1話3節

「ここは希みが丘北区のメインストリート! いろいろあるよ!」


「ざっくりしすぎ……入り口のスーパーは近いしよく利用してる」


「北区をまっすぐ進んだら町の図書館があって……え~っと、そこから進んだら私の家や、明音ちゃんたちの住んでるマンションとかがあって……」


「北区の端っこにはおっきな公園があるよね! 夕日が凄く綺麗な所!」




 現在いるのは、この町……希みが丘の北部に当たる。


 この町は中心部から東西南北に一本ずつ主要な道が通っており、それぞれテーマに沿った街づくりがなされている。


 北は学校やマンションがある住宅街、南は病院や役所が立ち並ぶオフィス街。


 東は飲食店やスーパーがある商店街で 西は娯楽施設中心の歓楽街。




 そして、交通機関が集中する中央街である。


 街の外に出る時はここから電車等を利用するようだ。




 俺の服装は、翔の母親に事情を話した時に自宅から持ってきてくれたものだ。




「それじゃ、今日は北区を案内するよ!」


「退院した後、あんたの家はこの区画だし、予行練習みたいなものと思いなさい」


 龍姫はなんだか先生のような言い方で今回のルートの選出理由を教えてくれた。


『俺』自身、曲がりなりにも二週間ほど前に交通事故で昏睡状態の身だったのだ。


 あまつさえ記憶喪失でもある……対外的には。


 そういう意味では、街の全てを回るのは時間的にも体力的にも限界がある以上、この絞り込みはありがたい。


「よし、それじゃあレッツゴー!」


 改めて、明音が元気よく腕を突き上げたのを合図に今日の催し(?)は始まった。




 北区は住宅が多く、休日なのもあり人も多く集まっている。


 区画ごとにコンセプトはあれどそれしかないという訳でもなく、普通にコンビニや小規模な小売店は存在している。


 どことなく下町感のある長閑な場所であった。




「おっ、明音ちゃん! 今日も元気そうだねぇ!」


 そんな場所の一角に建つ小さな精肉店から、豪快そうな声が明音を呼ぶ。


「タケさんこんにちはーー! 今日もいかついねぇ!」


 タケさんと呼ばれた中年男性は、肉が陳列されたカウンターから会話を交わす。


 並べられた様々な肉の数々に負けない程の凄まじい恵体っぷりである。


 ボディビルダーかプロレスラーかと思ったぞ。




「おっ、メガネの坊ちゃんじゃねぇか!」


「え、あっ、俺ですか?」


 今いるメンバーで眼鏡を掛けているのは俺だけなので間違いないだろう。


「事故に遭ったって聞いたから、心配していたんだぞ! その様子じゃ、体の方は大丈夫そうだな! うちの肉食っていたおかげかな? ガハハハッ!」


「は、はぁ……」


(この人は精肉店の武田さん。愛称はタケさん。……見ての通りの人よ)


 タケさんの勢いに気圧されているところに、龍姫が情報を提供してくれた。


(悪い人ではないけど、体格と勢いがいろいろ凄いからちょっと苦手ね。まあ……それは私だけじゃないけど)


