2──花さそう 第三話

 ついていくと誓った己を呪え。

「ってまったくもってその通りなんですけど」

 先日の昼間、確かにそう言われたがさっそく過去の自分を思いっきり呪いたおすことになりそうだ、と瑠璃はかたを落とした。

 小さくつぶやいたはずの言葉はしかし、真珠の耳にもしっかり届いていた。

「なんだ、槙島。まだ食事について不満でもあったか。最近は侍女たちもふうしていると聞いたが」

「ていうか、俺がなんでここにいるんですかっていう話なんですけど」

 無理やり引っ張って来られた瑠璃はうつろな目をしながらそう呟いた。

 今日も派手な格好で相変わらず主張が激しい。それほど自分という存在を示しまくっているにもかかわらず、広々としたほん殿でんゆかにちんまりと所在なげに座っている。借りてきたねこというのはたぶんこんな感じだ。

 姫宮という立場上、この場所ではいつもはしで言葉をわすが、今日はそんなものは取っぱらっている。こちらから呼び出したのだからというのと、より近しい立場で話した方がいいだろうと真珠が思ったからだ。

「この前はいもに気を取られて言いそびれたが、あの男には恩を売ってやる必要があるからな」

「……はい?」

「どうにも力の使い方をわかっていないのではないか、お前の主は」

 ほうけた顔の瑠璃に真珠は言う。

「あと、あれだ。なんというか、ほら。この間の、無礼な仕打ちだ」

「……なんかありましたっけ?」

「私のかみにおいをかいだだろう! らちなことはするなとちゃんとしつけておけ!!」

 この一言は余計だとわかっていても、真珠はどうにも言わずにはいられなかった。

 いつになく、感情を乱されている。

 認めたくはないが。

「はぁ、主のしつけが行き届きませんで。それはともかく、力の使い方とは?」

不殺生ころさずの若君、と呼ばれているらしいな」

「ご存じでしたか」

 瑠璃の眼光がするどく光る。あるじ鹿にされたと思ったのだろう。

 真珠はひらひらと手を振ってそうではないと言う。

けんを売ったつもりはない。知ったのはつい最近だ。ぞくのことに私はうとくてな。それで思ったのだが、お前の主は不相応な力を得ている」

「……その言いざまで喧嘩を売っていないと?」

「不服なら人の身であるまじき力、といってもいい。いずれにしろ、人のことわりから外れているのだ。だが、私ならばその力をなかったことにできる」

「人並みに人をることができるようになれるとおっしゃる」

「お前はどうも、意地が悪いな」

 やれやれ。

 真珠はきようそくにもたれかかって、てんじようあおいだ。

「無用な力の行使は、余計な因果を生む、という話だが、……どうも、こういうもってまわった言い方はいかんな」

 真珠はおもむろに立ち上がる。

 何をする気だとけいかいを強くした瑠璃にかたまゆを上げて、

「はっきり言ってやる。私は私の世界と俗世が混じることを望まない。夜は夜、昼は昼。私が決して混じり合わない夜と昼をつないでしまう前に、お前たちにお引き取り願いたいというわけだ。そのためなら多少の骨折りはしてやる」

 言いながらずんずんと歩を進めて瑠璃の耳元でささやく。

「お前、深手を負っているな」

「この俺が? じようだんを」

めた口はきくなよ。ことお前のその傷に関しては私の専売特許だ」

 瑠璃ははたにもどこか傷を負った様子はなかった。けれども、内部がどうしようもなく傷ついているのが真珠にはわかる。琥珀が行使する武は、肉体よりもそのたましいに傷を与える。

