2──花さそう 第二話

「で、惟月の動向は」

ぜん、なんの動きもないね」

 感情をはいした琥珀の言葉に小さく頷いて、透輝はようやくぶすくれている瑠璃に気がついた。

「どうした」

「どうしたってちょっとさぁ」

 瑠璃が不満げに口をとがらせる。

「あんたこれ疑問に思わないわけ? なんでこの犬っころがここにいるんですかぁ」

 瑠璃の疑問はもっともだった。

 あてがわれた部屋のすぐ外で、透輝たちは燃え盛る火をつつきながらにわとりを焼いている。

 じよたちはすすんで透輝たちにかかわりたくないようで、食事を運んでくる以外はだれも近寄ろうとしない。透輝はそんなかんきようを存分に活用し、ここ最近は好き勝手にやっていた。火をいて、密談すらも。それは瑠璃も承知している。

 問題は、琥珀も仲間に入っていることだ。

 透輝はおこる瑠璃にあっさりと回答した。

「俺が惟月の様子をさぐるように言ったからだな」

「いみふめいすぎる!!」

 どうしたらそんな話になるのだ。瑠璃はぜつきようして頭をかかえた。

 琥珀は我関せずといったふうに顔をせたままで、どうだにしない。

 透輝はいまだ腹の読めぬ山犬に声をかける。

「傷はもういいのか。ずいぶん手ひどく瑠璃にやられたと聞いたが?」

 透輝が真珠のもとへ走った後、残された瑠璃は琥珀と交戦した。瑠璃からは白い毛並みが染まるほど斬りつけてやったと聞いていたが、目の前にいる琥珀は毛並みに乱れ一つない。

鹿にするな。あの程度の傷、姫宮さまにかかればなにほどでもない」

「なんだ、あの姫は傷をいやすなんていう特技もあるのか」

 からかうように言ったが、琥珀はちんもくしたままだ。真珠に関することには口を割らない。それは初めに惟月の様子を探るようにらいしたときからいつかんしていた。

 真珠とはどういう女であるのか、という問いに顔も上げないままで『答える必要がないね』とぴしゃりと言われてしまったことはおくに新しい。

「立派な忠犬ぶりだ。悪くない。利害がいつしている間は引き続きたのむ」

 だく、と返事をして消えた琥珀の向こうを注視したまま、透輝はふいに呟いた。

下手へたかくれ方は身をほろぼすぞ」

 透輝と瑠璃の殺気が向いたたん、観念したのか姿を現したのは黒装束の女だった。右手で顔を隠すみような仕草は、ちがいなく琥珀と共にいた者だった。

「なに、俺たちの首でも姫さんに強請ねだられたってわけ?」

「姫宮さまはそのようなこと、望んではおられません」

「ならあんたの独断ってことか。言っとくけど、少しでも妙なりをすれば斬るよ」

 瑠璃があまりにもえんりよなく殺気を放つので、さすがに透輝は目の前の女があわれになった。

「そのくらいにしておけ。相手はただの女だ」

かんちがいされては困りますが」

 そう前置きした上で、女は顔を隠す手のすきから眼光するどくにらみつける。

「私は頭からつま先まで姫宮さまにささげた身。あのお方のためになるのならば、命すら惜しくありません。そういうふうにできているのです。女だからと無用のあなどりはいたしませぬよう」

「どいつもこいつもつまらないことを言うな。そういうふうにできているなどと、まるで人に意志などないようだ。人の営みのあらゆることから遠いように、あの姫もそんなようなことを言っていたが」

「姫宮さまの言うことは正しくあります。天狼に仕える限り、人の営みなど必要ないと存じます」

 断言した女にみついたのは瑠璃だった。

「はぁ~? あんたたちの宗教がどんなだか知らないけど、ずいぶん鹿鹿しい話だね」

 瑠璃は息がかかるようなきよで女の顔をのぞき込んだ。さすがに近すぎる。あれほど感情を排した女のひとみが、わずかにたじろいだ。瑠璃はそのどうように無関心で言い放つ。

「あんた、せっかくきれいな顔してんのにな」

 こいもしないとはもったいない。

 考えてもいなかった言葉をぶつけられ、女は絶句した。

「なっ」

「顔を隠しても目だけみりゃわかる。あんた、ずいぶん美人さんだよね? こんなしんくさい格好ばっかりしててもったいないと最初から思ってたんだよね。このみみかざりだってあんたの方がよっぽどにあうだろうに。ねぇ、陛下?」

