第二章 ヒロインと皇子④

 イヴァンが淹れたお茶も配られ、それぞれの机に向かったままながら、執務室はランチタイムとなった。エカテリーナも空いた机を借りて、どきどきしながらみなの反応を待っている。

「……美味うまい」

 一口食べたアレクセイが軽い驚きを込めて呟いたのを聞いて、エカテリーナは舞い上がった。

 やったー! 今のはお世辞じゃなかった! ぽろって口から出てたもん!

 お兄様にめてもらえたー!

「これは、しよみんが屋台で買って食べるような軽食ですね。学生の頃はよく食べたものです、なつかしい……や、ソーセージにからってあって美味い」

 しみじみ呟きながらめているのは、幹部たちの中では若い鉱山長。眼鏡をかけた学者風のようぼうで、名前はアーロン・カイルと言うそうだ。

「皇都では家庭の味だ。私の実家ではタマネギとベーコンをいためた具が定番だったが、ジャガイモとベーコンも美味いものだ」

 しぶい声でのどかなことを言うのはアレクセイのみぎうで、ボリス・ノヴァクしやく。ノヴァク家はユールノヴァ家の分家なので公爵領の出身と思いきや、皇都の下級かんだったところを祖父セルゲイに取り立てられ、ノヴァク家の入り婿むこになったらしい。

「公爵領でジャムなどを乗せた甘いやつを食べたことがありますが、こういう具もよいですね。他国にも似た料理があります」

 興味ありげに料理をためつすがめつしているのは、商業流通長を務めるハリル・タラール。かつしよくはだから、他国の出身であることが明らかだ。世界各国にきよてんを持つ大商会の宗主の血を引き、他国の事情にもくわしくいくつもの言葉を話せるという。

 彼らのほかに、森林農業長、財務長、行政長、団長、弁護士(法律もん)などがアレクセイのブレーンとして働いており、入れわり立ち替わりこの執務室をおとずれて、報告や裁可願いなどを行う。彼らの多くが祖父セルゲイがいだした人材で、それぞれの分野のせいえいぞろいだ。セルゲイが孫にのこした最大の財産と言っていい。彼らがいればこそアレクセイも、学業と公爵としての業務を両立することが可能なのだった。

 そんな彼らが庶民的な食べ物を囲んで、仕事と関係ない雑談をなごやかにわすのは、めずらしい光景である。

「ノヴァクの実家の話など初めて聞いた。皇都のどの辺りだ?」

「下町です、閣下はご存知ありますまい。私ももう、かれこれ二十年は足を向けておりません……だいぶ変わったことでしょう。アーロン、お前はどうだ」

「私も実家はとんとごです、なにせ五男ですから。実家のほうは、私がいたことなんぞ忘れ果てているでしょうね」

「五男ならまだまだ、うちは男兄弟だけで十人です。父は妻が三人おりますので」

「それはすごいな、ハリル」

 男たちの笑い声が上がり──エカテリーナの存在を思い出してぴたりと止まった。

「皆様、どうぞおづかいなく。楽しそうでいらして、何よりですわ」

 エカテリーナはにっこり笑う。前世の会社生活でセクハラパワハラ一通り体験してますんで、妻が三人て話題で気を遣われても、それがどうしたどんと来い、としか。

「皆とこんな話をすることはあまりないんだ。お前のおかげだよ、エカテリーナ」

「お兄様に喜んでいただけて、うれしゅうございますわ」

 うふふ、とそれはもう満面で微笑ほほえんでしまうエカテリーナであった。短くても気分てんかんするのは良いことなんですよ、過労死フラグ対策として。

明日あしたも何か作ってまいりますから、召し上がっていただけますかしら」

 と言うと、アレクセイは顔をしかめた。

「気持ちは嬉しいが、お前が手ずから料理など。こういうものを厨房に用意させるようにするから、もうめたほうがいい。でもしたらどうする」

「でも、作らせるのは気乗りしなかったのでございましょう。学園に特別あつかいを要求するのはほどほどにいたしませんと、ユールノヴァ公爵家の評判に傷をつけることになりかねないというごはいりよは、ごもっともですわ」