「ずいぶんと手ひどくやられたな。さすがは我がけんぞくだ」

 れようとばした真珠の手を止めたのはほかならぬ瑠璃だった。

 きよするように差し向けられたのは銀のやいば

 真珠はそのかがやきに眉一つ動かさず言い放った。

「私の前で帯刀は許されていないはずだぞ」

おにが神の理に従ってやる必要があるんですかね」

「なるほど、槙島はあつと呼ばれているらしかったな。異名に相応ふさわしいもの言いだ。……みなの者」

 指をパチンと鳴らせば、音もなく黒装束の女が二人現れた。気配はじんも感じない。きようがくする瑠璃が声を出すよりも早く、身体からだめにされる。

「あっ! なにすんだ!」

「槙島殿、お静かに」

「姫宮様のまえで頭が高いですよ」

「放せっ! くそ、この女どもやたらと力が強い!」

「あはは。この者たちはじよのなかでも私の護衛もねている特別な女たちだ。力の使いどころがお前とはちがうのよ。……どれ」

「ぎゃっ! さわんな!」

「うるさい男だ。主も主なら臣下も臣下だな」

 やれやれと呟きながら、真珠は瑠璃の首筋に直接触れる。脈動が冷たい真珠の手にはんきようして、確かな命を感じさせた。

 が、なにぶん気配がうすい。

「お前、とうとつねむがあったりだるさがぬけなかったりするだろう」

「え、なに、急に」

「違わんよな、槙島」

 ひとみを真っぐにえれば、瑠璃は仕方なくといった様子でうなずいた。

「当然だ。魂がずたずたに傷つけられている。ようもこの状態で今日まで平気な顔をしていたものよ。おそれ入る」

 言い終わるやいなや、にぎりしめられたままの瑠璃の太刀だちにむき出しの手首を触れさせる。

「おい、姫さんっ」

 瑠璃の制止にわずかにんで、刃に触れた右手首を一気に引いた。

「姫宮さまっ!」

「ばかっ、なにやって」

 黒装束の女たちと瑠璃とそうほうから悲鳴が上がるが、真珠は意にかいさずにじむ血を舐め取った。そうして、そのまま瑠璃の額にくちびるを寄せる。

「なっ! ちょっと! ちゅーした! 俺の額にちゅーした!!」

「するか、馬鹿者。お前はちょっとだまっていろ」

 わめく瑠璃をいつかつし、真珠はなめらかなその額に触れるか否かというところで唇をとどめた。そうして、息をきかける。

「ぎゃっ!」

 予期せぬことに瑠璃がおかしな悲鳴をあげるものの、ややあってからみような表情をしたまま黙りこくった。

 瑠璃に張り付いていた黒装束の女たちは、今度は真珠にべったりと張り付くようにひかえた。自らの着物をいて、真珠の傷ついた手首にあてる。

 それを、まるでなんでもないことのように真珠はきようじゆした。

「で、どうだ。槙島」

 なにが、とは言わなかった。そんなものは本人が一番わかるはずだ。

「姫さん、なにしたの」

「なにをしたとはごあいさつだな。お前のずたずたになった魂をいやしてやったのだ」

 それは、神のわざ

 しようしずめるだけではない。歴代の姫のだれよりも、真珠は神の力を行使することができる。人の理から外れた真珠だからできることだ。真珠が癒さねば、瑠璃はそのままじよじよに弱まり死に至ったであろう。

「で、俺に恩を売ってどうしようと」

「よくよくうたぐり深い男だな。そして同じことを何度も言わせるな。私はただ、あの男に早く私の前から姿を消してほしいだけだ」

「で、俺らをまんまと追いはらってどんな楽しいことするんです?」

 大ぶりのみみかざりをつまらなそうにいじって瑠璃は問う。不信をかくさないのはいっそすがすがしい。半ば感心して見ていると、そばに控えていた黒装束の女の一人が声を上げる。

「姫宮さまを前になんという態度か!」

「いい、そうおこるな。この男が簡単にこちらのことを信用できないのも、想定のはん内だ」

 このけいはくきわまる男がその実、忠義にあついのは少し見ているだけでもよくわかった。主のためにはすべての血とどろをかぶるかくなのであろう。だからこそ、こちらをわざとちようはつして心の底をさぐろうとしているのだ。