 自らの耳を飾る派手なそうしよくを指して瑠璃がそうのたまうのを聞くと、さすがに透輝は気がけた。

「そりゃそうだが、お前な……」

 なにをとつぴようもないことを、と透輝が頭を抱えていると、顔を隠していても紅潮していることがまるわかりの女は肩にかかったままの瑠璃の手をはらった。

しよせん女よと侮るかっ」

「きれいなもんをきれいだと言って、どうしてそれが侮りになるかわかんないんだけど」

 ますます近づいて、はだをまじまじと見る。今度は息がかかるどころではない。鼻先がれ合うほどの距離だ。

「あんた、肌も白くてきれいだね。こんな肌の女は姫君でもみたことないよ」

「失礼するっ!」

 ふんに身を染めて、女はこつぜんと姿を消した。今度こそ、気配はどこにもなかった。

 ただ火が燃える音と、肉のあぶらしたたる音がみようひびいた。一種のせいじやくともいえる沈黙を打ち破ったのは透輝のため息だった。

「瑠璃、ためしたな?」

 ろんな視線を向けると、瑠璃はあっけらかんと言う。

「半分は本気ですけどねぇ。あの人はたぶん、俺がみた中で一等きれいな部類ですよ。ま、ひめさんの人ばなれした美しさにはおよびませんが」

 瑠璃は軽く肩をすくめた。

「にしても、あれはただの人間ですよ。いくら神の使いをきどったところでね。俺たちと同じく、赤い血の流れる人間だ」

 その通り。

 瑠璃が琥珀の反応をうかがうような馬鹿話をはじめたのを止めなかったのは、透輝自身、それが知りたかったからだ。

 真珠は自らを歯車の一つであるかのようなことを言った。ずっとかんがあったのだ。彼女には天真らんまんねんれい相応の少女の姿と、その向こうにどうしようもない無機質な歯車の一つである姿がのぞく。

「どこか体をかばっているような素振りがありますし、なにより血が足りてないのか肌がいやに青白い。俺があの女の主ならさっさとておけといいますがね」

 神ってのはよほど人使いがあらいらしい。どこかき捨てるような響きだ。

「で、だいたんぼうちがうって知ってますよね?」

「安心しろ。俺が王であるかぎり、あいつらは俺の害になるようなことはしない」

「そんなのはあいつらが単なる神の使徒であるなら安心するだろうけれども、あんたも知っての通り、どうしようもなくただの人間だ。であれば心変わりはいつだってする。なにひとつ信用ならない。いつ弟殿どのがえるかわかったもんじゃない。むしろもう寝返っているかもしれないとは思わないわけ?」

「なにを考えていようが、現時点で俺にとって利があるから使っているだけだ。あいつらはあくまで姫に忠誠をちかっている。であれば、惟月にくみすることもない」

「だから、それは何の証明にもなっていないでしょ」

「だが現に、お前の探らせているところと大きく違いはないだろう」

 そう透輝がてきすると瑠璃は心底いやそうな顔をした。

「確かにあの犬っころの言うとおり、弟殿に動きはありませんね。やつの意をくんだ、というか妙な気をかせているのかなんなのか、自主的に俺たちの命令をきかないアホどもはいますが」

「こっちから動いてやらないと、あっちはテコでも動かないかもしれんな」

「そのすきに城も国もかすめ取られるかもですよ」

「お前はほうか」

 座りこんで色よく焼けたにわとりを裏返す透輝には、王であるという気負いはまるでないように思えた。

 けれどもその口からこぼれたのは、これ以上ないという王のごうまんさだった。

「俺こそが不岐で、不岐こそが俺だ。であれば城などいくら取ろうが意味がない。俺の首を取らぬ限り、この国は落ちん」

「……マジで言ってんだもんな、この人。間違っちゃいないんだけどさぁ~。ま、いちおう城は俺の親父おやじ殿がいるからしばらくはだいじようだろうけども、ちったぁこっちの都合も考えてくださいよ。あ、それもう食えそうですか」

