1章 生まれ変わったら恋がしたい 第1話 2年後の平和な世界で 1節

 俺は、まどろみの中にいた。


 誰かが呼んでいる声が聞こえる。


 いったい誰が呼び掛けているのか、判然としない。


 凍っていた感覚が少しずつ戻っていく。


 重い瞼をゆっくりと開くと、見知らぬ天井が視界に広がっていた。


「ここは……?」


 体を起こして周囲を見渡す。


 窓からは夕日が差し込む白を基調にした小さな個室。


 横になっていたベッドには、リクライニング機能が付いていた。


 すぐ右の小型のテレビから子供向けのヒーローアニメが流れている。


 先程の呼び声は、そこから流れてきていたのだろうか?


 見舞いに来ていた誰かが見ていたのかもしれない。


 この部屋の構造は覚えがあった。


「ここは……『あいつら』の世界の病室か?」


 夕日が指す窓側を見ると、小さな引き出し付きの棚の上に花瓶が置かれている。


 花の生けられていないそれの隣には、立てられる小さなカレンダーがあった。


「……ん!?」


 おそらく今の年月日を示すそれが発する違和感から、言い知れぬ焦燥を感じる。


 俺はカレンダーを掴み、食い入るように見つめる。


「あの戦いから2年も経っている……!」


 間違いないのなら、俺の持つ最後の記憶からそれだけ経過している事になる。


 少しだけ頭が冷えてくると、今度は別の違和感が襲ってきた。


「俺の手……こんなに細かったか?」


 手、胸、腹、足。


 言っては何だが、どうも貧弱なのだ。


 俺自身、常に敵と戦うために研鑽は怠らなかった。


 2年の歳月で衰えた……と考えるには、今度は逆に衰えてなさすぎる。


 だからこそ、今の体の状態は不自然でしかない。


 それどころか、そもそも肉体が存在するはずがないのである。




 俺は、死んだはずなのだから。




 そこまでいって、ようやく顔に触れ始めた。


 極端な顔立ちというわけでもないように感じるが、すぐわかる特徴は二つ。


「眼鏡と……出っ歯?」


 大きな丸眼鏡と、かなりの出っ歯であった。


 眼鏡の方はレンズが眉あたりまで覆えそうな大きさだ。


 何故今まで気づかなかったのか……。


 外せないか試してみたが、まるで張り付いたかのようにびくともしない。


 呪いでもかけられてるのか?