 真珠は浅く息をいて、話題を変えた。

「そういえば惟月とやらはどうなった」

「あ~、本人はしきから動いていないようです。あれは家臣が勝手にしたこと、というふうになっていますから」

「家臣が勝手に兵を動かすか」

 あきれたように吐き捨てると、瑠璃はおや? という顔をした。

「なんだ」

「いや、姫さん、案外話が分かるんですね。そのお立場だったら、いくさなんてばんだわ! くらい言いそうなのに」

 気安く笑う瑠璃をもちろん女たちが許しはしなかった。するどい声が飛ぶ。

「槙島殿!」

 姫宮の体面をづかって怒る女たちには悪いが、真珠はなんだかかいになってしまった。

「つくづく言葉を選ばん男だ。気に入った」

 たいしようして、真珠はこちらを堂々とみしてみせる瑠璃をその赤いそうぼうで射ぬいた。ならば存分に値踏みしてみせろ、と言わんばかりに。

「確かに私自身は戦を好まない。が、だといって黙ってじゆうりんされるのも鹿らしい話だ。人の命がみな平等というのならば、誰しもは生き残るために全力でていこうする権利がある。それが先手だろうが後手だろうが、同じことだ。命は一つきりだ。わが身大事を、この世の誰も責められはしない」

「それは、我が君の戦をこうていしてくださると?」

 するがごとく、瑠璃の口角が上がる。真珠はその手には乗らないと小さくかぶりをふった。

「争いは、本能よ。だから私は、どの戦も肯定も否定もしない」

「天狼は戦神と聞きましたが?」

しかり。あまねく戦の、な。ゆえに無意味だ。どれも神が大義となりうる。それがわかっていながら私の名を出すのはおろか者か、私自身かのどちらかだ。そして私はこの宮を巻き込む惟月のやりようにけんいだいている。とすれば、今現在その大義をかかげている者はおのずと前者ということになる。これで求めていたお前の答えにそぐうか、槙島」

「お気づきでしたか」

げんが欲しかったのだろう? わからいでか」

「怒らないんですか」

 瑠璃はうわづかいでこちらの顔色をうかがった。存外、子どもっぽい仕草をする男である。

「お前の忠義をこちらに強要さえしなければ、なにを考えるか、信じるかは自由だからな。すきにすればいい」

「えらく割り切った考え方するんですね。そういうところは我が君によく似ていて、好感度高いですよ」

「上からものを言うな!」

「そりゃ失礼。でも、俺も透輝もひめさんがどの程度えらいとかわかんないんですよねぇ。神様がうんぬん、というくだりにもうき飽きしているというか、我が君にとって言うなら嫌悪に近いですし。自分がたんあつかいを受けているから、というのもあるんでしょうが」

「ということは、私の存在そのものを嫌悪しているってことじゃないか。私の話をまともにきくことも難しいということか」

「そうとも言えるかも。でも、神様きだったら姫さんのことは悪く思ってないはずですよ」

「わかった。なるほど、お前をかいじゆうしてもいたしかたないということだな」

 真珠がやれやれとかたすくめてみせると、瑠璃はぜんとした。

「姫さん、変わってるって言われません?」

「どうだろうな。今の私に仕えている者たちは私しか知らぬのだから誰と比べて妙だ、と言いようがないだろ」

 この男の無礼さにはもう慣れた。真珠はあっさりと言い返すと、後ろで控えていた女たちがどこか得意げに応戦した。

「左様でございます。当代の姫宮さまは在位百五十年になりますれば」

 信じられぬものを見たというように瑠璃は目を丸くしてつぶやく。

じようだんでしょう?」

「好きに考えろ」

 そう笑って真珠は立ち上がった。

「姫宮さま、どちらへ」

「うん、槙島ではらちが明かんのでな。当人に直接話してくる」

 女たちがたずねてくるのに真珠はあっさりと答えた。おどろいたのは瑠璃だ。

「はい?」

 やめてやめて。

 うわごとのようにり返す瑠璃をおいて、女たちに無情なる指示を出した。

「お前たち、槙島を押さえておけ」

「はい!」

「だぁぁぁっ めんどくせぇ! あの人いま、めちゃくちゃげんが悪いんですよ! 余計当たり散らされる!」

 そりゃしゆうしようさまだな。

 瑠璃の悲鳴を聞きながら真珠は歩きだした。



 この宮は、妙な気配がする。

 透輝は足をみ入れた時から、ずっと不快感を覚えていた。

 神のおひざもとというだけの理由ではない。なにか、得体のしれないものがいまわっているような気がする。視線を感じてり返るも、そこには誰もいない。何かに見張られている、という気持ち悪さだけがずっとある。

