3──さても人は 第一話
「お姉様は
「なぁに、急に」
お姉様が膝に座った私の髪を
胸に小さく宿る不安を打ち消す言葉をお姉様から聞いてからでないと、どんな幸せな夢も
「ねぇ、お姉様は私と
当たり前じゃない、真珠。
そう笑うお姉様を期待していた私は、不意に髪から離れた体温に
「恋をすれば天狼の姫たる資格は失うわ。神にささげるための心を
「お姉様は、その病にはかからないのよね? だって、お姉様は私と約束したもの。ずっと私とこの国を守っていくって。この宮で、ずっと、ずっとよ」
【画像】
「そうね、ずっとあなたとここにいると思っていた。でも、恋とはどうしようもなく我が身を奪われるもの。抗う
あの方?
お姉様はもう
だって、お姉様のすべてはここに存在している。
だから、そんなに迷っているのでしょう? 奪われてもなお、ここを捨てられずにいるから、まだ私のそばにいるのでしょう?
迷わずに
そう、お姉様は私を捨ててなんていけるはずがないもの!
瞳の中に残る
「代わりになれないなんて、
案の定、少し困った顔をして、それでも私の望む答えはくれなかった。
「……真珠にも、きっと見つかるわ。あなただけの人が」
ためらいながらもお姉様の
本当の絶望は
いいえ、お姉様。
私はお姉様以外いらないの。
この世でたった一人、私の心の一等綺麗な場所にいるお姉様!
私は、愛されたかった。
あなたの、たった一人になりたかったのに。
どうして。
まどろみを
泣いていたのか、私が?
涙を流すなど、永遠を生きる身になってから初めてのことだ。
恐ろしかった。
人形のように生きることで永遠の
光
だれもいない。悪夢の続きみたいじゃないか。
「……たすけて」
思わずこぼれた泣きごとを拾うように、琥珀がすり寄ってくる。神の
真珠は今さら、
「あの男はだめです、姫宮さま」
「……琥珀」
誰かに透輝を否定してほしいと思いながらも、いざ言われると反発心がわくことに真珠自身、
その戸惑いをなだめるように、琥珀は鼻先で真珠の耳元を撫でた。
「あの男は姫宮さまを不幸にします。ここにいればなにも変わらずに永遠に琥珀がお守りいたしますのに」
きっと、その通りなのだろう。
透輝は真珠の心を揺さぶりすぎる。姫宮として心を神以外の何かに
姫宮としてある
けれども。
「しかし、それは幸せか」
「姫宮さま?」
「どうしたのです」
「いや、私は」
いま、何と言ったのだ。
混乱のさなかで真珠は
このままを望んでいながら、心の奥底、人間である真珠自身はこの永遠をよしとしていない。人としての生を、望み始めている。
あの男との、未来を?
「
「姫宮さま、やはりどこか痛むのでは」
「痛む? いや別にどこも悪くはないが」
「いいえ、やはりあの
「ん?」
思わず
「あの
「んん?」
乱暴? やはり、そういうことなのか。
しかし、あの温かな
頭の中でぐるぐると言葉が回るが、さすがにそれをあけすけに言う気にはならなかった。
「
絶対に許さぬと燃える琥珀は、そうはいっても意味をよくわかっていなかった。
琥珀は透輝の誰も立ち入るなという命を
それにしても、悪い方向に想像が
「姫宮さま、山城に
「琥珀、何の話だ」
「姫宮さまの幸せへの話でございます」
「幸せ、しあわせ、か」
どこか
そうだ、この永遠に
神と二人ぼっちの世界こそが、国を守る
わかっていたことではないか。
「少し、外に出る」
「あまりご無理をなさっては。連日、
その言葉で再び透輝の体温を思い出した。
強く、しかし
「姫宮さま。お顔が赤いですよ」
「いや、大事ない。気にするな」
そう言い捨てて、琥珀を部屋から追い出した。
そのくせ、しばらく
● ● ●
「
目の前に立つ男に、透輝は無論、見覚えはなかった。しかし、
そして、いつだったか、真珠の美しい
「死んでいただく」
そう言った見知らぬ男は
「悪いが今の俺は
もはや
もっとも、透輝はただ斬るよりももっと
さすがに透輝がどういう男であるかという情報はもっているらしい。男の顔がはっきりわかるほどに
「
「言われ慣れている」
大きく
反して、男は眠るように横たわっている。薄くあいた
「……だから忠告したのだがな」
がらんどうの肉の
この男はどう考えても
似た
それもこれも、あの姫のせいだ、と内心でため息をついた。
真珠のことに関してどうにも冷静になりきれない自分がいることを、透輝は自覚している。男は真珠と酷似した香りを
簡単だ。匂いは、限りなく似ているがその実まったく
男の香りに混じり気はなく、
いずれにしろ、この匂いは不快なものに違いないが。
そういえば、昨夜
昨夜。
もちろん無体なことをするつもりはなかったが、あんなに美しい女を目の前にして色気のない話じゃないか。瑠璃あたりに知られれば不能じゃないかと
機嫌が悪いのも道理じゃないか。
「今日という今日は
「瑠璃」
「はいはい、あんたの忠実で有能な臣下、槙島瑠璃ですよ。ったく、城の連中がきいたら目を丸くするでしょうね」
瑠璃が
「あんた、姫さんを抱かなかったんですって?