「む……」

 あ、やっぱり。

 食にこだわりがないせいもあるけど、この辺も気にしてるんだろうと思ったら当たりだ。

 以前、お前のためなら成績くらいなんとでもする発言してたのに、自分のことではえんりよしちゃうってお兄様らしいわ。

「同じクラスに、お昼をご自分で作る方がいらっしゃいましたの。一緒にお料理して、おしゃべりして、楽しゅうございました。どうか続けさせてくださいまし」

「……お前がそう望むなら」

 しぶしぶながらアレクセイがうなずくと、幹部たちがこっそり笑いを嚙み殺した。仕事では情にほだされることのないアレクセイが妹には大甘な姿は、彼らにとって微笑ましいものだった。



 アレクセイたちが仕事を再開してからも、エカテリーナはしつ室に残って細々とした手伝いをし、昼休みの終わり近くになってアレクセイが仕事を切り上げてから、教室へもどっていった。

 アレクセイが去ってからも、幹部たちは執務室で仕事を続ける。昼休みに決定した方針に沿って彼らの部下へ指示を出したり、書類を作成したり、やるべきことは山ほどある。放課後アレクセイが戻ってくるまでに、それらに区切りをつけねばならない。

「まさか、ごれいじようの手料理をいただけるとは思いませんでしたよ。初めてお会いしましたが、エカテリーナ様はお美しくてお優しい方ですね。それに兄君思いでいらっしゃる。公爵閣下にもようやくおんを気遣ってくれる家族が現れたと思うと、かんがいりようです」

 アーロンが嬉しげに言う。

「同感ですが、それだけではないお方のようですね。ノヴァクきよう、この提案、いかがでしょう。エカテリーナ様のご発案です」

「なんだと──何だこれは、荷馬車?」

 ハリルから受け取った書類を見て、ノヴァクはけげんな顔をした。

「以前からのけんあんだった公爵領の商業活性化策です。あれをご覧になったエカテリーナ様が、アーロン卿への報告書で見た、鉱山から皇都へ地金を運ぶ荷馬車を活用してはどうかと」

「地金の荷馬車で、商業活性化ですか?」

 アーロンが首をかしげる。ハリルは微笑んだ。

「皇都から公爵領への帰り、荷馬車の荷台は空です。どうせ護衛まで付けて公爵領へ帰るのなら、自前の荷馬車を持たず皇都からの仕入れが出来ない小さな商店などの荷物を、格安でせて帰る。こうすれば皇都の品を扱える店が増え、商売が活発になるのではとおっしゃったのです。思えば、我が実家の商会が所有する貨物船は、きも帰りもなるべく荷を積んでいます。荷馬車で同じことをするわけです」

「……」

 ノヴァクは真顔で書類を読み込み始める。

「商売は専門外ですが……何気ない思いつきのようでいて、なかなか画期的な提案に思えますよ。我々の発想は、つい縦割りになってしまう。そこをえてじゆうなんに組み合わせられる人材はまれです」

 アーロンの言葉に、ハリルはうなずいた。

「その通りです。世間をご存知ない深窓のご令嬢が、このような案を思い付くとはおどろきました。さすが閣下の妹君、セルゲイ公のお孫様です」

 エカテリーナがこの評価を聞いたら『前世で物流システム開発したことがあるアラサーなだけです! サーセン!』と内心でさけぶだろう。

 しかし、これは始まりに過ぎないのだった。


    ◆◆◆


 午後一の授業が始まる直前に教室にすべり込んだエカテリーナは、あわただしく準備をしながら、となりの席に微笑みかけた。

さきほどはありがとう存じました。おかげさまで、兄に喜んでもらえましたの」

「よかった。お役に立てたなら嬉しいです」

 フローラはにっこり笑ってくれたが、そこへこんな声が聞こえてきた。

いやしい人間てずうずうしくていやよね」

「そうよ、そうよ」

(テメーら自己しようかいしてんじゃねえ!)

 イラッときたエカテリーナは、もうにらんでやろうかと思ったが、その前に気付いた。

 フローラがうつむいている。いつもソイヤトリオのいやなぞ、れいにスルーしていたのに。

 おかしいな、と思った時、フローラの制服が少しよごれているのが見えた。土がついたようだ。

 くわっ、と頭がふつとうした。

 あいつら物理的に手ェ出したな!?