 ここに住んでいるじよたちやあの山犬だろうかと疑ったが、どうにもちがう気がしている。山犬はともかく、ここに住まう者たちは一様に、どうしようもなく人間でありすぎる。

 あの無機質な黒装束の女でさえ、つつけば年相応の少女のような反応を見せた。真珠はむしろそのようすがけんちよだった。

 どこが神の代弁者なのか。

 血の通う、同じ人間ではないか。

 その人間を、まして気に入っている女をおとりのように使うことに抵抗があった。これは自分のきようの問題である。

 ここ最近いそがしくしていたのもそのためだ。

 ふみを出し、表だってはもちろん裏からも手を回していたが、色よい返事はなかなかもらえない。当然だ。しよこうはいまだ、透輝を王のうつわかどうか判じかねているのだった。そうして、透輝と惟月のどちらにつくのがうまみがあるかとしためずりしている。

 もとはただの野武士であったものが年を経てやかたでいっぱしの政治をおこなうようになってしまった。自分たちを尊いものであるとかんちがいしている。あせと血を流すことは愚かである、と。

 そういうすべてのものを透輝はしていた。汗と血を流さずして、どうしてたみを養うことができるのだ。が、けん主義の彼らは時に血をふりまく透輝をよしとしない。しぶっている家臣どもにこのこんいんを明らかにし、見せつけてしまえばたちまち手のひらを返すであろう。

 しかし、それは透輝自身が許さない。彼女を道具のように使う自分の浅ましさにどうにも道理が通らないと思っている。

 それが自らの甘さとわかっていても、自分のさだめた美学からいつだつすることを許せそうにはない。

「やれやれだな」

 昼間だというのに透輝は部屋に閉じこもり、だれも近づけようとしなかった。考え事をするときはいつもそうだ。そうして、もっともざんこくで適切な手を考えつく。若君のおこもりがはじまった、と城の者はおびえたものだとどうでもいいことを思い出して一人笑う。

 たった七日だ。

 城をあけて、この宮にとどまってからたったそれだけしかっていないのに、もうずいぶんとぞくからはなれた様な気がする。人里離れた場所のため、時間の感覚がくるうようなところがある。

 いや、それだけではない。あの姫。

 どうも調子を狂わされている。透輝が頭をかかえていると、なにやら外がさわがしい。ひときわぎゃあぎゃあとわめいているのはちがいなく瑠璃だ。

 彼はここへきても平素と変わらず、うるさく勝手気ままに過ごしている。一応、透輝は色々命じてはいるものの、それ以外は宮のなかであろうと態度を改めようとはしていない。侍女たちにもうとまれているようだが、逆にそれにからんで余計にいざこざを大きくしている。

 要は、瑠璃もうっぷんがたまっているのだった。いつまでここにいる気だ、とめ寄られたのは初日のことだからあきらめたのかと思いきや、どうも方法を変えたらしい。追い出されるのを待っているのだ。

 現に、食事にみような薬を混ぜられていることなどもあった。瑠璃は一の家臣といういえがらゆえに一通りの毒にたいせいがある。それゆえ大事に至らずせいぜい腹を下すだけで済んでいるらしいが、当の本人はまんの限界のようだった。

