3話2節

 深琴をリビングに迎え、お茶を出したら、すぐに飲み干してしまった。


「はぁ~~生き返りました。やっぱり屋内は落ち着きます……」


「さすがに玄関空けたらへたり込むとは思わなかったぞ……」


 彼女を家に入れたは良いが、直後に青い顔で腰砕けになってしまったのである。


 今は、机を通して向かい合っている状態だ。


「引きこもり期間が長かった所為か、日光浴びると気力が削られるんですよ~~」


 幽霊か何かかお前は……。


「危うく成仏するかと思いました……」


 幽霊じゃねーか。


 日中でも俺たちと一緒に通学路を通ってたし、図書館とか行っただろうが。


「明音ちゃんたちと一緒だと平気で……。一人で外に出るのは重労働です……!」


 そんなシリアスな表情で言われてもなぁ……。




 補足しておくと、彼女は中学時代引きこもりだった。


 細かい原因を俺は知らない。知りようもなかったしな。


 どうやったのかは不明だが、明音と龍姫が自宅から引きずり出したらしい。


 俺はちょうどその場に出くわし、彼女達に襲撃を掛けた。


 明音と、ガブリエルとして覚醒していた龍姫と戦いあと一歩まで追いつめる。


 だが、そこに割って入ってきた深琴がラファエルへと覚醒したのだ。


 いつ入手したのかは不明だが、彼女も女神の力の欠片を持っていたらしい。


 予想外の三人目の天使の出現に動揺し、俺は撤退を余儀なくされた。


 その日以降、再び登校するようになった。


 だが、こうしてみる限り完全に引きこもりが改善したわけではないらしい。




「で、お前はそれだけの大冒険をしてまで俺に一体何の用だ?」


 まあ、俺が聞きたい事はこれである。


 いかなる理由にせよ、重要な事なのは間違いない。


 照美から言われたこともあるし、勘繰られないように気を付けないと……。




「……何しに来たんでしたっけ?」


 思わずズッコケそうになってしまった。


「いや、俺に聞くなよ。もしかしなくても相当テンパってるだろお前」


「え、ええと、そうですね、たしか、何かしようとしてたんですけど考えが纏まらないというかここに来た目的はたしかにあるんですけどあのそのえっと」


「お茶もう一杯いるか?」


「いただきます!」


 先程と同じペットボトルから注いだお茶を、深琴は再び一気飲みする。


「……んぐっ、ぶほっ!?」


 むせてるし。


 このままでは埒があかない。


 彼女の身だしなみや荷物から何かヒントがないか観察する。


 彼女の身なりは、それなりに整っていた。


 少なくとも一般的な男性が見ても嫌悪感がないであろう清楚なものである。


 雑な言い方だが、『片田舎から来た娘が頑張って着飾った』感がすごい。


 とはいえ、元々の素材が良いので野暮ったい感じはないが。


 彼女なりにおめかししてきているのはよくわかった。




 そういえば、彼女は手ぶらで来たわけではないはずだ。


 玄関で見た時も、幅が広めの四角いバッグに――。


「深琴、お前何か持ってきたんじゃないか?」


 俺の一言でハッとした表情を浮かべ、自身の横に置かれたバッグを漁り始める。


 そして、中から取り出した何かを、叩きつけるような勢いで机に置く。


