3話 あの日、わたしを救った言葉 1節

 私は、多少自惚れてもいいくらい、絵の才能があった。


 血筋もあるのかもしれない。


 両親が個展を開くほど有名な画家の家系だったから。


 描いた絵を両親に褒められた時は嬉しかったし、純粋に描く事も楽しかった。


 両親はたくさんの愛情を私に注いでくれた。


 愛情に答えるための努力も欠かしていたわけじゃない。




「さすが月夜家の御令嬢、見事なものです」


「どうせ本当は親に書いてもらったんだろ?」




「あなたという素晴らしい娘を持って、御両親はさぞ誇らしいでしょう」


「お前の才能じゃなくて、両親にゴマするために言い繕っているだけだ」




「いずれあなたも、月夜家を背負って立つ人間となるに違いない!」


「親の七光りが無かったら、お前の絵なんて誰も見ないに決まっている」






 けど、誰も『私』を見たりしない。


 後ろにいる両親、更に言えば『画家の大家・月夜家』を見ていた。


 大人は媚を売ってくるし、同年代からは心無い言葉を浴びせられる。


 結局、私は都合の良い愛玩人形でしかないんだ。




 人との関わりを恐怖するようになるのに、それ程時間は掛からなかった。


 それから、私の世界は自分の部屋だけになる。


 両親からは何も言われなかった……言えなかったのかもしれない。


 ただ、それでも絵を描くことはやめられなかった。


 人が呼吸を止められないように、それは私の一部だったからだ。




 机に置かれたPCとペンタブが、私の新たなキャンバスになっていた。


 それから私は、アニメや漫画の絵に惹かれていった。


 二次創作のような絵を描いて、ネットで公開していく。


 そこには『月夜家の娘』ではなく、『私』の絵を見てくれる人がいた。


 けど、面と向かって人と関わる事は怖いままだった。


 この手の絵に否定的な月夜家の老人方に知られる事も怖い。


 もしかしたら、無理やり筆を折られるかもしれないと思ったのだ。




 そんなどこか危うい私の世界を壊してくれた人が二人いた。




 一人は、満天の笑顔で、嘘偽りのない言葉で真っ直ぐに私を見てくれた女の子。




 もう一人は、ありのままで良い、好きな事は好きでいいと言ってくれた男の子。




 女の子の名は、桃花明音。今では私の大切な友達だ。




 そして、男の子の名は――










 本日は土曜日。


 その日は、机に置かれたパソコンの電源を入れる事から始まる。


 形としては小型のノートパソコンであり、電源ボタンはすぐに発見できた。


 黒一色のデスクトップにロゴが表示され、起動シークエンスが開始される。


 操作可能になるのにあまり時間は掛からなかった。


 デスクトップに表示された画面は、非常に殺風景なものとなっていた。


 パソコン備え付けの表計算ソフトや文章作成ソフト、それらによって作成されたファイルがいくつかある程度で、そこまで変なものがあるわけでもなかった。


「龍姫はパソコンを開けばわかるって言っていたが……」


 彼女の言い方的にかなり特徴的なものであるはずだが。


「……どっかに秘蔵のエロ画像ファイルがあるとか?」


 言ってみて、すぐにその考えを否定する。


 そもそも龍姫が何でそれを知っているって話になってしまう。


 俺なら女の子にそんなもん見られたら自殺したくなりそうだ。


 そもそも翔と深琴の関係を読み解くのにそんなものが必要とは思えん。


「となると別のものになるが……それで深琴と翔の関係がわかるのか?」


 とにかく、探さなければ始まらない。


 まずはデスクトップにあるホームページをクリックし、ホーム画面を開く。


 ホーム画面はなんて事のない検索サイトになっていた。


 検索したいものをキーボードで打ち込めば色々なものが調べられる入力欄。


 それと、よく利用するサイトへのアイコンが下に表示されただけのものだ。


 今更確認する程の事でもない。


 サイトへのアイコンも、近場の図書館の利用案内だったり、様々な科目の効率的な勉強方法だったり……とにかく勉強に関する項目ばかりだった。


「ん?」


 ふと、明らかに異なる雰囲気を持ったアイコンが一つだけ目に留まる。




「ていふしーもって?の絵日記?」


 何て読むのかよくわからないが、字に起こすなら『Teifsee motte』となる。


 よくアクセスしているサイトみたいだが、勉強とは関係なさそうだ。


「悪質サイトって訳ではないだろうし、見てみるか……」


 とりあえず、アイコンをクリックしてみた。




 内容はというと、ネット上で活動しているアマチュア絵師のブログだった。


 サイトは別段凝った作りではなく「こんなの書いてます!」みたいなコメントと一緒に作成途中の絵や完成品をアップしていくという内容だ。


 アクセス数が特別多い訳でもないので、有名なブログという訳ではないようだ。


 本当に、単なる絵日記としてネットを使っているという趣である。


 とりあえず、適当にスクロールして記事を一つずつ見ていった。




「相当上手いなこの絵師……」


 正直、絵に関しては完全な素人目線ではあるが、俺の率直な感想だ。


 題材なのはいわゆるアニメやゲームなどのサブカル系の二次創作の類だ。


 だが、一枚一枚の完成度が非常に高いのだ。


 構図や技法やらは全く分からないが、絵が生きているとでも言えばいいのか?