 まったく、多少腹を下したくらいでにんたいの足らんやつだな、と透輝はこしを上げた。こう声がうるさいと考え事をする気にもなれない。

 戸を開け、問いかける。

「瑠璃、あのお姫様のご機嫌はどうだった」

「最悪だ」

 予想していた瑠璃の声ではなかった。

 そっけなく言い放つ真珠が視界のど真ん中でおうちしていた。その小さな体を瑠璃がめするように止めていた。

 なにをやっているんだ、お前は。

 瑠璃をそうにらみつけてやると、彼は小さく両手を上げてあと退ずさりしたのだった。

「お前、ご機嫌はどうだなどと、いよいよ私を子どもだと思っているな」

 つかつか歩み寄る真珠に、透輝はおみのため息をついた。

 とうとつじようきようすぎて何と答えていいのかわからない。まどいのちんもくを、答える気がないと判断したのか、真珠はその美しい顔に似合わずけんにしわを寄せた。

「お前の心配ごとを取り除いてやるゆいいつの女に、そんな態度をしていいのか」

「なんだ、唐突に」

「お前の異能の話だ。不殺生ころさずの若君」

 立ち上がって真珠を睨みつける透輝にひるむことなくまじまじと見つめ返す。

「この異名は不服のようだな」

「不快ではあるな」

「なるほど。ならばなおさら、お前は私の話を聞かなくてはならない」

「……どういう意味だ」

「存外察しが悪いのだな。お前の異能、私であればどうにかできるという意味だ」

 鹿鹿しいと透輝が笑い飛ばす前に、真珠はにやりと口のはしを上げた。

「お前に宿っているのは神の力のいつたんだ。私の力のれつしたものと言いえてもいい。同じけいであれば、上位たる私の支配にあらがうことはできない」

 人はみな身体からだに神のかけらを宿している。神の肉体より分かたれたさんじゆうが人につき従うのも、そのためだ。彼らはみな、人に宿る神のにおいにかれている。そして神のかおりには明確なのうたんがあり、香りのいものは、うすいものをかき消してしまう、らしい。

 とうとうと真珠の口から語られる未知のことわりに、透輝の眉間のしわはどんどん深くなった。はっきりと表情で不快さを示しているのに真珠はお構いなしに言葉を並べる。

「お前の力を、私の力で上書きすることができる。せいぎよしきれていない異能を、私の支配下に置く、ということだ。いくつかの制約は必要となるだろうが、それはこちら側の世界で働く生約で、お前にはほとんど関係ない」

 頭が痛くなってきた。

 透輝はこめかみを押さえる。

「身に余る能力なぞ捨てて、人は人の世界へ帰るべきだ。そうすればお前はのない王となる。乱を治めるのも容易たやすかろう?」

「瑠璃、ひめを部屋までお返ししろ」

「あ、まて! 槙島、妙なところさわるな!」

「変なところなんて触ってないっしょ! 人聞き悪いな!」

「疑っているのか? 私ならお前の望みがかなえられるのだぞ!」

 瑠璃のこうそくゆるんだすきにするりとけ出して、真珠は得意げに仁王立ちする。透輝は冷たく睨んだ。

「断る。それは俺の望みではない」

「なんだと? お前、異能をいとうていたのではないのか」

かいだしわずらわしいと思うが、これも俺の一部だ。であれば、別に無理に捨てようとは思わない。それに、俺は俺のものに手を出されるのは好かんという話はしたはずだが?」

「……意味がわからん」

 真珠はぼうぜんとそうつぶやいた。

 断られるとは思ってもみなかったのだろう。透輝は軽く頭を横にって、ゆっくりと否定を口にする。

「なにを望もうと、あんたに叶えてもらう筋合いはない。これは俺のせんたくの問題で、神だろうがなんだろうが、かいにゆうすることは許さない」

「お前は初めからずっとそうだ! 姫宮たる私をただの子どものようにあつかう! 私は神の力を行使することができるのだぞ。お前の望みを叶えることができる。この国を救うことのできる女だ、なのにお前は姫宮の私を無価値だと切って捨てるか。ありえぬ。認められぬ! それでは私は、どうしていままで!」