「そうでした! 私、翔さんの記憶を取り戻すお手伝いに来たんです!」


「手伝いって……これは?」


 机に置かれたものはA4程度のコピー用紙の束だろうか。


 ただ、よく見ると書きかけの下絵や出来上がっている絵が写っていた。


「私のブログにアップしていた絵をいくらか印刷してきました」


「結構な数だが……一体何枚あるんだ?」


「30枚くらい……フルカラーで刷ってきました」


 凄いのかもしれないが、サムズアップでドヤ顔決められても反応に困るんだが。




「……私が引きこもり時代にやっていた事はどこまで教えてもらいました?」


「ネットで絵のブログをやっていて、俺はお前のファンだったんだっけ?」


 照美から得た情報と、深琴のブログで書かれていた事から、ほぼ確定だろう。


 深琴は黙って頷き、紙束の中から、一枚の絵を取り出す。


「これは、あなたが『glasses』としての感想を初めてくれた時の絵です」


 ……なるほど。


 ファンとして彼女と交流していた事柄から記憶を刺激しようという話か。


「これを見て、何か思い出した事はありますか?」


「いや、すごい上手いとは思うが、いきなり記憶が戻るって事はさすがに……」


「そ、そうですか……。まあ焦る必要はないですよね! 一枚ずつ見せますから」




 深琴は俺に色々な絵を見せながら、その時の気持ちや、『glasses』からのコメントを交えながら教えてくれた。


 元々、描いている絵がアニメや漫画の二次創作の部類なので、時折元ネタの話に脱線して熱が入る事もあったりと、実に慌ただしい。


 熱く語る彼女は本当に楽しげで、描いている時もそんな気持ちだったのだろう。


 見聞きする分には飽きないものではある。


 だが……本来の意図は、記憶を辿る事だ。


 残念ながら、実感はまるでない……当然ではあるが。


 原因はやはり、俺自身が『目金翔』ではないからだろう。


 俺はバッドキングの騎士、ルースロットだ。


 今はその肩書に『元』の字が付くだろうが。


 彼女が見ているのは『ルースロット』ではなく、『目金翔』である。


 このやり取りは……不毛なものかもしれない。


 それでも、気になる事はやはりある。




「なあ、お前はどうしてそこまで『俺』の記憶を取り戻そうとしているんだ?」


 記憶を取り戻すために協力してくれる。


 それ自体は非常にありがたいことではあるのだ。


 しかし、彼女の性格的には違和感が出来てしまう。


 有体に言えば、彼女は引きこもりだった人間だ。


 他人との関係を断ちたいが為に部屋という壁に頼った。


 そんな少女が、ファンとはいえ、赤の他人に積極的に関わるだろうか?




「……やっぱり、迷惑でしたか?」


「そうじゃない。もし誰かに言われたから、とかなら無理をさせても……」


「違います! ……これは、私がしたいからしている事です」


 本人の口からはっきりと言い切られてしまった。


 うっすら涙目になりながらも、こちらを強く見つめ続けている。


 少なくとも、強制されてやっているわけではなさそうだ。




「……翔さんは、私の恩人なんです」




 恩人?