「いや」

 もうちょっとまて。

 そう瑠璃に返事をしようとするが、かんだかい声にさえぎられる。

「おい、お前たち!」

 上段から声とともにかろやかに降ってきたのは天狼の姫、その人であった。

 そのぼういかりにふるわせながら、透輝の前に立ちふさがった。

「好きに過ごせとは言ったが、宮で小火ぼやを起こせとは言わなんだぞ!」

 身体からだが小さいのでおうちになったところではくりよくのほどは知れるが、改めてみると瑠璃の言うとおりこの世のものとは思えぬ美しいむすめだな、と透輝はぼんやりとあおぎ見た。

 卵形のゆるいりんかくのなかに大きな瞳と小ぶりの鼻、そしてつやめいた上品なくちびるがすべてぎようよく配置されている。肌はの下がけてすべて見えてしまうのではないかと余計ないだくほど、どこまでもとうめいだった。特筆すべきはやはりあのうるわしのそうぼうだ。これほど美しい赤を透輝は今まで見たことがなく、この先でもきっと見つけることはできないであろう。この世のすべてのぎよくを集めても、透輝は真珠の瞳を何度も思い出すに違いなかった。

 それにしても抱いてしまえば簡単に折れてしまいそうなきやしやさだな、と頭からつま先までしっかりと視線をわせ、そんな風に女を見た自分に気がついて、いつしゆん激しく動揺する。

 うすわるいと遠巻きにされるばかりの透輝は自然、人との情にうすかった。だれかを自分のものにしたいというよつきゆうを抱く前に冷たい瞳にきよぜつされ続けていたのだから当然ともいえる。

「聞いているのか」

 本人はりつけているつもりだろうが、透輝にとっては子犬がじゃれついてきたというほどの感覚だ。

 視線を再び火へと移し、意味なくまきの位置などをいじりながら、

「これのどこが小火だ。りっぱなき火だ」

「そろそろいもやけたっぽいですよ~」

「塩はあるか」

「あ~、ちょっとまって」

「はなしをきけ!」

 足をふみならして本気でおこっているのだろうが、どうにも可愛かわいらしさが先に立つな、と不思議な生き物をみるように透輝は改めて真珠をみた。

「お前たち、ここをどこだと心得ておるのだ。神域で芋や鶏を焼くなど、どういう教育を受けている!」

「あんたのところの食事がまつすぎる」

「なんだと!」

「うすいかゆだの、葉っぱだの、食った気がせん。だからあんたもそんなに小さいんじゃないか」

「だれが小さいか!」

 とてもあのしゆたんを切った女と同じとは思われない。

 これが、本来の真珠の姿なのだろうか。

 ずいぶんと、年相応だ。ならばそれ相応のあつかいをしてやるかと、透輝は真珠の華奢な体を持ち上げた。

「ぎゃっ!」

 とつぜんのことに悲鳴を上げてうでの中で暴れる真珠は、陸にあげられた魚もかくや、というほどにびちびちと暴れた。

 なんというか、想像通り。いや、それ以上に、

「軽すぎるだろ」

「おろせ、ばか!」

「おい、暴れるな」

 なおもびちびちとていこうする真珠に、透輝は危ないとこうそくを強くする。胡乱なひとみで一連のやり取りを見ていたのは瑠璃だ。

「はい! そこ、いちゃいちゃしな~い」

「いちゃいちゃなぞしておらん! 自分のあるじのしつけくらいちゃんとしろっ」

 言いながらもどこにそんな体力がとおどろくばかりの元気さで、真珠は暴れている。それでも透輝は拘束をゆるめることはしなかった。それどころか動くたびにれるかみが鼻先をかすめて、いだことのないかおりをいぶかしむゆうすらあった。

