第二章 ヒロインと皇子④
イヴァンが淹れたお茶も配られ、それぞれの机に向かったままながら、執務室はランチタイムとなった。エカテリーナも空いた机を借りて、どきどきしながら
「……
一口食べたアレクセイが軽い驚きを込めて呟いたのを聞いて、エカテリーナは舞い上がった。
やったー! 今のはお世辞じゃなかった! ぽろって口から出てたもん!
お兄様に
「これは、
しみじみ呟きながら
「皇都では家庭の味だ。私の実家ではタマネギとベーコンを
「公爵領でジャムなどを乗せた甘いやつを食べたことがありますが、こういう具もよいですね。他国にも似た料理があります」
興味ありげに料理をためつすがめつしているのは、商業流通長を務めるハリル・タラール。
彼らの
そんな彼らが庶民的な食べ物を囲んで、仕事と関係ない雑談をなごやかに
「ノヴァクの実家の話など初めて聞いた。皇都のどの辺りだ?」
「下町です、閣下はご存知ありますまい。私ももう、かれこれ二十年は足を向けておりません……だいぶ変わったことでしょう。アーロン、お前はどうだ」
「私も実家はとんとご
「五男ならまだまだ、うちは男兄弟だけで十人です。父は妻が三人おりますので」
「それはすごいな、ハリル」
男たちの笑い声が上がり──エカテリーナの存在を思い出してぴたりと止まった。
「皆様、どうぞお
エカテリーナはにっこり笑う。前世の会社生活でセクハラパワハラ一通り体験してますんで、妻が三人て話題で気を遣われても、それがどうしたどんと来い、としか。
「皆とこんな話をすることはあまりないんだ。お前のおかげだよ、エカテリーナ」
「お兄様に喜んでいただけて、
うふふ、とそれはもう満面で
「
と言うと、アレクセイは顔をしかめた。
「気持ちは嬉しいが、お前が手ずから料理など。こういうものを厨房に用意させるようにするから、もう
「でも、作らせるのは気乗りしなかったのでございましょう。学園に特別
「む……」
あ、やっぱり。
食にこだわりがないせいもあるけど、この辺も気にしてるんだろうと思ったら当たりだ。
以前、お前のためなら成績くらいなんとでもする発言してたのに、自分のことでは
「同じクラスに、お昼をご自分で作る方がいらっしゃいましたの。一緒にお料理して、おしゃべりして、楽しゅうございました。どうか続けさせてくださいまし」
「……お前がそう望むなら」
アレクセイたちが仕事を再開してからも、エカテリーナは
アレクセイが去ってからも、幹部たちは執務室で仕事を続ける。昼休みに決定した方針に沿って彼らの部下へ指示を出したり、書類を作成したり、やるべきことは山ほどある。放課後アレクセイが戻ってくるまでに、それらに区切りをつけねばならない。
「まさか、ご
アーロンが嬉しげに言う。
「同感ですが、それだけではないお方のようですね。ノヴァク
「なんだと──何だこれは、荷馬車?」
ハリルから受け取った書類を見て、ノヴァクはけげんな顔をした。
「以前からの
「地金の荷馬車で、商業活性化ですか?」
アーロンが首を
「皇都から公爵領への帰り、荷馬車の荷台は空です。どうせ護衛まで付けて公爵領へ帰るのなら、自前の荷馬車を持たず皇都からの仕入れが出来ない小さな商店などの荷物を、格安で
「……」
ノヴァクは真顔で書類を読み込み始める。
「商売は専門外ですが……何気ない思いつきのようでいて、なかなか画期的な提案に思えますよ。我々の発想は、つい縦割りになってしまう。そこを
アーロンの言葉に、ハリルは
「その通りです。世間をご存知ない深窓のご令嬢が、このような案を思い付くとは
エカテリーナがこの評価を聞いたら『前世で物流システム開発したことがあるアラサーなだけです! サーセン!』と内心で
しかし、これは始まりに過ぎないのだった。
◆◆◆
午後一の授業が始まる直前に教室に
「
「よかった。お役に立てたなら嬉しいです」
フローラはにっこり笑ってくれたが、そこへこんな声が聞こえてきた。
「
「そうよ、そうよ」
(テメーら自己
イラッときたエカテリーナは、もう
フローラがうつむいている。いつもソイヤトリオの
おかしいな、と思った時、フローラの制服が少し
くわっ、と頭が
あいつら物理的に手ェ出したな!?
……このタイミングで先生が現れたのは、かえって良かったのかもしれない。あやうくソイヤトリオに正面から
くそう、どうしてくれよう。
「フローラ様、少しよろしくて?」
さっぱり身の入らない授業が終わった後、エカテリーナはフローラのほうへ身を乗り出した。
「は……はい」
フローラは目を丸くしている。あれ? と思って、彼女を名前で呼んでしまったことに気付いた。
ここは押してくぜ。
「お名前でお呼びしてはいけませんかしら」
「いえ! どうぞ、そう呼んでください」
「よかった、嬉しゅうございますわ。わたくしのことも、エカテリーナとお呼びくださいましね」
「でも、それは……」
「お嫌かしら……お母様のことをうかがって、とても親しい気持ちになってしまいましたの。仲良くしていただければ、と思ったのですけど」
「嫌だなんて、まさか!」
ふんわりした桜色の
「ただ、あまりに身分が
「無理は申しませんわ。ただ、呼んでいただければ嬉しいと思っていることは、お
「は、はい。あの……そんな風に言ってもらえて、私も嬉しいです」
白い
ところでふと気付いたけど、ファーストネームだけ基本的にロシア風なこの世界で、フローラという名前は異国風な
「フローラ様、よろしければノートを見せていただけませんこと? いつもしっかりノートを取っていらっしゃいますもの」
「もちろん、どうぞ」
「ご親切に。わたくしはこんな風にしていますの」
「まあ!
いやー、これ、新入社員の
といってもこの世界にはマーカーとか色ペンとかないから、イマイチだけど。そもそも筆記用具が羽根ペンだからね。見た目はステキだけど、
フローラのノートはきれいな読みやすい字で、先生が口頭で説明したこともうまくまとめて書き込んである。
「とてもきれいにまとめていらっしゃいますのね、参考になりますわ。ここ、わたくし書ききれておりませんでしたの。写してもよろしいかしら」
「もちろんです」
そこに声が聞こえてくる。
「お世辞を真に受けてるわ、みっともない」
「そうよ、そうよ」
……。
エカテリーナは片耳を押さえて小首を
「
フローラは目を見張り、くすっと笑う。
「あまり煩いようなら、
フローラはただ首を横に振った。
まあこれでソイヤトリオも、ユールノヴァ
「フローラ様、
「私なんかでよろしければ、もちろん」
フローラがいじめられないように、当分べったりくっついているつもりだ。皇子とのイベントが始まって、あちらに守ってもらえるようになるまでは、だけど。
そのために、
……って、なんか
悪役令嬢がヒロインを攻略って、なんのギャグだよ。そんな
いや、ゲームの全ルートやり込んだ訳ではないけども……。
ないよね、フツー。
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