「私の父は、古典絵画の古い家の出なんです。浮世絵とか水墨画とかですね」


 結構なお家の人だったらしい。


「絵の勉強のために反対を押し切ってフランスに行った時に、同じ画家だった母と出会って、そこで新たな着想を得た結果、日本でも有名になったんです」


 今でもよく個展が開かれてるんですよ? と彼女は付け加える。


 その中で新しい風を入れた両親はまさに風雲児ってわけだ。


 ただ、古い家でそういうことをする者には往々にして付き纏う問題がある。


「ただ、そのせいで両親は伝統を重んじる本家との関係が悪くなったんです」


 頭の固い奴から煙たがられる……よくある話だ。


「それでも、父の才能は傑出したものでした。その娘である私に……本家の人達は過度な期待を向けて引き入れようとしました」




 深琴の言い方から察するに、褒められたやり方ではなかったのだろう。


 結果、失敗して深琴は引きこもるようになってしまった。


 絵を描く事はやめなかったが、そいつらの望んだ方向にはいかなかった。


 引きこもった主な原因はそういう事か。




「両親は私が描く絵を褒めてくれましたし、明音ちゃん達や翔さんに出会うことも出来ました。だから、引きこもった事は後悔してないんです」


 明音たちと出会えたことで、自分に自信を持てるようになって、エンジェルスの一員として戦えるまでに成長出来たって事か。


 敵だった身としては複雑な気分だが、こうして聞く分には悪い話ではない。




「……ただ、しばらくして私がアニメや漫画の絵を描いてる事が本家に知られてしまったみたいで、その時点でこちらにコンタクトを取ってきたんです」


 ……だいたい話が読めてきた。


 西洋方式――古典美術でもゴッホとかその辺か?――を取り入れただけでも目くじら立てた連中が、アニメや漫画に対していい心証を持ってるとは到底思えない。


「……たぶん、予想が付くと思います。本家の要求はこうでした。『あの恥さらしを今すぐ家から追い出せ。月夜家の名誉が穢れる』」


 悪い方向の予想は得てして外れないものである。




「それで、もしかしたら転校することになるかもしれないって話になって……」


 ほぼ絶縁される関係で今いる場所から離れなければならなくなったってことか。


 話を聞く限り、深琴の両親は彼女を切る選択は絶対取らないだろうしな。


「それを聞いた明音ちゃん達が本家に突撃して直談判したんです」


 まあ、あいつらが黙ってるわけないわな。


 友達が理不尽な理由で転校させられるかもしれないなんて。


 家庭内の問題かもしれないが、明音達ならやるだろう。


 おそらく、深琴の両親や……翔も一緒に行ったはずだ。


「最初、聞く耳すら持たなかった大祖父様に怯まず立ち向かいました。そしたら、大祖父様は和解の条件を提示してきました」


 少し間を置いて唾を飲み込んだ後、彼女は口を開いた。


「『今描いているくだらないものを全て捨て、月夜家のために尽くせ』」


 筆を折って友と共にいる事を選ぶか、筆を折らずに友を捨てるか。


 深琴はその選択を迫られたわけか。


「けど……その選択を真っ向から突き返したのが――」


「明音か?」


 その質問に。彼女は黙って首を横に振った。


「いいえ、翔さんでした」


 翔が?


 今まで目金翔に抱いていたイメージとはどこか一致しない。


 いくら彼女のファンでもそこまでするのだろうか?