「どこからきいたんだ、というか、それ以外に何か言うことはあるだろう」
「前者ならあんたのしょっぱい顔みたらわかります。後者ならご苦労様でしたってとこですかね?」
「そのよく回る口を
男の頭を
山の中で同じことをした男が言えた義理ではない上に、そもそも男は死んでいないというのは
まったく悪びれた様子のない瑠璃はやれやれと肩を竦めた。
「討ちもらした、なんて人聞きが悪いですね。こいつらが
「必要あるか、それ。この宮において首を狙われるのは俺以外ないだろう」
「でもほら、姫さんを狙う可能性も無きにしも
「お前は一度、誰が主かをしっかり頭にたたき込んだ方がいいようだな」
「それはともかく」
「全然ともかくじゃないんだが」
「あんた、ほんとのほんとに姫さんを抱かなかったんですねぇ。わりと
くそっ。
思わず
「とはいえ、俺は心配してるんですよ、あんたが思ったよりも
「まぁ、そうだな」
瑠璃の言いざまを
いずれ手放す、という言葉がしっくりこない。
理性ではなく、感情で、だ。
真珠とはなりゆきの
もとより天狼の姫とやらに特別な
わかっていたはずなのに、瑠璃に言われるまで真珠が自身の
変わってしまったのはいつだ。
まさか、あの美しい
俺の瞳を見つめて、美しいなどと!
なんだ、これは。
「透輝、どうした」
瑠璃に顔を覗きこまれ、透輝はようやく我にかえった。昨夜の甘い
「惟月のことだが」
「なんだか急な話題
「やかましい」
不吉と
「惟月は、本当にたった一人で
「まだあの
「混ぜっ返すな。お前ももうわかっているだろう。惟月は女を抱きこんで
「姫さんの方は確かに、あんたに
「心の底か、そうかもな。このやりようは、小悪党のそれじゃない。惟月は俺をよほど
唐突にしゃがんだ透輝に
それはまるで、
瑠璃が小さく、そして
「……荒雲」
「前に天狼の姫が欲しいとぬかしたことがあったな、あの男が」
「荒雲の王にして
「
「惟月が? 初耳だぞ」
「あんたに言えますか、んなこと。異能によって父君からの
「瑠璃、お前」
「俺があの
意外だと思うのはいささか向けられた忠義に対して
とはいえ、いまさら
「そこまで俺にご執心だったとは知らなかったな、瑠璃?」
「うるせーですよ、ほんと」
まったくの失言だと思っているのだろう。家臣とは思えぬ悪態とは裏腹に耳は赤く染まっていた。
これ以上のからかいは武士の情けで
「ともあれ、これで一つはっきりしたな。惟月は簒奪者で
「どういう経路で荒雲にわたりをつけたのかは
「ないな」
「
根拠。
言われて、透輝は
理路整然とした理由があるわけではない。どうにもこれは感情的なものらしいとわかった。
感情、か。
いつだって自儘に
ただ一人の人間として、というのはとうの昔に捨て去っていたものと思っていたのだが、あの赤に見つめられた
たった一人のだれかをこの手にしたいという、異形の自分が望むべくもない望み。
あぁ、そうか。これがきっと、
ためらう理由は、なにもない。
自然、透輝は笑っていた。
根拠なぞ、
「俺がみそめた女がそんなことをするわけがないからだ」
「げっ! ここにきて
「付き合ってられないくらいのことは言ってもいいんだぞ?」
王としてではない。
ただ一人の男として言っていることだ。そこまで目の前の忠臣を道連れにしようとはさすがの透輝も思わない。
「今さら、あんたにそんなこと言うわけないでしょうが」
金属の
「それに、めんどくせぇですけど、あんたがそんなこと言うのはわりと悪くないと思ってるんですよ」
「ほぉ?」
「
父に
誰にも見つからないように城を
だが、
「言ってくれる。では、悪いが
「かしこまりまして。あんたがそうと決めたのなら、俺はついていってただ好き勝手に暴れるだけですからね。ここまできたら、
「総取りに異論はないが、お前にあんまり好き勝手されるのも困りものだな」
どうせ、これからめちゃくちゃにしてやるのだ。
神も世界も、真珠を
「しかし、荒雲か。俺の国ではしゃいでくれるじゃないか」
目にもの見せてくれる。
笑う透輝の
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