2──花さそう 第三話
ついていくと誓った己を呪え。
「ってまったくもってその通りなんですけど」
先日の昼間、確かにそう言われたがさっそく過去の自分を思いっきり呪い
小さく
「なんだ、槙島。まだ食事について不満でもあったか。最近は侍女たちも
「ていうか、俺がなんでここにいるんですかっていう話なんですけど」
無理やり引っ張って来られた瑠璃は
今日も派手な格好で相変わらず主張が激しい。それほど自分という存在を示しまくっているにもかかわらず、広々とした
姫宮という立場上、この場所ではいつもは
「この前はいもに気を取られて言いそびれたが、あの男には恩を売ってやる必要があるからな」
「……はい?」
「どうにも力の使い方をわかっていないのではないか、お前の主は」
「あと、あれだ。なんというか、ほら。この間の、無礼な仕打ちだ」
「……なんかありましたっけ?」
「私の
この一言は余計だとわかっていても、真珠はどうにも言わずにはいられなかった。
いつになく、感情を乱されている。
認めたくはないが。
「はぁ、主の
「
「ご存じでしたか」
瑠璃の眼光が
真珠はひらひらと手を振ってそうではないと言う。
「
「……その言いざまで喧嘩を売っていないと?」
「不服なら人の身であるまじき力、といってもいい。いずれにしろ、人の
「人並みに人を
「お前はどうも、意地が悪いな」
やれやれ。
真珠は
「無用な力の行使は、余計な因果を生む、という話だが、……どうも、こういうもってまわった言い方はいかんな」
真珠はおもむろに立ち上がる。
何をする気だと
「はっきり言ってやる。私は私の世界と俗世が混じることを望まない。夜は夜、昼は昼。私が決して混じり合わない夜と昼をつないでしまう前に、お前たちにお引き取り願いたいというわけだ。そのためなら多少の骨折りはしてやる」
言いながらずんずんと歩を進めて瑠璃の耳元で
「お前、深手を負っているな」
「この俺が?
「
瑠璃は
「ずいぶんと手ひどくやられたな。さすがは我が
真珠はその
「私の前で帯刀は許されていないはずだぞ」
「
「なるほど、槙島は
指をパチンと鳴らせば、音もなく黒装束の女が二人現れた。気配は
「あっ! なにすんだ!」
「槙島殿、お静かに」
「姫宮様のまえで頭が高いですよ」
「放せっ! くそ、この女どもやたらと力が強い!」
「あはは。この者たちは
「ぎゃっ!
「うるさい男だ。主も主なら臣下も臣下だな」
やれやれと呟きながら、真珠は瑠璃の首筋に直接触れる。脈動が冷たい真珠の手に
が、なにぶん気配が
「お前、
「え、なに、急に」
「違わんよな、槙島」
「当然だ。魂がずたずたに傷つけられている。ようもこの状態で今日まで平気な顔をしていたものよ。
言い終わるや
「おい、姫さんっ」
瑠璃の制止に
「姫宮さまっ!」
「ばかっ、なにやって」
黒装束の女たちと瑠璃と
「なっ! ちょっと! ちゅーした! 俺の額にちゅーした!!」
「するか、馬鹿者。お前はちょっと
「ぎゃっ!」
予期せぬことに瑠璃がおかしな悲鳴をあげるものの、ややあってから
瑠璃に張り付いていた黒装束の女たちは、今度は真珠にべったりと張り付くように
それを、まるでなんでもないことのように真珠は
「で、どうだ。槙島」
なにが、とは言わなかった。そんなものは本人が一番わかるはずだ。
「姫さん、なにしたの」
「なにをしたとはご
それは、神の
「で、俺に恩を売ってどうしようと」
「よくよく
「で、俺らをまんまと追い
大ぶりの
「姫宮さまを前になんという態度か!」
「いい、そう
この
真珠は浅く息を
「そういえば惟月とやらはどうなった」
「あ~、本人は
「家臣が勝手に兵を動かすか」
あきれたように吐き捨てると、瑠璃はおや? という顔をした。
「なんだ」
「いや、姫さん、案外話が分かるんですね。そのお立場だったら、
気安く笑う瑠璃をもちろん女たちが許しはしなかった。
「槙島殿!」
姫宮の体面を
「つくづく言葉を選ばん男だ。気に入った」
「確かに私自身は戦を好まない。が、だといって黙って
「それは、我が君の戦を
「争いは、本能よ。だから私は、どの戦も肯定も否定もしない」
「天狼は戦神と聞きましたが?」
「
「お気づきでしたか」
「
「怒らないんですか」
瑠璃は
「お前の忠義をこちらに強要さえしなければ、なにを考えるか、信じるかは自由だからな。すきにすればいい」
