悪役令嬢、ブラコンにジョブチェンジします

第一章 魔法学園入学②

　よく寝（ね）てしまった。

　今日は運命の乙女ゲームスタート、入学式当日だ。眠（ねむ）れるだろうかと心配しながら横になったのに、我ながらたくましくて複雑。

　まだ見慣れない寮の自室を見回して、むしろ解（げ）せない気持ちになるエカテリーナであった。

「おはようございます、お嬢（じよう）様（さま）」

「おはよう、ミナ」

　ミナがカーテンを開けたので、朝日が広々とした寝（しん）室（しつ）へ差し込んできた。

『広々とした』『寝室』。

　おわかりだろうか？

　エカテリーナが与（あた）えられた部屋は、学生寮という概念から大きく外れた代（しろ）物（もの）なのだ。広々とした寝室と、さらに広々としたリビング兼（けん）書（しよ）斎（さい）の二間あり、加えてお付きメイド用の小部屋と小さな台所まで付いている。

　こういう特別室は、三十棟（むね）くらいある寮の建物の中でも歴史が古い十棟に一室ずつ用意されているらしい。皇族か公爵家の子息令嬢だけが入れるそうだ。

「朝食ですが、ベッドで召（め）し上がりますか。それとも書斎へお持ちしますか」

「あら、食堂でいただくのではありませんの」

「特別室のお食事は、厨（ちゆう）房（ぼう）から昇（しよう）降（こう）機で運ばれてきます」

　なんか……身分制度ってすごいというか。同じ生徒にここまで差をつけるのってどうなんだ。前世の名門校っていうとイギリスのイートン校だけど、王族だろうが留学中の日本の皇太子だろうが他（ほか）の生徒と区別されないとか聞いたような。

　でも将来皇（こう）帝（てい）や皇后になる人、なるかもしれない人なら、毒殺とかの用心も必要だろうし仕方ない……のか？　お兄様は部屋でもがっつり仕事してそうだから、これくらいの広さは必要かもだけど。

　ゲームで見た寮の部屋はこぢんまりしたワンルームだった。魔法学園の生徒はほとんどが貴族だから相部屋でなくワンルームなんだなー贅（ぜい）沢（たく）だなー、と思っていた前世の自分よ、それどころじゃなかったよ。

　まあでも、いざとなったら引きこもるのにはぴったりだな！

　ベッドで朝食をとって、制服に着（き）替（が）えて（というか着せてもらって。可愛（かわい）いデザインだけどそれだけに悪役令（れい）嬢（じよう）に似合うかは微（び）妙（みよう））、いざ、入学式へ。

　ゲームでは、『入学式』はナレーションでゲームの世界観やストーリーを紹（しよう）介（かい）される導入部だった。

　実際に入学する今回はもちろんそんなのではなく、日本の入学式テンプレそのものの行事らしい。新入生はいったん寮ごとに集められ、在校生と来（らい）賓（ひん）の拍（はく）手（しゆ）の中を講堂に入場し着席する。

　公（こう）爵（しやく）令嬢エカテリーナは当然のように最前列に座らされた。やっぱり昨夜（ゆうべ）よく眠れて良かった、居（い）眠（ねむ）りでもしたら恥（は）ずかしいぞこれ。

　オーケストラボックス（講堂にそんなのあるんかい！）の楽士たちが荘（そう）厳（ごん）な音楽（国歌的なやつ？）を奏（かな）でたり、校長来賓が訓辞祝辞を述べたりした後、在校生代表の歓（かん）迎（げい）の言葉になったのだが。

「在校生代表、アレクセイ・ユールノヴァ公爵閣下」

　なっにー!?