 そして、深琴は翔の言った事を一言一句余さず語り始めた。






『深琴さん、この分らず屋のいう事なんて聞く必要無いでヤンスよ』


『僕も昔は、将来のために余計なものはいらない、邪魔だと思ってたでヤンス』


『けどそんなことはなかったでヤンス。深琴さんはみんなと関わり、触れ合った事で、今までとは違うものを得たんじゃないかと僕は思うでヤンス』


『あなた方は、何の偏見もなく彼女の絵を見た事があるでヤンスか? 彼女の今を全否定しても、絶対に今以上の絵は描けないでヤンス』


『僕は今の……のびのびと描かれている深琴さんの絵が大好きでヤンス。きっと、好きな事は好きでいい筈なんでヤンスから』






「すごく、嬉しかった。私の絵を真正面から褒めてくれたのは明音ちゃんだったけど、今ある私も私なんだって教えてくれたのは翔さんだったんです」


「……」


「今までは、自分だけが間違っているんじゃないか、他に正しい選択肢があったんじゃないかって、ずっと心に引っかかっていました」


 その瞳は、真っ直ぐとこちらを見つめていた。


 彼女の気持ちや言葉に嘘はない。


「でも、そうじゃなかった。私の『今』にもきっと意味がある。やってきた事全部が間違っているなんてありえないんだって、そう思えるようになったんです」


 そして、どこか熱っぽい眼差しをこちらに向けている。


 そこには、俺と戦いを繰り広げていた戦士はいなかった。


「だから、道路に飛び出した子供をかばって事故に遭ったって聞いた時は、すごく辛かったです。でも、翔さんはこうも言っていました」






『龍姫がきっかけで、勉強とは違う色々なものを見ようと思ったでヤンスが、自分が決定的に変われたのは、深琴さんのおかげでヤンス』


『深琴さんの絵と出会えたから、自分と違うものを受け入れることが出来たんでヤンス。そうじゃなかったら、きっと自分は本家の方に肩入れしていたでヤンス』


『自分が今までとは違う事をやるのはすごく勇気がいるでヤンス。でも、もし挑戦して失敗することがあっても、きっと後悔しないと思うでヤンス』


『だから、胸を張っていいんでヤンス。自分は自分なんだって』






「私は、私の心を救ってくれた翔さんに恩返しがしたいんです」


 まるで、恋する普通の少女のような――




「……ああ、そうか」


 深琴に聞こえない小さな声で、俺は小さくつぶやいた。


 彼女は、俺と同じなんだ。


「お前は、『目金翔』が好きなんだな……」


「……っ!?」


 自分を救ってくれた人間に恋をしているんだ。


 思わず口に出してしまったせいか、深琴は顔を真っ赤にして手をぶんぶん振り回しながら声にならない声を上げている。


 しばらくすると、正座したままスカートを握りしめてうつむいてしまった。


 否定しないのはそうしたくないのか、する余裕がない程慌てているのか。


 後者かもしれない。




「そりゃあ、必死にもなるよな」


 彼女にとって、今の目金翔は同じ姿をした別人だ。


 そして、その解釈は間違ってはいない。


 俺は『人間・目金翔』ではなく、『騎士・ルースロット』なのだから。


 この少女は居心地の良い部屋に閉じ籠ることなく、『目金翔』の記憶を取り戻すために必死になっているのだ。


「記憶がいつ戻るかはわからないが……取り戻す努力は忘れないようにする」




 そして、俺が何故目金翔の事が気になっていたのか、ようやく理解できた。


 彼もまたエンジェルスによって変わる事が出来た人間だったのだ。


 相手もきっかけも違うが、それはたしかな事だった。




「もし記憶が戻ったら、『翔』をデートにでも誘ってやれ。きっと喜ぶぞ」


 だから、こんなリップサービスくらいは許してくれるだろう。


「で、でで、デート!? えっ、えっ……なんで?」


「なんでって……そりゃあそうだろ。お前の思い人は『俺』じゃない。それに……記憶を取り戻した時、それ以前の記憶を忘れるってパターンもあるって話だ」


「それってどういう……?」


「ここでお前が言った事や今日のやり取りを全部忘れているかもしれないからな。こうして打ち明ける勇気があるなら、デートにだって誘えるだろ?」


軽口を叩くように言い放ってみると、深琴はくすくすと笑いだした。




「……確かに、あなたは私が知っている『翔』さんじゃないです」


「そうか」


「でも、優しい人です」




――そんな優しい心を、あなたも持っているんでしょ?――




(いつか言われた言葉を思い出しちまうとはな……)