「えらく割り切った考え方するんですね。そういうところは我が君によく似ていて、好感度高いですよ」
「上からものを言うな!」
「そりゃ失礼。でも、俺も透輝も
「ということは、私の存在そのものを嫌悪しているってことじゃないか。私の話をまともにきくことも難しいということか」
「そうとも言えるかも。でも、神様
「わかった。なるほど、お前を
真珠がやれやれと
「姫さん、変わってるって言われません?」
「どうだろうな。今の私に仕えている者たちは私しか知らぬのだから誰と比べて妙だ、と言いようがないだろ」
この男の無礼さにはもう慣れた。真珠はあっさりと言い返すと、後ろで控えていた女たちがどこか得意げに応戦した。
「左様でございます。当代の姫宮さまは在位百五十年になりますれば」
信じられぬものを見たというように瑠璃は目を丸くして
「
「好きに考えろ」
そう笑って真珠は立ち上がった。
「姫宮さま、どちらへ」
「うん、槙島では
女たちが
「はい?」
やめてやめて。
うわごとのように
「お前たち、槙島を押さえておけ」
「はい!」
「だぁぁぁっ めんどくせぇ! あの人いま、めちゃくちゃ
そりゃ
瑠璃の悲鳴を聞きながら真珠は歩きだした。
この宮は、妙な気配がする。
透輝は足を
神のお
ここに住んでいる
あの無機質な黒装束の女でさえ、つつけば年相応の少女のような反応を見せた。真珠はむしろそのようすが
どこが神の代弁者なのか。
血の通う、同じ人間ではないか。
その人間を、まして気に入っている女をおとりのように使うことに抵抗があった。これは自分の
ここ最近
もとはただの野武士であったものが年を経て
そういうすべてのものを透輝は
しかし、それは透輝自身が許さない。彼女を道具のように使う自分の浅ましさにどうにも道理が通らないと思っている。
それが自らの甘さとわかっていても、自分のさだめた美学から
「やれやれだな」
昼間だというのに透輝は部屋に閉じこもり、
たった七日だ。
城をあけて、この宮に
いや、それだけではない。あの姫。
どうも調子を狂わされている。透輝が頭を
彼はここへきても平素と変わらず、うるさく勝手気ままに過ごしている。一応、透輝は色々命じてはいるものの、それ以外は宮のなかであろうと態度を改めようとはしていない。侍女たちにも
要は、瑠璃もうっぷんがたまっているのだった。いつまでここにいる気だ、と
現に、食事に
まったく、多少腹を下したくらいで
戸を開け、問いかける。
「瑠璃、あのお姫様のご機嫌はどうだった」
「最悪だ」
予想していた瑠璃の声ではなかった。
そっけなく言い放つ真珠が視界のど真ん中で
なにをやっているんだ、お前は。
瑠璃をそう
「お前、ご機嫌はどうだなどと、いよいよ私を子どもだと思っているな」
つかつか歩み寄る真珠に、透輝はお
「お前の心配ごとを取り除いてやる
「なんだ、唐突に」
「お前の異能の話だ。
立ち上がって真珠を睨みつける透輝に
「この異名は不服のようだな」
「不快ではあるな」
「なるほど。ならばなおさら、お前は私の話を聞かなくてはならない」
「……どういう意味だ」
「存外察しが悪いのだな。お前の異能、私であればどうにかできるという意味だ」
「お前に宿っているのは神の力の
人は
「お前の力を、私の力で上書きすることができる。
頭が痛くなってきた。
透輝はこめかみを押さえる。
「身に余る能力なぞ捨てて、人は人の世界へ帰るべきだ。そうすればお前は
「瑠璃、
「あ、まて! 槙島、妙なところ
「変なところなんて触ってないっしょ! 人聞き悪いな!」
「疑っているのか? 私ならお前の望みが
瑠璃の
「断る。それは俺の望みではない」
「なんだと? お前、異能を
「
「……意味がわからん」
真珠は
断られるとは思ってもみなかったのだろう。透輝は軽く頭を横に
「なにを望もうと、あんたに叶えてもらう筋合いはない。これは俺の
「お前は初めからずっとそうだ! 姫宮たる私をただの子どものように
小さな身体を力いっぱい
まるで
「介入を許さないだと! お前こそ私の中に土足で入り込んできたのじゃないか!」
「何の話だ」
「もういいか。これ以上、神とやらの
「そうか、お前」
顔を上げた真珠は美しい顔立ちをゆがめた。口の端を上げて、赤い
「私が、神が
「なにを」
「だから私を利用することも恐れる。私との
とっさに奥歯を
透輝を