（こういうのって生徒会長とかがやるんじゃないの？　なんでお兄様？　一番身分が高くて成績が首席だから？　生徒会長が風（か）邪（ぜ）引（ひ）いて代役とか？　そして生徒に爵（しやく）位（い）や敬（けい）称（しよう）付けて呼んじゃうんだ!?）

　アレクセイが壇（だん）上（じよう）に現れる。

（きゃーっ！　お兄様かっこいい！）

　兄の制服姿を見るのは初めてで、思わずテンション上がるエカテリーナであった。

　ゲームの画面ではいつも制服だったけど、同じ世界に生まれ変わって見るのはわけが違（ちが）う。魔法学園の男子の制服はブレザーながらかっちりとした軍服（装（そう）飾（しよく）も多いから軍礼装？）めいたデザインで、片眼鏡を着けたアレクセイの一見Ｓっぽい雰（ふん）囲（い）気（き）によく合っていた。

　あらためて、背が高い。足長い。先に話をした校長や来賓と比べると、スタイルの良さがはっきりわかる。

　お兄様、実は細マッチョだしね！

　この世界の貴族男子は乗馬や剣（けん）術（じゆつ）の習得がマストで、朝（あさ）稽（げい）古（こ）では長剣の一（いつ）閃（せん）で的を両断したりもする、胸（むな）板（いた）やら肩（かた）幅（はば）やらしっかり筋肉がついた美しい体型なんだよね！

　背筋の伸（の）びた姿勢の良さも素（す）敵（てき）！

　無表情な白（はく）皙（せき）の美（び）貌（ぼう）に、学生とは思えない威（い）厳（げん）を漂（ただよ）わせ、アレクセイは無造作に演（えん）壇（だん）に歩み寄る。その動きに、講堂のすべての人間が視線を吸い寄せられているのがわかる。

　演壇の前に立つと、アレクセイはゆっくりと講堂の端（はし）から端まで見（み）渡（わた）していった。遠くからでも水色の瞳（ひとみ）の色が見て取れる、自ら光を放つようなパライバトルマリンの視線。もともとうるさくはなかった生徒たちだが、気（け）圧（お）されたようにさらに静まり返って、講堂にこの日一番の静（せい）寂（じやく）が落ちる。

　そこで、アレクセイはおもむろに口を開いた。

「新入生諸君──」

　低い響（ひび）きの良い声が、講堂を満たす。

　内容はこういう場合のテンプレで、栄（は）えある皇国魔法学園の一員として諸君を歓迎する、みたいな話だが、話し方になんとも重みがあった。

　有能。なんて有能なんですかお兄様。

　長すぎず短すぎずでスピーチを終え、拍手の中アレクセイは演壇を離（はな）れ戻（もど）ってゆく。

　この時になって彼がちらりとこちらを見たので、エカテリーナはこっそり手を振（ふ）った。

　一（いつ）瞬（しゆん）、アレクセイが微笑（ほほえ）んだ。

　すぐに消えたがその瞬間だけ、無表情が一変して優（やさ）しい笑（え）顔（がお）になっていた。

　きゃーっ！　ギャップ萌（も）えキター！

「きゃーっ！」

　どよっ。

　はっ！　心の声がダダ漏（も）れに！

　って違うぞ。なんか後ろのほうから聞こえたけど？　どよっ、とかどよめいてたし。後ろで何か起きたのかな？

　などと思っていたところへ、進行役の声が響き渡（わた）った。

「新入生代表、ミハイル・ユールグラン皇子殿（でん）下（か）」

　ひー!?

　在校生代表が公爵で、新入生代表が皇子！　なんというノーブルvs.ロイヤル。入学式がノーブルvs.ロイヤルて。

「きゃーっ！」

　今度はあきらかな歓（かん）声（せい）の中、ミハイル皇子が壇上に現れた。

　夏空のように青い髪（かみ）、青い瞳。凜（りん）としつつも、優しさと快活さを感じさせる甘い顔立ち。すでに身長は高いほうだが、まだ育ちきらないしなやかな身体（からだ）つき。

　全校生徒を前に演壇に立っても、緊（きん）張（ちよう）した様子もないのはさすがとしか言いようがない。

　ふっ、とエカテリーナは微笑んだ。

（ないわー……あー、良かった）

　確かにさすがの美形。超（ちよう）イケメンだ。冷たい印象のアレクセイよりも、ミハイルを選ぶ女子は多いだろう。

　でもね！　前世でアラサーだった身からすると、十五歳はムリ！

　好きなタイプはできる男だし！

　今は自分も十五歳でも、あんな可愛いお子様相手に、恋（れん）愛（あい）感情なんかピクリとも動きませんわ！

　お兄様は外見も二十代に見えるし精神的にも落ち着いてるから、心置きなくきゃーきゃー言えるけど、年相応なお子様相手に恋愛フラグは立つどころか、沈（しず）む。沈んでどっか消える。