 龍姫の視線を追うと、彼女の背中に張り付くように深琴が縮こまっている。


 その様子だけでも直感的に相性は悪そうだなと察することは容易であった。


「えっと……俺は」


「ああ、坊ちゃんの事情はだいたい知っているよ! 記憶の取り戻し方なんて俺にはわからんが、焦っちゃいかんぞ! 焦っても良い事なんてないからな!」


 そして、タケさんはちょっと待ってろと言い残し、少し店の奥に引っ込む。


 何かを油で揚げている音がするが……。




「ほいっ、お待ち! タケさん特製コロッケ揚げたてだぁ!」


 数分後、油切り容器を抱えたタケさんが持ってきたのは、何とも美味そうな小判型をしたコロッケだった。


「うっひょーっ! 待ってました!」


 明音は至極嬉しそうに目を輝かせている。


 言っちゃなんだが「うひょーっ!」はどうかと思う。


「今日は坊ちゃんの顔に免じて、一人一個プレゼントだ! もってけ泥棒!」


「あ、ありがとうございます……」


 手を汚さずに食べられる揚げ物用の紙袋に入れられたそれを手に取った。


 龍姫も、深琴も(龍姫からの手渡しだが)受け取る。


「ここのコロッケ、北区のちょっとした名物なんだ。すっごく美味しいよ!」


 そういってすぐ、明音はコロッケにパクつき始めた。


 目を輝かせながら何とも美味そうに頬張っている。


 揚げたてでかなり熱い筈なんだが、どこ吹く風だ。


 とりあえず、味に関しては文句なしだろう。


 こうして元気よくムシャムシャ食っている奴がいるのだし。


 俺は、熱さに注意しつつ、上からコロッケにかじりついた。




「……うまい」


 歯切れよくサクサクした衣は、油っぽさがなく軽やか。


 中のミンチ肉とマッシュポテトが見事に互いを引き立て合っている。


 ボリューミーに感じる量ながら、一口、また一口と自然と食べられてしまう。


 気づけば、あっという間に一つ平らげてしまった。




「がっはっは! 気持ちのいい食いっぷりだったぞ、坊ちゃん!」


「あっ、いや……はい。美味しかったです」


 正直な話、病院食はどこか物足りなさを感じていたところだ。


 味の濃い食事に飢えていた事を加味しても、このコロッケは絶品だった。


 思わず夢中で食っていたのが少し気恥ずかしくなる。


「う~~ん……」


 言うまでもないが、明音は俺より早く食い終わっている。


 目の前にある揚げたてコロッケを見てうんうん唸っていた。


 いかにもまだ食べたそうに、口からほんのり涎が光る。


「明音ちゃん、まだ食べたいってんなら素直になっちゃいなぁ……」


 タケさんはなんとも意地の悪い笑みを浮かべ彼女を誘惑している。


「……一つ、いや二つください!」


 誘惑に勝てるはずもなく、彼女は財布から二百円を取り出して差し出す。


 店前に並んでいる値札を見ると、このコロッケは一個百円らしい。


「はっはっは! 素直なのは良い事だ! もひとつおまけに持ってけ!」


 タケさんは惣菜用のプラスチック容器にコロッケを入れて明音に手渡した。


「わーい!」


 実に嬉しそうにはしゃいでいる。


「それじゃあ公園に行こう! 見晴らしの良い場所で食べればきっと最高だよ!」


 今日は以前にも増してテンションが高いなぁ。


 何かいいことでもあったのだろうか?




「あ、私と深琴はちょっと別の用事があるから後からいくわ」


「え、そうなの?」


 どうも明音にとっては予定外の事らしい。


「時間もかからないと思うから大丈夫よ。コロッケ冷めちゃうでしょ?」


「……う、うん、わかった」


 微妙に明音の反応が悪い。


 どこか不安気な感じがする。


 さっきまでのテンションならそのまま突っ走っていきそうだが……。




「ちょっと待って」


 ふと、龍姫に呼び止められて足を止める。




「いきなりで悪いけど、明音の御守り頼むわ。たぶん今のあんたでも出来るから」


「いやそんなこと言われても……」


「今ならまだ扱いやすい方だから、今後の事考えて慣れときなさい」


 あれで下振れしてるレベルなのか……?




 少しの間、明音を頼むわね。




 別れ際、龍姫からそんな言葉を残された。


 一抹の不安を抱えながら、俺と明音は公園があるらしい方向に歩き出す。


 こうして、俺と明音は二人と別行動をとる事になった。




「……さっき龍姫に何て言われたの?」


「いや、ちょっとの間明音……さんの御守りを頼むって」


「私、迷子の子供扱い!?」






 少ししたら、先程の肉屋のテンションを取り戻し、グイグイ先に進んでいった。


 袋に入ったコロッケを早く食べたくて仕方が無くなったらしい。


 こうしてみる限りはそこまで問題はなさそうなのだが……。


(今ならまだ扱いやすい方だから……か)