 歯は唇を縦になぞればやたら主張してくるくらい。


 どちらも漫画かなにかに出てきそうなレベルである。


「……ますます訳が分からん」


 鏡でもあればいいのだが、あいにくと目に映る範囲にはないようだ。


 まだ十分な情報量と言えないが、何かが起こっているというのは間違いない。




 まるで、自分ではない誰かと入れ替わったようだ。




 憶測だけなら何とでも言える。


 なんでもいい、さらなる情報が欲しい。


「この部屋から出て、何か――」


 ふいに、病室のドアが開く音が聞こえた。


 そこから現れた人物は、俺を見て飛びつき、思うさま抱きしめてきた。


「よかったザマス! このまま目を覚まさなかったらと思うと私……!」


 女性は、勉強ママがいかにもかけてそうなインテリメガネの中年女性である。


 語尾に『ザマス』つけてる奴なんて初めて見たぞ。


「あ、えと、あの……!」


「お父さんもすぐ来ると言っていたザマス! 早く安心させてあげないと……」




「いや、そもそもあんたは誰だ!」




 俺の言葉に反応したのか、女性はすぐさま離れた。


 その表情は、この世の終わりでも見ているかのように蒼褪めていた。




「か、かけるちゃん……今なんて?」


「かける……っていうのは俺の名前か? あんたは『俺』の親類なのか?」


「あ、ああ……」


 俺の発言にショックを受けたのか、眩暈を起こしたようにふらついている。


「お、おい……大丈夫か?」


「そんな……どうして……」


 気の毒になって声をかけたが、こちらの言葉はまるで耳に入っていないようだ。




 ……とはいえ、これで少しだけわかったことがある。


 今の俺の意識、魂とでも言えばいいか……。


 それが別人の肉体に宿った状態だという事だ。


 さっき触れた顔の感じから、周囲の認識が変わっている線も薄い。


 明らかにかつての俺、ルースロットの顔ではなかったからだ。


 別段出っ歯でもなかったし、眼鏡なんて生まれてこの方掛けた事がない。




「あの……出来れば鏡か何か持っていませんか?」


 消沈しきっている女性への頼み事は気が引けたが、背に腹は代えられない。


 女性は多少落ち着いたのか、手持ちのバッグから取り出して渡してくれた。


 一連の反応を見る限り、おそらくは母親なのだろう。




 ようやく顔を確認できる。


 俺は覚悟を決めて、手鏡に映る己の姿を正面に捉えた。


「これが、『俺』か……」


 映し出された顔は、何とも特徴的なものだった。


 といっても、顔の形自体は別段変なものでもない、よくあるフォルムだ。


 真四角だったり三角形だったりするわけじゃない。


 やっぱりというか、妙にデカい丸眼鏡と出っ歯が特に目立つ。


 物語の主人公に対して上から嫌味を言う、キザなモブキャラ的な雰囲気がする。


 もしくは、主人公に助けられる気弱な腰巾着か?


 ひどい言い草ではあるが、率直な第一印象はこんな感じである。




 その後、『俺』の父親と思わしき人物が現れ、大体似たような反応を示した。


 両親の付き添いの元、主治医の元で精密検査が行われる。


 合わせて『俺』……正確には魂の入れ物となった人物の事を教えてもらった。




 名前は目金翔めがね かける、15歳の高校1年生……新入生だ。


 今年の4月……今月から希みが丘高校に進学するはずだった。


 だが、入学式の前日に道路を飛び出した子供を助ける形で交通事故に遭う。


 治療により一命は取り留めたが、それから昏睡状態に陥る。


 そして、俺が目覚めたのがその事故から一週間後なのだそうな。


 医者からは、俺の今の精神状態を端的に述べてくれた。




「一週間前に事故に遭ったとは思えないほどの健康体」




「まるで、都合のいい記憶喪失を見せられたみたいだ」




 担当医曰く、『俺』は目金翔という人間の人生を全て忘れている。


 にも関わらず、常識や観念的な部分の記憶の欠落がまるで見られない。


 何とも不自然な記憶喪失だ、と。




 この医師は無能ではないらしい。


 確かに、俺には目金翔という人間の記憶はない、あるわけがない。


 俺はバッドキング様の騎士、ルースロットなのだから。




 検査を終え、病室に戻った俺は少しだけ思案に耽っていた。


 日も沈み、窓越しに微かな自動車の走行音が響く程度の今なら最適だ。




 結局の所、今の状況はどういう事なのだろう。


 俺は、確かに『死んだ』はずだ。


 自分の死の瞬間やきっかけもはっきりと覚えている。


 だが、そこからどうして今の状態になっているのか。


 情報を集めたいが、この肉体は曲がりなりにも怪我人だ。


 下手に動いて怪しまれた結果、余計に動けなくなるのは避けたい。




「この世界の格言には、果報は寝て待てっていうのがあったな……」


 実際の使い方かはともかく、肉体が存在する以上は休息も重要だ。


 そう考えた俺は、ベッドに横になり目を閉じる。


 すると、自分でも不思議なくらいすんなりと眠ることが出来た。




 