　皇子に会ったら好きになっちゃって暴走しないか、少しだけ心配しなくもなかったけど、ないないないわー。良かったわー。

　アレクセイの時には静まり返っていた講堂は、今はうるさくはないがどこかきゃわきゃわと浮（う）き立っている。女子のほとんどが一（いち）網（もう）打（だ）尽（じん）にファンになったのではあるまいか。登場前に歓声が上がったくらいだし。

　いやでも、一回目はタイミング的にやっぱりおかしいな。お兄様への反応だったりして？　実は隠（かく）れファンがいるのかしら。お兄様も超イケメンだし、身分高いし、むしろ当然か。

　うん。超イケメン、成績は首席、国内トップクラスに身分高くてめっちゃお金持ち。

　さらに……両親（つまり姑（しゆうとめ）舅（しゆうと））も難物のクソババア（大（おお）姑（じゆうとめ））もすでにいないのも、結（けつ）婚（こん）相手として見るとむしろ高評価……。

　身分は皇子には負けるけど、ゆくゆくは皇后というプレッシャー大きそうな立場より、公爵夫人のほうがいいって女子も多いんじゃ……？

　こ、これは。

　お兄様──なんという優良物件！（婚（こん）活（かつ）市場的な意味で）

　間（ま）違（ちが）いない、あれはお兄様狙（ねら）いの女子の反応！

　いけない、お兄様を守らなくちゃ！

　……って待て自分。

　自分、妹だから。

　お兄様いずれ結婚するんだから。

　何か困っているならともかく、近寄る女子をやみくもに追い払（はら）ったりしたら、かえって迷（めい）惑（わく）じゃない？

　はっ！　姑も大姑も舅もいないけど、そういえば自分が小（こ）姑（じゆうとめ）やん！

　兄（あに）嫁（よめ）になる人を邪（じや）魔（ま）者（もの）みたいにしたら、小姑による嫁いびりになってしまう！

　うわーん、辛（つら）いけど見守らなきゃ。お兄様を幸せにしてくれるような、性格の優しい人と結婚するようにサポートだけはしたいけど……。たぶん家と家との結婚だろうから、妹が何か言っても相手にされないんじゃ？

　……って再び待て自分。

　お兄様ほどの立場なら、とっくに婚（こん）約（やく）者決まってても不思議はないぞ。

　わざわざ訊（き）いたことないから教えてもらってないだけで、いつ誰（だれ）と結婚するか全部決まってる可能性も！　あるよ、ある！

　だったらどうしよう。確かめなきゃ──。

　周囲から拍（はく）手（しゆ）が聞こえて、エカテリーナは我に返った。

　皇子の話が終わっていた。

　あ……皇子の話、一言たりとも聞いちゃいなかったわ。

　皇子、なんかすまん。

「エカテリーナ」

　入学式を終えて学舎に移動しているところへ、アレクセイがやってきた。

「お兄様！」

　嬉（き）々（き）としてエカテリーナは兄に駆（か）け寄る。

「お兄様、先（さき）程（ほど）のご挨（あい）拶（さつ）、ご立派でしたわ」

「ん？　ああ。急な代役だったんだ、大したことは言っていない」

　やっぱり代役でビンゴか。しっかしこともなげにおっしゃいますな。

「私より、皇子のことが気になったのではないか？」

「え？」

「私の後に、ミハイル殿下のお言葉があっただろう。どう思った」

　え～ええええ？

　なんで皇子？　やべえ話の間ずーっと変なこと考えてたのがバレた？

「あ……殿下ですわね。そう、その、ご立派なお言葉で……」

　いかん、我ながら明らかにキョドっとる。

　ここは正直に言っておこう。お兄様なら怒（おこ）らないよね。

「その……あまり、印象に……残っておりません、の……」

「……」

　あ、間が。

　呆（あき）れられたんだろうなー。でもでも皇子よりお兄様のほうが素（す）敵（てき）だったから！　しゃーないもん！

「あの、それよりお兄様！　ひとつお尋（たず）ねして宜（よろ）しゅうございまして？」

「あ、ああ、もちろん」

「お兄様は、どこかのご令（れい）嬢（じよう）と婚約していらっしゃいますの!?」

「……は？」

　いやお兄様キョトンとしないで。

「いえ、わたくしが口出しすることではないとわかっておりますわ。でもこれだけは申し上げます、わたくしお兄様の奥様になる方がどんな方でも、決して意地悪なんていたしません！　たとえ女同士の確（かく）執（しつ）が生まれようと、お兄様を困らせるようなことはしないとお約束いたしますわ！」