 小さな身体を力いっぱいふるわせて声を限りにさけぶ真珠はいかりをあらわにしていると言うよりは、泣き叫んでいるように透輝には思えた。

 こんわくする。

 まるであたえられた役割がおのれの価値そのものだと叫ぶ真珠は、それを真実ではなくそう思いたがっているように見えた。あっさりと否定してみせた透輝に敵意をむき出しにしている。

「介入を許さないだと! お前こそ私の中に土足で入り込んできたのじゃないか!」

「何の話だ」

 まゆを寄せた透輝に、真珠ははっとして口をつぐむ。そうしてばつが悪そうに顔をせた。透輝は半ばするような気分で言う。

「もういいか。これ以上、神とやらのもうげんかかわりたくないんだが」

「そうか、お前」

 顔を上げた真珠は美しい顔立ちをゆがめた。口の端を上げて、赤いひとみほのぐらい色にらいでいる。あまりに似合わぬ仕草ゆえ、笑っているのだと透輝が気づいたのはややあってからだ。

「私が、神がおそろしいのだな」

「なにを」

「だから私を利用することも恐れる。私とのこんいんけんでんすれば、異能さえなければ楽にことがおさめられるかもしれないとわかっていながら、そうしないのは神がにくらしくて恐ろしいからだ!」

 とっさに奥歯をみしめたのは自分の中にきあがる殺気を嚙み殺すためだった。真珠の言うことは、確かな悪意で透輝の心のやわらかい部分をめったしにした。

 透輝をいとうた父は、神にけいとうしていた。天狼の姫をめとろうとしたが叶えられなかった。そのいらちを、そのまま異能をもつ我が子にぶつけたのだった。自分がきらわれるわけがわかってから、透輝は神をぎらいするようになった。その神に傾倒する父もけいべつの対象で、そうして、自分はぜったいに神にたよることなどしないと強く思ったのである。

 幼いころの傷に由来するけんは、透輝のなかで絶対のきんとなって存在している。そこを、真珠に見事に看破された。

「自らのおびえのために、どろぬまいくさを起こすか」

 真珠を王位のあかしだととらえているのなら、利用してやればいいのだ。そうすれば真珠が惟月に祝福を与えたとかいう根も葉もないうわさも消し飛ぶだろうし、上手うまくすれば噂におどらされた家臣たちの何人かはこちらにがえる可能性もある。

「では俺に、惟月のサルまねをしろ、と」

「それの何が悪い」

 続く言葉に今度は透輝が絶句した。

「国を治めるのだろう? 余計な人死になく治世をばんじやくにしたいのなら利用できるものはなんでも利用すべきだ。お前の役割は王として国をよく治めることで、それ以外はすべてまつなことじゃないか」

 さらに強くこめかみを押さえて痛む頭をなだめる。

 目の前の美しき少女は、単なる子どもだ。自分には理解できぬくつを認められず、こちらの傷をえぐって己の正しさを力ずくで認めさせようとする。わかってしまうといだいていた怒りはさんして、透輝は自然とさとすようなこわになった。

「それは単なる役割の話で、俺の生き方の話じゃない。どのやり方を選ぶかは、俺の中の正しさに照らし合わせて考える。そうせよ、と言われるようなことじゃない。あんただってそうだろう。神にいのりをささげるだけの生活をしろと言われたところで従えるはずもない。それはあんたの生き方の話じゃない」

「生き方だと! そんなものあるものか。私はお前たち人間とはちがう! 役割以外の『私』なぞ必要ない」

「だったら、それは俺のりゆうとはちがう。平行線だな」

 しばし睨み合い、さきに視線をそらしたのは真珠だった。胸を張って、ふんっと鼻を鳴らしてみせるが、どうみても赤い瞳はうるんでいる。

「ならばせいぜい勝手にいらぬ苦労をしろ」

 帰る。送れと瑠璃に告げてきびすを返した。

「槙島、いくぞ」

「……俺、姫さんの従者じゃないんですけど」

 文句を言いながらもちゃんと付いていこうとするあたり、瑠璃は真珠のことを気に入っているらしかった。単純に、なみだの子どもをほうっておけなかっただけなのかもしれないが。