 ……このタイミングで先生が現れたのは、かえって良かったのかもしれない。あやうくソイヤトリオに正面からけんを売って、キャットファイトになるところだったから。

 くそう、どうしてくれよう。


「フローラ様、少しよろしくて?」

 さっぱり身の入らない授業が終わった後、エカテリーナはフローラのほうへ身を乗り出した。

「は……はい」

 フローラは目を丸くしている。あれ? と思って、彼女を名前で呼んでしまったことに気付いた。

 ここは押してくぜ。

「お名前でお呼びしてはいけませんかしら」

「いえ! どうぞ、そう呼んでください」

「よかった、嬉しゅうございますわ。わたくしのことも、エカテリーナとお呼びくださいましね」

「でも、それは……」

「お嫌かしら……お母様のことをうかがって、とても親しい気持ちになってしまいましたの。仲良くしていただければ、と思ったのですけど」

「嫌だなんて、まさか!」

 ふんわりした桜色のかみれるほど、フローラは首を横にる。

「ただ、あまりに身分がちがいますから、もったいなくて」

「無理は申しませんわ。ただ、呼んでいただければ嬉しいと思っていることは、おわかりくださいな」

「は、はい。あの……そんな風に言ってもらえて、私も嬉しいです」

 白いほおにぽっと赤味をのぼらせて、フローラは微笑ほほえんでいる。いやー、名前の通り、お花の精そのものだよ。

 ところでふと気付いたけど、ファーストネームだけ基本的にロシア風なこの世界で、フローラという名前は異国風なひびきがあるのね。前世じゃ気付かなかったけど。日本人がマリアという名前、みたいな感じ? キラキラネームってほどじゃないけど、ちょっとめずらしい。

「フローラ様、よろしければノートを見せていただけませんこと? いつもしっかりノートを取っていらっしゃいますもの」

「もちろん、どうぞ」

「ご親切に。わたくしはこんな風にしていますの」

「まあ! ふうされているんですね」

 いやー、これ、新入社員のころに研修で習った『ビジネスパーソンのノート術』そのまんまなんだけどね。

 といってもこの世界にはマーカーとか色ペンとかないから、イマイチだけど。そもそも筆記用具が羽根ペンだからね。見た目はステキだけど、じくが細くて持ちにくいわ、インクは少ししか吸い上げないからノート一行分も書けずにインクつぼけなきゃならないわ、ペン先がすぐつぶれてになるからナイフでけずってとがらせなきゃならないわ……早くだれかもっと良いもの発明してくれんかねー。

 フローラのノートはきれいな読みやすい字で、先生が口頭で説明したこともうまくまとめて書き込んである。

「とてもきれいにまとめていらっしゃいますのね、参考になりますわ。ここ、わたくし書ききれておりませんでしたの。写してもよろしいかしら」

「もちろんです」

 そこに声が聞こえてくる。

「お世辞を真に受けてるわ、みっともない」

「そうよ、そうよ」

 ……。

 エカテリーナは片耳を押さえて小首をかしげ、ふっと笑った。

ちかごろ暖かくなったせいか、羽虫がうるそうございますわね。たまに羽音が聞き苦しく思いますわ」

 フローラは目を見張り、くすっと笑う。

「あまり煩いようなら、じよをお願いしようかしら。……あら、ごめんなさいましね、独り言など言ってしまって」

 フローラはただ首を横に振った。

 しりうまに乗って、駆除しちゃってください! とか言い出さないあたり、品性の差が歴然としてるよね。

 まあこれでソイヤトリオも、ユールノヴァこうしやくれいじようがフローラにかたれしているとわかっただろう。あんたたちとつるむ気はないし、今度この子に手を出したらタダじゃおかへんで。

「フローラ様、明日あしたもお料理を教えていただけまして?」

「私なんかでよろしければ、もちろん」

 フローラがいじめられないように、当分べったりくっついているつもりだ。皇子とのイベントが始まって、あちらに守ってもらえるようになるまでは、だけど。

 そのために、いつしよに料理したり、勉強したりして、親密度を上げていこう。

 ……って、なんかこうりやく対象への好感度上げっぽい。

 悪役令嬢がヒロインを攻略って、なんのギャグだよ。そんな百合ゆりなルートはゲームにはない。

 いや、ゲームの全ルートやり込んだ訳ではないけども……。

 ないよね、フツー。

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