 柄にもなく感傷的な気分に浸ってしまった。






 帝国でエンジェルスと戦っていた頃に同じ事を言われたことがある。


 ルシフェル……照美が帝国へ離反した時、俺は彼女を引き留めなかった。


 明音達と共に笑顔で過ごす彼女を見て、安心していたのかもしれない。


 だが、帝国としては裏切り者を処断するべきだ。


 自身の心情を切り離し、ルシフェルを倒すのが組織としての最善のはず。




 だが、俺は何度も失敗した。


 あと一歩まで追いつめてもトドメを刺す事は出来なかったのだ。


 当時の俺は、自分の行動がまるで理解できなかった。


 だが、困惑する俺に向かって、ミカエルは諭すように語ったのである。




「あなたがルシフェルを殺せない気持ち、私にはわかる気がする」


「黙れ! 手元が狂っただけだ。次は必ず……」


「嘘! あなたは初めからルシフェルを殺す気なんてなかったでしょ!」


「なんでそんなことが言える! 俺は帝国の騎士だ!」


「騎士だから何て関係ない! ルシフェルを殺したくないって思ってる」




「そんな優しい心を、あなたも持っているんでしょ?」




 当時は、意味が理解できず、逆上するようにミカエルに攻撃を仕掛けた。


 今思えば、みっともない駄々っ子のような反応だ。


 だが、あの時の俺には本当に分からなかった。


 バッドキングの元で、様々な世界を隷属させた俺は、攻められた側にとって、 まさに悪魔にしか見えない筈であり、それは純然たる事実である。


 だからこそ、彼女の言葉は予想外の不意打ちに等しかったのだ。


 その言葉を否定しなければ、自分が自分でなくなるかもしれない。


 そんな恐怖に駆られるほどに。




 この世界に来てから、様々なものが俺の中で生まれている。


 かつて言われて動揺してしまった言葉も、今なら飲み込める気がした。




 話し込んでいる内に、すっかり夕日が隠れそうな時間になっていた。


「もう遅いしな。家まで送るよ」


「いいんですか?」


「このまま送り出して何かあったら後味が悪いしな」


「あ、ありがとうございます……」


 それに、ここしばらくエンジェルス達が一人の時に敵が現れている感じがする。


 俺は端から見れば何の力もない一般市民である以上、警戒はされないだろうが。


「……念には念を入れておくか」


 そう呟きながら、スマホのメールアプリを起動する。


 そして、簡単なメールを送って自宅を後にした。






 深琴を送り届ける道中、俺はディフィスタン対策へ思考を巡らせている。


 正直な話、ディフィスタンはエンジェルス全員で戦えば勝てると踏んでいた。


 今、隣を歩いている気弱そうな彼女でさえ、リア・ラファエルとして幾度となく戦いを繰り広げた歴戦の戦士であり、明音・龍姫・照美が揃えば盤石だ。


 だが、ディフィスタンは、俺を含む今までの彼女達の敵とは違う方向で強敵だ。


 とにかく、自身が有利な状況を生み出す事に執心している。


 複数のエンジェルスとの同時戦闘を極力避けていた。




 あとは、戦闘方法だろうか。


 バッドドッグをあそこまで念入りに改造チューンアップする奴は見た事がない。


 この特性は、使役者の資質や得意分野を噛み合わせることが必須事項である。


 無茶をするとバッドドッグが自壊しかねないのだ。


 俺は奴らを使役する時は腕部を剣や盾に変えて運用していた程度だ。


 ……元々改造チューンアップは得意ではなく、単身相手に突っ込んでいたのもあるが。




 あとは触手に対する妙なこだわりだろうか。


 ただ、粘液触手で絡めとったり、電撃触手で昏倒させたりと、


 倒すにしては妙にいかがわしいというか、いやらしいというか。


 単純に、始末だけならもう少しやりようはあるはずなのだ。


 それ以外の目的があるのだろうか?




「あ、あの……翔さん!」


「……えっ、あっ、悪い。どうした?」


 さっきから深琴が何度か呼び掛けていたようだが、聞いていなかったようだ。


「えっと、夜も遅いですし……よかったら家でご飯食べていきませんか?」


 いきなりグイグイくるなぁ……こちらとしてはありがたい事ではあるのだが。


「ええと……翔さんの御両親って、あまり家に帰ってこないじゃないですか。……だから、一緒に食べたら寂しくないかなぁ……なんて」


 とはいえ、深琴が誘いたい相手は『翔』の方だろう。


 なのに俺が行くのはどうも気が引ける。


「そうだな、記憶が戻ったらご相伴に預からせてもらうさ」


「そ、そうですか……」


 やんわり断ったつもりだが、深琴はかなり残念そうにしていた。




 正直、後ろ髪惹かれる思いはある。


 侵略者として戦う中で家族の味など忘れてしまった。


 バッドキングがヴィクトリアス王国を襲撃したのは十年前だ。


 その際に両親とは逸れてしまい、以降の所在は掴めなかった。


 それから少しして、故郷はバッドドッグ帝国へと名前を変える。


 充満したマケイヌオーラの中で、人々は半ば死霊のように彷徨っていた。


 その中でバッドキングの使徒として選ばれ、血みどろの訓練の日々を繰り返し、侵略部隊の一員として異世界へ侵攻し、直属騎士にして皇女の近衛となったのだ。


 正確に言うのならば、掴む暇がなかったと言った方が正しいのだろう。


(もし、両親がまだ生きていたのなら……俺は――)




「みぃつけた♪」


 もう何度となく耳にした粘っこい声が、自らの耳元で囁く。


「……っ! しまっ――」


 距離を取ろうとしたが、声とは別の方向から何かに絡めとられる……触手だ。


「翔さん!」


 深琴の呼び声も虚しく、俺は触手に胴体から簀巻きにされる。


 そして、吊り上げられたような状態になってしまっていた。




「ご機嫌いかがかな? 面と向かって直接話すのは初めてだね、モブ眼鏡君」


 いけ好かない銀髪イケメンのゾワゾワする声が響く。


 黙っていればモテそうな触手愛好家、ディフィスタンだ。


 俺は、その隣にいるバッドドッグに捕まってしまった。


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