 まったく、めんどうな姫だ。

 内心で悪態をつきながらも、当の透輝その人が震える小さな背を放っておけないでいる。

「瑠璃、もうさがれ。俺が姫を送っていこう」

「はぁ、そりゃ有りがたいですが」

 言いかけた瑠璃の顔がこうちよくした。あるじが、これ以上ないほど冷たく笑っていたからだ。

「ちょっと、姫さんになにする気ですか」

 ぎようてんする瑠璃を透輝はひとまず無視する。その横でさらにおどろいたのは真珠である。

「追ってくるな!」

 思わず走りだした真珠だが、そもそもはばが違いすぎる。あっという間に追いついて小さな体を抱きあげた。

「それは無理だな」

「あっ、どこ触っている! はなせ、へんたい」

「顔に似合わず口の悪い女だ」

 そうしてきかかえたまま、透輝は歩を進める。どこへいくのだ、と丸い瞳で真珠は見つめるが、透輝はわざと無視した。

 ついた場所は、婚姻のためにとあつらえられた形ばかりの二人のしんしつだった。ぬりごめと呼ばれるこの部屋は、一つのとびらがあるきりで窓がない。ただ、純白の布地が広がるとこわずかばかりの調度品があるばかりだ。

 ひかえていたじよが、思わぬ透輝の登場に目をく。

「姫宮さまっ」

 透輝のうでの中に真珠がいることがわかると声を限りに叫んだものの、侍女たちはだれも止めることなどできない。あわてふためく侍女たちをあざわらうように、透輝は「大事ない」とそっけなく言った。

「みな、これは」

「あんたはだまっていろ」

「姫宮さまになんという口のきき方をっ!」

 ふんがいする侍女の一人を、透輝は鼻先で笑う。

「だから、なんだ。俺がどんな口をきこうとお前たちには関係ない。真珠はもはや俺の妻だ」

 絶句したのはその場にいた侍女だけではない。腕の中にいる真珠もまた、口をこいのようにあけたりとじたりしながら言葉を失っていた。

よいはもちろん、朝になっても俺がいいと言うまで誰も立ち入るな」

 そう言い捨てて、開け放たれたままの塗籠に入る。かれた床の上に真珠をねこの子でも放るように投げて、後ろ手に戸を閉める。我に返った侍女たちがでたらめに戸をたたわめく声が聞こえるが、透輝は無視した。さわがしい背後よりも、ぼうぜん自失している目の前の真珠の方が重要だったからだ。

「なにをっ」

「事実しか言っていないが」

 白々しく言い放ってやれば、

「なにが事実だ! 完全に侍女どもが誤解したぞ! どうしてくれる」

「誤解もなにも、あんたが俺の妻であることは事実だろう」

「つま!」

 またも絶句する真珠にとうとう透輝はあきれた。

「これじゃあ、あんたを抱くまで何度言い聞かせばいいかわからんな」

「お前っ! 今なんと言った!」

 顔を紅潮させて言葉を失ったままの真珠をたっぷりとながめ、透輝はようやく満足した。

じようだんだ」

「……は?」

 あつにとられる真珠のづらを見て、ようやく透輝は息をついた。火を囲んでいもを食べさせたときは年相応の少女のように表情豊かであったにもかかわらず、先ほどまでの真珠は正しく人形のようだった。そうして人形のまま『役割』を語る。そこへずいする感情など知らぬと言わんばかりに。

