1話4節

 突然こちらに呼びかけてきた不気味な声。


 同じ感想を抱いたのか、明音も声の方向に視線を向ける。


 声の主は、ベンチから見て真正面に陣取っていた。


 いったいいつからいたのか……。




 体つきから、少なくとも女性ではない事はわかる。


 灰銀色の長髪を靡かせたこいつの顔立ちを見て「ブサイク」だと言い放つ奴は、余程自分の容姿に自信を持ったナルシストか。


 もしくは、この国の美醜観とは真逆の国に生まれた人物だろう。


 季節外れのロングコートに身を包んだ長身はとても絵になる。


 にもかかわらず、こいつの纏う雰囲気は粘着質で吐き気がしそうな代物である。


 まるで、汚物塗れの風呂桶に腕を突っ込んだような不快感が襲ってくるのだ。


「お前……誰だ? 見つけたって……誰を」


「翔くん、下がって!」


 俺は男に詰め寄ろうと立ち上がったが、明音にそれを語気を強めて制された。


「おやおや……一般人をかばうように立つなんて、流石だね」


 やっぱり、こいつは普通の人間じゃない。


 おそらく、女神が言っていた……バッドキングの見出した新たな使徒。


 となると……俺とも無関係とはいえなくなる。


 何かしらの情報を引き出したいところだが……。


「……翔くん、今すぐここから離れて」


 明音がこちらを向かず、ただ淡々と逃げるように指示を飛ばしてきた。


 そうだよな……お前の立場なら、そうするに決まってるよな。


「ちょっと待て、あんたを置いて逃げろってか! そんな事出来るわけ――」


「いいから速く!」


 食い下がろうとしたが、有無を言わさぬ声に気圧され、俺はその場を離れる。


 だが、おとなしく帰ったりはしない。


 気配を殺して、身を潜めながら奴と明音の会話に聞き耳を立てる事にした。




「初めまして。私の名前はディフィスタン。バッドキング様に選ばれし使徒さ」


「バッドキング!? 私たちが倒したはずじゃ……」


「そう、倒された。でも、完全には倒されなかったのさ。僅かに残った核を時空の狭間に隠し、復活のためのエネルギーを少しずつ蓄えてね」


「じゃあ、あなたがいるって事は……」


「バッドキング様の完全復活のためのマケイヌオーラの収集……そして――」


 そう言って不敵に笑ったディフィスタンは、手を大きく掲げた。


 突如として、空が宵闇に塗りつぶされていく。


 空気が明確な重量を得て体に圧し掛かってくるような錯覚すら覚えた。


「世界侵略に邪魔なグロリア・エンジェルスを倒す事……それが私の役割さ」




 その言葉を聞いて、完全に戦闘態勢に入った明音は、手元から女神の欠片、それが形を変えた変身アイテム、エンジェルブレスを構える。


「アウェイクニング・ミカエル!」


 その掛け声と共に、明音の体は光の煌めきに塗りつぶされていく。


 光が消えた後、彼女の姿は一変していた。


 普段の短髪は紅桃色のサイドポニーへと変わる。


 装いはフリルをあしらった華美なものを纏う。


 その姿こそ、栄光の天使達グロリア・エンジェルス最初の一人にしてリーダー、リア・ミカエルである




「変身速度は一瞬か。変身途中に横槍を入れて邪魔をするのは無理そうだ」


「無粋だね! ヒーローの変身中に攻撃するのはマナー違反だよ!」


(……いや、そんなルール聞いた事ないんだが?)


