遺言

春香....。


僕は春香の手を取り、必死に握り締める。


春香が息を引き取った時とは逆で、春香の手はとても温かく、僕の手は雪にでも手を入れていたかのように、とても冷たかった。


(温かい....。)


僕はその手の温もりは、あの時と違いとても温かく、不思議な安堵感を覚える。


だがしかし、その直後、不意に春香の姿が遠退いた。


手は握りられているのに、まるで世界が別々に存在しているかのように、春香の姿だけが不意に消失する。


そして、目映い光が突如として降り注ぐ。


僕は目映い光の方に引き寄せられるかのように、その方向を見据えると光を直視するべく目を見開いた。


(あれ......?

ここは僕の部屋....なのか??)


僕は微睡んだ意識を引き摺りながら、周囲を見渡す。


その直後、僕はベッドの横で僕の手を握りながら、うたた寝する咲子【さきこ】叔母さんの姿が目に入る。


咲子叔母さんは隣に住む、春香のお母さんだ。


だが、僕が両親を亡くしている事もあってか咲子叔母さんは、以前から実の息子のように接してくれていたのである。


「う....ん?

あ、透くん気が付いたんだね?」


咲子叔母さんは、やや眠気を含む表情で僕に向けて問い掛けた。


「あ....僕また、病気で動けなくなっていたんですか?」


「うん......でも仕方ないよね。

急にお婆さんを亡くして、ショックも大きかっただろうし....。」


「すみません、ご迷惑を御掛けして....。

祖母の葬儀の途中でこんな事に。」


「大丈夫よ、透くん。

加奈枝【かなえ】さんの葬儀はしっかりと済ませてあるから。

それに病気だから仕方がないよ。

とにかく無理しちゃ駄目だからね?」


咲子叔母さんは僕への気遣いからか、労りを含む口調で僕へと告げる。


そんな咲子叔母さんの気持ちを嬉しく思うのと同時に、僕は自分自身の不甲斐なさを痛感させられた。


だが....何時からだろうか、生きる理由を探すような生き方をし始めたのは?


両親が死んでからだろうか?


それとも春香が死んだ時からだろうか?


正直、何時からだったのか自分でも良く覚えてはいない。


ただ、祖母や咲子叔母さんが自分のように、悲しみを抱えながら、それでも懸命に生きてきた事を考えると正直、僕は自分自身を不甲斐ないと思った。


しかし、咲子叔母さんはそんな僕を気遣うように優しく僕へと告げる。


「透くん、気が付いたばかりの所、ごめんね。

これ、加奈枝さんの遺言書。」


「遺言書?」


僕は咲子叔母さんから渡された祖母の遺言書を、力ない手で受け取った。


咲子叔母さんは、僕が遺言書を受け取るのを確認すると、立ち上がりながら僕に向けて告げる。


「起きたばかりで、お腹空いたでしょ?

今、ご飯作ってくるからね。」


咲子叔母さんは、そう言い終えるなり席を立った。


一人残された僕はまだ、あまり力の入らない体で、咲子叔母さんから手渡された遺言書を開く。


(そうか.....やっぱり、婆ちゃんは本当に居なくなってしまったんだね。)


僕は未だに祖母の死を実感出来ぬまま、遺言書に確認する。


遺言書にはこう綴られていた。


ーー透ちゃんへ。

透ちゃんが今これを読んでいるという事は私はもう、この世には居ないという事なのでしょうね。

寂しい思いをさせて、ごめんなさいーー


「何言ってるんだか婆ちゃんは....何時も僕のことばかり気にかけて。

自分だって....。」


僕はたまに見る祖母の寂しげな微笑みを思い出し、思わず言葉を詰まらせる。


祖母と祖父は科学者だった。


祖父が生きていた時は、研究に没頭し何時も祖父としてる研究の事を楽しそうに話てくれ、僕はその話を苦笑いしながら聞いていたものである。


何故ならかつて天才と称された祖父や祖母の話しは、幼い僕にとってあまりにも難解だったからだ。


いや....それは科学者の世界においてもで同じである。


祖母や祖父は科学者の世界においても、ある種の異端児だった。


誰からも理解されないのが日常。


祖母を理解出来るのは祖父だけであり、祖父を理解出来るのは祖母だけだったーー。


それ故に祖父が死んでからの祖母は一年間、祖母は中身の無い脱け殻......。


それは恐らく、半身を失うような喪失感であったに違いあるまい。


その当時の僕には理解出来ない心の痛みではあったが、今の僕なら祖母の痛みや苦しみは自分の事のように良く分かる。


僕も家族の喪失や春香を失った時に、心を維持するのに必要な何かがゴッソリと抜け落ちたからだ。


だから祖母の痛みや苦しみは誰よりも良く理解できる。


祖父が死んでから一年後、続けざまに僕の父にして実の息子夫婦や一人の孫を失い....どれ程の精神的苦痛を伴った事か....。


それは間違いなく、想像を絶する悲しみだっただろう......。


だが、その孤独を理解出来るからこそ、祖母が自分ばかりを気遣い続ける事に心苦しさを感じていた。


その事を祖母は間違いなく知っていた筈である。


しかし......そんな僕の想いを知って尚、祖母の遺言書には続けて、こう綴られていた。


ーー私は充分に幸せでした。

私はこう思っています、多くの不幸の中で頑張っている人は、必ず報われる日がくると。

諦めなければ、必ず願いが叶う日が来る筈です。

透ちゃんはお父さんやお母さん、そして優ちゃんや春香ちゃん達が幸せなれなかった分も幸せになる資格があるんです。

だから諦めないでください。

透ちゃんは決して一人ではありません。

心は何時も共にあるのですから。ーー


「婆ちゃん..........。」


涙が止まらなかった。


遺言書を読んでいく内に、祖母が本当に死んでしまったのだと実感したからである。


直後、僕の心を寂しさと悲しさが埋め尽くされた。


祖母と過ごした日々と、祖母の顔が過ぎりーー。


溢れ出る涙を拭いながら、僕は遺言書を読み続けた。


祖母に支えられてきた切なくも、温かなる日々を思い出しながら....。

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