 どうにも、えがたかった。

「一体何に怯えている」

 とたん、視線をそらされる。透輝はもう一度ため息をいて、ひざをつく。目線を同じにしても、真珠はがんとして美しい赤をこちらには見せなかった。

「あんたは自分の役割をよしとしていないのか」

「そんなはずはない! これは私にあたえられた使命だ! それをいとうなどあってはならない」

「なら、どうして泣いている」

「……わからない」

 こんわくと同時にこぼれる涙でれたひとみを、透輝に向けた。

 ふいに胸がつかまれたような気がして、透輝は内心で首をかしげた。

 なぜ、目の前の女の泣き顔に心痛むのか。そうして同時にもっと見てみたいというじゆんしたよくぼうはらんでいた。

 こちらの波立つ感情などお構いなしに、真珠は透輝にすがりつく。

「どうしてお前は私をまどわせる。私にはこの生き方しかいらないのに」

「自由がこわいのか」

「ちがう、私は」

 見開かれた赤は、透輝の瞳をのぞき込んでまたたきを止めた。

 言葉を失ったままの真珠は、手をばした。冷たい手が透輝のほおれてはじかれたように我にかえったのは透輝の方だった。

「真珠?」

「この銀だ。この銀が、私を惑わすのだ」

 熱にかされたような真珠の言葉は、透輝に過去を思い出させた。

 かつて、父から投げつけられた心ない言葉。

 銀眼も異能ももたない父は、ほつしたすべてを有している透輝につらく当たった。『私を責めるか、その銀の瞳で!』びようしようせった父ににくにくしげにそうさけばれたことはまだえない傷としてあることを今さらながらに思いだす。

 神をしようする少女すらもこの瞳にけんを覚えるか。

 暗い感情に支配されそうになった透輝に構わず、小さな手はりんかくをなぞった。

「……美しいな」

 この世の秘密を分け与えるように、真珠はため息交じりに言う。

 あまりにちがいな言葉過ぎて、透輝はまいさえ覚えた。

「いま、なんて」

「美しいと言ったのだ。お前の瞳は私のなにかをあばきたてるようで腹が立つが、それでも美しい」

「言われたことがないが」

 これはたんで、そして父に愛されないらくいんのようなものだった。この瞳を厭うことはあってもよかったなどと思ったことはない。ましてや美しいなどと。

「ならばほこるがいい。その美しさを最初に見つけたのが私だということをな」

 透輝の腕の中でなんの危機感もなく笑う真珠に、とうとう力がぬけた。ゆるくなるこうそくに、どうしたといぶかる真珠はどこまでも童女のようだった。

 まいったなとひとりごちる。

 どうも、まったくの子どもを相手にしている気がしてきまりが悪い。

 完全に毒気をかれて、透輝はため息をついた。

 そうして真珠をきこんでごろりと横になる。

「おいっ」

「つかれた。る」

 いまだぎゃあぎゃあ文句を言う真珠を強く抱きしめる。

「これくらい、いいだろ。もう寝ろ」

「なんなんだ、お前」

 真珠はなおもぎゃあぎゃあと言いつのったが、透輝にとってはここの良いものがたりにすぎない。なおさら拘束を強くすると腕の中の真珠は小さく悲鳴を上げた。長いかみが透輝の鼻先でれる。

「あんた、いいにおいがするな」

 かおるのは、あの異国めいた花の香りではない。

 まるで深い森の中に入るような、心安らぐ緑の香りだった。

 つやめいたところがなく、どこまでも清潔なその香りは真珠にぴったりだな、とみようなつとくをしながら、透輝はあくびをかみ殺した。

 本格的に、すいおそってきたようだ。

 やわらかな真珠を抱きしめたまま、とろとろとねむりに落ちる。悪くない感覚だった。

「おい、人の髪の匂いをぐなといっただろう! そして私を放せ!」

 もはや叫ぶ声すらすずの音のように聞こえてしまうのだからじゆうしようだ。

 透輝は自分の感情の不可解さに首を傾げながら、まぁ、いいかとすぐに考えるのをやめた。

 なんだかいい夢を見られそうだ。

 猫を抱いて眠ったことはないが、おそらくこんな心地にちがいない。いい匂いのする小さく柔らかいものを抱いて眠るのは、これほど至福だったのか。

 らちもない学びを得て、夢うつつに笑った。

 この夜、あらがいがたい眠りは、いやおうなく透輝に幸せな夢を運ぶのだった。

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