「そんなルールは知ったこっちゃないけど……無力な相手を嬲る趣味はないから、今後はやめておこうかな。……いけ、バッドドッグ!」


 ディフィスタンの声に答えるように、黒い渦が空中に浮かびあがる。


 そして、渦の中から、俺のよく知る存在が姿を現した。




「マケーーーーーーーッ!」




 その姿は黒い巨大な逆さ玉子から手足が生えた巨人と形容できるだろう。


 胴体には巨大な一つ目が現れており、敵と定めたミカエルを見つめていた。


 こいつこそ、バッドキングの使徒が繰り出す心無き尖兵、バッドドッグである。


 単純な外見とは裏腹に、使徒の意思一つで様々な改造チューンアップが施せる汎用性を持つ。


 現状、ディフィスタンの繰り出したそれに目立った特徴は見られない。


 特に使徒の手が付けられていない状態……初期形態プレーンなのだろう。




「はああああーーーーっ!」


 先手必勝とばかりに、ミカエルは飛び上がり、敵の高所へと蹴りを放った。


 打撃音と共に、攻撃はバッドドッグに命中、態勢を崩して転倒させる。




「さすが一度はバッドキング様を倒した戦士だ。初期形態プレーンじゃ、今更束になっても相手にならないだろうね」


「馬鹿にして……っ!」


「だから、少し私好みに変えるとしよう。」


 ディフィスタンがそいつに向けて手を翳かざすと、その巨躯が姿を変え始めた。


 ただの手であった部分がメキメキと音を立てて形を変え、一つの塊になる。


 次にその塊が、口を開けるかのように裂ける。


 中からは鞭のような触手が複数躍り出た。


 触手の一本一本には、ネトネトとした粘液が滴っており、地面を汚す。


 液が付着した箇所に溶解する様子が無い。


 強酸の類は含まれていないようだ。


 さらに、胴部にも巨大な口が出来、同様の触手が顔を出す。




「マケエエエーーーーッ!」




 変化を終えたバッドドッグが咆哮する。


 チューンアップが完了した合図だ。


「これが私のバッドドッグ……ディフィスタンカスタムさ。お気に召したかな?」


「ウネウネしてて気持ち悪い!」


 ビシッと敵を指差して容赦ない一言……流石である。




「はっきりいうなぁ君は……まぁ、すぐにこの素晴らしさがわかるだろうさ」


 やれ、と軽くミカエルを指差す。


 同時に、バッドドッグは右口から生えた触手でミカエルのいる場所を薙いだ。


 ミカエルは即座に飛び退いてかわす。


 だが――




「きゃあっ!?」


 着地と同時に足を滑らせて転んでしまった。


 普段なら、こんな子供みたいな失敗はしない筈である。


 原因は、バッドドッグの触手から垂れている粘液だ。


 攻撃と同時に、周囲に粘液が飛び散り、それに足を取られたのだろう。


 どうやら、気色の悪い見た目に反して相当厄介な特性を与えられたらしい。


 エンジェルス達は、その名に反して恒常的な飛行手段は持たないのだ。


「マケーーッ!」


「くっ!」


 転倒した彼女に、敵はすかさず触手を振るう。


 ミカエルは即座に態勢を整え、すんでのところで攻撃を回避できた。


 だが、触手が振るわれるたびに周囲には粘液が飛び散っていく。


 それは、徐々に足の踏み場を無くしていくことに他ならない。


 加えて、飛び散る粘液をかわしきれず、体を徐々に濡らしてしまう。


 それが、たとえ粘液のない場所ですら踏ん張りを効かなくしているのだ。


 さらには粘液で滑るせいで直接攻撃も上手くクリーンヒットしない。


 徒手空拳がメインのミカエルにとっては相当旗色の悪い相手だ。


 そしてついに――




「きゃああああっ!」


 触手の攻撃が直撃し、ミカエルは地面に叩きつけられてしまう。


 立ち上がろうとした彼女の腕を、バッドドッグは即座に絡めとった。


 両手を触手に縛られ、吊り上げられるに拘束される。




「いや~~素晴らしい画だねぇ。まさに僕の求めていたものだ」


 至極楽しそうに紅潮した表情を見る限り、かなり興奮しているようだ。


 それだけなら、こいつの外面から見ても中々絵になるのだが……見ている対象は粘液塗れになった触手に絡めとられた少女なのだから、完全に犯罪臭しかしない。




「離して! こんなことして何が目的なの!」


「ノンノン、君が言うべきセリフは、『くっ、殺しなさい! こんな屈辱を受けるなら死んだ方がましよ!』だよ? 展開の王道がわかってないな~~君は」


 なんだそのエロ漫画みたいな台詞。


(……って、ちょっと待て……こいつまさか!)




「これから何が起こるのか……薄々察しはついてるんじゃないかなぁ~?」


 粘液でヌルヌルの触手が、ミカエルの頬を舐めるように撫でる。


 身動き出来ない彼女は、あまりの気色悪さに背筋が凍っている。


 何とか振りほどこうともがくが、うまく力を伝えられず、解くことは叶わない。


「安心しなよ、すぐに下からいただくような事はしないからさ。上から丁寧に……丁寧に仕上げて、自分から求めてくるくらいまでトロトロにしてあげる♪」


 そう言った後、ハンドサインでバッドドッグに指示を送る。


 それに合わせるようにバッドドッグから新たに生えた二本の触手が、じわじわとミカエルに近づいていく。


「い、いや……っ!」


 今から我が身に起きる事に恐怖しながらも、彼女にはもはや打つ手はなかった。






「くそっ……! おい、女神様! 俺はどうすればいいんだ!」


 これ以上見ているわけにはいかない。


 俺は可能な限り声を抑えつつ女神に呼びかけた。


 普段はこちらには干渉してこないが、今の状況なら答えるはずだ。




『どうするとは?』


 ミカエルの色々な意味で絶体絶命のピンチに呑気に聞き返すなよ!


「ミカエルを助けるんだよ! あいつらのサポートが俺の仕事なんだろ!」


『でしたらご安心を。 今あなたがかけている眼鏡、それを外せばいいのです』


「外したらどうなるんだ!」


『一時的に、あなたは騎士・ルースロットとしての本来の力を発揮可能です。その際の外見は、私の裁量で決める事になりますが、バレる心配はまずありません』


「よし、わかった!」


 迷いはなかった。


 おもむろに眼鏡に手をかけると、今までが嘘のようにあっさり外れる。


 それと同時に、己の力が一気に膨れ上がっていくのを感じた。


 かつて侵略者として様々な世界を渡り歩いた『黒騎士』としての力が。




 どんな姿なのかをいちいち確認している余裕はない。


 すぐさまバッドドッグに突撃、ミカエルを捉えていた触手を一瞬で切り裂く。


 手刀に闇のエネルギーを纏わせ、鋭利な刃物へと変えたのだ。


 この手の奇手はあまり得意ではない。


 だが、触手のような軟体に打撃は効果が薄いと判断した結果の苦肉の策だ。


 元々の戦い方をしてしまうと、勘ぐられるかもしれないというのもある。


 ミカエルは地面に落ちたが、受け身は取れたらしく、すぐに立ち上がった。




「だ、誰……?」


「通りすがりのお節介焼きさ」




 俺はミカエルにそう返事を返して、改めて自らの状況を確認した。


 まず、視界が若干狭い。


 軽く触ってみると仮面のようなものがつけられている。


 仕立てからして、着ているのはタキシードだろうか。


 まるで当然のごとく白手袋のおまけつきだ。


 頭には典型的な黒いシルクハットを被っていた。


 これらの情報から鑑みて……今の俺の格好は――




(タ〇シード仮面?)


 この世界を色々調べていた時、偶々見たアニメにこんな奴がいた気がする。


 手元に薔薇があったらそれこそまんまだったろう。


 ないから出来の悪いコスプレみたいだが。




 ……もうちょっとチョイス考えてほしかったなぁ。


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