1話2節

 それからしばらく、面会謝絶として退屈な日々が続いた。


 記憶喪失である以上、いきなり多数の人に会う事は強い負担になるそうだ。


 実のところ、定期検査でも目金翔の状態は健康体そのもの。


 ベッドで寝る以外は個室に備え付けられたテレビを見るくらいだ。


 あとは、目金翔のスマートフォンを使っての情報収集か。


 尤も、改めて分かったのは女神から聞かされていた情報の真偽の補完程度だ。


 俺の探し方が下手なのか、目新しいものは特に発見できずじまいである。




 ただ、今までとの明確な違いも発見できた。


 ある意味これが一番大きいかもしれない。




 それは、心境の変化だ。


 バッドキングの使徒……騎士としてエンジェルスと戦っていた頃、俺の心の中は焼けつくような黒い情念が渦巻いていた。




 敗者は虐げられる、弱さはいらない、負ければすべて失う。


 焦燥か、憎悪か、渇望か。


 世界は黒ずんで見え、全てを闇に染める事が正しい、世界を滅ぼせ!




 これらの感情が内側にこびりつき蠢いているような感覚が心身を支配していた。


 だが、今はそれが消えている。


 ……いや、正確には完全に消えたわけではないだろう。


 負の感情はどんな人間にも存在するものだからだ。


 だが、憑き物が落ちたというべきか、これらの感情に支配されなくなったのだ。




 あくまで予想ではあるが、これはバッドキングによる洗脳だったのではないか。


 内にある負の感情を増大させ、矛先を支配予定地に向けさせるためのもの。


 用は八つ当たり相手を用意して自分に向かわせないための仕掛けだろう。


 この支配がエンジェルスと戦っていく内に綻びが生まれ、そして自身の死を切欠に解放されたのかもしれない。




 そして、一週間程経ち、ようやく面会許可が受理されるようになった。


 ある程度精神状態も安定しており、刺激を増やして記憶の回復を促すらしい。


 入学直前で事故に遭っている以上、高校では同級生との顔合わせすらない筈だ。


 来るとしたら、目金翔の中学時代の友人か。


 それに、この肉体の持ち主はエンジェルスとかなり近しい間柄だったらしい。


 友人以外で思い当たるとしたら彼女達くらいか。 




「……いくら今日が面会解禁だからって、そんないきなりすぐ来るわけが――」


 コンコン。


「はい、どう「失礼します!」えっ、ちょっと」


 ノックに返事をするより早く元気な声の主は入室してきた。


 現在時刻は土曜の八時……休日とはいえ開院したばかりの時間である。


 そして、声の主は『俺』もよく知る人物であった。


 栗色のショートヘアがよく似合う私服姿の少女は、こちらを真っ直ぐ見つめる。




 俺が『恋』しているらしい少女、桃花明音ももはなあかね。


 かつての敵、栄光の天使達グロリア・エンジェルスのリーダー、リア・ミカエル本人である。


 2年前に比べて背丈も伸び、発育も相当よく育ったのだろう。


 各所に女性的な要素が見られ、思わず見とれてしまった。




「翔くん! ケガはもう大丈夫?」


「えっ、いや、あの……大丈夫です」


 呆気に取られて丁寧語で返してしまったが、彼女はおもむろに俺の両手を握って嬉しそうにブンブン上下に振り出した。


 こちらの様子などお構いなしな所は今も変わっていないらしい。


「よかったーー! ずっと面会できなかったから心配してたんだ!」


「いや、だから、待って、話を、させっ!?」


 顔が近い手を握られているなんかいい匂いする待て待て待て待て待て!