 龍姫の言っていた事が引っかかる。


 少なくとも、今の明音は普段とは違う、ということだろうか。


 彼女に腕を引かれながら、俺はそんなことを考えていた。




「ここは、希みが丘公園。この町一番の大きな公園だね」


 途中から緩やかな上り坂になった道を進んだ先。


 俺を引っ張るように連れてきた場所は、何の変哲もないだだっ広い公園だった。


 設置された遊具で小さな子供たちが両親に見守られながら遊びまわっている。


「あっちにちょうど町を一望できるベンチがあるからそこで食べよう!」


 公園のベンチを指差してそちらに向かう。




 お互いにベンチに腰掛けた所で、明音は先程のコロッケの一つを俺に手渡した。


「いいのか?」


「いいのいいの、おまけだし。いっしょに食べよ」


「そうか、なら頂こうか」


 店前よりかは多少は冷めてくれており、程よい温度で持ちやすくなっている。


 とりあえず口に運ぶ。


「うん、やっぱり美味いな」


 この手の料理は作りたてが一番だが、それでも濃厚な旨味が広がってくる。


 ここに来るまでに我慢していた明音ならなおさら――


「――ふもっ?」


 そんなレベルじゃなかった。


 口いっぱいに頬張るって表現がある。


 手に収まるサイズとはいえ、彼女はコロッケ丸一個を文字通りそうしていた。


 楽しみだったのはわかるがどうなんだそれは……。


「……ふもっ! ふもふも!」


 面食らっている俺を見て、少し眉間を寄せながら別の方を指差す。


 そっちを見ろ、という事だろうか?


「おお……」


 視線をそちらに向けると、そこには確かに見事な景色が広がっていた。




 まるでロザリオのような形に舗装された街並みが一望できる。


 各地区はそれぞれの特徴を反映した建物が並ぶ。


 そして、ロザリオにタスキを掛けるように電車の線路が通っている。




「んぐっ……ねっ、いい眺めでしょ?」


「ああ……確かに見事なもんだ」


 この町でエンジェルスと戦いを繰り広げていたが、この景色は知らなかった。


 いや、『知ろうとしなかった』のだ。


 侵略者として、尖兵として戦うこと以外必要ない。


 目の前にあるものを単なる『情報』として捉え、そこから発露する感情・感動に対して俺は無関心であり続けていた。


 この景色自体は、おそらく見た事がある。


 だが、こうして美しいと『感動』したのは初めてのことだと思う。


 そしてもう一つ、重要な事を思い出した。




(……俺が、こいつと初めて会った場所だ)


 バッドキングの為のエネルギー、マケイヌオーラの収集を開始した時だ。


 この公園にいた明音が俺に突っかかってきた。


 適当にあしらおうと手下を呼び出しけしかけたのだ。


 だが、彼女がお守りとして持っていたらしき女神の欠片の力が突如発現。


 こうしてリア・ミカエルは誕生し、手下も一瞬で倒された。




(色々あったが、こうして彼女と敵対してない状態でまた来るとはな……)


「ねぇねぇ、何か思い出した?」


 明音がこちらの顔を覗き込みながら話しかけてくる。


「うぉっ!? びっくりさせるな!」


 色々心臓に悪い。


 こいつは自身の容姿について自覚がないのだろうか?


 あったらあったでなんか嫌だが。


「ごめんごめん……で、どう? 何か思い出せそう?」


「さすがに、見ただけで何か思い出せる程簡単じゃないと思うんだが……」


「そっかーー。でも、きっと思い出せるよ! 私も、みんなも協力するから!」




 笑顔で彼女は言い放つ。


 それだけなら、特に問題はない筈である。


 だが、俺はその笑顔にどこか違和感を感じてしまう。


 表面上は笑っているように見えた。


 だが、どこかぎこちない……不安を押し殺しているような……?