『ルースロット……バッドキングの騎士ルースロットよ……』


 頭の中に、俺を呼ぶ声が響く。


 瞼の裏までこちらを照らすような光に当てられ、目を開ける。


「なっ……!?」


 目の前には、金色に輝く女性が立っていた。


 だが、その大きさは一般女性の背が高い・低いの概念は一切通用しない。


 自らが小人になったような錯覚に陥るほどの女性が、こちらを見下ろしていた。


 緩やかなローブを纏い、小さな花で彩られた花冠すらも金色に煌めいている。


 そして、自らを見下ろすその表情を、幾度となく自分は見たことがある。


「女神……ヴィクトリアス!」


 俺の故郷、今いる世界とは異なる次元に存在する世界、ヴィクトリアス王国。


 後にバッドドッグ帝国と名を変える国の、守護神として祀られていた存在だ。


 王国に侵攻した闇の化身、バッドキング様と戦いその力の大半を失った。


 だが、残った力の欠片をこの世界に散らし、見出した戦士たち。


 彼女たちこそ、栄光の天使達グロリア・エンジェルス


 俺が死の直前まで戦っていた相手だ。


「どういうことだ! 何故お前がここに……いや、そもそもここはどこだ!」


 女神の威容に圧倒されていて、自分の置かれた状況に気づいていなかった。


 四方八方に煌めく星々が瞬いている……宇宙と形容出来そうな場所である。


 だが浮遊感はなく、両足で立っている感触があった。


『ここは、いわばあなたの夢の中。私があなたをこの場所に導きました』


 導いた……?