 どこか、異国めいた香りだ。

「あんた、みようこうをつけているな」

「おい、人のことわりもなしに嗅ぐな! やめろ! 鼻先を私の髪にうずめるんじゃない! まきしま、槙島ぁ!」

「はいはい、不出来な主をもつわいそうな槙島瑠璃ですよ~。ていうか、無理っすわ。おくれ。それよりもひめさん、食う?」

 瑠璃が差し出したのは適当な長さに切った長いもであった。皮が黒くげているが、それをいてしまえば白くほっこりとした身が顔を出す。

「いらん! それよりこの男をなんとかしろ!」

 あまりにも絶え間なく暴れ続けるので、透輝は今度こそ興がそがれたという風にきしめる腕の力をぬいた。

 急にふんわりと抱きとめるだけになった透輝をあやしんで、真珠はり向いた。

 そこにすかさず、透輝は真珠の口に長いもをほうり込んだ。

「ほら、食え」

 焼き立てのいもだ。

 舌を焼く熱さに目を白黒させた。

「……大丈夫か?」

 口元を押さえてだまり込んだ真珠に、さすがに不安になる。どうにもひめぎみで遊びすぎたかと顔色をうかがうと、真珠は小さくうなった。

「……うまい」

「は?」

「うまいといった。もっとよこせ」

 ひなが親鳥にそうしてみせるように、かぱっと大きく口をあけていもをねだる。

 この姫は危機感が足らないんじゃないかと思いながら、ねだられるがままにいもをあたえた。

 ようやく満足したところで、真珠はにっこりと笑う。

そうになったな」

 そうして、透輝の腕からするりとのがれ、ふんぞり返った。

「今回限りは許してやるゆえ、ちゃんと片付けるのだな!」

「あんなに食い散らかしといて姫さんは手伝わないわけね」

 焼けた鶏をほおりながら、瑠璃はあきれる。

「うるさい! 食事の件はじよたちにちゃんと話を通しておく」

 小さな体でたいぜんじやくとしている真珠に、透輝は軽く首をかしげた。

「あんた、さっきみたいに笑った方がいいんじゃないか」

「なに」

「いもを食ってづらしていたあんたの方が、取りましている今のあんたよりましだって言っている」

 一瞬、真珠の顔がこわばった。

 と思ったら、澄ました顔で小さく笑う。

「お前にとってのましな女になってやる必要があるのか、この私が」

 それは全ての感情を美しいおもての下にかくしきった、見事な姫君たるみだった。そこには先ほどまでいもを頰張ってじやに笑っていた十五の少女のおもかげはどこにもない。

 彼女は冷たく言いわたす。

「分をわきまえろよ、人間」

 そうして、くるりときびすを返した背を透輝は不思議な思いで見つめていた。

 どうにもちぐはぐな女だな。

 まるで、無邪気な少女とろうたけた天上人が同居しているような。

「それにしてもつくづく惟月にはもったいない女だな」

 今となっては真珠が応じたとも思えないが、仮に惟月と真珠とのこんいんが成れば玉座はおびやかされていたであろう。

 初めて彼女とたいしたとき言われたとおりだ。しんこうは習慣であり、それは血肉となる。その血肉の本丸である姫の身に何かあれば死をいとわない兵にもなるし、ねつきよう的な支持者にもなる。こと、あの姫ならその位だけではない、人を引き付ける妙なりよくというものがある。万が一にでもあの姫を害せば、じようだんではなくいつ終わるともしれぬ内乱、という未来だ。

 なかなか、ひやりとする話だ。

「やはり動かないのならこちらから動いてたたくべき、だろうな。あの姫ならそのせんたくをためらいもなく選ぶだろうさ。なんせこの俺をおどしてみせたのだからな。好戦的で、好みに合う」

「あんたね、またそんなめるようなまねを」

「まだ気に入らないのか」

「得体が知れなすぎる、という話をしているんですよ」

 主のくびをいつかかれるか、心配する方の身にもなってほしいとわめく瑠璃に、

「あきらめろ。俺についていくとちかったおのれのろうんだな」

「全くその通りですよ!」

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