『嫁いびりダメ絶対！』

　いつも心にこの標語！

　思わず握（にぎ）りこぶしで力説するエカテリーナであった。

「確執……」

　呟（つぶや）いて、アレクセイは笑い出す。

　……レアだわ、お兄様が声出して笑ってるの初めて見たわー。大人っぽさが薄（うす）れてかわいい。

　けど笑ってる場合じゃないです。嫁姑問題はたぶん女の根源的な問題ですよー。嫁にも姑にもなったことないけど。

　ちょっと向こうで、学舎に向かっていた在校生たちが、呆（ぼう）然（ぜん）とアレクセイを見ているのがちらりと目に入った。

「わ、私はまだ婚約していない」

　片眼鏡を外して涙（なみだ）を拭（ぬぐ）いながら、アレクセイが答える。

「卒業してから検討することになっている。公（こう）爵（しやく）領の仕事と学業を両立しているうちは、それどころではないからね。それに、私が結婚するのは、お前をしかるべき家に嫁（とつ）がせてからだ。だから、確執などと心配する必要は全くない」

　婚約してないのかー。とりあえずほっとしたわ。

　そして片眼鏡を外したお兄様、さらにかわいいわ。

「わたくし、お嫁に行くのはお兄様のお幸せを見届けてからにしとうございますわ」

「それではお互（たが）い結婚できないな。ずっと一（いつ）緒（しよ）にいることになる」

「まあ素敵！　わたくしそれが一番幸せですわ」

　だってお兄様はイチ推（お）しだからね！

「子供だな、お前は」

　苦（く）笑（しよう）しつつ、アレクセイは嬉（うれ）しそうだ。

「もう少し大人になって、好きな相手ができたら言いなさい。お前を幸せにできる男であれば、望みの通りにしてあげよう」

　ありがとう、お兄様。

　実はあなたより十一歳も年上のアラサー成分入っててごめんなさい。

　攻（こう）略（りやく）対象じゃないお兄様が好きすぎて、ちょこっと出てくるだけの場面を見るために寸（すん）暇（か）を惜（お）しんで乙女（おとめ）ゲームをプレイしたあげく死んだアホなので、ずっと一緒にいてしまう可能性大です。

　いつかあなたの過労死フラグを折るためにも、側（そば）から離（はな）れないつもりですから！

　アレクセイと別れ、エカテリーナは新入生の学舎へ急ぐ。

　すっかり遅（おく）れてしまった。もうほとんどの生徒が学舎に入っていて、数人の後ろ姿が見えるばかりだ。

　それを追って小走りになったところで、一人の後ろ姿に目が吸い寄せられた。

　華（きや）奢（しや）な身体（からだ）つきの、女生徒だった。

　ふんわりしたセミロングの髪（かみ）は、桜のような淡（あわ）いピンク色。後ろ姿だけで、可（か）憐（れん）な雰（ふん）囲（い）気（き）が伝わってくる。

　──瞳（ひとみ）の色は、アメジストのように鮮（あざ）やかな紫（むらさき）。くっきりとした大きな目、長いまつ毛、可愛（かわい）い制服が完（かん）璧（ぺき）に似合う容姿。

　遠目の後ろ姿だけでは解（わか）るはずのない情報が、怒（ど）濤（とう）のように頭に湧（わ）き上がってくる。

　それも当然。だって、あれは、自分。

　制服が似合うのも当然。これは、あのキャラに合わせてデザインされたものだから。

　コマンド入れてないのに、なんで歩いていくの？

（違（ちが）う、ヒロインだよ！　今はゲームを操作してるわけじゃない！　しっかりしろ自分！）

　自分って、誰だっけ。

　カクン、と足の力が抜（ぬ）けた。

（しまった、ロックかかった──）

「エカテリーナ！」

　遠くでアレクセイの声が聞こえた気がしたが。

　そのまま、ブラックアウトした。