 見知らぬ場所で妙に寝つきが良かったのは、こいつに呼ばれたからか。


「俺に何が起こった? 知らない場所で見知らぬ人間になっているのは何故だ。あの戦いの後、バッドキング様やエンジェルスはどうなった! それから――」


『落ち着きなさい。順を追って説明いたします』


 あくまで調子は崩さず、女神は俺を制する。


 どの道、話を聞かなければ何もわからないのだ。


 一度呼吸を整えて、改めて女神を見上げる。


『まず第一に、闇の力マケイヌオーラの化身バッドキングは、私の力の一端を授けた強き少女達、グロリア・エンジェルスによって、この世界から消し飛ばされました』


「……そうか」


 仕えていた主君が倒されたことへの落胆なのか、エンジェルスが無事である事への安堵なのか、俺の力は抜け、腰を落として胡坐をかいた。


 最後の戦いで見た闇色の空ではない、美しさすら感じる夕日を目にした時点で薄々気づいていた事ではあったが、はっきり突き付けられるとなかなかキツイ。


『次にこの世界、エンジェルス達の世界は再び元の平穏を取り戻しました。


 あなたが経験した最後の戦いから、既に二年は経過しています』


「ああ、それは俺も気づいた」


『そして、バッドドッグ帝国は崩壊。


 バッドキングに取り憑かれていたヴィクトリアス国王は責任を取るため退位。


 議会制を導入しヴィクトリアス共和国へと名前を変えました。


 現在は最後の戦いで開いた異世界の扉を介し、日本と国交を結んでいます』


 つまり……俺の仕えていた帝国も、かつてあった王国もほぼ消滅したって事か。


 故郷がここまで変わっているとショックも大きいな。


 だが、きっと悪い事ではないのかもしれない……今はそう思うことにしよう。


「……ちょっと待ってくれ。


 世界が平和になったのなら、死んだはずの俺が何故ここにいる?」


『それが、これから話すことに関係しています。


 ……結論から言えば、バッドキングは完全に消滅したわけではありません』


「なにっ……?」


『わずかな核が消えることなく次元の狭間で眠っているような状態なのです。


 そこからさまざまな世界から闇の力マケイヌオーラを集めて復活を図っています』


 つまり、この女神が言っている事が真実だとしたら――


『そう遠くない未来、バッドキングは再び復活します。


 間もない内に新たな使徒を見出し、この世界に差し向けてくるでしょう』


 使徒……バッドキング様に尖兵として選ばれた人間の事だ。


 生きとし生ける者達が持つ負の想念、マケイヌオーラ。


 その力を人間に大量に注ぎ込み、尋常ならざる力を得たのが使徒だ。


 特に強い力を身に着けた者は、騎士の称号と共に直属の幹部に任命される。


 俺も『黒騎士』の称号を戴き、エンジェルス達と戦いを繰り広げていたのだ。


「二年前の戦いが再び繰り返されるわけか……」


 だが、この世界には守護者であるエンジェルスがいる。


 一度はバッドキング――もう様付けはいいか――を退けた彼女達なら……。


『いえ、勝てる保証はありません』


「……どういうことだ?」


 心を読んだような(実際に読んでいるのかもしれない)返しに、思わず聞き返す。


『奴も愚かではありません。この世界の様々な情報を集めて対策を練ってくるでしょう。こちらにも、新たな戦力が必要になったのです』




「戦力がいるというのはわかった……だが、それならなおさら俺である理由がないだろ?それこそ新たなエンジェルスをお前が見つければいい話だ」


『それも合わせて行っていますが、すぐに見つかるとは限りません。新たな戦士が生まれる時まで、あなたに彼女たちを陰で支えていて欲しいのです』


 ようやく、話がつながった。


 有体に言えば、俺は場繋ぎ用の緊急戦力ってわけだ。


 とはいえ、女神様もリスキーな事をするなぁ。


 元は敵だった奴をわざわざ転生させて戦力に据えようなんて。


 俺の正体がバレたり裏切ってしまう可能性を考慮していないのだろうか?


『裏切ったり正体がバレた時は……どうなるかは想像がつきますよね?』


 ……やっぱり心読んでるよこいつ。


 どの道、選択肢なんてないようなもんじゃねぇか。


『見返りもなしにお願いはいたしません。もしお願い通りの働きをしてくだされば、融合している肉体ではない本来の肉体を、完全な形で復活させましょう』


 ある意味、相応とも言える報酬だ。


 出来れば元の肉体のまま転生させてくれればよかったのだが。


『申し訳ございません。バッドキングの生存が判明したのが、ごく最近のこと。そして、あなたと融合する事になった少年、目金翔はエンジェルス達とごく近い立場にいる人間なのです』


 ……って事は、今融合しているこいつは、彼女達の同級生か何かなのか。


 確かに、同級生が事故で昏睡状態ならば、精神的にはきついかもしれない。


 エンジェルスの面々は、根っこはお人好しな連中ばかりだしな。


「サポートとは言っても、俺はほとんど荒事しかしなかった男だぞ。


 戦闘して負傷なんてしたら治療どころじゃないだろ」


『そこはご心配なく。


 あなたが戦闘状態で受けたダメージは、全てあなたの魂にいきます。


 魂も一晩眠れば概ね回復できるでしょう』


 なかなか便利な事で。


 つまり、多少の負傷は気にしなくていいって事か。


『あとは……何かやりたい事はあれば、私も協力しましょう』


「やりたい事……」


 急に言われても思いつかない。


 趣味と呼べるものも特になく、この世界の事を色々調べるにあたって様々な事を知ったが、それ自体は趣味と呼ぶものではなく単なる情報収集だ。


 それでもあえてやりたい事を探すのなら――




「……っ!?」


 脳裏に一瞬浮かんだ光景に、顔が熱くなる。


 それは、死の直前まで相対していた少女の姿。


 どんな困難にも決して諦めず立ち向かうその姿が、今も脳裏に焼き付いている。


 だが、何故彼女を思い出すとこうも気持ちが昂るのだろう?


「……なぜこっちを見て笑っているんだ?」


 おそらく、こちらの考えていることなど筒抜けなのだろう。


 だが、女神の表情は微笑ましいものを見ているかのように穏やかであった。


『いえ、その気持ちはきっと正しいものです。おそらく、『恋』でしょう』


「……恋?」


 言われてもやはりピンとこない。


 文献や色々な情報からどういうものかは知っている。


 だが、実感を伴っていないのだ。


 そういう気持ちを利用してエンジェルスを追い込んだことはある。


 あくまで手段としてのモノに過ぎず、その点を彼女達に論破されてしまったが。


『今はそれでいいでしょう。必要なら、手助けいたしますが……?』


「いや、遠慮しておく。この手の事は自分で解決しなければ意味がない気がする」


『そうですか、それは残念です』


 どこか物足りなさそうに顔をしかめる女神は、妙に人間臭く感じる。


 超常の存在であっても、その手の感性は女性のそれなのだろうか?


『了承してくれたようですし、私から伝える事はもうありません』


「そうか。……俺にどこまで出来るかわからないが、やってみるさ」




 よろしくお願いします。




 女神のその言葉を最後に、俺の視界は白く染まっていく。


 次に目を覚ました時には、既に朝日が昇っていた。




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