第二章 ヒロインと皇子①

「三日です」

 びし、とミナが三本の指を立てた。

「少なくとも三日、安静にして過ごすこと。守れなければ休学にしてこうしやくていもどらせると、公爵閣下からきついお達しです」

「いや~~~ん……」

 例の広々したりようしんしつで、ベッドにかされているエカテリーナは泣き声を出したが、ミナの表情は全く変わらない。もともと無表情だが。

「無理ないです。朝はあんなにお元気だったのに、たおれるなんて。朝どころか直前まで、閣下とつうにお話しされてたそうじゃないですか。もうだいじようなんて言ったって、信用されるわけないです」

「本当に大丈夫ですのに……」

「三日、部屋から出ないでください。でないとあたしが閣下におちにされそうなんで」

「まさか……」

「閣下のちようけんうでまえはなかなかのもんです。人の首くらいちゃんと落とせます」

 ちゃんと、って。

 だつりよくして、エカテリーナは目を閉じた。

 正直、まだ頭がぐらぐらする。ゲーム世界の『自分』であったはずのヒロインが『他人』として行動しているのを見たとたん、頭と身体がかいしてしまった。なんでいまさらこんなことに。

(前世でプレイしたゲームでは、フローラとしてこの世界を体験していたけど)

 ヒロインの名はフローラ・チェルニー。生まれは平民だが、ゆいいつの肉親だった母親をくした時、母親と親しかったチェルニーだんしやく夫妻が養女として彼女を引き取ってくれた。その後、しんで強いりよくを持っていることが判明し、魔法学園への入学が認められる──という設定。

 しやちくと悪役れいじようゆうごうはすっかりかんりようしたと思っていたけど、思えばずっと公爵邸で勉強ばかりしていたのだった。かんきようが変わるとまだ不安定ということか。

(お兄様のお言い付け通り、あらためて環境にむための時間をとったほうが無難かもしれませんわね)

 アレクセイにはずいぶん心配をかけてしまった。

(あ、やばい! 思い出しちゃう!)

 エカテリーナが倒れた時、すぐに気付いてけ寄ってくれたらしい。

 そして、そくき上げて、医務室へ運ぼうとしてくれたらしい。

 エカテリーナが意識を取り戻した時──。

(お兄様に! おひめさまっこ! してもらってた!)

 いつしゆんじようきようがわからなかったが、見上げてみるとすぐ近くにアレクセイのしゆうれいな顔があったのだ。

『お兄様……?』

『エカテリーナ! 気が付いたか──』

 あの時、アレクセイは泣き出しそうに切ない顔をした。

 そして、エカテリーナの額にほおを押し当てて、ひしと抱きしめた。

(あああ思い出しただけで鼻血出そう! うでがー、胸がー、かたがー、温かかった!)

 両手で顔をおおってじたばたするエカテリーナであった。

『お兄様、わたくし歩けますわ。下ろしてくださいまし』

だ』

 お姫様抱っこはちょっとあこがれだったが、実際してもらうと体重が気になってずかしい。

 しかしたのみは即座にきやつされた。

『お前に何かあれば、私も生きていられない。お前が私の生命なんだ……』

(死んだー! お兄様、妹はあなたの言葉にち抜かれて死にましたー!)

 え死んだ後は何も言えずに医務室まで運んでもらった。人一人の重さをものともせずに歩き切るのだからすごいが、そういえば皇国の上級貴族男子は、かつちゆうを着て戦場を駆けめぐることができるかを基準にきたえられるのだった。乙女ゲームにはそんな脳筋な設定は出てこなかったが、生まれ変わってからの知識ではそうだ。

 医務室のベッドに横になって、アレクセイにもう学舎に戻ってくださいと頼むと、少しさびしそうにこう言われた。

『今日は、手をにぎっていてほしいと言ってくれないのか』

 かっこいい大型犬がぺたんと耳を倒してしょげてる姿がダブるんですが。ついさっき視線ひとつで全校生徒をあつしたあなたはどこ行った。

(ツボった! 自分の萌えツボ発見しました!)