 ベチン!「あだっ!」


 オーバーアクション極まるスキンシップをぶった切るように、明音の頭へ分厚いなにかが叩き込まれた。


 よく見てみると、分厚い参考書だった……これは痛い。


 そこそこダメージがデカいのか、彼女は両手で頭を押さえてうずくまってしまった。


「一応コイツの御両親から事情は聞いてきたでしょう? 今のコイツは私たちの事を覚えていないんだから、んなことやったら戸惑うでしょうが」


 落ち着いた雰囲気の比較的長身な少女が、先程の参考書を持って立っていた。


 滑らかなロングヘアと切れ長な瞳でこちらを見据えている。




「ええっと……あなたは?」


大綿龍姫おおわ たつき。そこで頭抱えているのが桃花明音ももはな あかねよ」


 龍姫と名乗る彼女もまた、栄光の天使達グロリア・エンジェルスの一人、リア・ガブリエルである。


 冷静な思考力を持ってこちらの策を幾度も破ってきた頭脳派だ。


 こちらは全体的にスレンダーな感じに成長したのだろう。


 キツイ口調を除けば、深窓の令嬢と言われても違和感がない。




「そして……深琴みこと! 隠れてたらわからないでしょ!」


 個室の入り口の方に視線を向け、呼びかける。


 龍姫の声に反応したのか、入り口からゆっくりと人の顔が現れた。


 この国の人間では珍しいブロンドの髪に整った顔立ちだ。


 だが、気弱な目は明後日の方向を向いており、時折こちらをちらちら見ている。




月夜深琴つきよ みことです……あの、初めまして……で良いんですかね?」


「え、え~~っと、そうなるんじゃないですか?」


「そ、そうですか……」




 入口から自己紹介してきたこの少女も天使の一人、リア・ラファエルである。


 今の雰囲気からは想像もできないが、いざという時の豪胆さは随一といえる。


 おずおずと入室してきた彼女も、2年の間に成長していた。


 良くも悪くも明音と龍姫のちょうど中間くらいといったところか。


 眼鏡を掛けて図書館で本を読んでそうな文学少女然とした雰囲気を感じる。


 女神からの話を聞く限り、彼女も『翔』を知らないわけではない筈だ。


 にも関わらず、どこかよそよそしい。


 さっきの受け答えの後、妙に落胆していたようにも見えたが……。




「あともう一人、連れてこれればよかったのだけど……」


 深琴がようやく他の二人と同じ位置に立ったくらいで、龍姫がそう切り出す。


「仕方ないよ、照美てるみちゃんは忙しいだろうし心配させたら悪いよ」


「そうね。別に四人揃わないと記憶が戻らない呪いがかかってるわけじゃないし」


「ええっと……あと一人というのは……?」


「いつも一緒だったメンバーがもう一人いるんだけど……ちょっと特別な立場の人なんだ。メールとかでやり取りはするんだけど、最近会えないんだよねーー」


「信じられないとは思うけど、異世界の元王女様だったのよ」


「はぁ……そんな人が……」




 ここで彼女達の言う「もう一人」というのは、俺も知っている人物だろう。


 さすがに記憶喪失ということになっている以上、表立って言うつもりはないが。


「……言っちゃなんだけど、信じるの? 正直相当突拍子もない話だと思うけど」


「ヴィクトリアス王国……今は共和国でしたっけ? 異世界の事はたまにニュースでやってますし」


 それに、といったん話を切って龍姫の方を改めて見る。


「記憶喪失の人間に嘘言うためにわざわざ開院時間すぐに面会しないでしょう?」


「……記憶は無くても、地頭は変わってないのかしら?」


 龍姫が口元に手を当て、思考を巡らせ始める。


「ま、まあ王女様と友達? だったのはさすがに驚きましたけど」


 変に勘ぐられないように驚いていることは伝えておく。


 その横から、明音がこちらに顔を近づけてくる。




「ねぇ、今日から外出許可ってとれるのかな?」


 ベッド付きのサイドテーブルに手を置き、乗り出すようにこちらへ詰めてくる。


 目をキラキラさせながら前のめりで見つめられると目のやり場に困るのだが。


「ああ~~……さすがに主治医の人に聞いてみないとわからないと思います」


 いろいろ見えそうになるのを、視線を逸らしてごまかしながら答える。