幼いころの傷に由来する
「自らの
真珠を王位の
「では俺に、惟月のサルまねをしろ、と」
「それの何が悪い」
続く言葉に今度は透輝が絶句した。
「国を治めるのだろう? 余計な人死になく治世を
さらに強くこめかみを押さえて痛む頭をなだめる。
目の前の美しき少女は、単なる子どもだ。自分には理解できぬ
「それは単なる役割の話で、俺の生き方の話じゃない。どのやり方を選ぶかは、俺の中の正しさに照らし合わせて考える。そうせよ、と言われるようなことじゃない。あんただってそうだろう。神に
「生き方だと! そんなものあるものか。私はお前たち人間とは
「だったら、それは俺の
しばし睨み合い、さきに視線をそらしたのは真珠だった。胸を張って、ふんっと鼻を鳴らしてみせるが、どうみても赤い瞳は
「ならばせいぜい勝手にいらぬ苦労をしろ」
帰る。送れと瑠璃に告げて
「槙島、いくぞ」
「……俺、姫さんの従者じゃないんですけど」
文句を言いながらもちゃんと付いていこうとするあたり、瑠璃は真珠のことを気に入っているらしかった。単純に、
まったく、
内心で悪態をつきながらも、当の透輝その人が震える小さな背を放っておけないでいる。
「瑠璃、もうさがれ。俺が姫を送っていこう」
「はぁ、そりゃ有り
言いかけた瑠璃の顔が
「ちょっと、姫さんになにする気ですか」
「追ってくるな!」
思わず走りだした真珠だが、そもそも
「それは無理だな」
「あっ、どこ触っている! はなせ、へんたい」
「顔に似合わず口の悪い女だ」
そうして
ついた場所は、婚姻のためにと
「姫宮さまっ」
透輝の
「みな、これは」
「あんたは
「姫宮さまになんという口のきき方をっ!」
「だから、なんだ。俺がどんな口をきこうとお前たちには関係ない。真珠はもはや俺の妻だ」
絶句したのはその場にいた侍女だけではない。腕の中にいる真珠もまた、口を
「
そう言い捨てて、開け放たれたままの塗籠に入る。
「なにをっ」
「事実しか言っていないが」
白々しく言い放ってやれば、
「なにが事実だ! 完全に侍女どもが誤解したぞ! どうしてくれる」
「誤解もなにも、あんたが俺の妻であることは事実だろう」
「つま!」
またも絶句する真珠にとうとう透輝は
「これじゃあ、あんたを抱くまで何度言い聞かせばいいかわからんな」
「お前っ! 今なんと言った!」
顔を紅潮させて言葉を失ったままの真珠をたっぷりと
「
「……は?」
どうにも、
「一体何に怯えている」
とたん、視線をそらされる。透輝はもう一度ため息を
「あんたは自分の役割をよしとしていないのか」
「そんなはずはない! これは私に
「なら、どうして泣いている」
「……わからない」
ふいに胸が
なぜ、目の前の女の泣き顔に心痛むのか。そうして同時にもっと見てみたいという
こちらの波立つ感情などお構いなしに、真珠は透輝にすがりつく。
「どうしてお前は私を
「自由が
「ちがう、私は」
見開かれた赤は、透輝の瞳を
言葉を失ったままの真珠は、手を
「真珠?」
「この銀だ。この銀が、私を惑わすのだ」
熱に
かつて、父から投げつけられた心ない言葉。
銀眼も異能ももたない父は、
神を
暗い感情に支配されそうになった透輝に構わず、小さな手は
「……美しいな」
この世の秘密を分け与えるように、真珠はため息交じりに言う。
あまりに
「いま、なんて」
「美しいと言ったのだ。お前の瞳は私のなにかを
「言われたことがないが」
これは
「ならば
透輝の腕の中でなんの危機感もなく笑う真珠に、とうとう力がぬけた。ゆるくなる
まいったなとひとりごちる。
どうも、まったくの子どもを相手にしている気がしてきまりが悪い。
完全に毒気を
そうして真珠を
「おいっ」
「つかれた。
いまだぎゃあぎゃあ文句を言う真珠を強く抱きしめる。
「これくらい、いいだろ。もう寝ろ」
「なんなんだ、お前」
真珠はなおもぎゃあぎゃあと言い
「あんた、いい
まるで深い森の中に入るような、心安らぐ緑の香りだった。
本格的に、
「おい、人の髪の匂いを
もはや叫ぶ声すら
透輝は自分の感情の不可解さに首を傾げながら、まぁ、いいかとすぐに考えるのをやめた。
なんだかいい夢を見られそうだ。
猫を抱いて眠ったことはないが、おそらくこんな心地に
この夜、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます