序章 第二話
「巫様、巫様」
夜に戸口を
「どうしたの、
声は、日夜子の
「巫様、このお人は、都からの使いだそうです」
「
顔の見えない相手に直接
「あの社の
背後の闇の中に
「巫として仕えています」
「名は」
男の態度に吉万呂が眉を
「
男の
「なるほど、
藤野、その名は父から聞いたことがあった。この家と
「
「改めて、無礼をお許しください。斉家のご息女が、かようなあばら家に住み、自ら戸を開け客に
「……何の
男を
吉万呂もそれはわかっていて、孝保に声をかける。
「藤野様、でしたか。夜中に一人で巫様の家に押しかけられるよりはと、ご案内だけはいたしましたが、今日はお引き取りを。巫様の家に夜中男を上げるわけにも参りません」
しかし日夜子は日を改めて、再び孝保と会うのも
「吉万呂、社でこの方と話します。孝保殿、それでいいですか」
「私は構いません」
「ですが、巫様」
「あなたも同席して」
吉万呂はそれならと、
「では、お話をさせていただいても?」
ちらりと吉万呂を気にしながら、孝保が尋ねる。
「えぇ、今年のお役目のことでしょう」
孝保は
「お察しの通りです」
「……父が
しばしの
「やはり、日夜子殿と二人で話がしたいのですが」
無礼と切り捨てることは難しかった。孝保は竜の御剣に仕える神官と名乗った。知られたくない話になることは明白だった。
「……吉万呂」
「ですが」
「社を出て戸を閉め、その前で待っていて。何かあれば声を上げます」
孝保に不信感があるのだろう。吉万呂は動かず日夜子を見つめる。
「ここは社、この人も私も神官です。めったなことは起きないから、
「もしもの時はすぐ声を上げてください。約束ですよ」
しっかりと頷いて安心させ、吉万呂を社から出した。
孝保の表情がすっと消えた。
「一つ聞きたい。本当に男子はいないのだな」
口調から丁寧さがなくなった。日夜子の目元が険しくなる。
「
家格の違いは孝保もわかっているはずだが、取り
「お前は本当に女か」
「無礼な」
疑われたことより、物言いにひどく腹が立った。
「女と
日夜子の
「斉の者が生まれる
「……斉の
独り言のように
「ですから、もうお役目の出来る者はいません。都にお
お役目。斉家のたった一つの仕事。斉の者はそのお役目を伝え、伝える相手を絶やさぬよう、何百年と家を守ってきたのだ。
「神剣の
神剣の守り役、それが斉家の務めだった。
木・火・土・金・水、この世を成す五つのものから竜が生じ、この国を守っている。
知らぬものはいないほど当たり前の国の成り立ちだ。人の身にしてその竜の血を引くと言われる五家の代表の中から、五十年に一度、竜王が選ばれ、他の竜家の当主の助けを借りながら、この国を治める。
その五竜の中から王を選ぶのが、孝保が「竜の御剣」と呼んだ意思を持つ神剣だ。その剣の守り役として神意を
孝保が、しばらく思案した後、日夜子を見た。
「しかし、巫ということは、父親から神事は伝えられているのではないか」
確かに、神事の
「私にのみ、伝わっています。が、私は女で、正統な
孝保は、日夜子の言葉など聞いていなかった。
「記録によれば十七か、年のころは合う。……まぁ、在位の
王は
それよりも、孝保の言葉が気になった。年のころが合おうが、日夜子は女なのだ。
「妹は体が弱いが、亡くなった母親に似て美しい少女だとか」
話の流れが予期せぬ方に向かっているのを感じ、日夜子は不安になった。
「……であれば、お前の方が
「……一体、何を」
予想はついていたが、日夜子はそう問うた。孝保は口の
「お前には神剣の守り役として宮中に上がってもらう。男のふりをしてな」
言葉が出なくなる。
「男のふりをしたとして、本来の私が変わるわけではありません。女は、国を乱すのでしょう」
昔、父に言われた言葉だった。
孝保は意外そうな顔をした。その口から、神官とも思えぬ言葉が
「女が神事に
その言葉は、胸に
日夜子の本心を
「家を出るのと同じような顔で、社に足を
何か言い繕おうとしたが、もう
「巫だと言っても、お前は神など信じていないだろう。神体さえない空の社に仕えるのは、さぞかしつまらないことだろうな」
「
そう制した日夜子に、戸の向こうから声がかかった。
「巫様!? 何かございましたか?」
怒りを押し殺し、戸の向こうに声をかける。
「大丈夫よ、吉万呂。なんでもない。おどろかせてごめんなさい。そこにいて」
父から、
「
王を選ぶと言われるその神剣こそ、元はこの社の神体だった。
「この地では、神剣は取り
元は王の選定などの儀式の時にだけ用いられていた神剣が宮中に移されたのは、もう何代も前の王の
今よりも
父は、ここに神などいないと知りながら、ひたすら神事と役目を守ろうとしていた。父は、ここにはいなくとも、神そのものは本当にいるのだと信じていたのだろうか。
日夜子は
「孝保
孝保は帳の方を見ながらどうでもよさそうに答えた。
「そうするつもりで根回しを進めていたが、法を変えるのが間に合わなかった。さるお方が、斉の生き残りがいるなら、王の選定はその者にさせよとおっしゃってな」
誰かの指示で、この孝保は動いているようだ。しかし、
「私には、あなたに従う理由がありません」
「もう少し、頭が回るかと思ったが、さっき言ったことは聞いていなかったのか?」
考えを
「妹は体が弱く、
するするとなんの
「朔子に何かするつもりですか」
「お前が従わないならな。……妹で足りなければ、村の者にも『何か』することになる。お前の身も無事と思うな」
「……
体が
全てに代えても守らねばならない妹を
そしてその全てに
「卑怯者、か。日夜子殿、私が聞きたいのはそんな感想ではない」
無感情な目が、日夜子を見下ろしていた。
「…………男として、守り役の務めを果たします」
震える声で、そう答えた。
「それでいい」
ごう、と風が吹いて、戸の隙間から入り込んだ
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