「まあ、すぐじゃなくていいわ。許可をもらった日にこの町を回って、記憶を呼び覚ます手助けをしたいってだけだからね」




 ああ、なるほど。そりゃありがたい。


 となると、平日はやめた方がいいか。




「……わかりました。まずは主治医の方に聞いてみますね。それから、日時が決まればこちらから連絡します」




 そう言って、俺は近くのハンドバッグからスマートフォンを取り出す。


 ハンドバッグは、翔の母親が小物を纏めておくために持ってきてくれたものだ。


 病院なので使える場所は限られるが、便利なものなのは間違いない。


 外出できない以上、情報収集はこれに頼りっきりだったし。


 他には充電器やペン、紙のメモ帳や財布などが入っている。


 ……スマホにメモ帳アプリはあるはずだがなんであるんだろう?


 そんな疑問は隅に置き、電話帳のアプリを起動させる。


 その手の個人情報を見るのは少し気が引けて、今まで確認してはいなかった。


 元侵略者が何言ってんだとは思うが、それはそれ、これはこれ。


 それから大して苦労もせず、三人のアドレスと電話番号を確認した。




(なるほど、近しい立場にいたのは間違いなさそうだ)


 電話帳にこの三人以外だと両親とあと何人かしかいなかったのが気になる。


 ……あまり深く突っ込むのはやめておこう。


「明音、龍姫、深琴……っと。誰の番号にメールを送れば……どうしました?」


 確認のために彼女達を見ると、龍姫がなぜか目を丸くしていた。


 まるで珍獣を見るような表情である。


「あ、ああ、いえっ……何でもない」


「……? いや、それならいいんですが」


「……ならついでに言うけど、その畏まった喋り方やめて。正直混乱するから」


「確かに少し疲れはするが、馴れ馴れしく感じないか?」


「普段も堅苦しいけど他人行儀ではなかったよね~~」


 明音からも言われしまった。


 いきなりフランクに接するのもあれだと思う。


 というわけで、徐々に慣らしていく方向で納得してもらうことにした。


 『俺』自身彼女達とは元は敵対関係でもあるし。




 そこから、彼女達から見た、目金翔の印象を教えてもらう事になった。


「中学のテストはトップクラスで、龍姫ちゃんとはいつも鎬を削っていたね」


「絵にかいたクソ真面目野郎ね。昔は勉強以外まるで興味無さそうだった」


「語尾にヤンスがついてて……えっと、言いたい事はあるんですけど……うぅ」


 順に明音、龍姫、深琴の評価(?)である。




 明音は人物評としてはまあ普通だ。


 敵対していてもわかり合おうとする彼女が人を悪し様には言わない気はする。


 余程の下種ならば話は別だろうが。




 龍姫が一番容赦ない感じだが、露骨に嫌っているわけではなさそう。


 どこか悪友的で遠慮していない風というべきか。




 深琴は情報としては特徴的だが少なすぎる。


 言葉が見つからない感じか……何故か恥ずかしそうに顔を紅くしていたが。




 その後、色々な話に花を咲かせた。


 とはいえ、俺は彼女達の話を聞いていただけだが。


 明音がボケ、龍姫がツッコミ、深琴はそれを見てあたふたする。


 なんというかコントみたいで見ていて楽しかった……下手糞な感想だが。


 かつての戦いから2年が経っていても、その絆に綻びは生まれなかったようだ。


 それが嬉しくもあり、悔しくもあった。


 自分が本当の意味でかつての戦いに負けた事をはっきりと示されたようで。


 だが、これでよかったのかもしれない。


 騎士として彼女達に勝っていたのなら、今のこの光景は見られなかったはずだ。




 それから数時間後、日程が決まれば連絡する約束をし、その日は帰っていった。




 後に外出許可を貰うために主治医に聞いてみた。


 彼が言うには、外傷に関してはほぼ完治していたらしい。


 とはいえ、脳や内臓といった目に見えない部分の検査が必要とのこと。


 その手の精密検査や明音達の都合などをすり合わせる事になった。




 それから正式な外出許可を取れたのは一週間後の土曜日となる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る