 とにかく、人を引き付ける『何か』を感じる。


 この人は絵を描くが本当に好きなんだという事が伝わってくるのだ。


 でも、これだけ質のいい作品を書いてはいても、今ではコミュニケーション系のSNSサイトは充実しているし、そこにアップするのが主流だと思う。


 わざわざ個人ブログを訪ねて絵を見に来る人は減っているのだろう。


 事実、絵の感想を書きに来る人も少ない――




「ん?」


 そこで、不思議な事に気づいた。


 確かに、感想やコメントは少ない。


 ブログのアップペースもそこまで速いわけではない。


 だが、『絶対に一人はコメントしている』のだ。


 そして、そのコメントしている人物は同じハンドルネームを使っている。


「『glasses』……確か英語で眼鏡の事だったか?」


 その人物のコメントは、簡潔で正直な賞賛の言葉が書かれていた。


「『いつ見ても驚きでヤンス。これからも頑張ってくださいでヤンス』?」


 なんだか妙な語尾が気になるが、有体に言えばただの応援コメントである。


 ブログの主が元気が無さそうならば気遣い、楽しそうなら一緒に楽しむ。


 『Teifsee motte』も、彼のコメントに楽し気に返信しているように見えた。


 そして、ここまで見て、ようやく俺も龍姫の言っていた事が解り始めてきた。




 情報を確かなものにするため、俺は……照美に連絡した。


 龍姫にしなかったのは、なんかダメ出しされそうなのもあったが、俺の正体を知っている以上、気軽に聞くことが出来そうだからである。




『あら、どうしたの? 貴方から電話をかけてくるなんて珍しいわね?』


「ああ、ちょっと気になる事が出来てな……」


 俺は、照美に簡単に経緯を説明した。


 龍姫に深琴と翔との関係についてある程度教えられたこと。


 パソコンを調べればわかると言っていたので、調査してみた結果ある程度察しがついたが、確かな情報が欲しいこと……などだ。


『それなら、龍姫に聞いた方が良いと思うけど?』


「色々ダメ出しされそうってのもあるが……まあ正体知ってるお前なら気兼ねなく質問できると思ってな。バレる心配もないだろ?」


『……少しは頼りにしてるってこと? ま、まあ、悪い気はしないわね』


 澄ました言葉の割にはどこか嬉しそうな声を出してる気がした。






『簡単に言えば、翔は『Teifsee motte』……深琴のファンなのよ』


 予想はしていたが、やはり事実だったか。


 ただ、やっぱり翔が深琴のブログを偶然見つけたとは思えない。


『龍姫から翔とのテスト対決の話は聞いた?』


「ああ、そこから勉強以外への興味を持ちだして、手強くなったとは聞いた」


『それで調べものならって事で、父親のお古のパソコンを譲ってもらったの』


 たしかに、今の御時世ネットで探せば情報には困らないだろうしな。


『そこまではよかったんだけど……』


「……けど?」


『使い方がまるで解らなかったのよ』


「あいつ、機械音痴だったのか……」


 病室でスマホ弄ってる俺を見て変な顔してたのはそれか。


 手提げバッグに紙のメモ帳があったのも合点がいった。


 確かに、自室に機械の類はなく、アナログな品物が多かった感じはしたが。


 ただ、家事はしていたみたいだし、機械が全く使えないわけではないのだろう。


 パソコン等の精密機械を扱うのが特別不得手なのかもしれない。




『そこで、龍姫に土下座までして使い方を教えてもらったの』


「パソコン使えないからってそこまでするか……?」


『彼の両親はあまり家にいないから、そっちに気を使ったのかもね』


 だから龍姫が翔の部屋にパソコンがある事を知っていたのか。


「……って事は、深琴のブログを紹介したのは……」


『ご名答。最初、翔が何かおすすめはないかって聞いてきて、答えに困った彼女が深琴のブログの事を教えたのよ。結果、彼女の絵に魅了されたってわけ』


「深琴本人はその事を知っていたのか?」


『実際に互いの事がバレるまでは全く知らなかった。最終的にはバレたけど』


 なるほど、実際にバレるまでは書き手とそのファンでしかなかったのか。


 コメントでも使っていたあの語尾でしばらくはバレなかったのは驚きだが。


 となると、龍姫が妙に深琴に肩入れする理由は一体――






 ふと、来客を知らせるインターホンが鳴った。


「悪い、誰か来たみたいだ。色々教えてくれてありがとうな」


『そう、なら最後に伝言があるわ』


「なんだ?」


『深琴はあなたが記憶喪失じゃないんじゃないかって疑っている』


「おいっ、それってどういう……!」


『まあ、上手い事誤魔化しなさい』 


 そういうと、こちらが聞くより早く通話を切られてしまった。


「いきなりとんでもない爆弾置いてきやがった……」


 とはいえ、来客なら無視するわけにはいかない。セールスはお断りだが。


 俺はリビングにある玄関モニターを見る。


「まさかとは思ったが……」




 モニターに映っていたのは、今まさに話題に挙げていた当人……深琴だった。


 どこか真剣な、切羽詰まったような表情なのがモニター越しでもわかる。


(さっき照美に言われたこともあるし、用心しておこう)


 気を張りつつ玄関に向かい、ドアを開ける。


 深琴はこちらをしっかりと見据えたまま黙っている。


「……何か用があるんだろ? 入れよ」


 俺の言葉に黙って頷き、靴を脱いで家に上がった。


「ふえぇ~~……」


 だが、家に入るなり深琴は膝をついてへたり込んでしまった。


「ええ……」


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