つ度次々と形を変えていった。

こうりゆうけいどう、同じく、火竜の証を立てる」

 明るい声がそう言うと、さきほどの小さな木は燃え上がり、わずかな燃え残り以外は灰になっていた。陽月は竜の持つ力の不思議さに、ただただ三方の上ばかりながめていた。

 次に幼い声が「こうりゆうなおもと」と名乗ると、剣の切っ先につつかれた灰と燃え残った木はちてくずれるように土になる。

 ため息をつきそうになるのをこらえ、次はこの土がどう変わるのかと思った時、聞こえて来た新たな声は、名乗りを上げたのではなかった。

はなれられよ」

 よく通るこうしつな声がそう告げて、陽月はしつこうして少し下がる。

はくきんりゆうしずめ、金竜の血を引く証を、ここに立てる」

 パキキ! と音がしたと思うと、土の内から金属と鉱石が生じ、その勢いは強く、するどい貴石が周囲に散った。

 陽月は、引き寄せられるように白金竜鎮と名乗った青年を見た。三方に向けられたままだった鎮の目が、呼応するように陽月に向けられる。

 そのひとみは、名前のような金属的なかがやきを宿していた。冷たく見える顔立ちだが、孝保のようにこくはくなのではなく、研いだもののようなえ冴えとしたぼうだった。

 なぜか陽月はひどくたじろいで、視線を落としてしまう。

 ──あの時の竜は、この人だ。

 あの時と同じ、澄みわたっていて、どこか鋭い気配を発している。こちらの身まで引きまるような、りんとした、清い気配だった。

げんすいりゆういずみ、水竜の証を立てます」

 剣は次の竜の手にわたり、土器に残ったわずかな金属の上に、小さなすいてきが生じた。

「当代五竜はみな、神剣を用い竜の力を示しました」

 孝保の言葉で、末席に控えていた神官が、小さなこうに火をつける。

 におやかなけむりが、静かにらぎながら広がっていく。

 この時、陽月は初めて当代のりゆうたちをしっかりと目でとらえた。身に着けた色で、だれがどの家の竜かはっきりとわかる。

 すらりと背の高い、柔和な顔立ちの碧木竜楠葉。

 同じだけの上背だが、彼よりもがっしりとして、明るい目をした紅火竜炯堂。

 まだ十二、三にしか見えない、幼さが残る黄土竜尚基。

 玄水竜泉は、女性とまがうばかりのたおやかで美しい人だった。

 そして、白金竜鎮。先程と同じ、冷たく輝く瞳をしている。

 その瞳を見てようやく気づく。彼らの視線が、陽月に向けられていることに。

 みや興味、好意的とは言いがたい感情が混じり合った視線の中、鎮の目だけはまっすぐに陽月を見ていた。

 孝保の声で、陽月は彼らの視線から解放された。

「選者のお二人は香が立ちきるまでの間にお考え下さい。り役様も、その間にしんけんのご意思をうかがわれますよう。第一の儀で、神剣、左大臣、右大臣の選がいつした場合、その時点で選定の儀はしゆうりようし、そくの準備へと移ります。異なった王を選ばれた際は、後日、第二の儀を執り行うこととなります」

 孝保がとうとうと説明を連ねる。もうそらんじられるほど聞かされた内容だ。

 神剣の意思さえ、孝保に定められている。



「お前が王に選ぶ相手は決まっている」

 都に来てすぐ、そう言われていた。

「ですが、神剣のほかにも、王の選者がいるのでしょう。私一人操ったところで、どうにかなるとは思えませんが」

 孝保は陽月をじっと見たまま、関係のないことを口にした。

「……俺、僕、……いや、かえって不自然だな」

「何のことです」

「そのままでいいという話だ。その姿なら、お前を女と思う者はまずいない」

 この男の無礼に口答えをしてもだということは、都に着くまでの時間で十分すぎるほど学んだ。陽月が何を言おうと彼は無表情か、あざけるように冷たくほほむだけだ。

「……選者のことを聞いたのだったな」

 神剣が王を選ぶとは言いながら、実際のしきでは左大臣、右大臣、神剣との三者がそれぞれに、相談なしに王を選ぶ。

「その三者全員が同じ者を選ばなければ竜は決まらない。……が、最後の第三の儀まで票が割れ続ける場合もある。その場合、神剣をふくめた二人が選べばその竜が王となる」

「神剣のせんたくが、優先されるのですか」

 だから、孝保の上にいる誰かは、こんな手を使ってまで、陽月を引き入れたのだ。

「そもそも、元は神剣だけが王を選び、大臣は立ち会いだけだった。時と共に貴族の力が強まり、この形になったと聞いている」

 斉の役目は同じでも、それを取り巻くじようきようは、時と共に大きく形を変えてきたらしい。

「一応、第一の儀では、それぞれが竜の力を示し、その力を見て選ぶことになっている。……だがな、誰の力が強かろうが関係ない」

 孝保が目を細めた。

「碧木竜家の、楠葉を選べ」

 陽月はうなずきはしなかった。孝保はそんな態度に対して何も言わなかった。陽月に他に取れるせんたくがないことなど、たがいが十分すぎるほどに知っていた。

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