 手でもなんでも握っててくださいお願いします、とか口走りそうになったが、そこにミナがとうちやくしたのだった。

 それで付きい役はミナに代わって、アレクセイは自分のクラスに戻っていった。

 そうでなかったら危なかった。アレクセイの中では、妹にはしばらく学園を休学させて公爵邸で静養させることが決定こうになっていたからだ。言葉のはしばしからそれが感じられたので、エカテリーナはたいこう策を講じた。ミナに頼み込んで、寮の自室へ連れ帰ってもらったのだ。

 自室は当然、女子寮であって、男子禁制。こうしやくの権力とは別の次元で絶対のおきてである。無理矢理み込んで連れ帰ることはできない。

 なお、寮へは自分で歩いて戻ろうとしたが、なんとミナに抱き上げられ、メイドにお姫様抱っこされて帰る羽目になった。おじようさまを軽々と抱っこしてスタスタ歩くメイド。強い。うちの美人メイドが強すぎる件。

「ごめんなさいね、ミナ。お兄様、おいかりになったのではなくて?」

「そうですね、最初は。でもお言い付け通り『お嬢様は学園を離れるのが悲しいってずっと泣いてます』って言ったら、公爵閣下がちやちや落ち込んでおこるどころじゃなくなりましたんで」

「そ、そう……」

 ごめんなさい。シスコンにつけ込んでごめんなさいお兄様。

 でも、平民落ちのめつフラグかいだけなら休学はむしろみようしゆでも、皇国めつぼうフラグがどうなるかわからないので、学園をはなれるわけにはいかないんです。

 エカテリーナはお兄様のために、皇国滅亡フラグを折ってみせます!



 そんなわけで、入学していきなり三日休んだエカテリーナは、四日目に初めてクラスへ登校することになった。

 教室に入ると、クラスメイトたちがうっと息をんでいつせいに視線を向けてくる。アレクセイがエスコートしているせいだろう。入学式で全校生徒を威圧した姿はみなよく覚えているに違いない。さらに、ミナがかばんを持って付き従っている。実家ではほとんどの生徒がメイドにかしずかれているはずだが、校内に連れてこられるのは、寮で特別室に入っている者だけだ。

「エカテリーナ・ユールノヴァの席は」

 アレクセイにたずねられた近くの生徒がおずおずと指差した席にエカテリーナは導かれ、ミナが音もなく引いたに座らされた。

「では、私は自分のクラスに戻るが……少しでも不調があれば先生に申し出るんだよ。お前は決してじようではないんだ、もう少し自覚を持って、身体からだを大事にしなさい」

「はい、お兄様。お言い付けの通りにいたしますわ」

 しおらしく答えると、アレクセイはそれでも心配そうに妹のかみで、するどい目でクラスをいちべつした。いかにも、妹に何かあったらただではおかん、と言いたげだ。

 エカテリーナはがおが引きつりそうになるのを感じる。

「お帰りをお待ちしております」

 鞄をわたしてミナがそう言うと、まだ心配そうな顔をしつつも、アレクセイはミナを連れて教室から去っていった。

 ……さて。

 さりげなく、周囲の様子をうかがってみる。

 うん。

 ドン引きしてますね!

 そらそーだ。こんなめんどうくさそうなやつ、近寄りたくないよね。

 特別感ひけらかしまくりだもんね。

 とつぜんたおれられたら困るしね。何か責任問われる羽目になったらたまったもんじゃないよね。

 三日ってたら、女子はすでにグループとか出来つつあるだろうし。

 いやー……参ったなー、はっはっは。

 はあ。

 とりあえずこれだけは、とエカテリーナはとなりの席に顔を向けた。

「あの……お隣の方。わたくし、エカテリーナ・ユールノヴァと申しますの。どうぞ、およろしくね」

 すると隣の席の少女は少しおどろいたように目を見張り、つつましやかにしやくした。

「ごあいさつありがとうございます。私は、フローラ・チェルニーです」

 だよね。

 ゲームでもエカテリーナはヒロインの隣の席だったよ。挨拶したら、いきなりガチ切れされるんだけどね。

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