 少なくとも死の間際に見た、あの天使の如き輝きは感じられなかった。


 そして、龍姫の言っていた事もある。


 だからこそ、俺はこんな質問を投げかけてしまったのかもしれない。




「なあ、明音……さんはどうして俺にここまでするんだ?」


 俺の言葉に面食らったのか、彼女は一瞬きょとんとした表情を浮かべる。


「ああ、いや……善意を疑っているわけじゃないんだ。ただ、まるでそうしなければいけないと思い込んでいるような……そんな感じがしたから……」


 思ったことをそのまま言ってしまった気はした。


 だが、言わずにはいられなかったのだ。


 言葉の意味を飲み込めたのか、明音の表情に少しだけ影が差す。


「やっぱり、無理してるように見える?」


「たぶん、あなたに近しい立場にいる人なら……もっとはっきりわかるだろうな。無理には聞かないが、理由があるのか?」




 そこから気まずい沈黙が流れる。


 だが、明音がその空気を破るように重い口を開いた。


「昔……2年前かな。どうしてもわかり合いたい人がいたんだ」


「……どんな人だったんだ?」


「すごく強いけどすごく頑なで、でも確かな優しさがあって……その優しさを自分で否定している、どこかちぐはぐな人だった」


「……」


「何度も拳を突き合わせて、きっと分かり合えるって確信出来た時に、どうしようもない所に行っちゃったんだ」


 拳を握りしめて、心底悔しそうな表情を浮かべていた。


「ようやく分かり合えそうだったけど、届かなかったの」




 端から見れば、明音の言う人物が誰なのか、想像出来るものは少ないだろう。


 だが、俺にはわかる……わかってしまう。




 彼女の後悔を生み出したのは、俺だ。




「人助けは元々好きだった。私が頑張れば、もっといい方向に行ける! だから、今度は絶対に諦めない。どんなに遠くても、届かせて見せるんだ……って」


 そう言い放った後、明音は大きくため息をついて空を仰ぐ。


「そう、思ってたんだけど、今の翔くんにまでわかる程、無理してたんだ……私」


 そして、こちらに向き直り「ごめん」と頭を下げてきた。




「私、焦ってた……また私が関わった人がいなくなるんじゃないかって。そんな事考えたら、居てもたってもいられなくて……」


 妙に高いテンションでまくしたてていたのは、不安の裏返しだったわけか。


「私の勝手で翔くんを連れまわしちゃって……だから本当にごめんなさい!」


 ここまで平謝りされるとむず痒い。




「……記憶を取り戻すのを手伝いたいって気持ちは本物だろ?」


 頬を掻きながら聞いた質問に、少し遠慮がちに明音は頷いた。


「それに、誰とでも分かり合えるって考えは嫌いじゃない」


 だが、と言葉をいったん切り、明音に向き直る、


「どうあがいても分かり合えない相手だっているのは事実だ。それでも……簡単に諦めるほどやわじゃないんだろ?」


 俺の問いかけに、今度は力強く首を縦に振る。


「なら、今はそれでいいじゃないか、明音……さん」


 そこまで言ったら、少しだけ気落ちした表情が明るくなった。


 と、同時に今度は何故かジト目でこちらを見る。




「……明音でいい」


「へ?」


「だから、明音でいいって言ったの。あなたにさん付けされるのこそばゆいし」


 ずいぶんいい加減な理由だなぁ……。


「……わかった。これからも頼りにさせてもらうぞ、明音」


「うん!」


 今度は、気負いが少しだけ取れたような明るい笑顔を見せてくれた。




(やっぱり、眩しいな)


 不思議と、俺の表情も綻んだ。


 女神は、俺が彼女に『恋』をしていると言っていた。


 言われた直後は、あまりはっきりとした実感がなかったのは確かだ。


 女神が自分を都合よく動かすための方便の可能性もゼロではない。


 だが、明音の持つ何かに惹かれているのは間違いない。


 この気持ちを作り出すことは、きっと女神にだって不可能だ。




(このままの勢いで俺の正体も喋ってしまおうか……?)


 待て、流石に女神に口止めされているし、下手な事をしたら何が起こるか……。


(でも、今後サポートしていく以上、バレずに一人で立ち回るには限界がある)


 エンジェルスの中に協力者を作っておくのは、決して悪い選択肢ではない筈だ。


(それに、ここで正体を明かしておけば、二人きりのチャンスを増やせるかも)


 そうすれば、ここで告白できなくても機会が巡ってくるかも……。


(うん、そうしよう、きっとその方が今後役立つに違いない)


 女神様も許してくれるはずだ。


「な、なあ、明音……実はな――」


 そんな自己弁護で脳内完結させ、早速明音に正体を伝えようとした直後――




「あはは、ようやく見つけた♪」




 急に耳に入り込んでくるようなねっとりした声色が、鼓膜を振るわせた。

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